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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十一年(1542) 大友軍邂逅
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山本勘助春幸

一五四二年  山本勘助(かんすけ)幸次(ゆきつぐ)




翌日には再び刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))殿の案内で吉川家の居城、小倉山(おぐらやま)城に辿り着く。


吉田郡山城も賑やかであったがここも規模は小さいながら賑やかだ。領民たちはそこかしこで少輔次郎(しょうのじろう)吉川元春(きっかわもとはる))様のご無事を喜ぶ声が聴かれた。領民と領主の距離が近いのか。いったいこの慕われようは何なのだろう?

刑部大輔殿に聞いたらなんてことはない、少輔次郎様は頻繁に城下に下りて領民と触れ合っているそうだ。善政が敷かれ領主が自分たちに好意的だと分かれば領民も領主を慕うのは当然だ。

しかも前当主、治部少輔(じぶのしょう)興経(おきつね)は政務に頓着が無かったようで、こうして当主が変わったことにより暮らしが楽になったことを民は喜んだ。


有難いことに屋敷は既に用意されており、そこの世話をしてくれる小者も雇い、更には騎乗する馬も見繕われていた。なんという至れり尽くせりな対応なのだろう。これは奮起せざるを得ない。これも次郎様の期待の現れであるならば応えてみせるのが忠臣であろう。こうして私の新たな生活が始まった。


城主が不在の間も当然ではあるが仕事はあり、私は領内での政務を刑部大輔殿や少輔七郎(しょうのしちろう)殿(市川経好(いちかわつねよし))から教わった。少輔七郎殿は少輔次郎様の従兄弟に当たる方らしい。


はるかに年上な私ではやりにくいだろうとは思うがそのような顔を一切見せずに丁寧に教えてくれる良い青年だ。刑部大輔殿もそうだが、私に対する忌避感がないこの環境は私にとって非常に有難かった。


そうやって政務に励みながら経つこと数日。

漸く九州に援軍に行っていた軍が戻ってきたようだ。吉川軍含めて毛利軍は手伝い戦にも関わらず随分と活躍したらしい。大内本陣が狙われる大掛かりな伏兵に一度は総大将、大内周防介(すおうのすけ)晴持(はるもち)様は窮地に陥ったところを吉川軍がお救いしたのだそうだ。臣下としてこれ程頼もしいことはない。出来うるならば私も参加したかったな。

城に続く道を吉川軍が通るたびに歓声が響いた。


いよいよ、少輔次郎様にお会いすることが出来る。私は城の一室、どうやら少輔次郎様の執務室で待っているように言われ、年甲斐無く胸が高鳴るのを落ち着かせるように目を閉じて深く息を吸っては吐いた。すると複数の足音と共にひときわ若い声が聞こえてきた。それだけで落ち着き始めていた鼓動がどくんと高鳴るのを感じた。落ち着かぬか勘助。みっともない。


「なんでもっと早く知らせてくれなかったんだよ刑部」


「無茶を言わないで下され、戦中に知らせる訳にはいかぬではありませぬか」


「そうだけどさ、と、ここか?いやあ、楽しみだなあ!」


その瞬間にぱんっと襖が勢いよく開いて複数の足音が部屋に入ってきた。私は頭を下げて新たな主の声を待つ。いよいよだ。


だが足音は上座ではなくこのまま私の方に向かってくる。どういうことだと不思議に思っているとそのまま両の肩に手を置かれた。なんだ!?と、慌てて顔を上げると記憶よりも成長したお顔、そして特徴的なあのつり目がちの鋭い目があの頃と変わらぬ楽し気な笑みを浮かべていた。これがあの鶴寿丸様、私がお仕えする少輔次郎様。


「勘助!おお、本当に勘助だ!良かった、心配していたんだぞ。少し老けたか?いや、そんな事よりなんでもっと早くお前は本当の事を教えてくれなかったんだ!お前と俺の仲じゃないか。そうしたら俺はもっと早くにお前と一緒に戦えたのに!」


そう言って肩を勢い良く揺さぶられる。これでは喋れぬ…!

一緒に入ってきた刑部大輔殿が急いで止めに入ってくれた。


「部屋に入って早々、無礼が過ぎます次郎様!勘助殿が喋れぬではありませぬか!」


「おお、すまん!嬉しくてつい」


両肩を掴んでいた手が離れて少輔次郎様が上座へと向かわれた。目が回りそうだ。慌てて首を振って目をきつく瞑り一度深く息を吸い込んだ。再び目を開くとそこには成長された次郎様があの日と同じ笑みを浮かべて座っておられた。この光景を何度思い描いていたことか。


「良く来たな、勘助。改めて久しぶりだな。本当に、本当によく来てくれた。初めて会ったあの日からずっと、俺はお前が来てくれるのを待ってたぞ」


声にはまだ幼さが残るものの随分と成長なされた。背も高くなられ、鍛えているのだろう厚みもある。あの頃は(まげ)も結われておられなかった。

顔も凛々しくなられた。幼い少輔次郎様はもともとつり目がちであったが、今は鋭さが増したか?さらに成長すればなんとも勇ましい武者になるのであろう。そう思わせる面構えだった。


だが表情の豊かさは変わらぬようだ。あの頃の懐かしさが蘇り自然と目には涙が溜まってきた。その涙を隠すように再び頭を下げる。涙がいくつも床に落ちる。振り絞るように声を出した。


