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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一四年(1545) 尼子激闘
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弔い合戦



一五四五年  小早川(こばやかわ)少輔三郎(しょうのさぶろう)隆景(たかかげ)



「皆の者、復讐の時は来た」


『応!』


兄、そして此度の戦の総大将、安芸守隆元(あきのかみたかもと)が集まった兵たちの前で話し始めました。兵たち皆の視線は太郎兄上へと注がれ、太郎兄上の最初の一言に集まった兵たちの大きな声がこの吉田郡山城に響きます。父、右馬頭元就(うまのかみもとなり)は兄上の声を静かに聞いているようでした。


「昨年、我等は大事な男を失った。吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)、私の弟だ。あいつは、優しい男だった。口が悪く、目つきも悪い。それでも身分に関係なく誰にでも声を掛け、常に毛利の民を豊かにするために考えることが出来る優しい男だった。この中にも次郎と言葉を交わしたことのある者は多かろう。一緒に笑い合った者もいるだろう。共に訓練した者もいるだろう。同じ釜の飯を食べた者もいるだろう」


太郎兄上、否、私の兄上はもう一人になってしまいました。こうして太郎兄上、次郎兄上と分ける必要も今はもうないのだと思うと胸が苦しくなります。兄の死から既に一年近く経とうとしているのに。


兄上の言葉には次郎兄上をどこか自慢するような誇るような声色が含まれています。兵たちも兄上の言葉に頷く姿が多くあった。

兄上が語る通り、次郎兄上は常に誰かと共に何かをしていることが多かったように思います。町で、修練場で、城内で、畑や田んぼで、次郎兄上は常に家臣と、兵たちと、毛利の民たちと共にいました。でも、今はもういない…。


「あいつがすることはいつも良く分からない突拍子の無いものばかりだった。それでも時が経てばそれが国を豊かにするためのものであったと分かる。次郎は、常に我らの先を駆けていく男であった。それは戦場でも変わらない。次郎は、次郎が率いる兵はいつも我々の先を駆け、槍の穂先のように鋭かった。私は、私よりも若い次郎を頼もしく思っていた。いつまでもあの次郎の、我らの先駆けたる次郎の背中を見ていたかった。見ていたかったのだ…」


兄上の瞳が潤んで見えた。兄上の悲痛な叫びにも似た声が響きます。兵たちの中にも噎び泣くような声が漏れた。

私も見ていたかった。次郎兄上の背中を追っていたかったです。


「だが、皆も知っての通り次郎はもういない。皆が愛してくれた次郎は」


そう言って腰に下げられた粟田口吉光の太刀を引き抜くと遠くの空へと掲げられた。

敵、次郎兄上を亡き者にした尼子家がいる出雲国の方角へとその太刀を指した。次いで兄上が再び話し始めます。


「尼子の凶刃により命を絶たれた。…卑怯とは言うまい。今は乱世、命は簡単に失われる世なのだ。だが、だからと言ってこの次郎の死を私は仕方がないと受け入れるつもりは毛頭ない!!私は必ず報いを受けさせる。尼子に、民部少輔(みんぶのしょう)詮久(あきひさ)に!坊主は復讐は何も生まないなどと(のたま)うだろう。だが私はそうは思わない。復讐せねば私は前に進めない。この無念は一生晴れることはないのだ。そして、この恨みの根元たる尼子が今まさに我等の隙を突こうと迫って来ている。これは危機ではない、好機である!だから皆に力を貸してほしい!我ら毛利が前に進むために、今は亡き次郎が目指した豊かな国を作るために障害となる尼子を討つ!」


『応!応!!』


兄上の言葉が戦場とは思えぬほどに皆へと通っていくのを感じます。その熱が篭った声が広がり、その熱が兵たちに伝播するようでした。気付けば皆と共に私も声を張り上げている。


「良いか!毛利の精兵たちよ!これは弔いの戦であり我らが飛躍するための戦だ。負けは許されぬ。負ければ泉下の次郎に私は笑われよう、『俺がいないと兄貴は駄目だな』とな」


