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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一四年(1545) 尼子激闘
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失われた命


一五四五年  冷泉左衛門(れいぜいさえもん)少尉隆豊(しょうじょうたかとよ)




周防国(すおうのくに)(現在の山口県東部)に戻って早々、太宰大弐(だざいだいに)大内義隆(おおうちよしたか))様より呼び出しがあった。

毛利家の状況を聞きたいのであろう。直接私室へと来るようにとの事であったが、評定で皆に説明する前に現状を先に確認しておこうという事なのであろう。それほどに今回の件は重大だ。


「左衛門少尉に御座いまする」


部屋の外から声を掛けるとすぐさま中から『入れ』と殿の声が聞こえてくる。

襖を開けて中に入ると太宰大弐様の隣には周防介(すおうのすけ)大内晴持(おおうちはるもち))様も同席されていた。

はて、周防介様は九州に渡られ大友家と対する大将をしていた筈であったが。疑問に思っている間にも殿が座るように持っていた扇子で指し示す。『失礼致します』と声を掛けそこに腰を下ろした。


「殿、只今戻りまして御座いまする。周防介様までいるとは思わず、ご無沙汰しておりまする」


「うむ、良く戻ったの」


「久しいな、左衛門少尉。此度の報告は私も共に聞かせてもらおう」


周防介様の涼やかな声も久々に聞いた。見れば逞しくなった様にも見える。日にも焼けたであろうか。少し肌が黒くなった様にも見える。

大友家の侵攻を抑えているのだ。逞しくなったのもそのお陰だろう。随分頼もしくなられたように感じる。今では押しも押されぬ大内家のお世継様だ。


「はっ、畏まりまして御座います」


「待て、報告には時間も掛かろう、茶を持ってこさせよう」


話し始めようとすると殿が命令し小姓が部屋を出ていった。こういった些細な気遣いをして頂けるのがありがたい。殿の魅力よな。


茶を待つ間に周防介様が何故ここにいるのかを聞くことが出来た。新年を迎えるにあたり小競り合いが沈静化したことで、こうして殿に新年の挨拶をしに来たようだ。そして私が毛利領から帰ってくることを知り九州への帰陣を遅らせたそうだ。お待たせしてしまうとは。


「これは、私が遅くなってしまったばかりにご迷惑をお掛けしてしまいました。申し訳御座いませぬ」


「なに、そう畏まるな左衛門少尉。其方も慌ただしかったであろう。私は気にしておらぬ」


「ありがたきお言葉」


私が謝罪すると軽やかに微笑まれた。

今では周防介は押しも押されぬ大内家の跡継ぎとしての実績をお積みになられている。大内家は次代も安心だ。


だがそんな周防介様がお気になされるとは。

いや、周防介様は三年前に毛利家と共闘し大友家との戦に望んでいたか。その際に毛利家の御兄弟、少輔次郎(しょうのじろう)吉川元春(きっかわもとはる))殿や少輔三郎(しょうのさぶろう)小早川隆景(こばやかわたかかげ))殿と友誼を交わされていたのだったか。元から安芸守(あきのかみ)毛利隆元(もうりたかもと))殿とは仲がよろしかった。


特に少輔次郎殿の奮迅の働きがなければ周防介様の命は無かったのだという話は大内家の中では良く知られている話だ。であるならば今からする報告は周防介様にとっては心を痛めることとなってしまうかもしれぬ。そう思うと気が重くなる。だがせぬ訳にもいくまい。

三人で他愛ない話をしていると小姓が三つの湯飲みを持ってきた。


「さ、先ずは一息つくと良い」


「かたじけのう御座います」


殿に勧められて湯飲みを手にする。三人でそれぞれに茶を啜り飲む。

年が明けたとはいえまだまだこの季節は寒い。喉を流れる熱さに思わず息が漏れた。幾分か気が軽くなる。


「それで、葬儀は如何であった?」


ある程度座が落ち着くと周防介様が聞いてきた。その表情には幾分か縋るような色が差していた。未だに信じられない、いや信じたくないのだろう。


「葬儀は滞りなく、誠に惜しいことに御座います」


私がそう告げると身を乗り出すかのようにしていた周防介様が姿勢を崩されるように俯き気落ちしたようにその場に座り込む。実際気落ちされたのだろう。そしてぼそりと呟かれた。


