新年と方針
一五四二年 吉川少輔次郎元春
新年が明けて俺は久しぶりに吉田郡山城まで新年の挨拶に向かっている。田植えの時期に吉川家に入り、そこからずっと小倉山城にいたからおよそ半年位か。あまり長い期間ではないがそれでも久しぶりに家族と会える事に自然と表情が綻ぶ。
昨年初の吉田郡山城の戦の傷も大分癒え、城下町も随分と形が戻ってきていた。新年ということもあり民たちの表情も明るい。
馬上で揺られながら吉川の兵を連れての久しぶりの帰郷に領民たちも「お帰りなさいませー」と手を振ってくれていた。こうして歓迎してくれることが嬉しい。俺も領民たちに手を振り返しながら少しずつ近づいてくる吉田郡山城を眺めた。
平左衛門(宇喜多就家)はあれから張り付けた笑顔以外にも表情を見せてくれるようになった。仕事以外の話もたまにだがしてくれている。やらかしたつもりだったからめちゃめちゃ嬉しかったんだけど、これって何かの罠とかじゃないよね?
自分で誘っておきながらなんで疑ってんだよとか思いつつもたまに過ってしまう。
こんな疑いを持ってたらきっと態度にも出ちまいそうだ。いかんいかん。誘って自分の懐に抱え込んだからには信じ切ろう。これで裏切られたら俺には抱えきれない男だったというだけの話だ。
でもあの日から平左衛門は積極的に協力をしてくれている。備前国(岡山県東南)は武士の命である、刀の一大産地として有名で当たり前だが腕のいい鍛冶師がいるし、刀を作るための鉄がよく取れる。
それに焼き物に丁度いい土があるらしく備前焼も盛んだった。どうにか安芸国に招けないか平左衛門に相談したら平左衛門の祖父の阿部善定に話を付けてくれ、鍛冶師を連れてきてくれたのだ。
それに鉄もこちらに融通してくれるようになった。流石にいい土があるかどうかは知らないから陶工を呼ぶことは出来なかったがそれでも大助かりだった。
平左衛門には感謝しかない。大事にしたいと思う。こんないい奴の人生を好き勝手にしやがった浦上は絶対にぶっ潰して平左衛門に恩返ししよう。備前で宇喜多再興が叶ったら一緒に酒でも飲めればいいな。もちろん親父には内緒で。
毛利は酒毒で当主が何人も死んでるから酒にはだいぶ厳しい。俺もがぶがぶは飲んでない。一度親父にくどくどと長説教を受けているからこりごりだ。好きなんだけどな、酒。
それに親父って説教長いんだよ。同じこと何度も繰り返し言われる。そんなことを考えていたらいつの間にか城に着いていた。
「新年明けましておめでとう御座います」
筆頭重臣である上野介(志道広良)の掛け声から新年の挨拶がこの評定の間で行われた。この日に限っては各地の毛利家臣が一堂に集まっている。毛利に積極的に協力している備後国人の多賀山、山内、三吉も参加している。こうして見ると毛利も大きくなったのだと実感する。
「皆、明けましておめでとう。昨年は尼子の襲来を見事退け我々は安芸の大名として自立することが許された。尼子ではついに伊予守経久が逝ったらしいとの知らせも座頭衆から届いておる。だが、ここで我々は立ち止まるわけにはいかぬ。尼子が弱っている今のうちに備後の地盤を固め来るべき尼子との戦に備えなければならぬ。皆、百万一心を胸に今年もよろしく頼むぞ」
「ははっ」
「ささやかではあるが祝の席を用意した。皆には英気を養ってもらい今年も励んでもらいたい」
親父の言葉にもあったが年末近くにようやく懸念だった尼子経久がこの世を去った。80まで生きた英雄の死だが毛利にとっては喜ばしいことだ。人の死を喜ぶのは現代的にはかなりアウトだがそれ程に尼子経久の名は大きかった。毛利家中にも安堵の息がそこかしこに漏れている。そこからは皆は宴席の会場へと移動する。
新年の恒例ではあるが親父は家臣たちに自ら酒か餅を振舞う。
家臣たちのもとを回り、酒か餅を選ばせて希望する方を自分の手で注ぐか渡す。これが親父の新年だった。上戸の者には「酒は良い、気晴らしにはもってこいだ」と注いで回り、下戸の者には「儂も酒は苦手だ、人を短気にさせる。さ、餅でも食え」と餅を渡すのだ。
これが毛利家の正月の風物詩となっている。今年は大内から帰ってきて初めての新年会ということもあり兄貴も親父と一緒に家臣たちの元を巡り、俺も元服した身として親父に倣って家臣たちを労った。しかも今年の酒は特別製だ。
何といっても濁っていない。所謂清酒なのだ。
この時代の酒はにごり酒が主流なのだが清酒も一部ではあるが存在していた。どうやら酒蔵で働く人夫が酒蔵の主の嫌がらせに嫌気がさし、嫌がらせの仕返しとばかりに酒壺に灰をぶち込んだそうだ。
