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悪事は夜更けにひっそりと



一五四六年  毛利(もうり)右馬頭(うまのかみ)元就(もとなり)



「其方が姿を現すのも久方振りよな」


「御無沙汰しておりまする」


「いや、構わぬ。この場は儂らしかおらん。ゆるりとせよ。茶でも飲むか」


「忝のう御座います」


夜も深まった頃、暗い部屋の中で相対する影にそう声を掛けた。相変わらずの業前よな。世鬼の頭領とはいえ儂の寝室まで誰にも怪しまれずに来れるのだからの。いや、警備をしている兵もそうだが防諜の為の世鬼衆が通しているのだからそれほど難しくもないのか。


近くでぱちぱちと燃えている火鉢が燃えている。この暖かさが手放せぬ時期になった。今年もそろそろ終わりか。

火鉢の淡い光でうっすら影を認識は出来るが相手の顔まではよく見えんの。それも仕方がない。

互いに悪事に手を染めてきたからの。今更顔を見ずとも良いじゃろう、儂と長次郎(世鬼政親(せきまさちか))の関係はの。

置かれた茶釜も程よく湯が沸いたようだ。自らの手で家臣に茶を振舞うのも悪くない。上方の格式ばった物では無いがの。だがしまったの。行灯くらいは灯しておけば良かった。手元が狂いそうじゃ。うむ、零さずに出来たわ。最近は年を感じるわ。


「ほれ、外は寒かろう。共に温まると良かろう。報告はその後じゃ」


「はっ」


畳の上にそっと湯飲みを長次郎の方へ滑らせると長次郎がその湯飲みを手に取ったのが分かった。儂の分も手に取り暫し互いに啜りながら体を温める。安芸国に植えた茶木はまだ茶葉が採れんそうだ。来年には採れるようになるらしいが待ち遠しいの。


「…温まりますな」


「うむ、其方とこうして飲むのも悪くないの。たまには日の下で茶でもどうじゃ」


「ふ、でしたら拙者が隠居した際にでも」


「なんじゃ、隠居を考えておるのか?」


「まさか、まだまだ倅共には負けませぬよ。ですがその時期は近いやもしれませぬ。弥太郎(世鬼政棟(せきまさむね))もそれなりにやるようになりました」


「ほう」


弥太郎は今九州にいる。まずはそちらから話を聞くか。


「聞こう」


「大内領内に噂を広めて参りましたが、どうやら不和は広がって参りました」


「例の家督問題じゃな。三郎(小早川隆景(こばやかわたかかげ))も倅ながらえげつないことを考える物よ。やりおるわ」


次郎(吉川元春(きっかわもとはる))から大内家の末路を聞き、ならばと三郎に宿題を与える意味でそれとなく大内家の内情を伝えてはきたが、三郎はそこで大内親子の不和を狙って噂を流した。上手い事やるわ。やはりこの手の話は三郎が一歩先んじておるの。

大内家の親子仲は悪くなかったが上手いこと火種を作りおったわ。


「流石は御隠居様の御子息で…」


「止めい、褒めても何も出ぬわ」


ふふふ、と互いに低い笑い声が出る。だが息子の成長は何よりも嬉しいの。しかもそれぞれが違う成長を見せている。太郎(毛利隆元(もうりたかもと))は内政に明るく新たに手に入れた出雲と伯耆も掌握しつつある。旧尼子家臣との関係も悪くないようじゃ。

しかも人柄故か太郎は人心を得やすい。誠実な人柄が受け入れられやすいのであろうな。この点においては既に太郎は儂を上回っているであろう。儂のように謀略の匂いがしないのもその点に拍車をかけている。


次郎も伯耆を任せたのが良かったの。儂や太郎に許可を求めてはくるが伯耆を好きに出来るようになったからか発展が目覚ましい。軍もかなり厳しく鍛えておるようじゃし更に精強となっているだろうな。次郎自身も身が軽いからの。伯耆を西に東に動き回っているようじゃ。嫁を貰ったのだから落ち着けば良いが…、いや、次郎は無理じゃな。

あ奴自身それを楽しんでおるのじゃ。やはり次郎は好きにやらせて正解じゃ。


しかも次郎には武士らしい自尊心が抜けておるからの。山名に簡単に頭を下げて上手く矛先を逸らした様じゃし。普通であれば家臣の誰かしらが主の態度に不満を持ってもおかしくは無いのだがの。その辺は家臣達も理解しておるらしい。まあ、舐められて攻撃を加えてきたら思う壺とでも思っておるのじゃろうな。次郎の下にいる者たちは良くも悪くも次郎に思考が似てしまって困るわ。

