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セルマが居なくなった!(ウィルフレッドside)

 俺は廊下を走る。すれ違う使用人たちが怪訝そうな顔をするが、知ったことではない。


 そうして走って、走って──セルマの部屋だとされている所へ辿り着いた。

 嫌な予感を胸に秘めながら、ドキドキと止まらない心臓の鼓動のもと、ドアノブに手をかける。


 鍵は──かかっていなかった。

 そのままキィ……と音を立てながら開く。


「……ああ……!」


 俺はその場にへたり込んだ。

 部屋の中を見れば、全てが。彼女が過ごしていた痕跡のすべてが、無くなっていたからである。

 当然、セルマの姿もない。


「……父上に、話を聞かなければ……!」


 俺はゆっくりと立ち上がり、ふらふらとした足取りで父上の執務室へと向かう。

 どうせ返ってくる答えは分かり切っているのに──どうしても俺は、向かわずにはいられなかった。



 *



「ちち、うえ……」

「ん……? 何だウィルフレッド。お前は謹慎中のはずだろう。勝手に部屋を抜けてここに来るとは……」


 父上の様子は、いたって普通だった。

 もしかして知らないのか? と一瞬考えたが、「いや、あのセルマが父上に何も言わずに居なくなるとは思えない」と思った。そういう義理は嫌でも通す人種だろう、あれは。


「さっさと部屋に帰れ。話すことなど何もない」

「待って、ください……。セルマが、居なくなったんです……!」

「…………」


 黙ってじっ、と俺を見つめる父上。


「セルマが、どこにも居なくて。まるで消えてしまったかのような……。部屋にも荷物がなくて……。ねえ父上、父上はご存知なんでしょう?! セルマがどこに居るのか!」

「……知らん」

「そんな、教えてください父上! そのためなら俺は何だって──!」

「だから、知らんと言っているのだ! しつこいぞ!!」


 ガッ!! と威嚇するような父上の姿に俺は少し怯んでしまった。

 大人しく黙った俺を見ながら父上は静かに呟く。


「……彼女は、私たちに別れの挨拶をしたが……、行先は教えてはくれなかった。だから、追いかけることなど不可能だぞ、ウィルフレッド」


 やはり。セルマは父上たちに最後の挨拶をしていたのだ! 俺を差しおいて!

 ……普通に考えれば挨拶などできるはずがないとわかるのに、今の俺の脳内は、「彼女に置いて行かれた」ということでいっぱいだった。


 番であるセルマがとうとう、自分の傍から逃げ出した。

 ああ、そうだ。逃げたのなら、捕まえなければ──。


「きっと、国に帰ったんですよね。俺、今から行って探してきます」

「ならん! お前は今謹慎中だと言っただろう! 大人しく部屋で、自らの行為を後悔し、反省しなさい!」


 父上にそう怒鳴られても、俺の意識はセルマの姿を探すことにしか行っていなかった。

 そんな俺を見ながら、父上がはぁーっ、とため息をついて言う。


「……ちなみにだが。ヴィオラの言っていた話は、全て噓だったことが判明したぞ」

「……、……え」


 父上の方を振り返る。


「ヴィオラ自身はいまだ認めてはないがな。ヴィオラ付きの使用人達に聞いたら一発でわかった」

「…………」

「セルマ嬢がヴィオラに茶をひっかけたのも嘘だ。セルマ嬢の証言通り、自分で頭から茶をぶっかけたらしい。セルマ嬢がヴィオラを虐めているという状況を作り上げるためにな」

「……そんな……」

「窃盗疑惑も本当だった。ヴィオラの部屋を隅々まで調べた結果、我々がセルマ嬢に与えた装飾類が大量に出てきたよ」


 父上の言葉に、俺は身体から力が抜けてその場にへたり込んだ。


 ──嘘、だった?


 今までセルマがヴィオラにしたとされる酷い行動の数々が、全て、嘘?

 逆に、ヴィオラがセルマを陥れようとしてやったことだって?


(……薄々、気が付いていたんじゃないのか)


 脳内でもう一人の自分が囁きかけてくる。


(部屋の中で、散々自問自答したのだろう。その時に、もう察しがついていたんじゃないのか?)


 ……そうだ。俺は謹慎中の部屋の中で、考えに考え抜いて、そして、とある答えに辿り着いていたはず。

 だが、他の誰でもない俺自身が、それを認めたくなかった──だから、見ないふりをし続けていた。


 けれども、ここまで来てしまえば、もう知らなかったじゃあ済まされない。


「じゃあ……セルマは、何も悪くなかった……?」


 うわごとのように呟く。


「何も悪くないセルマに、俺は一体、今まで、何を……?」


 ──今まで。

 何一つ悪いことなどしていなかった彼女に、俺は何をした?


