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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一三年(1544) 尼子の魔の手
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襲撃



一五四四年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



「なっ!?」


最初は、ただ巫女の足が(もつ)れただけなのかと油断した。

肌をじりじり焦がすような明確な殺意に反応するも一瞬の出来事に初動が遅れる。身体がぞくりと震え背中に冷たい汗が伝う。


狐面の巫女は無言のままおもむろに髪から簪を引き抜く。髪に刺さっていた時には気付かなかったがその簪は明らかに普通の簪よりも長く大きい物だった。

結われていた長い黒髪が、こちらに向かってくる勢いのせいか視界を覆うように広がる。


そして俺の首目掛けて横薙ぎに腕を振るわれた。それは明らかに手慣れた動きだった。

間に合うか!?


「くっ!!」


こんな所で死ぬわけにはいかない。

少しでも逃げる様に咄嗟に目に入った酒杯を相手に投げつけながら強引に身体を後ろに反らす。だがそれでも怯む様子がない相手に抵抗するように腰から鞘に刺さったままの脇差を手に取ると、防ぐように相手に向けて突き出した。


「次郎様!!」


俺の名を叫ぶ声だけが異様に耳に残る。あの声は権兵衛(佐東金時)か。


「くっ!…この、曲者が!!」



キッと簪と脇差がぶつかり擦れるような音が響く。間一髪、だった。脇差を持っていた腕にちりっと引っ掻かれた様な痛みがわずかに走った。

二回目の攻撃が来ないとも限らない。腕が振り抜かれたのを見計らってすぐさま身体を起こすと後ろへと身体を飛び跳ねさせた。


「曲者だ!阿国座の者を捕らえよ!抵抗すれば斬って構わん!!」


勘助(山本春幸(やまもとはるゆき))の声が響くと周りにいた兵たちが一斉に動き出す気配があった。すぐさま場が騒がしくなる。阿国座の連中の悲鳴や呻き声が耳に届いた。

相手の二撃目に備え身構えたところで自分の前に大きな背中が立ち塞がる。権兵衛だ。


「何するだっ!お前ぇ!!」


既に鞘から抜かれた脇差を手にしていた権兵衛は、俺の身を守る様に立ち塞がりながら持っていた脇差を袈裟斬りに振り下ろした。


まさしく風を斬るような音が聴こえるほどの一撃。

だが生憎、今の権兵衛が手にしている物は普段使っている得物の斧ではないため敵との距離を見誤ったらしい。運悪く仕留めるまではいっていない。


カンッと乾いた音が響く。相手も身を反らしたらしく被っていた狐面が斜めに裂け割れる。


仮面の下には被っていた狐面に似た釣り上がった目を持つ、それでも一目で端正な、美しいと思わせるだけの顔立ちをした女の顔が現れる。だが表情は獰猛な笑みを浮かべていた。


「しくじったのう」


表情に似合わない鈴を転がしたような声でそう呟くと、そのまま庭へ向かって駆けだした。


「あいつを追え!!このままじゃ逃げられるぞ!!」


他の阿国座の連中を取り抑え終えた兵たちも既に狐顔の女を追っていたがその身のこなしは明らかに普通の巫女や町娘なんかじゃ真似が出来そうにない程軽やかで、鍛えに鍛えた俺の兵たちの攻撃も躱されていく。

そしてそのまま塀を蹴ると上へと飛んで塀の向こうへとその姿を消してしまった。


「第三から第五隊は奴を追え!!第一第二隊は屋敷を固めよ!」


「「ははっ!」」


「阿国座を捕縛している者はそのまま動けぬように取り抑えよ!九郎左衛門(堀立直正(ほたてなおまさ))殿、そちらをお任せしても宜しいかっ?」


「承りましょう」


勘助の命令に従い兵たちがそれぞれ動き出す。九郎左衛門は床に組み伏せられた阿国座の連中の元へと向かっていった。

既に縛られ始めている阿国座の一人の男は『俺達は関係ない!俺達はあんな女知らないんだ!!』と騒いでいるが九郎左衛門は『そのことはこれからゆっくり話を聞かせて頂きましょう』と連中を連れ立って部屋から出ていく。










