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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一三年(1544) 尼子の魔の手
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瀬戸内海に住む者



一五四四年 小早川(こばやかわ)少輔三郎(しょうのさぶろう)隆景(たかかげ)



「これでこの島に来るのは三回目だったか、三郎?」


「はい、船旅には随分と慣れましたよ、次郎兄上」


「それなぁ。お前んとこの連中は皆船酔いもしなくなってるみたいで羨ましいわ。うちの連中は半数以上がやられちまってさ。この先が心配だよ」


小早川家の水軍の安宅船上。私と次郎兄上(吉川元春)は海の上から見える陸地や点々とある島々を眺めていました。後ろからは毛利家の安宅船が付いて来ています。

甲板には次郎兄上が言う様に吉川家の兵たちが何人も半分死んでいるかのようにぐったりとしています。瀬戸内の海は穏やかなはずですが、そもそも海にすら出たことがない者たちにとってはその穏やかな海すら酔ってしまうようです。


次郎の兄上は困ったように頭を掻き、私たちは思わず苦笑いを浮かべました。

それでも兄上を始め、護衛である権兵衛(ごんべえ)佐東金時(さとうきんとき))や旅慣れしていた勘助(かんすけ)山本春幸(やまもとはるゆき))等は酔っていないようです。

今回、兄上はこの勘助という新たに家臣に引き立てた異形の男を連れていました。

最初はその容貌に少なからず恐怖を感じましたが話をすると非常に知性的、容貌に似合わないと言っては失礼ですが、丁寧な物腰で各地の情勢に明るいその智謀は話していてとても勉強になる事ばかりでした。


次郎兄上はそう言った身分に拘らず有能な者を取り上げることが非常に上手です。

本来であれば家中の者もそれなりに反対の声が出そうなものですが吉川家にはそう言った声を殆ど聞いたことがありません。

きっと次郎兄上がしっかりと吉川家を掌握しているのでしょう。私も負けていられません。



「確かに今襲われでもしたら兄上の兵たちは役に立ちそうもありませんね。流石の血狂い次郎の兵も海には勝てませんか?」


「うるせえ、小早川家と違ってうちには水軍が無いんだから仕方ねえだろ」


「あうっ!?」


私が兄上を揶揄うようにそう言うと私の額を兄上が中指を弾いて小突きました。

次郎兄上のこの手の攻撃は当たった瞬間は痛くなかったのに後からじんわりとヒリヒリしてくるのです。

額を撫でながら、それでも船上であれば今私が言った通り小早川家の方が圧倒的に有利だと思いました。


次郎兄上が当主となってから陰りを見せていた吉川家はかつての戦の強さを取り戻しつつあり、毛利家中でも先陣は吉川家が担う様になってきています。

そのこと自体は弟として私も嬉しく思います。兄上ならば当然であると。

ですが私も一人の武士です。悔しくない訳ではありません。

いずれは太郎兄上や次郎兄上に勝るものが欲しいとずっと思っていました。ですからこと水上での戦であればきっと私たち小早川家が毛利の中核を担う事となるでしょう。そのことが私の心を軽くします。

私は兄上たちに比べ若いとはいえまだ、これといった武功がありません。だからこそ、これだけは私が一番だというものをきっと手に入れてみせます。兄上たちに負けてはいられません。

ですが焦りは禁物。焦り過ぎて足元を掬われないように気を付けなければ。


次郎兄上が再びご自身の兵たちの姿を眺めて溜息を吐きました。私は見られぬようにひっそりと、それでも誇らしさから笑みを浮かべていました。

すると兄上が急にこちらを振り向いたため私の笑みが見えたのでしょう。くすくす笑い出しました。


「自信満々そうじゃんか三郎。でもまあ、水上での戦は三郎頼りだなぁ」


「勿論です!こればかりはいかに兄上たちが相手でも負けませんよ」


陸の戦もそうですが私は特に水軍にも力を入れてきました。元から小早川家は海に近かったこともあり水軍に力を持っていました。まだまだ規模自体は大きくありませんがそれなりに自負があります。兄上の言葉に私は自信を持って頷きます。すると兄上が思いついたように言いました。