だが残念ながら人夫の嫌がらせは失敗に終わるどころか新しい発見を生んでしまったのだ。
酒壺に入っていた酒は灰によって不純物が沈み、美味しい澄んだ酒が生まれた。
そうして生まれた清酒だが、美味しいなら量産しようと兄貴が珍しく主導で始めたのだった。本当に兄貴は金稼ぎには鼻が利く。親父は酒には煩いが銭になるならばと仕方なさそうに了承した。
そういう訳で今は現代でも有名な厳島神社と協力して清酒が量産され始めている。とはいっても原材料は米なのでまだそれほど出回っているわけではないが。
厳島神社では御神酒が作られていて酒の造る環境が整っているので丁度良かったのだ。
ただ、厳島神社は元々尼子寄りの神社だったので当初は難しかった。だが吉田郡山城の戦で尼子が負けたことにより神主の一族が没落。今は大内家臣の杉一族(援軍として一緒に戦った杉隆相の一族)の人間が神主を務めている。そう言った経緯で清酒製造は大内との共同のようになっていた。
この清酒のおかげで大内も毛利も利益を出し始めている。大内も博多を抱えているため商売にはかなり聡い家柄だ。太宰大弐(大内義隆)様もこの件に関してはノリノリだったらしい。こう考えると大内と毛利は史実より結びつきが強くなってる。
そんなわけで新たに振舞われた清酒は毛利家臣にも広く受け入れられた。大内家中でも好評のようだ。これは毛利家の新たな財源になってくれるだろう。俺なんかが関わらなくてもこうして財源が増やされていくのはとてもいいことだ。そもそも俺が相対しているのは皆歴史に名を残してきた人間なのだ。俺程度の人間が何かを成そうとすること自体が傲慢なのかもしれん。
俺はあくまできっかけ程度でいいのだろう。
ま、とはいえ俺も他にも欲しいものがいくつかある。この酒宴が終わったら親父と兄貴に相談しよっと。
一五四二年 毛利安芸守隆元
酒宴の翌日、久しぶりに家族や近臣が集まり話し合いの場が持たれた。私の元には左京亮(赤川元保)が、父上には上野介と三郎右衛門(児玉就忠)、それと弥三郎(宍戸隆家)、次郎には刑部大輔(口羽通良)が控えている。私の傅役の飛騨守(国司元相)は大内家に新年の挨拶に向かっているからこの場にはいない。
この場では近況報告と今年の方針が話し合われる。毛利は尼子に守り勝ったおかげで急激に領地が広がった。備後に派遣された能登守(桂元澄)が上手く備後国人と付き合っていることと、山内が中心となって協力を率先してくれているため特別大きな問題は起きていないが、それでも甘く見られる状況ではない。
敗戦した尼子が徐々に回復の兆しを見せていた。吉田郡山の戦で負け、討死している家の領地で、継げる者がいない土地は直轄地として吸収しているのだ。その結果尼子本家の力は敗北に反して強まっている。むしろこれが狙いだったのではないかと思えるほどに鮮やかな手際だ。近々因幡に派兵して山名が奪われかけている土地を奪い返すつもりのようだ。やはり侮れん。
備中では三村家と庄家の戦いが激しくなってきている。尼子の支援が復活したようで圧されていた庄家が息を吹き返してきている。まだ播磨まではその手を広げてはいないが楽観視できる状況ではなかった。
だが備後の支配を強められたことにより備中の三村家から誼を通じようと使者のやり取りが始まった。三村家が力を増せば尼子を牽制できるため父上は徐々に三村家の支援をすることをこの場で決定された。備中は今後、さながら毛利と尼子の代理戦争のような様相を呈してくることになるのだろう。
他家を盾とするやり方は大内が毛利にしていたことを彷彿とさせるがやむを得ない。まだ毛利には尼子と正面からやり合えるほどの力はないのだ。ならば可能な限り尼子の足を引っ張らなくては。
「私から検討して頂きたい提案があるのですが良いでしょうか」
そんな話し合いが続いていく中、次郎が手を上げて発言の許可を求めてきた。吉川の家を継いでから次郎は公の場では言葉遣いを改めた。一家の主としての自覚が出たのだろう。良い傾向だ。
「またぞろ何か企みが浮かんだか次郎?」
「えー、まあ、そんな所でしょうか」
「うむ、歯切れが悪いの。まあ良い。とりあえずは言うてみよ」
「父上、有難う御座います。それで、私の提案なのですが、新たに財源のタネとして、綿花と茶畑を作れないかと思いまして」
「ほう」
この場にいる何人かから成程といった吐息が漏れる。綿花は何かと利用頻度が高い。だがこの安芸国でそもそも栽培が出来るのだろうか。種は何処から仕入れる?いやそもそも毛利が手を出してはまずいのではないか?
