竜人族との番の解消
あれから。
私は部屋に閉じ込められて、「謹慎処分」を受けることになった。
そんなのご当主夫妻が許さないと思うけど……生憎とお二人は仕事で家を空けている状態。彼らの独壇場というわけだ。
外から鍵がかけられて、お手洗いやお風呂に行く時だけしか部屋を出ることは許されない。傍についててくれるのはララだけだった。
ララも私についてくれているから、この監禁状態に一緒になっているようなものなんだけれど……、彼女は「いいんですよ」とふわっとした笑みで言ってくれている。
私は情けなくて涙が出そうだった。
あの日──。
ウィルフレッド様に怒鳴られながら、頬を叩かれた、あの瞬間。
今まで私の培ってきた色んなものが壊れていく音がした。
今まで、どれだけ辛い思いをしても破れなかった一本の線──それが、ぶちりと破れた音がしたのだ。
つまり、なんていうか、……簡単に言えば、もう、限界。
彼らと一緒に居るのは、もう、私にはできないことだと思った。
それだけ、心が壊されてしまったのだ。
「ねえ、ララ……」
私は身の周りの世話をしてくれているララに話しかける。
「なんでしょう、セルマ様?」
ララは笑顔で答えてくれた。そんな人の優しさにも、ふと泣きそうになるくらい、今は心が疲弊していた。
「あのね……、竜人族との番関係を解消するのって、どうやるのかな」
私の問いにララは大きく目を見開いていた。私がそんなことを言い出すとは夢にも思っていなかったのだろう。
だが、私は知っている。エリック様との会話で聞いたから。「番関係は解消できる」っていうこと。
──この状況になってから、ずっと、考えていたのだ。
ウィルフレッド様と番関係じゃなくなれば──このつらい思いも、悲しいことも、全て全て、無くなってくれるのにと。
番関係を解消すると、竜人族は衰弱してしまうらしいけれど……もう、そんなことどうだっていい。
私の意見も聞かず、頬を殴ってくるような、あんな野蛮で酷い人と一緒には居たくない。
でも、番関係のまま国を出れば──もしかしたら追手が来るかもしれないから。
だから、番を解消したいのだ。何もかもを終わらせて、すっきりした状態で、国へ帰りたい。
もう、お金をもらっているとか、そういったことは頭では考えたくなかった。そんなの、私をここに縛り付けておく理由にしかならないから。
「番関係の解消、ですか……」
ララが神妙な面持ちで呟く。
「うん。できるよね? とある人に聞いたの、番は解消できるって……」
「セルマ様、その話はもしや……、竜人族同士での話ではありませんでしたか?」
「え? う、うん。それは、そうだけど……」
「やはり……」
はぁ、とララが困ったような息をつく。一体どうしたのだろう。
しかし、そんなことを思っていた私の耳に聞こえてきたのは、次のような残酷な宣告だった。
「セルマ様。……竜人族との番関係は、人間からは解消できません」
「…………、え」
時が止まる。周りの音が無くなっていく感覚がする。
今……なんて……?
「人間と竜人族での番関係の場合、人間からの解消は行えないことになっているんです。解消できるとしたら竜人族だけ……。セルマ様の方から解消を行うことは、できないんです」
「……うそ……」
よろり、と体が傾くのを感じる。
「セルマ様!」とララが慌てて抱き留めてくれた。どうやら倒れそうになっていたらしい。
「じゃあ、どうすれば……?」
震える声で呟く。
ララはものすごく気まずそうな表情をしながら。
「……できるとしたら、ウィルフレッド様からの解消……のみに、なりますね」
と、言ったのだった。
私はそれに頭を振りながら言う。
「できないよ、そんなこと! だって、番を解消したら竜人族はすごく弱っちゃうんでしょ?! ウィルフレッド様がそんなこと認めてくれるはずがない!」
「セルマ様、落ち着いて……!」
「いや、嫌よ、もう私、あの人と話をしたくないの!!」
それは心からの本心だった。
私が話したところで、あの人はまた私を信じず──私を殴ってくるかもしれない。
私にとって、もうウィルフレッド様は恐怖の象徴だった。話をするということを考えただけでも体がぶるりと震えてしまう。
もう完全に、あの日のことがトラウマとなってしまっていた。
「……ウィルフレッド様にお頼みしてみましょうか? 私の方から……」
