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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一三年(1544) 尼子の魔の手
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凶報

お久しぶりです。久しぶりの更新になってしまいました。リハビリではありませんが多少文章に違和感があるかもしれず。

大目に見て頂けると助かります。それではお楽しみ下さい。



一五四四年  毛利安芸守(もうりあきのかみ)隆元(たかもと)



「…父上、いま、…今なんと?」


絞り出すようにしか声が出せなかった。父の言葉が信じられず、私はもう一度聞き返す。いや、信じたくなかったのだ。

視線を合わせようとしなかった父が私の思惑を見抜いたかのように視線をぶつけると再び、信じたくない事実を口にした。


「…良いか、落ち着いて聞け。もう一度言う。堺にいた次郎(吉川元春(きっかわもとはる))が襲われた。辛うじて生きてはいるようじゃが毒を盛られたらしい。今は意識がないそうじゃ」







◇◆◇



普段通り政務を(こな)し、休憩をしていた。ふと外を見れば綺麗な青空が広がっていた。そろそろ草木が赤や黄色に色づき美しい景色を見せてくれるだろう。

最近になって家臣が政務に慣れてきた分、余裕が出来てきていた。そのおかげでこうしてくつろぐ時間を取ることが出来る。

ぼーっと外の景色を見ていると小股で、小さな足音が近づいてきたのが分かった。大体同じ時間に休憩を取っているからだろう。そう時間を置かずにあややが自ら湯飲みを持ってきてくれていた。出された熱いお茶の味が堪らない。こうして休憩の際に茶が飲める程、家が豊かになってきているのだと改めて感慨深い気持ちになった。


「お疲れ様です太郎様」


「いつも悪いな、あやや」


「好きでしていることですからお気になさらないで」


そう上品に笑いながらあややも腰を落ち着かせると二人でお茶を飲み始める。

流石に政務の時には顔を出さないが暇を見つけてはあややはこうして会いに来てくれる。

当然、実家である内藤家、ひいては大内家の為に情報収集したいという狙いもあるのだろうが、一等最初にあややからの好意が感じ取れるため、私にとってはこういったふとした時間すら愛おしいものだった。


「義父殿はお元気かな。手紙のやり取りはしているか?」


「はい、父も母もお変わりなくお過ごしのようですわ。早く孫が見たいと」


「ふふ、そうか。義父殿であればふらりとここに来そうではある。私も早くご報告したいものだ」


「はい、私も楽しみにしています」


他愛ない話をしながら口の中を湿らせるように一口飲んだ後、私は手元の帳面に視線を落とした。

今、吉田郡山城では各地から収穫された米が集められている。

私が手塩にかけて育てている家臣達が収穫量を正確に記録してくれている。私はその帳面の内容に確かな手ごたえを感じていた。

それに次郎が収穫を増やすために色々試してくれているしそれが実を結んでいるのも大きいだろう。あいつの努力を無駄にしないよう、私がこの毛利領の隅まで拡大してやらねばな。


「何やら嬉しそうですね」


愛しい声に顔を上げるとあややが私の顔を嬉しそうに見ていた。思わず自分の頬を手で撫でる。


「む、顔に出ていたか?」


「はい、とても嬉しそうに笑っておりましたわ」


どうやら私は帳面を見て笑っていたらしい。そのことを指摘され顔が熱くなるのを感じた。それを見たあややはさらに笑みを深める。悪戯が成功した童女のようなあどけない笑みだ。


「亭主を揶揄わんでくれ。実際に嬉しかったのだ、有難いことに今年の収穫も順調でな。成果がこうして目に見えると実感が持てる。どうだあやや。この帳面を見るか?義父殿のいい土産となるぞ?」


「まあ、意地が悪う御座いますわ太郎様」


「ふふ、揶揄われた仕返しよ」


互いに軽口だと分かっているからだろう。どちらからともなく笑い合う。

今年の安芸の収穫も順調で年々米の量が増えていっている。

備後国の取り纏めをしてくれている能登守(のとのかみ)桂元澄(かつらもとずみ))からの報告で備後の収穫も例年以上だという報告があった。

力がない昔であれば太宰大弐(だざいだいに)様(大内義隆(おおうちよしたか))に掛け合い兵糧を融通してもらう必要があったが、どうやら今の毛利領はそういった他国へ弱みを見せることなく自国の生産力だけでやりくり出来るようになった。