とりあえずだが目に見える脅威はどうやら一先ず去ったらしい。強張っていた身体から力が抜け、一気に汗が噴き出す。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出すとその場に腰を下ろした。


「はぁ、危なかった…」


自分の命を何とか守れたことを一人噛み締める様に呟く。それにしても案外落ち着いている自分に驚く。でも当然か。何回も命の取り合いしてりゃ嫌でも慣れちゃうもんなんだな。やだやだ…。

心の中で独り言ちていると俺を守る壁になってくれていた権兵衛が振り返り、片膝を立てて座ると頭を下げてきた。


「次郎様、申し訳ねえです。()れなかっただ…」


「いや、仕方ねえ権兵衛。むしろ身を挺してよく守ってくれた。ありがとな」


「…へい」


権兵衛は残っている阿国座の連中を一度睨むように見た後、所在なさげに俯きながら謝ってきた。

俺は気にしていないことを伝えたがそれでも、権兵衛は納得したようには見えなかった。そもそも俺が襲われたこと自体を気にしているのかもしれない。


状況としては仕方ないだろう。完全な不意打ちだった。

油断していた訳じゃなかった。襲撃があるにしてもまさかこんな単独犯で捨て身の、鉄砲玉のような暗殺が行われるなんて予想していなかった。


「次郎様、お怪我は御座いませぬか?」


俺の代わりに一通りの指示を出し終えた勘助がこちらに寄ってくる。


「一応な。なんとか生きてるみたいだ。…あぁ、そういえば腕を少し斬られたか。それにしてもあっさり引いたな」


緊張が解けたせいか今になって斬られたことを思い出す。袖は綺麗に裂かれて血が滲んでいた。

それでも深くは斬られたわけじゃないだろう。消毒代わりに酒瓶に残っていた濁酒を傷口に流した。

僅かな刺激痛が走るが何もしないよりはマシだろう。裂けた袖口をそのまま引き裂き包帯代わりに傷口に巻き付けながら勘助を見た。


「まさかこのような大胆な襲撃があるとは思いませなんだ。失敗を悟ったのか、他にも何か狙いがあるのか。…身を危険に晒してしまい面目次第も御座いませぬ」


姿勢を正して深く頭を下げる勘助。その声は責任を感じているようで沈痛な響きがあった。


「いや、元はといえば酒の席を用意した俺の問題だろう。鉢屋衆が引いたのはこの襲撃の為に世鬼衆を引き剥がすのが目的だったのかもしんねえな」


勘助は恩を人一倍感じてくれているせいか今にも腹を斬り出しそうな雰囲気だ。

これ以上は謝罪は要らないと首を振りながら言外に伝える様に別の話にすり替えると、何か言いたげにしながらもこちらの意図を優先してくれたらしく一度頭を下げてから話し始めた。


「…恐らくは。護衛として残されていた世鬼の忍びも連絡が付きませぬ。こちらも既に命が無いと思った方が良いかもしれませぬ。阿国座は鉢屋衆と繋がっていたのでしょうか?」


「…正直分からん。襲撃の際に狐顔の女以外は俺に襲ってこなかった。あいつらも鉢屋衆の者なら全員で襲い掛かった方が確実に俺を殺せたはずだ。状況的に他の連中の動きは今回の襲撃に巻き込まれたんじゃねえかと思うんだけど。勘助はどう思う?」


「私もその点に関しては不自然に感じておりました。阿国座が鉢屋衆の隠れ蓑であればあの女が逃げた時点で皆逃げ出していた筈。ですが阿国座の者たちは逃げるどころか怯えておりました。もし九郎左衛門殿に阿国座の尋問を任せました。阿国座側からの話もすぐに聞けるかと思われます」


最初は阿国座全員が鉢屋衆かとも思ったがこうして勘助と話していると不自然な点が多すぎる。

阿国座はシロっぽい気がする。とはいえ今の時代、基本的に疑わしきは殺せだからな。

今逃げてる狐女を捕まえてくれればいいけど。

万が一逃がした場合どうするか。武士なんて面子命だもんなぁ。逃がしたままだと吉川家の面子に関わる。

『阿国座は鉢屋衆と繋がっていて襲撃してきたが返り討ちにした』ってことにして責任取らせて首斬るのが一番手っ取り早いんだろうけど、絶対にやりたくねえな…。もしもの為に勘助に相談するか。頼むから何とか、何とか捕まえてくれよ。