「そうだ。もし可能なら時々小早川家にうちの兵たちを訓練させてもらえないか?多少なりとも兵を船に慣らさなきゃこうして旅に出る時不安だからよ、頼めるか?」


「確かにそうですね。その辺の話は二人が安芸に戻ったときにでも詰めましょうか。そろそろ目的地です」


「お、もう着いたのか。へぇえ!すげーなぁ。あれが。はあぁ、海賊の拠点て感じだ」


船はゆっくりと整備された港に到着しました。次郎兄上は初めて見る景色のせいか楽しそうに身を乗り出して眺めています。

ここで私は降り、兄上はさらに東へ向かう事になります。私たちが降りる準備をしていると船酔い中の吉川兵の羨ましそうな視線が目に入りました。

それにしても兄上は本当に酔わないようです。私も最初から酔わなかったので恐らく毛利の血なのでしょうか。太郎兄上にも乗ってもらって試してみたいですね。



「それじゃあな三郎。既に見知った関係だからって気を抜くなよ?」


港に停泊した私は降りようとしていると次郎兄上が後ろから声を掛けてきました。

その表情は何処か心配そうな面持ちです。私のことを案じてくれているのだとすぐに分かり心がこそばゆく感じます。


「勿論です、次郎兄上。兄上こそ気を付けて下さいよ?兄上はすぐにフラフラといなくなってしまうんですから。権兵衛が大変になるんですからね」


「む」


私の言葉に次郎兄上が意外そうに片側の眉を吊り上げ、すぐ側に控えていた権兵衛が慌てています。


「さ、三郎さま、おらは別に気にしてねぇですだ。気にかけてくれてありがてえです」


ぺこぺこと必死に頭を下げてお礼を言う様子が面白くて思わず笑ってしまいました。続いて次郎兄上も笑い出しました。権兵衛は何故笑われているのか分からず首を傾げています。この男は本当に純朴で遥かに年上の筈ですが愛らしく思います。ですがこんな純朴な権兵衛でさえ戦場では次郎兄上の身を守るために戦い幾つかの首を上げているのだそうです。

笑い合っていると兄上たちの後ろから勘助が足を引き摺りながらも見送りに来てくれました。

片方の目を眼帯で隠しているため分かりづらいですが勘助のもう一つの目が優しく笑みを浮かべているのが見えました。


「三郎様、またの機会にでもゆっくりとお話を致しましょう。お気をつけて」


「沢山話を聞かせてもらい楽しい船旅でした。勘助、兄上を頼みます」


「はっ。命に代えましても」


私の言葉に頼もしく勘助は応えてくれましたが、それを聞いた兄上が不満を漏らします。


「おい、勘助。お守をしてくれんのは嬉しいけど命まで賭けるなよ。危ないことになったら皆で助かる方法を考えろ。俺は勘助を畳の上で死なせてやるつもりなんだからな」


「…有難き事です。私の寿命が尽きるまでお支えさせて頂きます」


「おう、しっかり支えてくれよ勘助!」


感激したように兄上の言葉を噛み締める勘助の様子に次郎兄上は満足げに笑みを浮かべます。次郎兄上の凄い所はこうして家臣たちの心にすっと入り込む事をごく自然に行ってしまう事です。この人心掌握術を私も見習わねばなりません。




「それじゃあまたな三郎!お互いしっかり務めを果たそうな!」


「はい!兄上もお気をつけて!土産話を楽しみにしています!」


私たち小早川家の一行は船から降りると船はゆっくりと動き出しました。

船上にいる次郎兄上が大きく手を振っているのが見えます。私も声を張り上げながら同じように手を振りました。向かい先は堺。商人たちが自分たちで治めている商人の町。一体どんなところなのでしょう。


とはいえ次郎兄上の行動は突飛かつ警戒心というかいまいち自身の重要性に頓着がないように見えて弟の私から見ても心配になります。


単純な個人の武力を見れば次郎兄上が我等三兄弟の中で一番優れているのだから基本的には返り討ちに出来るのでしょうが。それに権兵衛も供にいますし勘助も一緒に居ます。余程のことがなければ問題も起きないでしょう。