じゃがこのまま東の守りは次郎に任せてしまえれば上々吉じゃな。この辺は太郎とすり合わせが必要じゃろうの。


三郎はやはり根が儂に近い。今回の大内家の不和をここまで煽ったのは三郎じゃ。しかも三郎は謀略で人を陥れてもそれを痛痒に感じぬ図太さがある。それもいい。儂がいる間は悪名は儂が被ればよい。今は三郎に謀略の腕を磨かせてやれば問題ない。

三郎は儂亡き後、太郎の代わりに手を汚すことを何とも思わぬだろうな。三人の仲が悪ければ詰んでしまうがこの戦国時代には稀なほど倅たちの中は良好じゃ。次代に不安は無いの。後はこれから生まれてくる子や孫がどうなるかじゃが。それは追々じゃな。


「大内家中の状況は?」


「このまま九州の覇権を大内家で取りたい尾張守(陶隆房(すえたかふさ))と、跡継ぎとしての実績をを固めたい周防介(すおうのすけ)大内晴持(おおうちはるもち))を中心とした派閥が太宰大弐(大内義隆(おおうちよしたか))に何度も大友家討伐を願い出ているようですが聞き入れられず苛立っております。そこに家督問題の噂がいつまでも消えずに領内に広がっているため最初は笑って聞き流していた周防介も義父である太宰大弐との齟齬が出て来ているようです」


「ふふ、悪くないの。実際、太宰大弐様は生まれた子に家督を継がせたいと言った話はされておるのか?」


「太宰大弐様自身は今も周防介様へ家督を継がせる気でいるようですが、太宰大弐様の側近には生まれた亀童丸様に家督をという話が出ることも少なくないようです」


「そうか、周防介様は失敗したの。尾張守に近付くのではなく文治派の側近に近ければ少なくとも太宰大弐様との齟齬は生まれなかっただろうにの」


「それはなかなか。御隠居様とて分かっておられましょう」


「ふふ、まぁの」


無理であろうな。陶家は大内家の中でも重臣中の重臣。武断派の中でも最も力のある男だ。太宰大弐様に気に入られているとはいえ文治派よりも力があるのは武断派よ。文治派に近付けば武断派にそっぽを向かれてしまう。それでは家督を継いでも上手く纏められぬだろう。


「大内家の派閥は今どのように割れているか分かるか?」


「今判明している限りでは周防介派は主に陶家、問田家、弘中家、天野家、益田家。太宰大弐派は冷泉家、杉家、相良家、吉見家等になります。ですが各家の中でもどちらに付くか分かれているため詳細は今少し時間を頂きたく存じます」


「分かった。もう少し詳細は知りたい。そこまで急いではおらんが確認しておいてくれ。だが内藤家は如何した?」


内藤家は大内家中でも陶家に並ぶ大家じゃ。内藤家の動き次第ではまだどちらに転ぶか分からん。


「それが…」


珍しいの。長次郎が歯切れ悪くなるとは。何か嫌な報告でもあるのか?


「構わぬ長次郎。今更其方の報告で動揺するような生き方はしてきておらん。構わず申せ」


儂の言葉で多少気が軽くはなったのか、それでも言いづらそうに長次郎が言葉を重ねる。


「…は。内藤家には安芸守様の手が入っているかもしれませぬ。安芸守様がこの謀に勘付かれたのやもしれませぬ」


「…何?太郎の?」


「はっ」


どういうことだ?何故太郎が気付いたのだろう。もう少し策が形を成すまでは太郎には秘しておくつもりであったが、何故察した?かなり慎重に進めてきたつもりなのじゃが。

…いや、あの倅も大内家の話を聞き独自に調べておっても不思議ではない。太郎は商人たちを使って情報を仕入れるのが上手いからの。その線から大内家の動向を知ったのかもしれん。

それに儂を近くで見ていたのだ。大内家の流れから儂を感じておっても不思議ではない。好まぬだけで謀自体の有用性を太郎は認めているのだ。なればその辺に鼻を利かせているのかもしれん。自然と笑みが零れた。