その切欠をくれたのは外でもない自分の弟なのだ。これ程嬉しいことはあるだろうか。


そんなことを考えていると一頻り笑い終えたあややが自分のお腹を愛おしそうに撫で始めた。


「貴方のお父上が母を虐めるのです。早く私を助けて下さいね」


「おいおい、人聞きの悪いことを言うでない」


今、あややの腹の中には私の子がいるそうだ。男の身としては良く分からないがほぼほぼ間違いがないらしい。男子が生まれれば毛利家の跡継ぎという事になる。まだ腹は大きくはないが直にみるみる大きくなるのだろう。

今年は本当に良いことづくめだ。いいことばかりが続くと何か大きな落とし穴があるのではないかと疑いたくなる。



「安芸守様、御歓談の中申し訳御座いませぬ」


そんな中、不意に部屋の外から小姓の声が聞こえた。ただ声が違う。その声は父の小姓の声で、どこか緊張を帯びており嫌が応にも何かが起きたのだと予感させた。


「どうかしたか?」


私が小姓の声に応じると襖が開き小姓が顔を出す。


「殿がお呼びに御座います。急ぎ話したいことがあるとのこと」


正面に座っていたあややも何か良からぬことが起きたことを察したのだろう。不安げな表情を一瞬覗かせた後、その不安を隠すように笑みを浮かべる。


「太郎様、お急ぎになられた方がよろしゅう御座いますわ」


「ああ、そのようだ。あやや身体を厭えよ。大事な身体だ、其方も子も私にとって何よりも大事なものなのだから」


「はい、太郎様のお気持ちは十分に伝わっております。私も同じく貴方様を想っております」


「うむ、では行ってくる」


あややが深く頭を下げて見送る。その肩にそっと手を置いてから部屋を出るとすぐに父上がいる部屋へと向かった。


「殿、安芸守様をお連れ致しました」


案内してくれた小姓が外から部屋の主である父にそう呼びかけるとすぐに『入れ』という声が聞こえてきた。父の声にも硬さがある。やはり何か起きたのだと思った。

まさかこの時期に尼子に動きがあったのか、それとも大内か。領内の国人衆が何か騒いだのか。

幾つか考えを浮かばせながら部屋に入ると父が目を閉じながら座っていた。側には上野介(志道広良)もいる。


「安芸守、参上致しました」


「ああ、座れ」


私がそう告げるも父は目を開けることなく持っていた扇子で自分の前を指し座るように示した。


「失礼致します」


一言断りを入れてから指示された場所へと腰を下ろす。

部屋には静寂な時が流れた。父が言わずとも嫌な予感が頭を過る。


ややあってから告げられた言葉は全く予想だにしなかった事だった。


「呼び出したのは外でもない。…次郎が襲われた」






一五四四年 志道上野介広良



殿の言葉を聞いた太郎様は目を見開き、唇をわなわなと震わせる。当然だ。儂でさえもいまだに信じられぬ。

太郎様にとって、いや、毛利家にとって次郎様の存在は力となっていた。太郎様からしても最も信頼できる御兄弟であっただろう。だが、場合によっては次郎様の命は無いものとして動くことも考えねばならぬ。

…殿もお辛かろうに。今は無表情で太郎様と相対しておるがこの無表情こそ殿が感情を内に秘めている証。これ程感情を感じさせぬ表情をするは、四郎(相合元網)様の死を報告した時以来か。殿のこの表情を儂は二度とさせたくは無かったのじゃがな。


