街歩き3
「セルマッ!! そんな所で何やってる!!」
ウィルフレッド様の凄まじい叫び声に、私はぽかんとする他なかった。
そんな所に居たのか、と思う暇もなく、ウィルフレッド様はずんずんとこちらにやってきて、私の腕を強く掴む。
「いたっ……」
「探したんだぞ! ずっと!」
「い、痛いです、ウィルフレッド様……っ」
ギリリ、とどんどん強くなるウィルフレッド様の力。それが痛くて、思わず声を漏らしてしまった。
だが、彼の耳には届かないらしい。ぎゃあぎゃあと何かを喚いている。
「お待ちください、ウィルフレッド様!」
すると、後ろからエリック様が慌てて手を出し、私の腕からウィルフレッド様の手を取ってくれた。
逆に腕を掴まれた状態になったウィルフレッド様は「チッ!」と重い舌打ちをする。
「エリック、何故お前がこんな所に居る。セルマと何をしていた!」
「何もしていません」
「うそをつけ!! 俺の番と一体何をしていたのだ!! 答えろ!!」
「……ただ、セルマ様が街の中で所在なさげに一人で佇んでいたものですから、声をかけたのですよ。「一緒に街を回りませんか」と。そして心優しくも承諾してくださったセルマ様と一緒に、街を見て回っておりました」
「貴様、セルマは俺の番だぞ?!」
──怒っている。紛れもなく。
今まで終始不機嫌そうにしていた彼だったが、ここまで本気で怒るところを見たのは初めてかもしれない。その恐ろしさにぶるりと体が震える。
でも、エリック様はそんなウィルフレッド様にも怯むことなく、キッとそちらを睨みつけながら言った。
「あなたにそんな風に怒る権利があるのですかね、ウィルフレッド様」
「は? 何を……」
「あなた方はわざと、セルマ様を街中へ置いていったのではありませんか?」
「はぁ?!」
ああ、その話を本人にしてしまうのね……。
私は一瞬遠い目をしそうになったが、ぐっと堪え、二人の様子をじっと眺めた。言われた方のウィルフレッド様は「何を言ってるんだ」と不可解そうな表情を浮かべている。
(……あら?)
不可解そうな、表情?
(なんでそんな顔を……)
「セルマ様とのデートにヴィオラ様を同行させるくらいです。あなたはヴィオラ様と一緒になりたいがために、偶然はぐれたように見せかけて、セルマ様を街中へと放っていった。……違いますか?」
「違う! 俺はそんなことをしていない!! 確かにセルマと二人っきりになるのは嫌だと思ったし、折角街へ下りるのだからと、ヴィオラを連れていくことにしたが……!」
「なら、俺の予想は当たってるのでは? 少なくとも、こちらの言い分の方が自然なように見えますよ。あなたの普段からセルマ様に取っている態度を見るとね」
「…………ッ!!」
その瞬間バッ!! と私を見て、再度私の手を握るウィルフレッド様。
今度は力加減をしてくれているらしく、痛くなかった。……だが、彼に触れられるのは、何となく嫌な感じがしてしまう。
だって、「セルマと二人っきりになるのは嫌だ」と、すぐ傍に私が居るのにそう言い放った男よ? 嫌に決まっているじゃない。
「セルマ! 君……お前も、そう思っているのか?! 俺たちがわざとお前を置いていったって!」
「……ええ、そうですね。そう、思っております。エリック様のお言葉には、納得しかありませんでしたから」
「セルマ……!! そんなことを言わないでくれ、勘違いなんだって!! 俺は……そんなことしてないんだ!!」
(やたらと必死に弁解してくるわね、この人……)
そんなことをぼんやり思う。
実際のところ、彼らがわざと私とはぐれるように画策したのか。それはなんだか、もうどうでもいい。
だって、偶然出会ったエリック様のおかげで、とても素敵な時間を過ごすことができたんだもの。
この時間は、たとえウィルフレッド様達とはぐれなかったとしても、得られるものではなかっただろう。
彼は終始、私よりもヴィオラ様を優先して、私のことなど顧みることはなかっただろうから。
「大丈夫です、ウィルフレッド様」
「セルマっ、信じてくれたん……」
ぱっとウィルフレッド様の顔が明るくなるが、恐らく彼の考えていることとは異なる話をするだろう。私は。
「あなた方の思惑がどちらのものだったかなんて、もうどうでもいいのですよ。私はエリック様のおかげで楽しい時間を過ごせました。それだけで、今日は十分です」
笑顔でそう返せば、ウィルフレッド様は一瞬で絶望した顔になった。
