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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第七章 穏やかな日々

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穏やかな日々15

 不味いと、シェフィルは反射的に思った。

 両前脚を広げた事で、広い範囲を占有している。繰り出す攻撃が体当たりにしろ打撃にしろ、ちょっとの回避では避けきれない。しかもシェフィルと新アナホリの距離はかなり近い。

 此処から避けるには激しい動きが必要だ。だが、今のシェフィルにそれは出来ない。頭の上には、大切なマルプニを二匹乗せているのだ。これまでの動きですらマルプニが死にそうなのに、もっと激しく動いたら間違いなく死ぬ。

 正面から受け止めるしかないか?


「(いや、それは無理です!)」


 よく見れば新アナホリは前脚だけでなく、大きな顎も広げていたのだ。このまま体当たりを受ける事は、その大顎で胴体を噛み付かれるのに等しい。

 顎の大きさを考えれば、肉を貫いて肺ぐらいには到達するだろう。大気のないこの星において、シェフィルの肺は殆ど機能していないが……それでも『人体』において最大級の臓器には違いない。損傷すれば大量の出血を伴い、体力とエネルギーを奪う。

 仮にこの最悪を避けても、大きな前脚の打撃が直撃する。流石にそろそろダメージの蓄積が多過ぎる。この直撃を受けると戦局が決定的な、新アナホリの勝利に繋がりかねない。かといって殴り返したところで、新アナホリの圧倒的質量の前では押し返されるのは明白。

 回避不能、防御不能、反撃不能。

 最悪の状況だ。惑星シェフィルの生物に油断なんて概念はないので、たとえ感情があってもそんな表情は浮かべないだろうが、ほくそ笑んでもおかしくないぐらい新アナホリにとって有利な展開。

 だからこそ、シェフィルは()()()()()


「(両腕を広げましたね!)」


 もしも新アナホリが戦闘経験豊富であれば、こんな隙は晒さなかったかも知れない。

 攻撃を重視するあまり、防御を疎かにしている。体当たりするのであれば、反撃を考慮して腕は小さく構えておくべきなのだ。少なくともシェフィルが新アナホリの立場ならそうする。

 それはほんの一瞬の、小さな判断ミスかも知れない。

 だが十五年間この星で生きてきたシェフィルなら、その僅かな隙をつける。とはいえ回避も防御も反撃も通じないのは、いくら隙を晒しても変わらない。それらの選択肢は無意味だ。

 そこでシェフィルが取った行動は、『投擲』。


「ふっ、ぬううああっ!」


 全身全霊の力を込めて、シェフィルは『それ』を新アナホリに向けて投げ飛ばす!

 予期せぬシェフィルの行動に、新アナホリは混乱したのか。或いは何が飛んできたのか確認しようとしたのか。一瞬その動きが鈍り、複眼はシェフィルが投げた物体を見つめる。

 たとえ経験はなくとも身体能力は十分高い新アナホリ。巨大な複眼は、きっとシェフィルが投げ付けたものの姿を捉えただろう。

 自身の顔面目掛けて飛んできたものが、マルプニであると。

 シェフィルは頭に乗せていたマルプニの一体を、新アナホリ目掛けて投げ付けたのだ! 新アナホリもこの星の生物であり、思考は演算により行われる。故にどんな現実もそのまま受け入れる、が、あまりにも意味不明な状況に一瞬演算が停止。新アナホリの動きが止まり、結果その顔面にマルプニが直撃した。

 マルプニの身体は極めて脆弱。アイシャが抱き締めれば潰れ、シェフィルが引っ張れば簡単に千切れてしまう。ではシェフィルが渾身の力で投げ飛ばし、新アナホリの硬い顔面で受け止めればどうなるか?

 無残にもマルプニは破裂してしまった。中身である液状化した体組織がばっと飛び散り、新アナホリの顔面を塗り潰す。

 大切な家畜、あと三体しかいないマルプニのうち一体を投げ飛ばして『消費』するなど、一見して気が狂ったような行いに見えるかも知れない。実際アイシャは目を大きく見開き、驚愕していた。しかしシェフィルにとって、これは合理的判断の結果である。


「(ここでコイツを倒せなければ、マルプニを持ち帰っても意味がないんです!)」


 新アナホリを倒せないなら、シェフィル達はここから撤退するしかない。しかし撤退した場合、二つの選択を余儀なくされる。

 マルプニを連れてこの地から移住するか、はたまた畜産を諦めるかだ。だが移住したところで、アナホリ以外にも危険な捕食者がそこかしこにいる以上畜産を継続出来る可能性はほぼない。ここで勝たねば、畜産は実質頓挫したも同然だ。

 幸いにしてマルプニは雌雄同体。二匹いれば数を増やす事は出来る。仮に交尾を終えていたなら、一匹だけでも卵を産むだろう。三匹いるのであれば、一匹を『消費』したところで再起は可能なのだ。

 大事だからと温存しても、無駄になるだけ。ならばここで勝つために使った方が合理的だ。


「ピ、ビキキィギギ……!?」


 マルプニの体液が顔面を覆い、新アナホリは必死に顔を拭う。

 痛みであれば新アナホリは苦もなく耐えたに違いない。しかし視界不良、外部情報の遮断は耐えられるか否かの問題ではない。見えていなければ、敵がどんな行動をするか分からないのだ。急ぎ視界を確保しなければ不味い。

