側室と椎茸
一五四三年 吉川少輔次郎元春
年が明けて暫くすると親父がようやく側室を迎えたようだ。
親父の側室話は毛利家が安芸国(広島県西部)を統一した辺りから毛利家中にちょくちょくこの話題が上がり始めてはいた。
だが親父は当然のごとく拒否をした。親父はお袋大好きだからな。毛利家中でも有名な話だ。おしどり夫婦ってやつだな。俺たち兄弟の中でも、「まあ、そうなるだろうな」とは話されていたのだ。だから話が上がっても具体的に進むことは無かった。
だが毛利家も備後国(現在の広島県東部)を手に入れた。その辺りから徐々に拒否が難しくなってくる。安芸だけならまだしも備後を加えておよそ35万~40万石程度の国力がある。その二国を従え更に領土を広げんとしている毛利家だ。当然、各地の支配を固めるためには毛利の血は多いに越したことはない。だがお袋も既に40歳を超えており、さすがに子供を作るのは危険だった。
そういった事情もあり家中の声は『側室を!』との声が大きくなっていった。それにタイミングよく弾正(乃美隆興)が娘を側室に貰ってくれないかという提案が出されたことで具体的になり始めた。まあ乃美家にも、というより小早川家だな。小早川家にも事情がある。
吉川家はお袋の実家であり、更に吉川の血が入っている俺が入ったため毛利家との繋がりは太い。
それに比べて小早川家は三郎(小早川隆景)が入っているとはいえまだ婚約で、結婚している訳ではないし、勿論子供がいる訳でもない。
縁起でもないことだがお互いひょっとしたら子を作る前に病死したり戦死したりする可能性もある。毛利との血の繋がりが吉川家に比べて薄いんだ。
弾正はそこに不安を感じたようだ。乃美家は小早川家の庶流。別家を立てたとはいえ小早川の血が絶えるのをみすみす見逃すことが出来なかったのだろう。
三郎との間に子が出来るまで少しでも毛利家と関係を深めたい。更に乃美家自体の立場を強化する狙いもあったのだろう。そういう訳で年の離れた妹の光を側室にと打診してきたようだ。
光は俺より4つ上なだけだよ?親父とは娘の歳ほど離れているが戦国時代はこれくらい当たり前なんだよな。なまじ現世の記憶があるから不自然に感じちゃうけど周りは丁度いいとばかりに盛り上がっている。お袋はいいのかなと思ったんだが話してみると
「決していい思いをしている訳ではありません。ですが側室を入れるのは今後の毛利家の為には当然のこと。むしろ遅すぎます。次郎も協力してくれますね?」
と、意外にも既に覚悟を決めていた。戦国の女性ってやっぱ凄い。普段からお袋は凛としているが本当にかっこよかった。俺としても近い年齢の女性が親父の側室になるのは微妙な感覚だがかっこいいお袋のために消極的ではあるが協力することに決めた。消極的なのは親父の気持ちが分からんでもないから。
だが問題は親父だ。立場もかなぐり捨てて駄々を捏ね始めた。家臣から話が出そうになると側室話になるのを事前に妨げては話を逸らす。今回はお袋も積極的に動いているようだが親父はお袋に弱い。最終的にはお袋から逃げ回る始末だ。
普段の頼もしい親父からは想像も出来ないほどの態度に俺たち兄弟、家臣も最初は唖然とした。そんなにも嫌かと。ただこの情報が側室候補の光に聞かれると、側室に入る前から仲が拗れることになる。毛利家中では最大限の緘口令が敷かれて、あくまで家臣までの話で済まされた。
当の親父はそんな緘口令が敷かれているなど露知らず、家臣から、息子たちから、妻から徹底的に逃げ続けているうちに大内からの手伝いに俺たちは駆り出され、安芸国では井上党の謀反と鎮圧で慌ただしくなり、一旦側室熱は下がったが、井上党はすぐに粛正され、俺たちが無事に帰ってきたため、お袋はついに決着をつけたわけだ。上野介(志道広良)が協力をしたようで夫婦で話し合った結果、親父が折れたようだ。さすが長年連れ添ったお袋だ。親父の説得が上手い。
「ようやく決着がついたな」
「長かったですね」
「次は兄貴の正室を出迎えなきゃな」
「ああ、そうだな」
「太郎兄上、お相手はどのような女性なのですか?」
「ん?あー、いや」
側室が出迎えられた後、たまたま兄弟三人で話す機会があったため兄貴の部屋で話をしているとようやく決着がついた側室話になった。そんな時、三郎からの質問に兄貴が口籠る。あれ、兄貴は大内に居たんだから顔を合わせてはいないまでも噂くらいは聞いたことあるんじゃねえの?なんでそこで口籠る?
