表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/31

風邪を引いてしまいました

「げほっ、ごほっ」


 頭が熱い。身体も熱い。ついでに痛い。

 私は目の前が歪んで見える中、必死に荒い息遣いをしていた。


「風邪ですね」


 いつも来てくれているお医者様のエリック様が淡々と言う。


「まぁ……!」

「やはり、あの雨の中帰ってきたのがいけなかったのだろうか……」


 そうなのだ。

 あの街での散策時に雨に降られてから翌日。私の体調は突然悪くなり、倒れてしまったのである。

 慌ててララがご当主夫妻を呼びに行き、お二人がエリック様を呼び。今この場になっているというわけだ。


 ちなみに、ウィルフレッド様やヴィオラ様は元気らしい。なぜか。何故に私だけ風邪を引いたし。

 おまけにウィルフレッド様は様子を見にすら来ないし。


「まぁ、ただの風邪なので……、安静にしていれば治ると思いますよ」

「エリックくん、来てくれてありがとう。我が息子の番に何かあっては大変だからな」

「ええ、本当にそうね……」

「げほっ、ゲホッ!」

「あらあら、セルマちゃん。大丈夫?」


 夫人が肩を撫でてくれる。「だいじょうぶです……」と死んだような声しか出せないのが心苦しい。


(早く熱が下がらないかしら……)


 まぁ、今お薬を飲んだところだから、すぐに治るわけないのだけれどね。


「今日は安静にしてなさいね。無理に動いちゃだめよ」

「はい……」

「よしよし、偉い子ね」


 ちょっと恥ずかしい。小さい子にするみたいで。……でも嬉しいな。


「さて、我々はそろそろ失礼するかな。あまり大人数で押しかけていてもセルマさんが困ってしまう」

「はい。セルマちゃん、何かあったらすぐに知らせてね。私たち、今日一日はお屋敷に居ますから」

「はい……、ありがとう、ございます」


 掠れた声でお礼を言うと、優しい微笑みを浮かべながら「お大事にね」と言われる。まるで本当の両親みたいで、温かい人たちだなと心から思った。


 お二人が部屋から出ていき、私とエリック様だけが残される。


「さて、俺も失礼しますかね。俺が居ちゃセルマ様も落ち着いて寝られないでしょう」

「えっ……」


 そう言って立ち上がろうとした、エリック様の服の裾を掴んでしまったのは、殆ど無意識下でのことだった。

 突然掴まれたエリック様はきょとん、とした顔で私を見る。


「セルマ様? どうされました」

「あ、あの、えーっと……」


 私は何と言っていいものかわからず、口を噤んでしまった。

 別に変な意味はない。ない、のだけれど……。

 苦しい中、ここに一人取り残されるのは、なんだか……、とても寂しいことのように思えてしまったのだ。


「……あ、の。エリック様」

「はい」

「ひじょうに、申し訳、ないのですが……」

「はい?」

「もう少しだけでいいので、ここに、いてくださいませんか……」


 ……この相手がウィルフレッド様なら。こんなお願いは、絶対にしないだろう。

 エリック様だからこんな甘えが出てしまうのだ。こんな、幼い子供じみたお願いを。


 昨日、優しい笑顔で私と街を歩いてくれた、彼なら──と。


「……ええ、大丈夫ですよ」


 ドキドキしながら答えを待っていた私の耳に聞こえてきたのは、昨日聞いたような優しいそれだった。

 思わずバッと彼を見上げると、ふ、と笑みを携えながら私を見ている。


「一人で寝るのが寂しいなんて、セルマ様はかわいいですね」

「かッ、かわい……?!」


 初めて言われた言葉にぼひゅーっ!! と顔が噴火しそうなくらい熱くなるのが分かった。今ただでさえ体熱いのに!!


「わ、私、かわいくなんて……」

「何を仰いますやら。俺から見たセルマ様は、いつでも穏やかで可愛らしい方ですよ」

「~~~~ッ……!!」


 分かっている。これはお世辞だ。自他ともに認める黒髪黒目の地味っこが、かわいいなんてあるわけない。

 でも……。


(うれしい……)


 他でもなく、エリック様に。こう言われたのが、なんだかとても嬉しい気がした。

 まずまず体が熱くなって、目の前がくらくらしそうだ。


「さて、俺は黙ってここに居ればいいんでしょうか。それとも、少し話でも?」


 エリック様が笑って尋ねる。

 私は「じゃあ、お話を……」と言った。しんどいはしんどいけど、それよりも彼と話をしたい。


「じゃあ、お話しましょう。でも、眠くなったら俺のことは気にせず、必ず寝ること。いいですね?」

「はあい……、先生」

「ふふ、いい心がけです。さて、何のお話をしましょうか……。昨日の街歩きの話でもしますか?」

「あ……、昨日は、エリック様には、本当に助けられました……。ありがとうございます……」

「いえいえ。昨日のセルマ様は特に可愛らしい恰好をされていましたから、護衛のようなものができてよかったですよ」


 ……また可愛らしいって言われちゃった。恥ずかしいけど嬉しい複雑な気持ち……!


