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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十二年(1543) 備中騒乱
63/115

粛清

一五四三年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



思い掛けない報告から一夜明けて、俺は日が昇ると同時に小倉山城(おぐらやまじょう)を出立し、吉田郡山(よしだこおりやま)(じょう)に入った。


まさか尼子(あまご)三郎詮久(さぶろうあきひさ)ががここまで大きく動くとは思わなかった。報告を聞いた瞬間頭が真っ白になった。何を言われたのか分からなかった位だ。

勿論全く想定していなかったわけじゃねーけど、少なくとも新宮党を尼子本家の対抗馬にして弱体化を狙っていたのだ。こんなあっさりと殺されるようなことになると思ってない。


親父は尼子紀伊守(あまごきいのかみ)国久(くにひさ)がどんな男かを知っていたし、頭の回る男だったからこんないきなり粛清される可能性は低かったはずだ。一体尼子家で何が起きたのか。その辺の情報も親父の元には入って来てるのか確認したい。


登城するとすぐさま評定の間に通された。この場にいる毛利家家臣たちの表情も何処か冴えない。この場にいる人間も信じられない様子だ。


何と言っても尼子の武を一身に背負う新宮党の党首。

先代の、吉田郡山城の戦いで討ち死にした下野守(しもつけのかみ)久幸(ひさゆき)もかなり手強い爺さんだったらしいが、紀伊守国久は特にその勇猛果敢な戦ぶりと本人の武力の凄まじさから近隣に恐れられていた猛将だった。

そんな男があっさりと死んだんだ。ざわつくのも仕方ない。


弟の少輔三郎(しょうのさぶろう)小早川隆景(こばやかわたかかげ))は既に来ており俺を見つけると会釈するように頭を下げてきた。少輔三郎の顔も怪訝そうだ。

そういやこうして顔を合わせるのも久しぶりだ。領地が広がると兄弟にも気軽に会えなくなるから寂しいもんだ。とりあえずは元気そうで良かった。


ゆっくりとこの件について話したいところではあるけどもうすぐ親父と兄貴も来るだろうし後回しだな。俺は少輔三郎の対面に座って親父が来るのを待った。毛利家の重臣たちも続々と定位置に腰掛けていく。隣には式部大輔(しきぶたいふ)坂元貞(さかもとさだ))が座った。


この式部大輔は上野介(こうずけのすけ)志道広良(しじひろよし))の息子で、刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))の兄だ。毛利家庶流の坂氏の名跡を継いで、親父と兄貴に仕えている。式部大輔は刑部と違ってどちらかと言うと武働きが得意な男だ。

備中国(びっちゅうのくに)(現在の岡山県西部)での戦でも親父の部隊で活躍していたはずだ。俺は城にずっといたからその戦ぶりは見れていないが話には聞いていた。


「先日の戦ぶりですな、次郎様。まさかこれ程早くまた顔を合わせることになるとは思いませなんだ」


「そうだな式部大輔。今回のことは(いささ)か腑に落ちない。こんなあっさり死ぬような男じゃなかったんだろ?」


「はい、最近は殆ど見なくなりましたが若い頃の紀伊守は自ら先頭に立って暴れまわっていたそうで。それはもう手が付けられないほどの戦ぶりをすると評判の男だったと聞いています。個人的な武勇も相当だったようですし次郎様の仰る通り腑に落ちぬのも道理でしょう。この後、殿から詳しい話が聴けるでしょう」


俺よりも上の世代だからか式部大輔は紀伊守のことをよく知っていた。父親の上野介は親父なんかよりも戦歴が長いからその辺も詳しく聞けたんだろう。剛勇で知られる紀伊守を討ったってことは準備もしていた筈だろうけどそんな話は聞いてない。相当前から準備をしていたか。


「だったら猶更信じらんないな。余程周到に準備をして討たれたか」


「恐らくはそうなのでしょう。敵将とはいえお労しいことです」


そう言って式部大輔は少し寂しげに笑った。確かに敵だ。でも死ねば仏ともいうし、その恐ろしいまでの強さは敵であろうとも憧れたりはする。式部大輔も少なからず憧れの気持ちがあったのかも知れない。そんな男が死んだという事に寂しさを覚えたんだろう。そういうのってあるよな。