「そう、か。…まさか、まさか少輔次郎が死んでしまうとは。嘘であって欲しかった。諸行無常とはいえ、…悲しいな。また会えるのを楽しみにしていたのだが…」


そう言うと痛まし気な表情を浮かべ目を閉じ両手を重ねられた。冥福を祈っているのであろう。





毛利家の次男、吉川家に養子入りしていた吉川少輔次郎元春殿が、尼子家の者と思われる乱破の凶刃によりその若い命が絶たれた。

聞けばまだ数えで十五を超えたばかりの歳であったとか。


話を聞けば和泉国(いずみのくに)(現在の大阪府南西)堺で種子島を求めて旅をしていたようだ。供を多数連れての長旅、疲れも多いだろう。家来衆を労うために開いた酒宴で襲われたらしい。少輔次郎殿自ら太刀を振るい襲撃は退けられたそうだがその際に怪我を負われた。

怪我自体は大したことがなかったそうだがそこに毒が仕込まれていたようだ。阿国座と呼ばれる、上方で名の知れた芸能を生業とする一座に曲者、尼子の手の者が紛れていたらしい。


身元を調べ無かったのかと疑問に思うがどうやらこの一座は舞巫女の一人が直前に殺されており、その一人に扮して成り代わっていたと後で判明した。町にはり巡らされている水堀から本物の舞巫女が死体で発見されたらしい。舞巫女はそれぞれが面を被っていたため曲者も都合が良かったのだろう。それに少輔次郎殿自身にも油断があったのかもしれぬ。


襲われて数日はまだ生きておられたようだ。だが意識は戻らない。そのまま一週間程経った時に突然苦しみ出し、最期には皆に済まぬと謝りながら息を引き取ったそうだ。毒が体内で暴れまわったらしい。医者も手の施しようがなかったそうだ。


右馬頭(うまのかみ)毛利元就(もうりもとなり))様のご子息はいずれも優秀という話は有名であった。

特に今の毛利家隆盛のきっかけは驚くことにこの少輔次郎殿であることが多かったらしい。世間ではかなりの変わり者との評判ではあったが。大内家でも詳しく調べるまではそのことを把握出来ていなかった。


周防介様の評によれば礼儀正しく闊達(かったつ)。それが戦場では吉川兵の手綱をしっかりと握り指揮してみせ、自ら前線で刀槍を振るう勇猛な若者であったという。戦場から戻れば返り血で赤く染まり少輔次郎殿を始め吉川家の者たちは笑顔で敵兵を殺す。その姿から血狂い次郎とも呼ばれるほどであった。


外では勇ましく戦い、内では国を豊かにするために精を出す。文武両道とはよく言ったものだ。勿論噂であるから誇張された部分もあろうがそれでも噂になるほどだ。

そんな少輔次郎殿と共に優秀であると言われる毛利三兄弟の評判もあながち嘘では無いのだろう。実際に大内家に人質として滞在していた安芸守殿も政治感覚に優れた方であったし、三男の少輔三郎殿も知恵回りが早くこちらも小早川家を上手く纏めていると評判だ。

なにより兄弟仲も円満だった。成長した際は安芸守殿からすれば一番頼りになる身内になったであろう。右馬頭様からすれば自慢の息子達であろう。


己の武勇を過信したか。元服を済ませていたとはいえ戦場では無く暗殺されて命を落とすとは、無念であっただろうに…。惜しいことだ。


「右馬頭やその兄弟、吉川の者どもにとっては手痛い喪失であろうな。期待を掛けていればなおのこと、まだ次男であったから替えも利くが。とはいえ右馬頭にとっては可愛い息子、我であれば周防介を失うに等しかろうな」


「…安芸国内であれば防げたでしょうしそもそも発生することのない事件であったでしょう、義父上。だが少輔次郎は堺に行き、尼子はそれを好機だと思った。尼子はどうやら少輔次郎に目を付けていたのでしょうな。聞けば三郎(尼子詮久)、いえ、今は民部少輔(みんぶのしょう)でしたか。民部少輔は京に滞在していたとも聞きます。官位を授かりながらよくもまあ…」


祈りが終わったのかそっと目を開けた周防介様が殿にそう告げた。節操がないとでも言いたいのだろう。表情に侮蔑が浮かんでいる。

殿も苦虫を潰したような顔をしておられる。毛利は大事な同盟国であり、東側の勢力から大内を守る壁でもある。毛利家が揺れては大内家にも影響があるだろう。


「いや、尼子が上手であったのよ、周防介。少輔次郎が優秀だと知った。そしてそれが死ねば毛利に少なからぬ打撃を与えられると踏んでことを起こした。そして実際に毛利家に影響が出ているのだろう。中々やりおるようだの。死んだ伊予守(いよのかみ)尼子経久(あまごつねひさ))の謀略の血は孫にも引き継がれていたか。忌々しいの」