「それに、見るからにお金持ちのお嬢様って感じが出てましたから……、一人でお歩きになっていたら、危なかったかと」

「え……、わたし、平民になりすませてませんでした……?」

「いえ、全く」


 全くとまで言われてしまった。確かにララには綺麗にしてもらったけど、ドレスを着ていたわけでなし。

 別に貴族令嬢には見えなかったと思うんだけどなぁ……。


「昨日は楽しかったですか」


 エリック様の問いに、私は元気よく「はい!」と答えた。その拍子に咳が出ちゃって、「無理をしないでください」と言われてしまったけれど。


「昨日は……、エリック様おすすめの、ケーキ店がとてもおいしくて」

「気に入っていただけたならよかったです。あそこは俺もよく行くんですよ。また季節ごとに異なったケーキが出ますから、よければ一緒に行きましょう」

「……一緒にいってくださるのですか……?」

「ええ。セルマ様さえよければ」

「うれしいです、ありがとう、っげほ、ございます……!」

「セルマ様、もうお休みになられた方が……」


 エリック様が気遣うように言ってくれる。でも、まだ眠たくない。

 ……もう少し話していたい。


「大丈夫です……っ。……それより……」

「どうしましたか?」

「私と、またお出かけしたいと言ってくださったことが、嬉しいのです。ウィルフレッド様とあんなことがあったにも関わらず……」


「ああ」とエリック様が思い出したように言う。

 本当にあの時は大変だった。二人の喧嘩のようなものを、黙ってみていることしかできなかったから。


 ……ああいう時に「もうやめて!」と飛び出していけるのが、ヒロインの特性なのかもしれない。そう考えると、ヴィオラ様はまさに物語のヒロインだ。華やかで、愛嬌があって。

 ……私とは大違い。


「大丈夫ですよ。元々、俺がウィルフレッド様を煽ったようなものですし。怒られて当然です」

「そんな……」

「……けど、ウィルフレッド様の、あなたに対する扱いに思うところがあるのは、本当ですよ」

「え……」


 エリック様が私を見つめた。

 そのまっすぐな金の瞳から目が離せなくなる。


「セルマ様。前にも言いましたけど……、何かあった時は、俺を頼ってくださいね」

「え……ええ。そう仰っていただきました、けれど……、……あの、どうして……?」

「……それは……」


 エリック様が悲しそうに目を伏せる。

 その悲しみに触れてみたい──そう思った時。激しい咳が私を襲った。


「けほっ、ごほっ、! ……止めてしまってごめんなさい、続きを……」


 気を取り直して……と思ったが、エリック様は「いえ」と返す。


「セルマ様の体調がお悪い時に話すことでもありません。この話は、またの機会に」

「でも……」

「それよりも、セルマ様? 咳がひどくなってきていますよ。もう限界でしょう、さぁ、お眠りになって」


 布団を掛けなおされ、ぽんぽんと体を優しく叩かれる。

 私は「大丈夫です」と言おうとしたが……、一定のリズムで叩かれるそれに、どんどんと眠気が増してきて──。


「おやすみなさい、セルマ様」


 気が付けば、私の意識は夢の中へと落ちていた。



 *



 ──カチャン、と音がする。


「……ん……」


 何かの音がしたのは分かったが、つい今ほどまで眠っていた私はまだ眠りから完全覚醒しておらず、目が上手く開かなかった。


 ──だれか、いる?


 確かめたくても、風邪で疲れ切った体は言うことを聞いてくれず。目を閉じたまま、何となくの音だけを聞いている形になる。


 誰かが部屋の中に居て、私の傍に居る。それだけは、わかる。


(……あれ……?)


 すると──私の額に、その誰かがそっと触れたのだ。

 さらりと優しい指先が私を撫でていく。


 ほんの少しの時間。

 だけど、確かに。その人は私の頭を撫でたのだ。


(……エリック様かな……?)


 だって、こんなにも優しい手つきで触れてくるのだもの。穏やかで優しい彼かもしれない。

 だけど、答えを知る術は今の私には無くて。


 やがてその人が部屋を黙って出て行ったと同時に、私はまた意識を本格的に眠りの世界へと落としていくのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