そして、エリック様の方を向き。
「貴様ァ……!! 俺のセルマと、よくもっ!!」
「おっと」
「きゃあ?!」
まさかの殴りつける暴挙に出たのである。
まぁ、察したらしいエリック様に躱されてはいたけれども。
目の前で起きた突然の暴力事件に、私は顔を青ざめさせながら小さく叫ぶことしかできなかった。
ウィルフレッド様がエリック様を睨む。
「よけるな!! この、卑怯者!!」
「こんな所で殴られる謂れはありませんよ。俺はただ、お一人で危険な目に遭わないよう、セルマ様を護衛していただけなんですから」
謂わば、使用人の仕事です。
エリック様はそう平然と言ってのける。
それにまたウィルフレッド様が何かを言い返そうとしたとき──。
「もうやめて、ウィルフレッド!」
「ヴィオラ……?!」
それまで黙って成り行きを見守っていたヴィオラ様が、ウィルフレッド様の腕を自身の両腕で掴んだのである。
突然のことにぽかん、とする三人。
「セルマさんが居ないのは残念だったけれど……、でも、私と楽しい時間を過ごせたじゃない! ウィルフレッドはそれじゃ満足できないの?!」
「そんなことはないよ。でも、セルマは俺の番で……、他の男とデートだなんて……!」
「デートじゃないわよ、エリックもそう言っていたでしょう? 使用人としての仕事を果たしたようなものだって。なら、いいじゃない!」
「ヴィオラ……、そう、かな」
ヴィオラ様の言葉に、先ほどまでの勢いをしゅん……と無くすウィルフレッド様。
(よ、よかった、なんだかよく分からないけど、収束しそうだわ……!)
よく分からないけど、ありがとう、ヴィオラ様。
そんなことを思っていると、ぽつ、と顔に何か、水のようなものが当たった。
何だろう? と思い空を見上げると。
「きゃーっ?!」
「うわっ?!」
突然、ザァァーッ!! と激しい雨が私たちの上から降ってきたのである。
私たちは突然のことに叫び声を上げながら腕を頭の上まで掲げる。
「この時間なら、近くに迎えの馬車があるはずだ! そこまで走ろう!」
「え、ええ……! ……あ、あの、エリック様!」
激しい雨で視界が悪い中、私は必死にエリック様の名前を呼ぶ。
彼も答えてくれた。
「今日はとても楽しかったです、セルマ様! ありがとうございました」
「そんな、お礼を言うのは私の方で……。本当に、ありがとうございました!」
「また、お屋敷でお会いしましょうね。……ああ、ほら、迎えの馬車が来ておりますよ。早く乗らないと、お風邪を召されてしまいます」
「は、はい! それではまた、エリック様!」
笑顔で手を振ってくれる彼の姿に少しきゅん、としながらも、私たちは慌てて馬車の中へと入っていった。
中で「ふう……」と一息つく。
「びっくりした……急に降ってくるんですもの」
「ね、びっくりしたわよね」
私の言葉にヴィオラ様が同調してくれる。
私に話しかけてくるとは思わなくてちょっとびっくりしたが、何も言わずに「そうですね」と答えることにした。ヴィオラ様自身は悪い方ではないのだ。……多分。彼女をよく知らないから分からないけど。
中でハンカチを使い、体を拭いていると、ウィルフレッド様からの激しい睨みがまた私を突き刺した。
もう、今回は何なのかしら。いい加減、私を見るたびに嫌そうにするのはやめてほしいものだわ……。
「セルマ」
「……はい、何でしょう」
「エリックとは、何も無かったんだな?」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
いきなり何を言い出すのだ、この人は。
「何かって……何ですか? それ」
「な、何かは何かだ! つまりはその……、こ、恋人がするような行為とか……!!」
「恋人……? な、なにを仰っているのですか、そんなわけないでしょう?!」
確かに街を案内してもらったが、それだけだ。私たちは恋人同士なんかではない。
……時折見える彼の笑顔に、心がどくん、と跳ねることはあったけれども。それは内緒にしておこう。わざわざ言うことでもないし、何より言ったら面倒くさそうだ。
「なら、いいんだ。……今日は、悪かったな。はぐれて……」
「へ?」
後半、声が小さくて聞こえなかった。
聞き返してもウィルフレッド様は既に素知らぬ顔だし。
(……まぁ、いいか)
と思うと同時に、私は馬車の中で小さく「はくちっ」とくしゃみをしてしまうのであった。
……風邪とか引かないでよね、私……。