「行ってしまわれましたな」


隣にいた小姓の新四郎(しんしろう)乃美宗勝(のみむねかつ))が名残惜しそうにそう呟きました。

新四郎は私と同じく勘助の話を聞くのを楽しんでいたためそれが聞けなくなるのが惜しいのでしょう。


「次郎兄上にも私たち同様にお役目がありますからね。私たちも私たちの役目を果たさなければ」


「はい、少輔次郎(しょうのじろう)様や勘助殿に負けぬように、しっかり口説き、両家の仲を繋がねばなりません」


そう、それよりも今は自分の事です。

今、我々が訪れた因島。ここに住まう海賊衆を毛利方に引き込むこと。それが今、私が果たさなければならない重要任務です。この海賊衆、通称「村上海賊」は今三つに分かれておりその一つがこの因島に拠点を持っています。

因島が選ばれた理由は単純に小早川家の重臣、乃美家との繋がりがあったからです。新四郎も何度かこの地に訪れたことがあると聞いています。


「歓迎される訳ではありませんが最初に比べ、特段警戒もされなくなりましたな」


「それだけ私たちの存在がこの島にも周知されたのでしょう。これまでの訪問ではただ話をさせて頂いただけですからね。とはいえ油断は出来ませんよ、新四郎」


「勿論です」


そう言って新四郎含め護衛の者たちの表情が引き締まりました。

当初は余所者だった私を警戒する目がありました。

それでも懲りず私たちは既に二度この地を訪れており、そのおかげかこの地に住まう者たちの警戒の目は随分と和らぎました。


とはいえそれが今回の交渉に役立つわけではありません。

当主の村上新蔵人(むらかみしんくらんど)村上尚吉(むらかみなおよし))殿は気持ちの良い御仁ではあるもののこちらに心を全て許しているとは言い難いでしょう。

ですが知己(ちき)を得てきたのも事実。そろそろこちらの要望を伝えても良い頃合いではないかと思うのです。

こちらの話は新蔵人殿たち海賊衆にも有益となる話。悪い話ではないのですから。


以前のように事前に声を掛けていたおかげで屋敷にはすんなりと通してもらい以前と同じ客間に通された私たちの前にはお茶の入った湯飲みが置かれました。

何気ないことではありますが、茶葉は貴重です。毛利家では次郎兄上発案で太郎兄上が積極的に奨励して徐々に栽培が領内で行われてきておりますがまだまだ量産には程遠いでしょう。


その様なお茶を気軽に、しかも私だけではなく連れの者たちにまで出されたことに最初は驚きました。

いえ、所詮は海賊だと侮っていたことを理解させられたと言うべきでしょう。

考えてみれば当然なのです。

この海賊衆は海上で通行料を取り、海上警固の依頼を受けたり、時には敵対する商船を襲って金銭を奪ったりと場合によってはその辺の大名よりも金銭を持っているのです。

恐らく毛利家の後ろ盾がない小早川家であれば彼らに財力を上回られているでしょう。

そのことを早めに気付くことが出来て良かったと初めて訪れた時は思ったものでした。


私がそのようにお茶を飲みながら思い返していると襖が開く音がしました。

浅黒く日焼けした筋骨隆々の男。その表情は不敵な笑みを浮かべており口の周りには虎髭を蓄えておりその不敵さを強調しているようです。


この因島村上家の当主、新蔵人殿が姿を現しました。


「よう、小早川の小僧。また来やがったな」


「はい、今日も新蔵人殿とより仲を深めたく参りました」


「ははっ、本当に変わった小僧だなお前さんは」


そう言って無遠慮にドスンと座るとニヤリと笑みを深めました。口は悪いですが悪意がないことはこれまでの付き合いで良く分かっています。それに不思議と嫌な気分にはならないのです。きっとそれが蔵人殿の魅力なのでしょう。


さて、この方を目の前にすると気合が入ります。何としても毛利家と誼を通じてもらわねば。


交渉を始めましょう。



【新登場人物】


村上新蔵人尚吉  1511年生。瀬戸内海の因島に拠点を構える村上海賊三家の一家、因島村上家の当主。海の男らしい快活さと海賊らしい不敵さを持つ男。+19歳




今回は少し短めで申し訳ありません。ですが二日連続で更新したいと思ってますので明日も宜しければお読みいただけると嬉しいです。

今回もお読みいただきありがとうございました!

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