中津井夜戦、決着
一五四三年 尼子式部少輔誠久
新手の敵は兵庫頭(熊谷信直)よりも若い野郎だった。こいつもなかなか活きのいい奴だ。吉川には強い奴が多いみてえで本当に飽きが来ないぜ。クハッ、顔が笑っちまうのが抑えらんねェ!
「何を笑っている式部少輔、随分と余裕のようだな」
「ハハッ、楽しくてついよ、気に障ったかァ?」
「フン!その程度いちいち気にしていられるか!」
この若い野郎の攻撃は兵庫頭程器用な上手さはないが、一撃一撃が早くて重い。こんな奴がいるならもっと体力を残しておくべきだったナァ。アー、勿体ないことしちまった。
「オラァ!」
「ッチ…!」
一度距離を取ろうと槍を下から突き上げる様にして振り上げると敵は事も無げにその槍先を目で追い身体を逸らしながら後ろに下がって距離を開けた。目もいいし反応もいい。ハハッ、やっぱり兵庫頭よりも個人の武はこっちが上だな。こいつも名のある野郎なんだろう。討ち取って手柄にしてェな。
距離を開けた野郎はまたすぐに飛び掛かって来る様に槍を振りかぶるとそのまま俺の身体ごと地面に叩きつけようと槍を振り下ろす。一撃一撃が渾身の力を込めているんだろう、その風切音だけで身体がゾクゾク喜んでいけねェや。だが一辺倒過ぎンぜ野郎さんよ!
「ハァッ!」
「甘いんだよッ!!」
自分の槍を両手で握り、俺の頭目掛けて振り下ろされた槍を受け止める。ぶつかった瞬間に激しい衝撃音が響く前に野郎の槍先を逸らすように槍を斜めに傾ける。受け流して平衡を崩した敵の横腹を思いきり蹴り飛ばした。
「なっ!?ぐふっ…!」
蹴られた瞬間に身体に力を込めて身構えたんだろう。呼気を漏らしながらも槍を地面に引き摺らせながら平衡を取り戻すとすぐに再び身構えようとする。
だが敵がわざわざ隙を見せてんのに待ってやるほど俺は甘くねェんだよ。すかさず俺は野郎の身体目掛けて槍を突き出した。残念だったなァ、兵庫頭はそこまで隙を見せる様な奴じゃなかったぜ!
「死に晒せ野ろ…っ!!またテメェかガキ!!」
あと少しで身体を貫けると思った瞬間、視界の隅から新しい槍先が俺に向かってくるのが見えた。
クソ、既に流れている身体を止めることは出来ねェ。そのまま野郎の横を通り過ぎるように身体を倒して別の攻撃からなんとか回避する。そのまま身体を回転させてすぐさま立ち上がり俺の攻撃を邪魔しやがった奴の姿を確認する。
そこには俺を矢で殺ろうとしてきたガキがいた。吉川少輔次郎元春。鋭い眼光をしたガキだ。巷じゃ血狂いなんて大層な名前が付いてたがあの眼付じゃあながち間違いねェのかもな。
今も槍を構えながら俺をいい目で睨みつけてやがる。そして野郎も呼吸を整え復帰しやがったようだ。いい所で邪魔しやがって。
「大丈夫か孫四郎(今田経高)!」
「申し訳御座いませぬ次郎様、おかげで命拾いし申した」
「いい、それよりあいつを抑えられるか?」
「はい、抑えてみせまする」
「良し、ここは頼むぞ!」
「はっ!!」
そう言うと血狂いはさっさとその場から離脱して近くの兵たちを指揮してうちのモンに攻撃し始めやがった。オイオイ、いい度胸してんじゃねェの。この俺の戦を邪魔して、さっさとトンズラこいて背を向けるなんてよ!それでもテメェは武士か!