「やめて、今はあの人と関わりたくないの……。余計なことをして、こっちに来られたらたまったものじゃないわ……! だからお願い、やめて、ララ……!」
「……承知いたしました」
私の涙ながらの懇願に、ララは静かにそう答えた。
迷惑をかけているのは分かっている。怯えていないで、ウィルフレッド様に番の解消をお願いしに行った方がいいということも。
それでも、今はその勇気が出なかった。
*
──時間というのは、好きでも嫌いでも、こちらの意思とは関係なく経つもので。
「今日はエリック様の健診の日ですね、セルマ様」
「……ええ」
エリック様。
今の情けない状態を見られたくはないようで、でも会いたい気持ちがあふれ出すようで。
結局、会いたいのか会いたくないのか、よく分からなかった。
コンコン、とドアがノックされる。
「……はい」
「俺です。エリックです。……入ってもよろしいでしょうか?」
「はい。どうぞ」
ガチャリ、と音を立てながらドアが開かれる。
視界に入ったのは──いつも通りの、彼の姿で。
「ッ……!!」
うる、と目の前が潤んでしまう。
ダメよ。泣いては。目の前に居るエリック様を困らせてしまう。それだけは、いけない──。
「あの……、ウィルフレッド様から、「健康にかかわる事だから健診はさせるが、セルマを部屋から出すなよ! いいな!」と言われているんですが……一体何があったんですか?」
エリック様が少し困ったような表情を浮かべつつ、置いてある椅子に座る。
「それは……」
「部屋から出ないように、と仰るものですから、何か具合が悪いのかと思いまして……。でも、ウィルフレッド様はそこの所、あまり答えてくれなかったもので。……セルマ様?」
「……わ、たし、私……っ」
純粋に私を心配してくれているエリック様の声を聞いていたら、もう、我慢が出来なくなった。
ぼろぼろと流れる涙を止めることができない。
一方、いきなり泣き出した私に、エリック様は驚きながら「ど、どうしたんですかセルマ様!」と言った。
その声すらも、今の私には、涙を増やす材料にしかならなくて。
「う、うぅっ、く……っ」
「セルマ様、一体何があったというのですか。俺に話してもらえませんか?」
ぎゅっ、と手を握りながら話してくれるエリック様。
その温かさに、また涙が溢れた。
……話そう、全部。
エリック様なら、きっと、聞いてくれるはず。
「じ、じつは、……」
「はい」
「わ、私、何もしていないのに、急に怒鳴られて、叩かれて……」
「叩かれた……?! それはまさか、ウィルフレッド様にですか?!」
「ぐすっ、……はい……」
「そんな……。……詳しい話を、聞かせていただけますか」
私はこくん、と頷いて、これまでにあったことを全てエリック様に話した。
ヴィオラ様からアクセサリー類を盗まれていたこと、それを追求しようとしたら、ウィルフレッド様が駆けつけてきて私を怒鳴ったこと。
その後、ヴィオラ様からお茶に誘われたから行ったものの、突然彼女が頭からお茶を被ったこと。混乱している間にまたウィルフレッド様が来て、私の頬を叩きながらひどく詰ってきたこと。
それら一連の流れによって、今こうして部屋に閉じ込められていること──。
「……なんてことを。ひどすぎる……」
エリック様が呆然としたように呟く。
私は一気に吐き出して多少すっきりはしたのか、先ほどよりもつらくはない気持ちで話をすることができた。
「だから、私、ウィルフレッド様との番解消を考えたんですけれど。……人間からは出来ないって聞いて……。また絶望していたところだったんです」
「…………」
「けど、エリック様が来てくださった。そして、こうして私の話を聞いてくれている。それだけで、なんだか元気になってきました。ありが……」
ありがとうございます、と言おうとした、その時だった。
エリック様に私の身体が抱きしめられていたのだ。
突然のことに言葉を失くしていると、エリック様はぎゅう……、と私を強く抱きしめながら。
「……許せない」
と、呟いた。
それは地獄の奥底から漏れ出てきたような低い声で、不覚にも私はそれを恐ろしいと感じてしまう。
「あの、エリック様……」
「セルマ様」
少しだけ体を離して、エリック様が私を強く見つめる。
「──好きです」
「へ……?」
「あなたを愛しているんです。だから──俺は、あなたを助けたい」
部屋の中の音が無くなったように感じた。




