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正月

皆様、明けましておめでとうございます!今年も百万一心の先駆けをよろしくお願い致します。



一五四六年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



尼子との戦も終わりようやっと年が明けた。なかなか去年も濃い一年だった。死にかけたしな。こうして無事に生き延びることが出来たことが純粋に嬉しい。

今日は家臣達も吉田郡山城に集まり正月を祝う事になっている。毎年恒例だな。


ただいつもと違うのは新年を祝う前に家督が兄貴(毛利隆元(もうりたかもと))に相続されることが正式に発表されたことだ。

親兄弟が骨肉の争いをすることも珍しくない今の時代じゃすんなりと家督を継承出来るだけでも祝い事になる。家臣達には事前に話を回しているため混乱もなく親父(毛利元就(もうりもとなり))と兄貴に改めて皆で忠誠を誓った。起請文も既に提出されている。

幕府や朝廷、大内家なんかにもこの報せは行っているだろう。


これで今後は基本的に兄貴が毛利家の当主として動くことになるだろう。とはいえ親父も隠居するわけじゃないから二頭体制で動くことになる。

二頭体制の弊害は一番上に二人がいることだ。どちらが優先されるかでもめる可能性がある訳だがうちは大丈夫だろうか。

親父と兄貴は基本的な部分、毛利の本領である安芸の国を豊かにするという部分は同じだが、やり方や考え方は随分違う。兄貴は基本的に融和路線。親父はなりふり構わずという面が強い。とはいえ親父は兄貴の考えを尊重することが多い。余程のことがない限り二人の仲が裂けることはないだろう。


兄貴と親父が上座に座り新年の挨拶が行われた。そこからは宴席のスタートだ。場が一気に賑やかになった。


去年の正月は堺で生死の境を彷徨っていたから参加出来ていないが年々豪勢になっていく。かと思いきやそんなことは全然なかった。基本的に毛利家は仕方ないにせよ、ほぼ毎年のように戦をしていたせいだ。そこに尼子との戦でだいぶ無茶をしたためそれほど豪勢さはない。特別変化が無いのも仕方ないか、随分と金も使ったからな。

飢饉にさえならなけりゃ来年位から豪勢になるだろう。


代わりに参加者の数が増えている。安芸衆に備後衆。それに去年、毛利は尼子を下しその勢力を飲み込むことに成功したため尼子の下にいた出雲や伯耆の国人衆に重臣たちも何人か顔を出している。

月山富田城を守っていた宇山(うやま)飛騨守(ひだのかみ)久兼(ひさかね)に内応していた三刀屋(みとや)新四郎(しんしろう)孝扶(たかすけ)、赤名峠の戦で負けて降伏した赤穴(あかな)備中守(びっちゅうのかみ)光清(みつきよ)だったかな。他にも何人か旧尼子の家臣の姿が大広間にある。

とはいえつい最近まで戦をしていた仲だ。今すぐ打ち解けられる様な仲ではないだろう。そこはかとなくピリッとした空気が流れている。


尼子旧臣の対応は主に兄貴がしている。今も毛利家恒例の餅配りと酒配りの最中だ。兄貴に対しては尼子の家臣も僅かながら笑みが浮かぶ。旧尼子家臣にとって兄貴は庇護者だからな。


というのも仇敵尼子に対して親父は厳しい沙汰を下そうとしていた。領地を削る、追放も視野に入れたものだった。長年苦しめられてきたからなるべく力を削ごうとしたわけだ。だが兄貴がそれを止めて温情をと親父に願い出た。親子で激しい口論となったが最終的に親父が折れた。

おかげで尼子家臣達には特に咎め立てされる事無く毛利家に仕えることが出来るようになったわけだ。それに対して尼子家臣は兄貴に感謝しているそうだ。




まあ全部マッチポンプなんですけどね。

ぶっちゃけ厳しい沙汰、領地削減に追放、斬首なんてのを出したりすればただでさえうちに不満を持ってる旧尼子家臣が更に不満を溜めて反乱分子に、なんてなりかねないのは親父にも分かっていた。領地を弄るのも今しちゃ拙い位だ。わざわざ内側に招いた存在を敵をするべきじゃない。だからわざと親父は処罰を口にして兄貴にそれを止めさせるという事をしてのけた。わざと兄貴へ感謝を持たせるために利用したのだ。