「ふふ、太郎もやるようになったではないか。頼もしい。…それで、太郎は謀を壊そうとしているのか?」


「それは御座いませぬ。ですが下野守(しもつけのかみ)内藤興盛(ないとうおきもり))に大内家の内情を確認し、仲裁した方が良いのではと打診しているようで御座います」


「成程の。嫁の家であれば話も聞きやすいと。それで、下野守の反応は?」


「迷っているようですな。下野守の気持ち的には周防介を推したいようではありますが、何せ安芸守様は下野守のお気に入りの婿殿だと言って憚りませぬので」


「下野守も武で鳴らした男だからの。領土拡大に消極的な太宰大弐様に不満はあろう。だが太郎に言われると弱いか」


「そのようで」


下野守が太郎の心配を聞いてどう思うかの?家中のいざこざ等、他国に知られたくない情報であろう。それを同盟国である毛利家の当主が知っている。

気味悪さは感じているかもしれんが、少なくとも儂が裏で動いているとはいえいい隠れ蓑になるのではないか?わざわざ毛利家の当主が心配してきているのだ。

大内家も馬鹿ではない。多少なりとも謀略の線を疑っている者もいよう。だが太郎は恐らく純粋に心配して下野守に問い合わせたはずだ。その段階で毛利家への疑いは薄くなるかもしれん。


「よし、その噂、豊後にもばら撒くことは出来るか?」


「豊後で御座いますか?」


「うむ」


長次郎が少し考える様に無言になる。だが儂の考えを察したのだろう。小さく笑う声が聞こえた。


「成程、ふふ、殿もお人が悪い。豊後に謀略の罪を擦り付けるのですな」


「流石の長次郎よ。儂の考えを理解するのが早いわ」


「それは長いお付き合いで御座います故」


「出来るか?」


「直ちに弥太郎へ伝えておきましょう。上手くいけば大内家と大友家の和睦も早々に破綻致しましょうな。その時、太宰大弐様は武断派を抑えようとなさるでしょう。抑えられた武断派の不満は更に膨れ上がりましょうな。流石は右馬頭様に御座いまする」


「上手くいけば良いが、謀などというものは失敗すること前提じゃ。なればこそいくつもいくつも矢を放たねばならん。太郎が謀らずもいい隠れ蓑を用意してくれた。世鬼衆も気取られぬ様にせよ」


長次郎が小さく頷く。そこで思い出したように疑問を投げかけてきた。


「角都殿は既に?」


「上手く太宰大弐様の屋敷に呼ばれるようになったようじゃ」


「やりますな。流石は角都殿。ですが安芸守様は如何なされますか?」


この謀が失敗しても角都を動かせる。角都も上手く太宰大弐様に取り入るであろう。それにしても太郎か…。


「太郎には儂から話す。世鬼衆はこのまま九州を頼む」


「畏まりまして御座います。では、拙者はそろそろ」


「待て、長次郎」


「何か?」


長次郎が音もなく去る前に引き止める。長次郎はまだ居てくれたようですぐに返事が返ってきた。


「次郎からの伝言じゃ。次郎の婚儀にはお主等も参加して欲しいとな」


「はっ?いや、ですが…」


思い掛けない言葉だったのだろう。珍しく長次郎が返事に困っている。思わず笑いそうになるわ。だが長次郎が狼狽えるのも分かる。堺での一件で与次郎(世鬼政時(せきまさとき))が鉢屋衆の策に踊らされて危うく次郎が死にかけておるからの。責任を感じているのだろう。当時は与次郎が責任を感じて腹を切るとまで言っておったくらいじゃ。

じゃが次郎がこうして生き延びたのは戻ってきた与次郎が素早く対処してくれたおかげでもある。それに次郎自身が世鬼衆に対して自分が隙を見せたせいで世鬼衆に泥を塗ったと謝っているくらいだ。

今回の婚礼の儀に参加して欲しいというのは次郎から世鬼衆に対しての礼でもあるのだ。


「出てやってくれないか、長次郎。其方たちの立場は分かる。顔が出れば動きにくくなることを恐れているのもな。変装しても構わぬ。与次郎は自身を責め続けているのであろう?許す機会を与えてやってはくれぬか?」


見えるかは分からぬが長次郎に対して『頼む』と頭を下げた。誰かに見られている訳でもない。長年毛利家の影として世鬼衆は称賛を得られぬ多大な貢献をしてきてくれたのだ。頭を下げるに足る大事な家臣よ。

気配の薄らいでいた長次郎が再び腰を下ろしたのが分かった。


「毛利家の方々は我等に対し過分が過ぎまする…。目出度い場への出席が許されたこと、我等親子、有り難くお受け致します」


「そうか、受けてくれるか。次郎も喜ぼう」


全く、声を震わせおって。いい加減謙遜は止めてもらいたいのじゃがの。にじり寄りすぐ側にある影の肩に手を乗せる。


「これからも頼むぞ、長次郎」




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