殿が周防介様を宥めるようにそう言った。

確かに周防介様が言われる通りやり方自体は唾棄すべきものであろう。汚いと罵ることなら誰でも出来る。

だが今は乱世なのだ。誰も彼もが敵国が転ぶことを願っている。そして転んだ敵を食いたいと思っている。尼子は順調だった毛利を転ばせるように仕向けそれが嵌った。今は亡き伊予守が得意な手法だ。


「それで左衛門少尉、毛利の今後、其方はどう見た?」


二人の視線がこちらに向く。毛利が今後も東の壁として機能するか否か。その判断材料とされるのだろう。


「吉川家が揺れておりまする。少輔次郎殿は養子ながらしっかりと吉川家の当主を務めていたようです。先代の治部少輔(じぶのしょう)吉川興経(きっかわおきつね))殿が奮わなかったという事も御座いましょうが、少輔次郎殿は心を掴むのが上手かったのでしょうな。吉川家中でも上評判であったそうです、鬼吉川の再来であると。ですがその少輔次郎殿が亡くなり吉川家は短い期間に立て続けに当主を失いました。かなりの痛手に御座いましょう。次期当主をどうするか、候補としては吉川(きっかわ)式部少輔経世(しきぶのしょうつねよ)殿の嫡男、市川(いちかわ)少輔七郎(しょうのしちろう)経好(つねよし)殿が上がっておりますが、本人は少輔次郎殿に心酔していたようで少輔次郎殿の後を自分では務められぬと申しているそうです。吉川の跡目が定まらぬ以上、縁を結んでいる毛利家にも影響が出ております」


私の報告にお二人が難しい顔をしている。多少毛色は違うが世が乱れてよりこの手の家督関係の揉め事は至る所で発生している。


「その市川何某を情けない、とは言えぬな。当主となるならそれ相応に学ばねばならぬことも多い。少輔次郎や少輔三郎は毛利家という後ろ盾もあったし本人の資質もあって上手くいったが、市川何某にはそれも無い。そして目の前で少輔次郎がすることを見ていたとあれば自信も無くなるか…。毛利は吉川の跡目に口出ししてはいないのか?」


周防介様が少輔七郎殿を同情するように仰られた。実際その通りでもある。周防介様自身が大領大内家のお世継として厳しく育てられたのだ。大内家と吉川家では比べられる訳もないが似たようなことが言えるだろう。次いで問われた疑問に小さく首を振る。


「いえ、しておりますぞ周防介様。本人が納得していようといまいと恐らくは少輔七郎殿が継ぐことになりましょう。吉川家は毛利家に下ってより、様々な恩恵を受けて立ち直った経緯が御座います。今更吉川家一人で立てぬことは吉川家中が一番理解しておりましょう。毛利に従う他ありませぬ。ですが吉川家の戦力は暫く期待出来そうにありませぬな。統制力が著しく落ちておりますれば」


周防介様の問いにお答えすると殿の表情が曇る。


「我の予想以上に影響が出ておるか。もっと混乱は小さいと見ていたが。毛利の次男坊は我の思う以上に毛利を、吉川を支える柱となっていたのだの。さて、…大内からの後押しを毛利は望むと思うか?」


口幅(くちはば)ったいことを申しますが毛利家は漸く我等大内や尼子旗下より脱して自立致しました。今は当家と友好を結び頼もしき味方では御座いますが要らぬ口出しをすれば毛利家とていい気分はしないでしょう。ここは静観されるが良いかと愚考致します。介入するのであれば毛利の力が更に落ちたときかと」


大内家として介入するかという問いに関しては賛成出来ない。こちらが今口を出せば毛利家にまだ支配者面するつもりなのかと余計な敵愾心を抱かせるだけであろう。

尼子もそうだが大内とて外様の国人衆たちを大切にしているとは言い難いのだ。今は勢力を拡大し大きくなったとはいえ毛利家ももとはと言えば国人衆、例外ではない。(おもて)には出さずとも恨みは残っていよう。