兄貴はこの正月が明けたら出雲に行くことが決定している。その為の下地作りってわけだな。攻略したばかりの領地を嫡男に任せるのって大丈夫なんだろうか?兄貴なら大丈夫って気もするし史実で不審死してるから不安な部分もある。

ただ既に毛利家では決定事項だから俺が口出し出来るもんでもないんだよな。そもそも言い出したのが兄貴らしいから俺がいくら言っても兄貴は折れないだろう。案外兄貴は頑固だ。まったく史実の兄貴が霞むほどだよ。


それに結局尼子の当主一族も救う羽目になってる訳だし。本当に大丈夫なんかな。

尼子家の印象って俺からすると尼子家再興のために不撓不屈の精神で死ぬまで挑み続けるって印象だから不安しかない。

まあ、史実とは流れが完全に違うしそもそも再興軍を率いていた尼子勝久は確か尼子誠久の子供だったはずだ。その尼子誠久は普通に生きてるし史実通りにはならないだろうけど。

史実を知っているからそう思っちゃうだけかな。どちらにしても今俺が出来ることはせいぜい吉川軍を大きく強くするだけだ。実際に尼子再興軍がこの時代に起きても対応できるようにしておけばいい。切り替えよう。


残念なのは山中家の当主、三河守(みかわのかみ)山中満幸(やまなかみつゆき))は最期まで赤名峠で抵抗していたらしく討ち死にしたと後で聞いたことだ。

会ったことはない。ただ命を懸けて忠義を尽くしたその姿は敵とはいえ尊敬に値する。戦だから仕方ないにしても死なないで欲しかったな。

現在の山中家は嫡男が甚太郎(じんたろう)幸高(ゆきたか)と名乗り家督を継いで、三河守の弟の甚次郎(じんじろう)直幸(なおゆき)が後見として新たに立て直そうとしている。まだ七~八歳位だ。どうしたって助けがいる。兄貴がこの辺も手当てしてくれるんだろう。

そういや尼子再興軍の中心でもある山中鹿助幸盛は既に生まれてるんだろうか。この辺は良く分からんな。まあ、生まれてたとしても史実のようになるかは分からないし心配しても仕方ないか。



出雲衆が大人しいのは元君主である尼子詮久は殺されること無く生きているおかげでもある。憎悪が籠っているという訳では無い。今も距離を掴み損ねているという感じか。これは共に政務に励み戦っていけば少しずつ解消していくだろう。


出雲衆とは対照的に伯耆衆はこちらへの接触に積極的だ。これは内応してくれた南条(なんじょう)豊後守(ぶんごのかみ)国清(くにきよ)のおかげだろう。戦の最中は会うことが出来なかったが戦の後に挨拶をした。中々渋めのイケおじって感じだな。愛想も良かった。

ただ時折尼子勢を見る時に見せる表情にはただならぬ気配が混じる。ただの愛想の良いおっちゃんな訳ないか。今も心中では毛利に対してどんな感情を持ってるか。心して掛からんと。

俺もそろそろ餅配りと酒配りするか。伯耆衆を歓待しないとな。


酒の入った陶器の瓶と餅の入った巾着袋を持ってゆっくり立ち上がる。勘助(山本春幸(やまもとはるゆき))は陪臣だからこの場にいないんだよな。ちょっと心細い。


最初はやっぱり豊後守だ。

俺が近付いていくと豊後守はすぐに気付いたのか笑顔を浮かべてくれる。やっぱり愛想がいい。気持ちいい笑顔だ。


「おぉ!これは少輔次郎様!明けましておめでとう御座りまする。いやあ、我々には()()()少輔次郎様が歓待して下さるのですか。いつ来て下さるのかと楽しみにしていましたぞ」


「?明けましておめでとう御座る、豊後守殿。遅くなってしまい申し訳ない。少し考え事に夢中になってしまいました。楽しんでおられますか?」


一応毛利一族の人間ではあるが俺も毛利家の家臣の一人だ。毛利に下ったばかりの他国の国人衆には気を遣う。普段の口調では失礼になるから余所行き口調にしないと。それにしてもやはりってなんだ?