「それで、次郎は。次郎は無事なのですか?!」


絞り出すように太郎様が呟く。


「…第一報ではまだ命はあるそうだ。辛うじて、らしいが。どうなるかは分からぬらしい。直に第二報、第三報が届くじゃろう」


「次郎…」


表情はみるみる険しくなり膝の上に置かれていた太郎様の手がきつく握られていくのが目に入った。

自分の気持ちを抑えようとしているのだろう。そのままきつく目を閉じ呼吸を整えるように深く息を吸われた。

太郎様にとって身内が命の危機に瀕しているのは初めての経験であったか。

今の時勢、多かれ少なかれ命は簡単に失われてしまう。儂とて病ではあるが倅を失っておるからの。とはいえ慣れろというのも酷じゃろう。


「事故という訳ではありますまい。尼子ですか」


暫くして落ち着いたのか目を開けた太郎様がそう告げた。ただ目には怒りの色が浮かんでいる。

そして落ち着こうとしている最中に思案したのだろう。


「恐らくは、の」


殿が短くそう告げると、太郎様は目を見開き怒りの色がさらに強くなった。


「まさかこのような手段に出るとは。おのれ…。おのれ尼子ッ!」


どんっという音と共に床板が軋む。見れば太郎様が拳で床を殴った音であった。これ程までに怒りを露わにする姿を儂は初めて見た。


「今すぐに堺へ兵を!次郎を助け出さねば。それに医師も。生きているのでしょう?」


「いや、それは許可出来ぬ」


「何故です!!」


「太郎、あまり大きな声を出すでない」


「何故そのように落ち着いていられるのです!!次郎が襲われ今をも知れぬ状況なのでしょう!?」


「我等毛利が上方に兵を出したとなれば細川に要らぬ疑いを抱かせよう。それぐらいお主にも分かろう?」


「ですが、ですが!」


太郎様も現状は理解している。だが感情は抑えられないのだろう。

不意に太郎様がすっくのその場に立ち上がる。その表情にはまだ怒りの色が強く出ていた。そして我等に一礼した。


「失礼致しました。頭を冷やして参ります」


そう言うと踵を返して部屋から出ていこうとされた。

その姿に不安が過ぎったのか殿が口を開いた。


「太郎、いや安芸守。その怒り、今は胸に秘めておけ。必ず晴らす機会は来る。良いな、今は次郎の無事を祈っておけ」


「…はい」


殿の言葉に振り返った太郎様の昏かった目に怒りとはまた違った光が宿ったように見えた。そして再び一礼すると部屋から去っていく。


「太郎様には感情を吐露しても良かったのでは。心配されているのは殿とて同じで御座いましょう」


太郎様の足音が聞こえなくなってから儂は殿へと声を掛けた。殿は儂をちらりと見てから表情を崩し自虐的な笑みを浮かべた。


「上に立つものが感情を露わにして物事を判断していては立ち行かぬ。例えそれが冷たく見えようともな。近いうちに太郎は儂の跡を継ぐことになる。太郎とて愚かではない。今は頭に血が上っておるが冷静になれば分かるであろうよ」


「そうですな」


儂が同意すると殿は一度頷く。そして苦悶の表情を浮かべながら大きく息を吐いた。表情には出さぬがこの方とて悲しんでいない訳では無いのじゃ。この表情を見ていればそれが分かる。まさしく父親の顔をしていた。だがそれも一瞬の事。すぐに殿は気を立て直した。


「…じゃが、痛い。まさか尼子の奴め、次郎を狙ってくるとはの。敵ながら良い手を打ってきよったわ。忌々しいほどにの」


「元々精強な吉川兵では御座いましたが次郎様が当主に就任してからはその強さが増しましたからな。我等にとっては槍の切っ先を潰された様なもので御座いましょう」


「うむ、現状では分からぬが次郎が命を長らえたとしてもすぐに動くことは出来ぬであろう。次郎が率いぬ吉川兵を戦場に出すことは難しいかの?」


「出せぬ、とは言えませぬが次郎様が率いる軍としての機能は厳しいでしょうな。次郎様の代わりに吉川の軍配を握ることになるのは式部少輔(吉川経世)殿でしょうが、彼の方は守勢にこそ力を発揮するお方。次郎様とは色が違いすぎまする」


次郎様の用兵は良くも悪くも兵達と共に前線で勇壮に戦う事で周りを鼓舞していく。それが大きな攻勢を生み出している。対して式部少輔殿は後方より兵たちを指揮する。その長年培ってきた確かな経験から繰り出される用兵は守勢でこそ輝き信頼出来るが、これより行われる尼子への攻勢を考えると次郎様の方が頼りになったであろう。家族としての情も、一武将として見ても今回の次郎様襲撃は痛手であった。


「…くくっ」


笑い声?ふと見れば殿の口元が弧を描いていた。背筋がぞくりとする。


「何をお笑いで?」


「…いやな、済まぬ。不謹慎であったの。次郎が生死不明、痛手であるし生きていて欲しいと心から願っているのは事実よ。じゃがこうも思う。思い通りにいかぬからこそ面白い。上野介、儂はまだまだ止まれんの。尼子に大内、大国に挟まれ、苦悩し恥辱に塗れ、足蹴にされながらもようやっとここまで来たのじゃ。まだまだ止まれんわ」




そう言った殿の目は昔のように燃えんばかりの光を宿していた。



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