「綿花であれば三河国で栽培されていると聞いたことが御座いますな」
「であれば九郎左衛門(堀立直正)に伝えては如何か?」
「いや、お待ち頂きたい」
三郎右衛門が綿花の在処を提案しそれに対して宍戸弥三郎が商売武士として今も毛利と商人の間を取り持つ男の名を口にした。だが、皆大事なことを忘れている。
私が間に割って入ると皆の視線がこちらに向く。提案した次郎には申し訳ないがこの案は大々的にやるべきではない。
「我等と同盟関係にある大内家のことを忘れてはおらぬか。かの家は明や朝鮮から綿花を輸入しており、もし毛利で綿花の栽培を始めれば大内と競合することになる。次郎の提案、非常に魅力的ではあるが今の段階での栽培は危険が大きいのではないか?」
私の発言に場の空気に苦悶が混じる。木綿が量産できれば確かに毛利に莫大な利益をもたらすがその結果として大内が敵対すれば再び大国二つに囲まれることになる。時期尚早だ。少輔次郎も納得したのか小さく頷く。
「むう、そうか。兄上のご指摘尤もに御座います。私が浅慮でした」
そこに思い至らなかったことにしゅんと表情を曇らせた次郎に小さく首を振る。
「いや、次郎の提案は非常に魅力的だったのは間違いない。だが最低でも尼子を滅ぼす必要があるだろう。まだ我等では地力が足りぬ」
「いや、待て」
今まで場を黙って聞いていた父上が遮るように口を開いた。
「要は売らなければ良いのじゃろう?大内の商売を邪魔しない、我が領内で消費する分だけ栽培すれば目溢しは貰えよう。どうじゃ?」
成程、それなら大内も嫌味ぐらいは言ってくるかもしれぬが煩くは言わないか。
「それなら、太宰大弐様はお許し下さるかと思います」
「大内は大事な同盟国じゃ。気を遣う必要は勿論あろうが、だからと言って我らが好機を逃す必要は無かろう。今の内から栽培できるように準備をし、慣れさせておけばいずれ拡大するときやり易かろう。それに栽培が可能になれば逆に栽培法を教えてやれば恩も売れよう。どうじゃ安芸守?」
そう言って父上はふてぶてしい笑みをニヤリと浮かべた。その図太さが面白くて釣られて私も笑みが浮かんでしまう。
「さすが父上です。感服致しました。御見それ致しましたぞ」
「ははは、そうじゃろう!」
私が必要以上に持ち上げたことが分かったのだろう。父も悪ふざけのように乗っかり胸を張った。方々にも笑い声が上がる。真面目な会話が続いていた場の空気が弛緩する。こういったやり方も学んでいかねば。
「では綿花につきましては三河から取り寄せまする。栽培はどちらで?」
「この吉田の地で行うのが良いじゃろう。目立ちたくないしの。弥三郎の五龍城でも行うか?」
「ははっ、我が宍戸にも噛ませて頂き有難う御座いまする」
「なに、前の戦でも雅楽頭(宍戸元源)殿には世話になったからの。それにうちのじゃじゃ馬娘もおるし、これくらいは当然よ。監督は安芸守がしてくれるか?」
「はい、畏まりました」
こうして綿花についての話はまとまった。次は茶畑であったか。これは上方対策であろうか。だが茶は既に山城国や近江国で栽培されていたはずだ。そうやすやすと苗木が手に入るだろうか。
「それと後は茶畑であったか。これは茶の湯とやらが上方で流行りだしたからか?」
「そうです、なんなら旨い茶をこの安芸から出せれば毛利の名も上がるであろうと」
「うむ、これはすぐに始めても良いかもしれんな。じゃが、育て方は分かるのか?」
「提案したはいいものの育て方はてんで分かりませぬ。実験もしますが苗木と共に茶の職人が欲しい所です」
父上が次郎に提案した理由を尋ねるとやはり畿内への対策のようだ。
だが次郎は相変わらず実験をしようとしている。こればかりは変わらぬようだな。顔に笑みが浮かんでいる。だが次郎が毛利に齎す益は馬鹿にならぬ。好きにさせて私は援助してやればいい。手に入らぬ可能性も含めて提案しておくか。
「京から買うことは出来るでしょうか?大内経由で明からの取寄せも検討するべきでは?」
「ふむ、確かにその可能性がありますな。大内を通して願い出てみたほうが良いかもしれませぬ。せっかくの同盟です。利用しなければ勿体無いですからな」
「相変わらず口が悪いの、左京亮。だがその通りじゃ。両面から検討するべきじゃろうの。だが実際に作られるようになればまた銭が増やせるな。そろそろ安芸領内では常備兵を増やし始めても良いかもしれぬ。一先ず仕入れが出来たら次郎の結果待ちじゃな。思う存分試せ次郎。久々の実験楽しみじゃろう?」
「ふふ、はい、腕が鳴りまする。旨い茶が出来ましたら皆と飲み交わしたいですな」
「ははっ、そうじゃな。では楽しみにしていよう。では次郎。そのように手配せよ。刑部、また調整を頼むぞ」
「ははっ、慣れておりますのでご安心を。私も楽しみに御座る」
そこで場には和やかな空気で満ちた。皆が毛利の豊かさを実感出来てきているからだろう。この調子で更に毛利の力を強めていかなければ。