「勘助、俺は状況的にあの狐顔単独の犯行だと思ってる。どうやったかは分からないがあの狐顔は上手く阿国座に紛れ込んだんだろう。だから阿国座は逃がしたいんだが…」


「それは…、難しゅう御座いましょう。少数では御座いますが我々吉川家の者たちがこの堺に滞在していることはそれなりに知られて御座います。その吉川家の兵が緊急事態とはいえ騒ぎ、今堺を駆け回っているのです。何事かと調べようとする者もおりましょう。いくら我々が口止めしても人の口に戸は立てられませぬ。必ず我等が襲撃を受けたことは必ず衆目に晒されまする。にも拘らず阿国座を逃がしては口性無い者たちに吉川家が侮られまする」


俺の言葉に勘助が難しい顔をしながら首を横に振る。やっぱりか。


「何とかならんか?」


駄々を捏ねてるのは重々分かってはいるんだけど無実の人間を身分を笠に俺は斬りたくない。恐る恐る勘助を見る。考える様に目を閉じた勘助は暫くして目を開ける。


「…であるならば一つ。策と呼べるほどの物ではありませんが考えがあります」


「おぉ、勘助」


地獄に仏とばかりに感嘆の声を漏らすも勘助はすぐに掌を差し出すと首を左右に振る。


「お待ちを。苦肉も苦肉です。策とすら言いえませぬ。これを実行しても侮られることがありましょう。それでもよろしいか?」


勘助の片方だけの目が俺を見つめていた。この時代の武将としてはきっと甘い判断だとは思う。けどこれから汚名を雪ぐ機会はいくらでもあるはずだ。勘助の問いに首を縦に振る。


「俺の我が儘だ。今後受ける侮蔑は必ず晴らせて見せる」


「分かりました。…阿国座を斬りたくないのであれば取り込むしか御座いませぬ。世鬼衆で囲わせなさいませ。斬らずに放逐なさるならこちらで監視しつつ利用するしか御座いませぬ。阿国座もこの後は殺されると思っておりましょう。生かされるとあらば否やはありますまい。本人たちに直接無罪であったことを喧伝させればある程度は払拭させることが出来ましょう。その程度で嘲りを消せるとは思えませぬが…」


そう言った後『この程度の案しか浮かばず申し訳ありませぬ』と頭を下げた。俺は慌てて頭を上げさせる。


「いや、勘助が謝る事じゃない。元はといえば俺の我が儘に付き合わせてるんだ。逆にお礼を言わせてくれ。勘助の言う通りにしようと思う。ありがとう」


「いえ、臣としての務めを果たしたまでの事。お礼を頂くなど勿体のう御座います」


「よし、では早速阿国座の連中と話してくるか!」


そう言って立ち上がった時だった。身体に得も言われぬ不快感が駆け巡り、足に力が入らなくなっていることに気付く。ふらついた足元を支えようと慌てて壁に凭れるように手を伸ばす。


「次郎様?」


すぐ側にいる筈の勘助の声が酷く遠くに聞こえた。


「……くっ、一体、なん…」


「次郎様!!」


壁まで伸ばしたつもりだった手はそのまま空を切るように空振った。同じく側に居てくれていた権兵衛が俺の身体を支えてくれたらしいことが辛うじて分かった。

さっきまで何ともなかったはずだった。一体自分の身に何が?そう思って言葉にしたつもりだったが最後まで言葉にならなかった。


権兵衛の大きな手が自分の首に触れる。


「次郎様、すっげえ熱だ…。勘助様、次郎様が!」


「…まさか毒か?!いや、それどころではない!誰ぞ!すぐに医者を!!」


勘助の言葉であぁ、そうか。あの狐女に斬られたせいか。と妙に納得し、そして怒りが湧いてくる。


ふざけんな!こんなところで死ぬなんて冗談じゃない。俺はまだ受け入れてくれた家族に恩返しも出来て無いんだ!


そう心で思っていても身体が言うことを聞かなかった。徐々に目も開けていられなくなる。




辺りが慌ただしくなっていく中、俺の意識がプツリと切れる。






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