「…多大なご心配をお掛けして申し訳御座いませぬ。不肖、山本勘助幸次。必ずやお役に立ってみせまする…っ!」


一度声を出すともう涙を止めることが出来なかった。私はこの瞬間の光景を生涯忘れることはないだろう。








吉川少輔次郎元春



目の前であの山本勘助が泣いていた。

きっと駿河での暮らしが辛かったんだろう。もっと早く迎えに行ってやればよかった。

でもさ、手紙では今川に仕官が叶ったとか書かれたら迎えに行けねえじゃん。

あれ?勘助って仕官できずに不遇な時を過ごすんじゃなかったっけ?どういうことだ?俺だってびっくりした。

けど次に送られてくる手紙には政務に励んでいるとか書かれていたから、これはきっと歴史が変わったんだと思ったんだ。毛利の歴史だって随分変わってる。俺と出会ったことが勘助に何かしらの影響が出てもおかしくないとその時は思ってたんだ。


それに勘助からしたら今川家への仕官が一番の望みだったわけだし、その望みが叶った訳なんだから祝ってやるのが一番だと思って手紙には何度もおめでとうとか頑張れって送った。確か勘助の名前がこの安芸国にも聞こえてくる日を待ってるとか書いちまったこともあったはずだ。知らなかったとはいえ、いや、知らなかったからこそ勘助に言い出し辛くさせちまったんじゃないか。仕官出来てない奴に俺はかなり酷い追い討ちをかけてたんだと思うを本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


今回の刑部の寄り道だって本当に気まぐれだ。本当に元気にやってるか知りたくて刑部にお願いした。

勿論、あわよくばって思いが無かったわけじゃないから勧誘できるならしてきてって言ったけど期待はしてなかった。だからまさか強がりだったとは思わなかった。

俺がもっと欲心を出して手紙で俺のところで働かないかって勧誘していたらもっと早くここに来てくれたのかな。だとしたら辛い思いさせちまって本当にごめんよ勘助。これからは一緒に頑張ろうな。俺も一緒に頑張るからお前は吉川家の軍師として、名を残してくれよ。


暫く部屋には勘助のむせび泣く声が響く。この部屋に一緒に居る刑部なんかは勘助と仲良くなったみたいで今も勘助の泣く姿を見ては貰い泣きしながら何度も頷いている。辛かったね、もう安心だよ。そんな感じかな。俺もちょっと泣きそうになったが堪えた。おれもすぐに泣いちゃうしね。


でもいつまでも泣いてられないと思ったのか勘助は袖で涙を拭った。

俺は懐から紙を取り出して「ほれ」と勘助に渡した。前世の癖なのかティッシュを持っていないと落ち着かつかなくて懐には適当な紙をいつも入れておくようにしていたのが役に立った。ちょっと気が利くところを見せれて鼻が高い。

涙を拭って鼻をかみ、ようやくすっきりしたのか勘助が声を掛けてきた。


「お恥ずかしい所をお見せ致しました」


「いや、さぞ辛い時を過ごしたんだろう。すっきりしたか?」


「はい、泣いたおかげで晴れやかな気分が致します」


「そいつは良かった。あの日からずっと俺は勘助が欲しかったんだ。勿論、これから活躍してもらうぞ勘助。お前の諸国を旅して会得した知識で俺を支えてくれ」


「はい、お任せ下さいませ。吉田郡山の殿にもお約束致しました。私の力、存分にお使い下さい」


表情は本当にすっきりしたのか翳りみたいなものも見えない。平左衛門(へいざえもん)宇喜多就家(うきたなりいえ))の時は良く分かんなかったからその点、勘助は分かり易くて助かるな。

まあ、今後軍師として活躍してもらうんなら表情を隠すのも上手くなってもらいたいけど俺も人のこと言えねえしなあ。


それにしても今川は本当に勿体ないよな。刑部から聞いたが門前払いだったらしいじゃんか。

そりゃ今川っていったら足利の血を引く名門だし大国だし、今川義元も名君だ。

今更新規で召し抱える必要なんてないのかもしれないし、花倉の乱で異母兄に加担した山本家の人間なんか必要なかったのかもしれないけどさ、話くらい聞いてやってもいいじゃん。勘助はすげーいい奴なのにさ。

まあ、そのおかげでこうして勘助を吉川家に引っ張ってこれたんだから俺としては良かったけど。


「お前がここで活躍してその名を全国に轟かせることが出来ればさすがの今川義元だって眉間に皺の一つぐらいは寄せるだろう。そんで今川に後悔させてやるんだ。山本勘助春幸は偉大な男だったんだってさ。そうだろう勘助?」


「はっ!……えっ?少輔次郎様、その、はるゆき…とは?」


「おう、せっかくこうして吉川家に来てくれたんだ。俺が期待して勘助を召し抱えたんだと内外に示すために俺の一字を勘助にやるよ。【次】の字は大林家の養父から貰ったんだろう。もう縁が切れたんならその代わりに俺の字を使え。元春の【春】の字と山本家の【幸】で山本勘助春幸だ。どうだ?」


この時代って名前の一文字を上げるだけで褒美になるし名誉なことになるんだから不思議だ。

貴重なのかもしんないけど俺にとっては別になんとも思わないしこれで家臣から感謝されるんなら全然いい。さすがに毛利家の通字である【元】の字はあげられないけど。

それでもあまり安売りしすぎたら価値が無くなるから本当に気に入ったやつにだけだな。俺の偏諱の授与の第1号は山本勘助だ。俺としてはちょっと嬉しい。


「まだ何もしていない私には過分では御座いますが謹んで頂戴致します…!」


勘助は喜んでくれるか心配だったけど感激してくれているようだ。喜びを噛みしめる様に目を閉じている。喜んでもらえたんなら良かった。


こうして山本勘助は名を春幸と改めて正式に俺の家臣になった。



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