「まさかなんか問題でもあんのか?容姿が、その、あれとか?」
「馬鹿者!あやや殿は見目麗しいと評判の女子だ!失礼なことを言うな次郎!」
「…へえ、何で口籠ってんのかと思ったけど兄貴照れてんだ?…へえ」
「まだ結ばれてもいないのに惚気ましたね、太郎兄上。うふふ」
「ぐうっ!?」
口籠ったと思ったらまさかの惚気かよ。その瞬間、俺と三郎の顔は二人で顔を見合わせニヤリと意地悪いものになった。それを見た兄貴は『余計なことを言ってしまった!』という顔をした後、顔を赤らめながらごほんと話の流れをすり替える様に咳き込んだ。兄貴はこの手の話題、特に自分の事になると酷く狼狽える。あんまり揶揄うと兄貴は怒って暫く根に持つからな。三郎と視線を合わせてお互い頷き合うとそれ以上の追及は止めておくことにした。
「わ、私のことはいいんだ。私のことは。それよりも三郎の方はどうなんだ。仲良くやっているか?」
「はい、私の方は仲良くやっていますよ。可愛い妹が出来たみたいで嬉しいです」
「そ、そうか…」
「はい」
「兄貴無駄だって。三郎にはこの手の話題は通用しないの分かってるだろう?」
「べ、別にそういった意図があった訳では無い!」
逆に三郎はそう言ったことで羞恥心を顔に出さない。むしろ気にしてないといった感じだ。三郎は兄弟の中でも一番侍女達に可愛がられてたからな。女性に対して兄貴よりも免疫があるんだろう。
だから兄貴の反撃はさらりと躱される。三郎の肝の太さは伊達ではないのだ。あ、この時代だと伊達じゃないって意味通じないか。
かく言う俺も侍女とは比較的仲良くやっていたし、前世のことがあるからかそこまで露骨に慌てたりはしない。だからこの中で一番弱い兄貴が良く俺たちに揶揄われる。すまんな兄貴。
そういや俺の相手ってどうなるんだろう。
史実では兵庫(熊谷信直)の娘、いわゆる新庄局が俺の嫁になっていた訳だけど。
でも兵庫の忠誠を得るため娶った史実と違って、今の兵庫って既に結構忠誠心篤いんだよな。息子の次郎三郎(熊谷高直)もすぐに俺に付けてくれたし。いや、自惚れか?いや、そんなことは無い筈。
しかも前世では新庄局は醜女だったって記録が残ってたはずだ。恋愛結婚は出来ないまでも可能ならやっぱり好きになれる人と結婚したいよなあ。贅沢かな。期待しないでおこう。別に顔どうこうよりも一緒にいて支え合えればそれが一番だし。分からんけど、そんな人がいい気がする。
でも何回か兵庫の屋敷にお世話になってるけどまだ一回もあったこと無いんだよな。醜女って噂もあんまり聞かないし。
まさか既に俺って避けられてんのかな?血狂い次郎だから避けられてたり…。いやいや。さすがに兵庫だって一応、主である俺の悪口を家族に打ち明けたりはしないだろう、しないよな?
市川少輔七郎経好
「はあ!?椎茸ってそんな高く売れんのか!?」
「はい、椎茸は貴重で御座いますから。御存じありませんでしたか?」
「…全く知らなかったぞ。でも、…そっか。確かに毛利でも吉川でも食ったこと無かったな。そうかあ…」
温かな日差しがお天道様から降り注ぎ、樹木にも若葉が芽吹き始めたある日のお昼時の事でした。
朝から始まった政務が粗方片付き、皆で昼食を取っていた時の事で御座います。
吉川家では不思議なことにこうして皆で昼食を取るのが日課となっています。次郎様が当主となられてから決まった、と言うより次郎様が「皆で飯を食おう」と言い出したのが始まりで御座いました。
最初は抵抗があったので御座いますが、こうして皆で食事を一緒に取る事で、毛利家からやってこられた家来衆とも仲を深めることが出来たため、派閥のようなものが生まれずに済んだのは僥倖に御座います。まさか次郎様にはこういった狙いがあったのでしょうか?だとすれば恐るべき御慧眼に御座いましょう。初めは変わり者との御評判で心配では御座いましたが、今では吉川家では既に無くてはならない立派な御当主様です。
そんな昼食時に次郎様の呟きからことは始まりました。
「はあ、なんかさ、飯って味気ないよな」
上座で玄米を頬張りながら次郎様がぼそりと呟きました。一緒に食べて居た者たちは首を傾げて皆それぞれ顔を見合わせます。
というのも、次郎様を推戴してから吉川家では収穫量が上がり鶏肉も食すようになって、はっきり言いますと数年前よりも間違いなく豊かになっているのです。
毛利家ではこれ以上の贅沢な食事をしているのか?と吉川家来衆は毛利家来衆を不安そうに見ましたが、毛利方の方々も戸惑っているご様子。つまり毛利方の食事も我々と大差がないという事。要するにこの発言は次郎様の個人的な要望だという事です。
家臣を代表して兵庫殿が口を開きました。
「次郎様、それはあまりにも贅沢が過ぎるのでは御座いませぬか?米を腹いっぱい食え、肉を食すようになり、野菜の入った味噌汁が並び、香の物まで並んでいるこの食事に何の不満があるというのです?」