自分で言って本当にありそうだと思われたのだろう。兄上が苦笑を浮かべました。兵達も同様の事を思ったのでしょう。小さく笑い声が漏れる。


「この戦に勝って尼子を下す!敵を討ったぞとあの世で次郎に胸を張って自慢するためにな!」


『応!応!!』


「これより出陣する!皆の者、百万一心。心を一つにこの安芸国を守る!気を引き締めよ!!」


『オオォォォォォォォ!!』


兵達の咆哮が響き渡りました。これで兵たちの士気も上がった事でしょう。

そのまま先陣の飛騨守(ひだのかみ)国司元相(くにしもとすけ))出陣していくのを見送っているといつの間にか隣に立っていた父上がぼそりとぼやきました。


「太郎は兵の士気を上げるのが上手いの」


思わず吹き出してしまった。急に何を言っているのでしょう。その事を意外に思い父を見ればどうも拗ねているのでしょうか。ふん、と鼻を鳴らしました。普段は感情を露わにしないのにこういう時だけ子供のようなことを言います。


「ふふ、兄上は別に狙ってやった訳では無いでしょう。あれは兄上の気質です」


「…分かっておるわ。あれは儂似ではなく美伊に似たからの。気性が穏やかなのよ。羨ましいの。さて、兵達の士気が軒昂なのは何よりじゃが…、状況はあまり良くないの」


「はい」


父の言う通り状況としてはあまり良いとは言えません。尼子家が先に攻めてきました。既に尼子家の先兵が国境付近の村で略奪を行っているという話も聞こえてきています。


ですが私たち毛利家は次郎兄上が討たれたことにより発生した混乱はいまだに尾を引いていたため、対応が後手後手となってしまっています。更に尼子家はその隙を狙って備後国(びんごのくに)(現在の広島県東部)にも食指を動かしていたようです。


今回の尼子家出兵に伴い、現在その備後国は混乱が起きています。

尼子家に近かった国人衆の幾つかが今回の尼子家出兵に合わせて兵を挙げています。主格と思われるのは山名(やまな)豊後守(ぶんごのかみ)理興(ただおき)。但馬守護家の山名氏の血を引く男だそうです。


山名家と尼子家は争っている筈なのに何故備後にいる豊後守が尼子に手を貸しているのか疑問に思っていたのですが随分と前に土着したため本家との交流は無いだろうとの事でしたが。

この豊後守たちの反乱自体はそれ程大きな規模では無かったものの、この反乱のせいで備後の国人衆を動かせなくなってしまいました。今頃は備後国の旗手である能登守(のとのかみ)桂元澄(かつらもとずみ))を中心に鎮圧に動いていることでしょう。


更に吉川家も今回の戦には参戦していません。次郎兄上を失った影響は未だに尾を引いています。今の状況で軍を動かすのは不可能でしょう。


私も小早川の家を継いだ身であるから少輔七郎(市川経好)の気持ちは分かるつもりです。吉川家の一門衆とはいえ分家筋で、しかも同じ陪臣の身であった少輔七郎が止むを得ず当主となっても家臣達がそれを良しとするかはまた別でしょうし、次郎兄上に期待を寄せていた吉川家中の戸惑いは推して知るべしでしょう。


私は実家である毛利家の後押しがあった為に小早川家家臣をある程度納得させたことが出来ました。後ろ盾が無ければ私も今頃は傀儡に近い扱いだった。

勿論、少輔七郎が跡を継げば毛利家が後押しをすることにはなるでしょうが、どうしても足元の弱い当主とならざるを得ません。



そんな事情もあり毛利の兵は小早川の兵を入れても三千程度。尼子は一万五千と号する兵を率いているそうです。実際にそれだけの兵数を率いている訳では無いでしょうが、それに近い数が出てきているのは間違いないでしょう。我等との一進一退の攻防を繰り広げ勢力が衰えてきたとはいえまだまだ状況的には厳しいと言わざるを得ません。


「幸いなのは兵の士気は高く精強だという事か。収穫も終わり兵糧も潤沢であろうが冬までじゃろうな。粘れば敵は兵を退こう」


今、父が言った通りこの毛利軍の兵は百姓を一切使っていない、戦の為だけに組織された訓練された兵達です。農兵が主体である尼子軍と正面からぶつかったとしても簡単にはやられぬほどに鍛えています。


「はい。ですが国境付近の民たちは辛い思いをさせてしまいます」


「仕方がない、と一言で済ませることではないの。太郎が国境付近に見張りを配していたため早めに避難させることが出来たのがせめてもの救いよな。此度の戦で守り勝てば手当てしてやらねばならん」