少し感慨に耽っていた式部大輔が思い出したように顔を上げると恥ずかしそうに咳ばらいをし、話を変える様に様子を聞いてきた。


「これは、柄にもなく申し訳ありませぬ。そういえば刑部大輔はしっかりお役に立ってしますかな?」


「ふふ、いや、気にしてねーさ。刑部にはいつも世話になってるよ。兄としてはやっぱり心配か?」


「そうですなぁ。なんにでも興味を持つ弟ですからご迷惑をお掛けしていないかと」


志道家から出た二人だけど仲は良いようだ。やっぱりどの兄弟も同じようなもんなのかな、争うよりはましだけど。

兄貴にとって弟はいつまでも心配の対象なんだな。兄貴を思い出す。まあ、俺も刑部も心配されても自重しないって点は似た者同士な訳だからいつまでも心配の対象なんだろう。


「俺はそのなんにでも興味津々な刑部に助けてもらえてるから、迷惑だなんて思ってねーよ。安心してくれ」


「たまに話すと刑部大輔は楽しそうなのでその点に関しては心配してません。これからもよろしくお願い致します」



そんな風に世間話をしているうちに親父と兄貴が姿を現した。俺たち家臣団は一斉に(うやうや)しく頭を下げて出迎える。

最近は毛利家の跡取りとして兄貴を前面に押し出しているのか親父と並んで上座に座るようになっていた。俺と少輔三郎とは明確に扱いが違う。まあ、他家に養子に出た俺たちが家臣扱いは当然だからな。


既に後継ぎとしての実績も積み上げている兄貴の評判も良く、今では押しも押されぬ後継者となっている。史実のネガティブな性格とはえらい違いだ。小さい頃から少しでも兄貴の役に立てたんなら良かった。


「皆、面を上げよ」


兄貴の重々しい声と共に評定が始まった。とはいえ兄貴の声が若い分、親父程の威厳はまだない。

今回の説明は兄貴からされるらしく親父に促された兄貴が口を開く。


「皆も話には聞いているだろうが、世鬼衆から尼子家の情報が早馬で届けられた。紀伊守国久が三郎詮久によって討たれた。知らせによれば今回の我々との戦の勝利を祝う酒宴の席に呼ばれた際に討たれたらしい」


兄貴の口から今回の顛末が語られていく。それにしても酒席での犯行か。急転直下の行動だな。紀伊守ものこのこ行かずにとっとと袂を分かてば死なずに済んだのに。それとも確信が持てずに迷ったか。確認するために参加して討たれたのかな。さぞ無念だったろうに。


「尼子家に混乱は無いのでしょうか?」


「それが酒宴の席では家臣たちが騒がなかったようだぞ飛騨守(ひだのかみ)国司元相(くにしもとすけ))。三郎は重臣たちを上手く御したらしいな」


「意外ですな。分かり申した」


確かに意外だ。つまり古くからの家臣については尼子詮久は掌握してるってことか。その手がどこまで伸びてるかが問題だな。


「我々毛利家にとってはいい知らせではあるが最善ではないことは皆も分かっていよう。我等にとっての最善は尼子本家に新宮党を嚙合わせることで弱体化を謀る事が最善だった。その為の情報も紀伊守に与えていた筈だった。だが今回に関しては三郎詮久が上手く捌いたようだ。尼子の鉢屋衆に紀伊守が勘付かれたのかもしれん」


新宮党の力が落ちたことに関しては素直に嬉しい事実だろう。だけど争ってほしいこっちの立場としては新宮党の力が落ちすぎるとそのまま新宮党が潰されて尼子詮久のもとで纏まりかねない。


「だがまだ完全に手が無くなった訳では無い。紀伊守は殺される間際に供をさせていた次男の孫三郎(尼子豊久(あまごとよひさ))を逃がしたようで、その孫三郎はなんとか新宮谷まで逃れることが出来たようだ。」


「つまり式部少輔(尼子誠久(あまごまさひさ))と孫四郎は健在という事でしょうか?」


少輔三郎がそう尋ねると兄貴が小さく頷いた。そもそも何で式部少輔は酒宴の席に参加して無いんだ?まあ、とりあえず今はいいか。


「そういうことだ、三郎。新宮党は大黒柱が折れてしまったが支柱が懸命に支えているという状況だ。世鬼衆の知らせによるとその後、合流した孫三郎と式部少輔はすぐに郎党を集めると東に向かったようだ。恐らくだが美作国(みまさかのくに)(現在の岡山県北部)に向かったのではないかと考えられる。美作の責任者である河副(かわぞえ)美作守(みまさかのかみ)久盛(ひさもり)と討たれた紀伊守は昵懇の間柄。ひょっとしたら父上との会談の後、協力を取り付けたのではないかと思われる。現在世鬼衆が追跡しているからどこに向かったかはしばらくすれば分かろう。以上が今回の尼子家で起こった事の顛末だ。今の段階で何か質問はあるか?」


兄貴が一通りの説明を終えるとこの場にいる全員を見回した。状況は悪くなったが最悪とまではいかない。後は新宮党の残党がどれ程粘れるかということだ。場合によっては秘密裏にサポートした方がいいかもしれない。潰し合わせるにしてもそれなりに両方が消耗してもらわなければならないからだ。