 冷たい態度を取って、彼女の誘いも全て蹴って、何においてもヴィオラを一番として生活してきていた。

 彼女はただある日「番だ」と言われて、ここに連れてこられただけなのに──。


 しかも、極めつけには。

 何もしていない彼女の頬をはたいて、部屋に閉じ込めるよう、使用人に言いつけた。


 あの時の彼女は、一体、どんな表情をしていたのだろうか。


「……今更悔いても仕方がない。セルマ嬢は、行ってしまった。お前が関われることなど、これからは永遠にないよ」


 静かに父上が言う。

 確かにその通りだ。普通に考えれば、もう俺がセルマに会える権利など、どこにもない。


 それでも、俺は食い下がった。


「どうかお願いします! 少しでいいんです、セルマがどこへ行ったか、情報をくれませんか?!」


 みっともなく父上の腰にしがみついて、子供みたいに喚いた。

 父上はそれを鬱陶しそうに払おうとする。


「ええい! しつこいぞ、お前は!! 大体、今更何なのだ、あれだけセルマ嬢に酷い扱いをしておきながら!!」

「それは反省しています。こんなの、虫が良すぎるだけだって分かってる。でも……っ、どうしても、この胸に空いたものを堪えきれないんです!!」


 セルマとの番関係が無くなった今。俺の胸にはぽっかりと穴が開いていて、それが無性に寂しさを覚えさせていた。

 きっと、番を失った喪失感なのだろう……。失えばこんなにつらい痛みが待っているとは知らずに、今の今まで俺はなんて愚かなことをしてきたのだろう。


 この胸に空いた穴を埋めたい。寂しい、つらい。耐えられない。


 今の俺の頭はそんなのでいっぱいで。この喪失感を、早く無くしたくて。


 でも父上はそんな俺の身体を無理矢理退かして、冷え切った表情で言う。


「すべてはお前の自業自得だ。お前にセルマ嬢と会う権利などない。部屋で大人しくしているがいい」


 ……とりつく島もなかった。


 謹慎を言い渡された時のように、ずるずると使用人に引っ張られながら、部屋を出ていく。


「父上っ、お願いです……! お願いします、セルマの情報を……!」

「くどい。知らん」


 最後まで、父上は冷たい表情のままそう言い放った。



 *



「──ねえ! ウィルフレッド!!」


 部屋の中に居たら、ヴィオラが突然やってきて、俺の名前を大きな声で呼んだ。

 何事かと思い体を起こす。


「聞いてよ! お継父様が私のことを修道院に入れるって!!」

「……修道院?」

「セルマさんに酷いことしたからって……、このお屋敷から、追い出すっていうの!! ねえ、何とかしてよ!!」


 ぎゅっと抱き着いてくるヴィオラ。

 前はそれだけで天にも昇る心地だったのに、今じゃ何にも嬉しくない。

 だってこの女は、セルマじゃないから。

 俺の胸に空いた穴を埋めてくれる存在じゃないから。


「……ヴィオラ、離れてくれ」

「えっ……」


 ヴィオラを自分の身体から離す。ひどく驚いた様子の彼女が瞳に映った。


「……実際、酷いことをしたのは確かだろう? セルマから装飾品を盗んだり、セルマにお茶をかけられたって嘘の宣言をしたり……。悪いのは君だよ」

「そんな! ちょっとした出来心だったのよ、私とウィルフレッドの間をうろちょろするから!!」

「……出来心?」

「そう!! ただの、ちょっとした悪戯じゃない!! それなのに、お前は修道院に行って罪を清めてこいだなんて……!」


 そんなちょっとした悪戯、出来心のために。

 セルマは傷ついたのか。

 俺は、こんな女に踊らされて、何よりも大切な人を失ったのか。


「ねえ、ウィルフレッド! ウィルフレッドからお父様に言ってちょうだい! ヴィオラは修道院になんか行く必要ありませんって──」

「──ああ、もう。うるさいっ!!」

「……、……え、?」


 その高い声を聞いているとイライラしてくるのだ。

 嫌でも己の過ちを思い知らされるから。


「全部全部、君のせいだろう?! 君が俺を騙したからいけないんじゃないか!!」

「え……ウィ、ウィルフレッド? どうしたの……なんでそんなに怒っているの?」


 何にも分かっていないヴィオラの姿にまた苛立ちが走る。

 もうどうなってもいいや。この際だ、全部ぶちまけてしまおう。


「君が居なければ、俺はセルマを素直に愛することができた! 彼女にあんな態度取らなくてもよかったのに……!」

「ちょ、ちょっと! それも私のせいだって言うの?! それはあなたが選んできたことじゃない!」


 ああそうだよ。俺が勝手にヴィオラを好きになって、勝手に一番にして、それを脅かそうとしてくる立場のセルマを疎んだだけだ。

 だが、今はそんなことに構っていられない。セルマの居た穴が寂しくて、痛くて──正常な判断が追い付いていないのだ。


「うるさい!! この嘘つき女!! 二度と俺の前に姿を現すな、修道院にでも何でも入ってこい!!」


 そう言って、バタン!! と扉を閉めた。

 扉の向こうではまだヴィオラが叫んでいるような気がするが、そんなものはどうだっていい。


「……はぁ……」


 ずるずると、扉を背にしながらその場に座り込む。

 さっき叫んだからだろうか? やけに体が重く、しんどい感じがした。


「……セルマ……」


 黒い髪の彼女。いつも必死に俺を追いかけてくれていた、健気なあの子。

 待っていてくれ。もう、目が覚めたから。

 もう他の女になんか目もくれないから──。


「──げほっ、ごほっ」


 やはり、先ほど叫んだ弊害が出てきたらしい。その後は、やたらと咳が止まらなかった。



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