「その為にも負けられませぬ」


「うむ」


兄上は尼子の出兵を予測していたため国境付近に見張りの兵を配していました。昼間は狼煙、夜も火を使って迅速に近隣やこの吉田郡山城まで敵国の侵略を知らせることが出来るようにしていたようです。そのおかげで国境付近の村々は避難することが出来たのでしょう。


「殿、失礼致します。三郎様、我等の軍も出立の準備が整いました」


父上と話をしていると左近允(さこんじゅう)福原貞俊(ふくはらさだとし))が私の馬を曳きながら近づいてきた。いよいよ私たちも出陣の時が来たようです。


「分かりました左近。それでは父上、先に失礼致します」


「安芸国内とはいえ油断はするなよ三郎。左近允頼む」


「はっ、畏まりました」


(あぶみ)を履いて鞍に跨ると左近允は父上に深く頭を下げる私の馬の(くつわ)を引いてくれました。

私は次郎兄上の代わりに先頭に立って戦をするような勇猛さはありません。それでも私なりにきっと太郎兄上を支えてみせます。


「左近、此度の戦は小早川家も無茶をせねばならないかもしれません。それでも付いて来てくれますか?」


馬に揺られる度にカチャカチャと鎧や兜の金属が擦れる音が響きます。馬を引いてくれる左近允にそう呟くと前を見ていた視線がこちらに向きました。


「無論のこと。我々も死力を尽くします。三郎様は堂々と、我等を指揮して下され」


「有難う御座います、左近。頼りにしています」


普段、感情をあまり出さない左近允が小さく微笑みました。


次郎兄上、どうか私を見守っていて下さい。





一五四五年  毛利安芸守隆元



「三郎は行きましたか、父上」


「うむ、次郎の代わりになろうと懸命に勤めておるよ。健気よな」


櫓台に向かうと父上が待っていた。眼下では小早川家の左三つ巴の旗がぞろぞろと出兵していくのが見える。その軍勢を父上は見送っているようだった。人払いをしているため私と父以外この場には誰もいない。


「ここまでは順調です。後は我々がどれだけ尼子の軍勢を引き付けることが出来るかに掛かっております」


「そうじゃな。だが油断は出来ん。代替わりをしたとは言え一時は中国地方を席巻した尼子の兵じゃ。引き付けるだけでも骨が折れる。負ければ全て終わりよ。今の毛利があるのは家臣達の暮らしを安定させてやれているからじゃ。忠誠心などではない。分かっておるのだろうな?」


「…っ、だからこそ此度も勝ちます。それだけの準備をしてきたつもりです」


父が鋭い目で、それこそ脅すような威圧的な目付きでこちらを睨んでくる。だがここで視線を逸らすことは出来ん。その鋭い視線に負けぬよう私も父を睨み返した。勝つための準備、仕込みはしてきている。勝ち、生き残るのは我ら毛利だ。睨み合っているとふと父の表情が緩む。


「ふ、それで良い。当主たるものいつ時も弱気になってはならぬ。でなければ下は付いて来ぬからの。此度の戦は美作新宮党の者たちも時機を見て動き出すであろう。当然尼子も警戒はしておるだろうが」


「新宮党旗下の者たちは本家尼子への復讐に燃えております。良き働きをしてくれることでしょう」


此度の戦では美作新宮党が協力を申し出てきた。まあ、そのように動かしたくて新宮党の者たちに物資の支援をしていたのだから狙い通りな訳だが。無論向こうもそれは分かっているだろう。それでも新宮党は動かざるを得ない。毛利が潰れれば次は自分たちだと分かっているからだ。


今は共通の敵がいることで協調出来ているが、尼子を滅ぼした後どのような関係を築けるのか。

このまま毛利の傘下に入ってくれれば有り難いが当主があの式部少輔(しきぶのしょう)尼子誠久(あまごまさひさ))、無類の戦狂いといわれた男だ。性根で何を考え何を成したいのかがまるで読めん。話した感じではそれ程話せない男では無かったが…。

何にしても油断することなく敵対することに益がないことを常に示し続けることが大事だ。そうすることで敵対の道を避けることが出来るかもしれない。


「さて、我等も参るとしようかの」


「はい、参りましょう」


父の声に返事を返す。この戦は、我ら毛利の勝利で飾ってみせる。



【新登場人物】


山名豊後守理興  1512年。但馬山名家と同族の備後国人衆。+18歳

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公が…まさか!!の展開に驚いてます この後が気になります!! 続き楽しみに待ってます。
[良い点] むむむ、まだ元春さん復活してないんすね……
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