「あぁ、そのような堅苦しい話し方は私共にはされずとも構いませぬ。既に殿から話は聞いておりますのでな」


「いやいや、まだまだ若輩の身。失礼を働きたくは御座いませぬ」


「?そうで御座いますか?まあ、少輔次郎様がそう仰るのであれば。おぉ、少輔次郎様が両手に持っているのは例の毛利家正月で恒例と言われるもので?」


「豊後守殿は良くご存じに御座いますな」


「噂で聞いたことが御座います。酒を飲める者には酒を振舞い、酒を飲めぬ者には餅を振舞うと」


「そのような噂が他国にも流れておりますか。如何にもその噂の物に御座います。さ、どちらに致しますか?」


毛利家の正月恒例行事は既に噂になっているのか。変なものが噂になってるな。でも確かに変わってるか?他国の正月がどんなものか知らんから差が分かんねぇな。それよりも、二つを相手に選ばせるように酒と餅を持つ両手を豊後守に差し出す。餅はいつもの餅だが酒は澄酒だ。


「では澄酒を頂きたく」


「酒は気持ち良くさせてくれますからな。さ、どうぞ」


「ありがたく」


酒を選んだ豊後守に酒を注ぐ。注ぎ終わるとそれを一息に豊後守は飲み干した。言い飲みっぷりだ。飲み終わった後の嬉しそうな笑顔もいい。


「ははっ、戦の後にこのような澄んだ酒が飲めるなんて思いもよらず、さすが強勢を誇る毛利家ですな。ありがとうございます」


「これから伯耆国も毛利家と共に強勢を誇っていければ幸いです。今年もよろしくお願い致します」


「こちらこそよろしくお願い致します」


こんな調子で伯耆国衆達にも餅や酒を振舞っていく。

普段話せない人とこうして挨拶がてら話をするのは結構楽しい。伯耆国衆も内心どうあれ表向きは友好的だった。親父は三郎(小早川隆景(こばやかわたかかげ))と一緒に安芸と備後の国衆を回ってる。ここにいる連中はほぼほぼ回り終わったな。

俺達が挨拶を終える頃におおよそ正月の宴席も終わりになる。それぞれが席を立ちそれぞれの屋敷に戻っていく。俺は兄貴の部屋へと行くかな。親父たちとも話したいし。


皆が出ていくのを見送ってから俺も廊下に出ると勘助が待っていてくれた。権兵衛(佐東金時(さとうきんとき))も一緒だ。二人とも廊下だと寒いだろうに。わざわざ片膝を付いて待たなくても、とは言えないんだよな。俺と目が合うと勘助は小さく頭を下げた。すぐに駆け寄って勘助を立たせてやる。