他の人間からも特に発言がなかったのを兄貴が確認すると、一度親父を確認するようにとなりを見た。視線に気付いた親父は兄貴に一度頷くと再び兄貴が口を開く。

今日の親父は口を挟むつもりはないようだ。


「それでは今話した情報を踏まえて今後の尼子対策の話をしよう。最終目的は尼子家を滅ぼし尼子領を毛利のものとすることだ。備中国、美作国、伯耆国(ほうきのくに)(現在の鳥取県西部)、出雲国(いずものくに)(現在の島根県東部)。ここまで獲れれば他国から侮られることも無くなろうし上々だろう。因幡国(いなばのくに)(現在の鳥取県東部)まで獲れれば御の字だがこれはその時の状況による故、今回は見送ることとする。さ、皆遠慮せずに話し合おう」


「それでは宜しいでしょうか?」


兄貴の掛け声と共に少輔三郎が口を開いた。幼く透き通るような声が評定の間に通る。兄貴は『申せ』と一言、少輔三郎を促すと遠慮がちに口を開いた。


「世鬼衆を使い尼子領に噂を流しましょう。尼子詮久は非道にも後見たる叔父すら討ち取る非道な人間だと。このまま尼子家に仕えていてはいつ国人衆にまでその凶刃が襲い掛かって来るかもわからぬと。多少なりとも国人衆がぐらついてくれればその後の寝返りの打診もしやすかろうと思います。如何でしょうか?」


成程、戦が出来ない状況だからこそ先に尼子家の足元をぐらつかせようってことか。史実の月山富田城の戦でも尼子家に仕えていた国人衆がいくつも大内家に寝返っていたはずだ。尼子家が大きいとはいえすべての家臣が尼子に絶対の忠誠を誓ってる訳じゃない。引っ掛かる奴もいるだろう。だったらこういうのはどうだろう。俺もそれに便乗しようか。兄貴が少輔三郎の意見に対して口を開く前に俺も手を挙げた。


「私からも良いでしょうか?」


この場は一応公の場だからな。口調も真面目にしないと。こう考えると吉川家の評定は素の口調で出来たから楽だったなー。


「次は次郎か。良い。どんどんと案を出してくれ」


「はっ。三郎の案に少し追加したいのですが、噂をもう一つ流しては如何でしょうか。毛利家の謀略によって尼子国久は詮久に討たれたのだと」


「失礼。少輔次郎様。そのような噂を流す意味は何でしょうか?わざわざ敵を警戒させてしまうだけでは?もし宜しければ、ご教授いただきとう御座います」


先程まで一緒に話していた式部大輔が首を傾げながら尋ねてきた。他にも同じような顔をしている家臣が何人かいる。親父は少輔三郎のときから面白そうな顔をしてるな。観客気分で表情を楽しんでいるみたいだ。

それにしても言葉が足りなかった、確かに今の言い方だけだと伝わんねーや。


「式部大輔すまん、言葉が足りなかったな。俺はこの噂を流すことによっていくつか効果が増すと思ってる。一つは式部大輔が言う様に警戒される点だ。警戒されることに利点は無い様に思われるが現状、尼子家の人間には毛利家は舐められているように思う。一時期は毛利家も尼子家に属していたからな。どうしても奴らには俺らが格下だと思っているんだろう。要は侮られているんだ。だからこそ尼子と同じ土俵に立つ意味でも警戒させるべきだと思う。毛利家が脅威だと思わせるために」


「他の利点と言うのは何ですか次郎兄上?」


次に聞いてきたのは最初に案を出した少輔三郎だ。こいつはどこか楽し気に、わくわくした顔で聞いてきた。案外腹黒いのかな。貶める策をそんな楽しそうな顔で聞くなよ三郎、悪い子だなぁ。


「他の利点は尼子詮久の名を貶めることが出来る事だ。毛利家の謀略にまんまと引っ掛かり、後見の叔父を討った。特に先代の尼子経久は謀聖と名高い存在だ。その孫があっさり敵の謀略に引っ掛かる。それも侮っていた毛利家の謀略にだ。それだけで国人衆から見たら尼子詮久が頼りなく見えるんじゃないか?このまま頼りない主に仕えていていいのか。尼子経久に警戒されていた父、毛利元就に仕えた方が家を守れるんじゃないか。少輔三郎の案で非道な人間だと噂も流れている。このまま尼子にいては家を守れないんじゃないか。そう迷わせる材料にもなると思うんだ」


それに人は選択肢を多く与えておいた方が迷う。少輔三郎の案だけだったら選択肢はその噂を信じるか信じないかの二択だ。だけど俺の今言った噂も一緒に流せば選択肢がさらに増える。選択肢は多ければ多いほど人は迷う。