「おいテメェ血狂い!何処行きやがんだ!!この臆病者が!!」
追い掛けようと走り出そうとすれば孫四郎とか呼ばれていた槍武者が進路を塞ぐように邪魔してきやがった。そのまま敵の槍が俺の首を狙って横薙ぎに振るわれる。
「我等の主が貴様のような戦狂いの相手をすると思うな!」
「ハァ!?お前ンとこの大将だって血狂いだろうがよ!!なに人の事棚に上げて俺のことを戦狂いだとかぬかしてやがる!!お前ンとこの大将だって狂ってんだろうが!!」
「フンッ!お前などと一緒にするでないわ!!」
体勢を立て直した孫四郎が槍を突き出しながらそうほざきやがる。どっちもどっちだろうが!!なんだこの理不尽は!主従揃ってふざけたこと言いやがって!
怒りに任せて同じように槍を何度も突き刺すが孫四郎もかなり出来る男だ。しかも一度俺に殺されかけたせいか力任せの攻撃よりも持久戦に持ち込まれた臭ェな。チッ、そろそろ限界か。空が明るくなってきやがった。
「兄者!そろそろ時間のようです!如何致しますか!」
指揮を執っていた孫三郎(尼子豊久)の声が聞こえた。やっぱ殺れねェか。小勢を殺すだけが戦じゃねェ。親父にどやされたくねェしな。アー、でも腹立つな!
「クソ!孫三郎退却だ!このまま俺が殿に入るから兵を退かせろ!」
「はっ!法螺貝吹け!兵を退くぞ!!」
孫三郎の声と共に法螺貝の音が響く。吉川にも追い縋る余裕はねェだろう。伏兵は殆ど殺したからな。徐々に尼子の兵が後退していく。
向かい合っていた孫四郎は追って来ようとしていたが血狂いの野郎に止められて足を止めた。ガキのくせに躾が行き届いてるみたいだな。結構なことだ。だがあの目、また睨みつけてきやがった。
フン、出直してきやがれ。生きて帰れんだから感謝して欲しいくらいだ。
吉川少輔次郎元春
空が明るくなってきた頃に尼子軍は兵を引き始めた。これ以上戦い続けるとこのまま戦が大きくなることを危惧したのか、本番はまだ始まってないってことなのか、理由は良く分からない。
でも正直、命拾いした。この戦場に来た時、兵庫頭に付けていた兵は殆どがやられていた。今回の戦死者は100人を超えるだろう。それを考えると居た堪れない。でもだからといってこの場に留まるわけにはいかなかった。早く城に戻って兵庫頭を休ませないと。
何とか血は止まったみたいだがこんな場所に居たらせっかく生きている命も失われちまう。
尼子軍に警戒しながら俺たちも撤退した。
途中、親父が出してくれた救援軍と合流し1刻(2時間程)で鶴首城に戻ってくることが出来た。
俺は最後の最後で戦っただけだからまだ余力はあるが、孫四郎の部隊は伏兵で一度交戦した上に俺の我が儘に付き合わせたせいでかなり消耗していた。最後の式部少輔との戦で20人近い戦死者を出している。
熊谷隊はさらに深刻だ。死者は80人以上だ。辛うじて生きていた者たちも連れて帰ることは出来たが城まで保たず何人も途中で息を引き取った。中には生きていても手の施しようがないほどどうしようもない兵もおり、せめて苦しみが長く続かないように介錯した兵たちもいる。
介錯した兵は最期に俺にありがとうと言って感謝しながら笑顔で逝った兵たちが何人もいた。俺は兵たちにお礼を言われるような大層なことをしてあげることが出来たのか。せめて誇らしく死ねるように『お前たちは俺の誇りだ』と声を掛けてやることしか出来なかった。
そして指揮官の兵庫頭は今も意識が戻らず寝ている。金瘡医は出来るだけのことはしてくれたが、それでもこの時代の医術は現代に比べれば出来ることが少なすぎた。後は兵庫頭の気力次第だろう。
城で兵糧の確認に残していた息子の次郎三郎(熊谷高直)には兵庫頭の看病をするように伝えたのだが、一度寝ている兵庫頭の姿を確認しただけですぐに仕事に戻ってしまった。
『某が父上の側に居れば、目覚めた時に仕事はどうした、と叱られてしまいます』と泣きそうな顔をしながら次郎三郎は笑った。