「待たせちまったな勘助。ほら、寒いと足が痛むんだろ。権兵衛、立つの手伝ってやれ」


「いや、次郎様お気を回さず!」


「いいんだよ、俺と勘助の仲だ。な、権兵衛も気にしてないだろ?」


「んだ、勘助様の為ならいくらでも手を貸しますだよ」


「…忝い。権兵衛もすまんな」


そう言って勘助はゆっくりと立ち上がった。身分てこういう時不便だよな。気軽に手伝いたくても相手に遠慮されちまう。

勘助が立ち上がるのを確認してから兄貴の部屋へ歩き出すと後ろから『少輔次郎様!』と俺を呼ぶ声があった。振り返ると豊後守だった。


「豊後守殿、如何なされた?何か忘れものですか?」


「いやなに、国に帰る前にご挨拶をしておこうと思いましてな」


そんなことをわざわざ言いに?俺に?さっき俺が酒を注いで回ったからかな。なんて律儀な。ちょっと嬉しい。


「これは、そのようにお気に為さらずとも良かったのに。南条家の方々にはこれから頼りとさせて頂きます。これからよろしくお願い致しまする」



「ははっ、それはこちらとて同じ事。これからもよろしくお願い致します。それも()()()に」


「末永く?」


「はい、末永く」


なんだ、この言い回し?てかさっきの宴席の時からちょいちょいなんか言い回しが気になるんだけど。

俺が良く分からなそうな顔をしていたのだろう。豊後守も不思議そうにこちらを見ている。二人で首を傾げる。話が噛みあってないな。


「おや、殿からは何もお聞きになられてはおりませぬか?」


「んー、いや、何も聞いてません。どういう事です?」


「ほう…」


豊後守は親父から何か聞いたってことか?訳知り顔でふむふむと一人納得している豊後守は直ににやりと悪戯な笑みを浮かべる。


「な、なんですか…」


「ふふ、成程成程、であるならば私の口からはこれ以上は言えませぬな。少輔次郎様も直に分かりましょう。驚く顔が見れぬのは残念至極に御座いますな。さ、他の者たちも待っております。お次に行ってくださいませ」


「いや、気になるではありませんか!」


「いやいや、私からは。ではまた。近いうちにお会い出来るのを楽しみにしておりますぞ。はっはっは!」


俺の疑問は解けることなく引き留めようとしたが暖簾に腕押しとばかりに楽しそうに笑いながら去っていってしまった。


「ったく。なんなんだよ。どういう意味だ」


「それよりも豊後守の態度の方が私は気に入りません。吉川家に養子入りされたとはいえ毛利家の御一門である次郎様に初対面であのような態度とは失礼では御座いませんか?」


俺は豊後守の謎かけが何かを勘助に聞きたかったのだが、当の勘助は豊後守の態度にご立腹だった。本気ではないだろうが勘助が怒っているのを見るのは新鮮だ。なんだか可笑しくなってくる。


「ははっ、まあまあ、俺がああいう態度が好きなのを豊後守は知ってたんだろう、きっと。だからそんな怒んなって勘助。この後上野介(志道広良)と戦談議に花を咲かせるんだろう?それに年明け早々イライラしてもいいことないぞ?」


「うっ、それは、そうですが…」


憤慨していた勘助が上野介とこれから会うのを密かに楽しみにしていたのは知っている。上野介にたまにはゆっくり話でもどうかと誘われていたからこうして俺に付いてきたのだ。みるみる機嫌が直っていく。


「さ、そろそろ俺達も行くぞ勘助」


「はっ、参りましょう」


三人で廊下を歩いていく。それにしても豊後守は何が言いたかったんだろう。豊後守は嫌がった素振りを見せなかったから悪い話じゃないんだろうけど。親父に呼び出されてる訳だしそこで聞くとするか。でもなんか嫌な予感がする。






この後、俺は兄貴に紐づいて伯耆国に行くことが告げられる。





【新登場人物】


山中甚太郎幸高  1538年生。山中満幸の嫡男。山中鹿助の兄。病弱なため伯父の直幸を後見に山中家の家督を継ぐ。-8歳


山中甚次郎幸直  1522年生。山中満幸も弟。放浪の旅をしていたが兄の死に際し、甥の幸高の後見のため帰順。+8歳



ありがたいことにこれで100話目になりました。ここまで長く続けられたのも皆様からの応援があったからです。本当にありがとうございます。

長く続けていけるように頑張りますので応援し、一緒に盛り上げて頂けたら嬉しいです。これからもよろしくお願い致します!


次回も土曜日に更新予定です。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 内藤豊後守の口ぶりから邪推すると、縁戚になるような婚姻が決まっている?
[一言] あけましておめでとうございますm(_ _)m 元日からアップしていただき ありがとうございます。
[一言] 100話達成おめでとうございます♪ 新年から吉川くんと権兵衛の元気な姿にホッコリ。。
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