口を出すのは毛利が尼子に負け進退窮まった時だ。そうならないよう願うばかりだが。


私の考えを伝えると殿も小さく頷く。そもそも本気でそうしようという考えは無かったのだろう。


「そうよな、それにこの程度で崩れてしまうようであればそもそも今の世を生きていくのは難しかろう。毛利はどう動くと見る」


「元から毛利と尼子は敵対関係に御座いました。一年の停戦を結んでおりましたがそれも既に過ぎております。今のところ喪に服しているため軍事行動は控えておりますが…」


私が言葉を切るとふむ、と小さく殿が声を漏らした。持っていた扇子で掌をとんとんと叩いている。


「毛利家としては面子も潰されたようなもの。下手人も逃がしてしまったと聞く。手練れであったのだろうが言い訳にならないだろう。喪が明ければ軍を興そうな。でなければやられたまま尻尾を丸めた。頼りにならぬと国人衆が離れよう」


特に毛利家は新興の勢力だ。国人衆に力を発揮できるのは勢いがあるからで、我ら大内家のように誇りや忠誠心があるわけではないだろう。ここで尻込みすれば途端に国人衆は尼子に寝返る。


「周防介様の仰る通りにて。特に安芸守殿が声高に復讐を口にされているそうです。余程に弟御を殺されたのが許せない様子で」


「太郎か、彼奴は優しいからの。我にもよく父の右馬頭や弟達の話をしておったわ。嬉しそうに、誇らしそうにの。怒りも当然か…。太郎を思えばますます遣る瀬無いの」


大内家に訪れていた安芸守は確かに良く家族の話をしていた。それに温厚な安芸守殿が怒っている所など一度として見たことがない。殿も養女を出してまで安芸守殿を大層可愛がっていたから不憫なのだろう。


「二家の争いは今年も荒れましょう。私は再び九州に渡らねばなりませぬが義父上、若輩たる私が言うの烏滸がましいかもしれませぬがくれぐれもご用心下さいませ」


「新介、いや周防介の孝心を無碍にはするまいよ。其方も我が身を案じよ。少輔次郎のように親不孝をするまいぞ」


「畏まりました。それでは私も出立致しまする。左衛門少尉も義父を頼む」


「うむ、気を付けよ周防介」


「はっ。周防介様、身命を賭して」


周防介様は一通りの話を聞けたことで目的を達成出来たのだろう。一度殿の方へ体を向けると深く頭を下げてから立ち上がり私にも声を掛けて殿の私室から出て行かれた。

大友家がいつ動き出すか分からない分、ここに長居は出来ない。


部屋に二人だけになると殿が小さく零された。


「万が一このまま毛利が崩れるようなことがあれば再び安芸国を我らで支配せねばなるまいな」


その言葉には僅かに苦渋の色が滲んでいる。


「気が進みませぬか?」


私の問いにちらりと視線を向けられた後、湯飲みへと視線を落とされた。


「正直に言えばの。皆の前で口には出来ぬがこれ以上の外征は望んでおらぬ。石見の銀を手中に収め大陸と交易することで大内の繁栄は最盛と言っても過言ではあるまい。…だが毛利が崩れれば外に出なければならないであろうの。隣国で尼子の小僧に(はしゃ)がれては落ち着けぬ。それに…」


「それに、何で御座いましょう?」


「まだ確定ではないがおさいに子が出来たかもしれぬ」


「それは、おめでとう御座いまする!何と目出度い」


「ははっ、気が早いわ左衛門少尉。まだ確定ではない。だが男子であれ女子であれ、珠光に続き久々に授かった我が子よ、苦労を掛けたくはない」


「その通りで御座いますな」


そう嬉しそうに殿は話された。祝いの言葉を口にはしたが男であった場合が問題だ。世継は周防介様と決められているが万が一殿が生まれた子に家督を継がせたいと仰られた場合いかがする。それに正室の貞子様がどう思われるか。貞子様には御子が居られぬ。珠光様の時も荒れようは酷かった。いや、まだ御子が出来たと確定した訳ではない。それに出来ていたとしても男子と決まった訳ではないのだ。私が慌てる必要はない。本来は目出度いことなのだから…。






【新登場人物】


大内珠光  1537年生。大内義隆の長女。側室の子だが義隆の下で生まれた初めての子のため大切にされている。  -7歳


万里小路貞子  1510年生。大内義隆の正室。賢婦人と誉れ高かったがその気の強さが災いして義隆に疎まれる。  +20歳


小槻おさい  1518年生。小槻伊治の娘。正室貞子に仕えていたが義隆の手つきになり側室となる。  +12歳

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