兵庫頭の家も毛利家に負けず劣らず家族仲が良い。本当は心配で堪らないだろう。それでも嫌なことを想像しちまうより仕事をしている方が気も紛れるだろうと思い好きにさせた。
三村軍200が善戦してくれなければもっと吉川軍の被害は大きくなっていただろう。伏兵として途中で襲い掛かってくれたおかげで敵の足並みは崩れ最後の方はずいぶん助かった。とはいえその三村軍の被害も吉川軍程じゃないにせよ少なくない。
これだけやられたことを悔やむか。生きて帰れたことを喜ぶか。俺の立場では喜ぶしかないんだろうな。皆が奮戦してくれたから俺はこうして生きていられたんだ。そのことを感謝して喜ばなきゃ命懸けで戦ってくれた兵たちが浮かばれないだろう。でも、辛い。
俺は刑部大輔(口羽通良)と孫四郎を伴い、親父と紀伊守殿が待つ評定の間に向かった。源左衛門(石川久智)も備後守(清水宗則)を伴っており合流して一緒に向かう。
評定の間に入ると親父は上座に、すぐ近くに紀伊守(三村家親)殿が座っている。二人とも無表情を装っているがその俺たちを見る目は痛ましげだ。
まあ、生きて帰ってこれたはいいがぶっちゃけぼろ負けだからな。むしろ生きてこうして親父の顔が見れると思わなかった。
俺たちは親父と向かい合う様にして腰を下ろした。親父が俺たちを見回し、俺と目が合うと少しだけ表情が綻ぶ。ほんの一瞬だが。それが嬉しかった。
「皆、まずはご苦労であった」
親父の言葉に俺たちは一斉に頭を下げる。そして代表して俺が口を開く。
「申し訳御座いませぬ。奮戦も空しく、夜襲は失敗。多くの兵を死なせてしまいました」
「いや、まずは其方たちがこうして無事に帰って来てくれたことを喜ぼう。だが、次郎。いったい何があった?何故夜襲が気付かれた?」
それが今回の一番腑に落ちない点だ。俺たちですら原因が分からない。この戦場には世鬼衆も警戒しており尼子の鉢屋衆が動いていないことは確認されていた。だから忍びからバレたとは考えられない。
なら内部から裏切りでもあったかというとこれも難しい。何せ夜襲はその日のうちに実行することが決まり尼子に知らせるには明らかに時間が足りない。
それに三村家の人間は庄家を介して散々尼子家から苦汁を味わってきていた。今更裏切ったりはしないだろう。この線も世鬼衆は警戒していたんだ。
なら俺たちの動きが悪かったのか。可能性としては無くはないけど細心の注意を払って尼子軍に接近したつもりだ。尼子軍がいくら警戒していたとはいえあそこまで綺麗に返される筈がない。敵は明らかに警戒ではなく俺たちが来ることを知っていたような対応だった。
「…申し訳御座いませぬ。尼子軍が一手も二手も上手だったとしか言いようが御座いませぬ」
こう言うしかなかった。俺だって納得していない。でも原因が分からない以上、予想で語ることは出来なかった。不気味だ。尼子はあの時いったい何をした?
「ふむ。不可思議としか言いようがないの。だが、今回の原因が分からぬ以上、夜襲や伏兵は使えぬと思った方が良いか。此度の戦、思った以上になかなか厳しいわ…」
「申し訳御座いませぬ」
再び俺は頭を下げた。ただ、いい様に尼子勢にやられただけだ。それで多くの兵を失い、兵庫頭が今生死の境を彷徨っている。俺はいったい何してんだ。腸が煮えくり返る。掌に痛みが走り自分が強く握っていたせいで爪が食い込んでいることに今更気付いた。こんなことをしても悔しさは晴れない。
「宜しいでしょうか?」
ふと隣から声が響いた。源左衛門だ。親父は一度紀伊守殿に視線を送る。源左衛門は紀伊守殿の家臣だ。気を遣ったのだろう。紀伊守殿は親父に了承するように頷く。
「許す。源左衛門であったな。なにか思い当たる点でもあったか?」
「いえ、今回の尼子が何故分かったのかは私のも分かりませぬ。ですが不可思議なことが他にも御座いました」
そう言って源左衛門は俺に視線を移した。…ん?俺?