特に国人衆は基本、家を守ることが第一だ。そんな不穏な噂が流れる尼子家に不安を抱くし、猶更迷ってくれるだろうと思う。


「成程。ご説明いただき得心致しました。有難う御座いまする」


「いや、聞いてくれて俺も助かった。言葉が足りなくて迷惑を掛けた。兄上、今説明した通りです。少輔三郎の案と共にご検討頂けないでしょうか?」


式部大輔がお礼を言いながら頭を下げた。俺の説明不足が原因なのに律儀なやつだ。俺も謝罪し、そのまま兄貴に確認を取る。尼子領にはそれなりの数の世鬼衆が入っているだろうしそれ程噂を流すのには苦労しない筈だ。後は鉢屋衆がどう動くかだけど。


「二人の意見、良く分かった。私なりに考えても特に問題は無い。むしろ有効な手だと思う。この流言に関しては早速、世鬼衆に知らせておこう。流石は私の弟たちだな」


そういって兄貴は俺と少輔三郎を誉めてくれた。まさか誉められるとは思ってなかったため少輔三郎と二人で顔を見合わせた。俺の対面に座る少輔三郎の顔は目を丸くしていた。多分俺も同じ顔をしてると思う。

そして我に返ると途端に恥ずかしくなってきた。なんだよ、こそばゆいな。この場でわざわざいう事ないじゃんか。


「ははっ、有難う御座います…!」


少輔三郎は素直に嬉しかったらしく兄貴に頭を下げてお礼を言ってしまった。くぅ、俺は照れ臭いだけなのに。でもここで俺が頭を下げなかったら空気の読めないやつになりそうだ。


「…お、お褒めの言葉有難う御座いまする」


他の家臣からは微笑ましいものを見るような目で見られているのが分かる。我慢我慢。

この後は噂の広まり方から出方を変えることで話は決まった。どの程度噂は浸透するのか。それに対して尼子家はどう動くのか。それに怯えたり憤ったりする尼子家臣はいるのかいないのか、現状ではどの程度の影響が出るのか分からないためだ。


また各国人衆でも常備兵の確保をするように通達される。毛利家に属している家臣、国人はそれぞれの領地で石鹸が作られておりそれなりに銭が入るようになったためだ。それに計画的に木材や木で作った細工品も各地で生産されている。その銭を基に常備兵の設立が申し渡された。

とはいえ全兵が常備兵になることは当然ながら不可能だ。そこまでまだ大儲けが出来ている訳じゃない。これに関しては徐々に徐々にだ。


それとついに吉田郡山城から佐東銀山城までの近隣で関所で銭の徴収が無くなることが決定した。これはあくまで一時的なもので、しかも銭の徴収撤廃に納得した者たちの土地だけで行われる。


ちなみに吉川家はまだこの撤廃は行われない。家臣の中でも懐疑的な意見が多いからだ。今まで関所が国人たちの国境の役割を果たしまた銭稼ぎの手段だったこともありなかなか賛同が得られなかった。


でもこれも時間の問題だろう。人は多分関所の無い所に流れる。だから今後関所があるところは人通りが少なることが予測される。そして関所がないことが分かれば人通りは自然と多くなりその結果、関所の収入が失われる代わりに石鹸や各地の商業が盛んになるはずだ。


毛利家でも特に変わっている商人武士である九郎左衛門(堀立直正(ほたてなおまさ))もそうなるだろうと話していた。その事で国人衆が不満をため込む可能性はあるが、綿花の栽培が上手くいけばこれも各国人衆に流れる予定だし、不満は和らげることが出来ると思う。


他に心配なことは関所が無くなる分他国からの密偵が入りやすくなることだ。こればかりは既に配備されている親父や兄貴の常備兵が頑張るしかない。

それに関所自体は残され、そこで取り調べが行われることになる。これで多少なりとも敵からの密偵は防げるのではないかと思われる。それに世鬼衆の規模が知らないうちに拡大しているらしく孤児を育てて立派な忍びに鍛えているそうだ。その為今回の決定がなされた。


そうして色々と話が動いた評定が終わった。この1年でどれだけ尼子家を弱体化出来るかが勝負だ。


いつもお読みいただきありがとうございます。


今少し迷っていることがあり読者の方にお聞きしたいのですが、このまま話を進めた方が良いか、それとも尼子国久の粛清の真相を書くか迷っています。皆さまはどちらがいいでしょうか?特にないようでしたら粛清の真相を次に書きたいと思っています。


それではまた次回をお楽しみいただけるとと嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 真相で良いと思います。宜しくお願いします。
[一言] 誠久が詮久を討ってしまった方がよいと言っていて今非常に気になる存在です。国久が討たれた時の誠久の動きがとても気になる。 粛清シーンは作者様がお好きなようになされたらよいかと
[気になる点] 国久の粛清の真相から是非見てみたいです。 考えられることはありますが、これだろうという境地には至れず気になります笑
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