兵庫殿の言葉はまさにこの場に居る家臣の総意であったことでしょう。全員が次郎様を見ながらうんうんと頷いております。次郎様は皆からの視線に気付いたらしく目を瞬きました。
「いやさ、下味っつーかさ、旨味っつーか。出汁の味がしないんだよ。椎茸とかの出汁を取るだけで味がぐっと上がるだろ?美味いよなあ」
「椎茸の出汁ですと!?」
「何と贅沢な!!」
「見損ないましたぞ次郎様!!」
「うええ?!待て待て!どうしたお前たち!俺そんな怒らせるようなこと言っちまったか!?待て、落ち着けってお前ら、冷静になろう!なっ!なっ!」
次郎様はこれ程皆から攻められるとは思っていなかったのか慌て、狼狽えた様子で皆を落ち着かせ始めました。
椎茸は高級品。寺院のような銭が多く集まる場所でしか食せない大変貴重なものです。それをまさか食べたいと仰るとは。次郎様とは思えぬ発言です。『銭は民の生活を豊かにし、国を守るために使われるべきだ』と常々仰っていたのになぜ急にこのような贅沢をお言いになったのか。これは家臣たちが怒るのも当然です。領民たちが飢えることなく暮らせるようになり、我等も粟や稗の生活からようやく抜け出すことが出来たのです。それを椎茸のせいで再び粟や稗に戻りたくはないでしょう。
ですが私は次郎様の口ぶりに違和感を覚えました。次郎様は椎茸をまるで食べたことがあるかのように話してはいませんでしたか?
「次郎様はそのように椎茸を食べたことがあるのですか?」
「それはもち…、あれ、そういや…。いやいや、でも椎茸なんて安いんだから幾らでも手に入るんじゃねえのか?」
私が次郎様に尋ねると次郎様は自信ありげに口を開きましたがその威勢はすぐに尻すぼみして考え込むように腕を組んでしまわれました。そして皆が驚くようなことをさらりと口にされたのです。
「椎茸は高級品で御座います!」
「次郎様ともあろう方が何をお言いか!?」
「幾らでも手に入るのでしたら城を立てることも容易いぐらいの高級品で御座いますぞ!?」
「はあ!?椎茸ってそんな高く売れんのか!?」
「はい、椎茸は貴重で御座いますから。まさか、御存じありませんでしたか?」
「…全く知らなかったぞ。でも、…そっか。確かに毛利でも吉川でも食ったこと無かったな。そうかあ…」
驚くべきことに次郎様は椎茸を安物だと勘違いされていたようです。家臣の皆も次郎様が勘違いしていたことが分かったおかげか知らなかったなら仕方がないと納得し始めました。いったい次郎様は何と勘違いされていたのでしょう。上座でがっかりされた様子で俯いている次郎様を眺めていると突然目を見開かれ私の方を見ています。目が合いました。次郎様は目力が強く思わずびくっと身体が震えました。
「七郎、貴重と言う事は多く取れないという事だな?」
「はい、特に近年は山の木を伐採しては木材にしていますから椎茸は取れなくなったと聞いております」
「?どういう事だ?なんで木を切ると椎茸が取れなくなる?詳しく詳しく」
次郎様は気になることがあると身を乗り出してこちらをじっと相手を見つめてくる。今は食事時なのですが。お行儀が悪いと注意しても良いのですが、恐らく「分かったから続きを」と聞く耳持たないでしょう。それ程まだ月日を重ねたわけではありませんが次郎様の性格はある程度把握しています。このまま話してしまった方が良いでしょう。
「私も詳しくないのですが、どうやら椎茸は倒木に実ることが多かったそうです。ですが毛利領は木材を多く使いますし多く売り出していますからそもそも倒木がありませぬ。山奥や森の奥まで行けば取れるやもしれませぬが」
「…なんてこった。俺のせいじゃんか」
「いえ!次郎様のせいという訳では!」
「いや、計画的に木材を伐採するように言い出したのは元々俺だ。…だーっ!!どうすっかな?誰か椎茸栽培出来るとか聞いたことがある奴いないか?」
椎茸が採取できない原因がご自分であることを知り愕然とされた次郎様が髷を撫でると指先で弄び始めました。これも次郎様が考える時の癖です。だが思い浮かばなかったのでしょう。わしゃわしゃと髪を掻いて悲鳴にも似た声を上げました。そして私たちを見回すと問い掛けます。
「少輔次郎様、失礼ながらその様な術は旅先でも聞いたことが御座いませぬ。それにもしその様な術があったとしても口を閉ざすでしょう。違いますか?」
「むう。勘助、そうは言ってもよー。いや、そうか。金儲けの手段をそう簡単に口にする筈がないってか。だよなあ…」
「然り」
最初に問いに答えたのは山本勘助殿です。日ノ本各地を旅された勘助殿さえ知らぬ術、それにそのような術が存在するのならここに居る誰もが既に実践していることでしょう。次郎様も察したように溜息を吐かれました。そしていつもの一言が発せられます。
「よし、試すぞ。新しい実験だ」
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