「儂の息子がなんぞしでかしたか?」
「いえ、しでかした訳では決してなく。ただ、少輔次郎様が退却中に突如足を止められ仰ったのです。『後ろで何か起きている気がする。行かないと後悔する』と。その時は私も戦わずにあの場を去ったことがずっと心残りでしたので少輔次郎様に賛同し、そのおかげで熊谷兵庫頭殿の命を辛うじて救うことが出来ました。ですが今考えてみると何故少輔次郎様はその事に気付かれたのかと思いまして…」
それは俺も不思議だった。勘だといえば勘だ。だが明確に嫌な予感を感じた。
あの時、確かに俺は凄まじい悪寒に襲われて何が何でも戦場に戻らないといけない気がした。その結果、兵庫頭は救うことが出来たけど、兵に余計な被害が出たのも間違いない。どちらが良かったかは判断出来ないけど。
「次郎、今の話は本当か?いったいなにを感じた」
「…私もそれが何であったのかはよく分かりません。あの時は突然、身体に悪寒を感じて、後ろが気になりました。尼子の追手が迫って来ているのかと思い先を急がなければいけないのかと一瞬思いましたが、足は進まなくなり、その時はどうしても戻らなければいけない気がしました。何故そう思ったのかは私にも分かりません。強いて言えば勘としか…。私自身はその時、早く退却しなければと思ってはいたのです。ですが説明できない、何かそうしなければならない何かを感じました。申し訳御座いませぬ。このような得体の知れない感覚の為に源左衛門殿を含む諸将を危険に晒しました」
結果として兵庫頭は救うことが出来たかもしれないけどそれで被害を増やしたのは俺のせいだ。後悔して無い訳じゃないけど一方で兵庫頭を救えてよかったとも思ってる。また罰かな。
「前に、尼子家の先代、経久公が同じ様なことを言っていたことを思い出した。時折、無視しえない何かを感じ命が救われたことがあると。虫の知らせの様なものを人は感じることがある。偶然だと言われればそれまでであるが、その一言では片付けられないものを感じるの」
「経久公が感じられたのであれば尼子家の中に同じ様なことを感じられる者がいたのではありませぬか?」
刑部大輔がそんなことを言いだした。いや、まさかだろ。そんな根拠のない何かで俺たちの夜襲が破られたんだとしたら対処のしようがないじゃんか。
「最初の夜襲が気付かれ、だがその後の孫四郎の伏兵に敵は確か掛かったと報告では聞いたが?」
「はっ。拙者が伏していた際、尼子の先発隊は警戒したそぶりはなく引っ掛かりました」
「兵庫頭の時はどうじゃ。何故退く事が出来なくなるほど追い込まれた?」
「まさか、その伏兵が尼子に察知されたと?」
「その時、兵を指揮していたのは式部少輔誠久であったか。式部少輔の勘が鋭かったという事か?」
「いや、でも父上。吉田郡山城の戦では式部少輔に伏兵は掛かりました。何故今回は気付いて、以前は気付かなかったのです?」
評定の間は再び沈黙に包まれる。そもそもそんなことって本当にあるのか?いや、確かに俺も今回の事は不思議だったけど。親父が困ったように首を傾げた後、再び口を開いた。
「むう、分からぬ。分からぬが、式部少輔を警戒した方が良いだろう。こうなると守勢に回らざるを得ぬ。紀伊守殿。鶴首城の守りはお任せしても宜しいですかな?我ら毛利は外より尼子を牽制致そう」
「はっ。畏まりました。この鶴首城は我ら三村の城。必ずや守ってみせまする」
「うむ、頼む。次郎も此度は三村兵と共に守備に就くといい。さすがにこれ以上、吉川の兵を酷使出来ぬ。尼子勢が無理攻めしてきた時は加勢に加わって欲しいがそれ以外は休ませてもらえ。良いな」
「はっ」
そう言って評定はお開きになった。早ければ尼子は今日にでも再び矛を交えることになるだろう。
親父たち毛利本軍は早々に出陣し城から出ていった。その姿を俺は城から見送る。
いつの間にか太陽が高くまで上がっていた。
自分の小説をお読みいただきありがとうございます。
今後のことを活動報告に書きました。私事で大変申し訳ありませんが引き続き執筆自体は続けていきますので今後とも百万一心の先駆けをよろしくお願いいたします。