 だがアナホリの身体は地中を掘削するのは得意でも、身体を素早く綺麗に洗うための構造はしていない。しかも今回の汚れは掘削で付く砂塵ではなく液体だ。中々取れず、新アナホリは身動きが取れなくなってしまう。

 これを予測していたシェフィルは、一気に新アナホリの足元まで接近し――――跳躍。

 素早く新アナホリの背中に飛び乗った! 新アナホリはシェフィルに乗られる事態など想像していなかったのだろう。大きく仰け反り、腕を振り回すが……それはシェフィルを掠りもせず。

 シェフィルは暴れ回る新アナホリの上を這うように進み、頭部へと向かう。四メートルという巨躯でありながら、シェフィルよりもずっと小さな頭。身体の奥に付け根が引っ込んでいる構造は、確かに防御の面では優秀だ。だがこの身体は『首』がなく、頭を動かす事が出来ない。どれだけ新アナホリが暴れようとも、その身体に乗ったシェフィルからすれば頭は()()()()()()()()

 シェフィルは振り落とされないよう両足に力を込め、両手で新アナホリの大顎を掴む。

 シェフィルの狙いに新アナホリも気付いたようだ。二本の前脚がシェフィルに迫る。しかし背中側を掻くには、身体の下側に付き尚且つ前方方向に伸びている前脚の構造は不向き。関節を強引に曲げ、どうにか背中に狙いを定めた時にはもう遅い。


「ぐ、ぅ、がああああああ!」


 シェフィルは渾身の力で仰け反り、その頭を捩じ切る!

 ずるりと引き抜かれた頭と共に飛び出す、長大な神経系と消化器官。どちらが中枢神経か見極めたシェフィルは素早く掴み、躊躇なく握り潰す。

 新アナホリの身体はまだ動いていたものの、情報処理の中枢を失っては正確な制御なんて出来ない。しっちゃかめっちゃかに前脚を振り回し、無意味に暴れるだけ。

 とはいえ時間を掛ければ神経さえも再生する。体勢もまだ維持しており、生命力を失っていない。

 すかさずシェフィルは捩じ切った頭の断面に腕を突っ込み、その中身を掴んだ。果たして内臓か神経の残りか。どれであろうと関係ない。最大の力を持って、掴んだ中身を引き摺り出すのみ。

 中枢神経のみならず、体内も破壊された新アナホリの身体は急速に力を失う。ぐらりと前のめりに倒れ伏す。


「く……!」


 倒れた際の衝撃で、シェフィルは投げ飛ばされる形となる。今までの苛烈な攻撃に比べれば些末な威力だが、何度も攻撃を受けてきたシェフィルにとって楽なものではない。まだ頭に乗っている一匹の、最後まで守らねばならないマルプニもいる。

 大地を転がれば衝撃を受け流せたが、マルプニ保護のためこれは出来ず。両手両足で大地に着地し、強引に勢いを殺す。マルプニの口からまた液体が零れ出した時には少しヒヤッとしたが……一瞬だけだったため死んではいないようだ。ホッと安堵の息を吐く。


「シェフィル! やったわね!」


 大地に戻ってきたシェフィルの下に、アイシャが駆け寄ってくる。心配と喜び、両方が入り混じった言葉はシェフィルの精神を癒してくれる。

 出来ればこのまま抱き合い、喜びに浸りたいところ。しかしそれをするのはまだ早い。


「(さて、予想通りこれで退いてくれれば良いのですが)」


 新アナホリはアナホリ達にとって、退却するかどうかを決める試金石だとシェフィルは考えている。

 しかしこれはあくまでもシェフィルの考えに過ぎない。本当に試金石なのか、それとも単なる戦力の一つに過ぎないのかは不明だ。

 仮に戦力の一つならば、この後アナホリ達の攻撃が始まる筈。試金石だとしても、こちらが十分に疲弊していると悟られたら攻勢に出るかも知れない。


「(正直、今の状態でアナホリを何十匹も相手するのは無理ですね)」


 自分の身体を客観視し、状態の悪さを認めるシェフィル。

 その上で、後退はしない。

 先に逃げてはならない。それはこちらの不利を認めるのと同義なのだから。最初から負けを認めてしまっては、アナホリ側の思う壺。こちらは負けていない、未だ十分な余力があると示さなければこの勝負の勝ちはない。

 群れるアナホリ達を鋭い眼差しで睨みながら、シェフィルは最悪の可能性に備えて力を滾らせる。アナホリ達はしばしシェフィル達を見遣り、シェフィルは堂々とした仁王立ちで力を示し――――

 アナホリ達が一斉に背を向けた事で、ついに勝負が決した。


「ピチチチチ!」


 アナホリ達は素早い動きで、巣穴から離れていく。巣から運び出していた、卵や幼虫達も抱えて一緒に移動だ。隊列こそ乱していないが一目散といった様子で、もうシェフィル達の方など見向きもしていない。無論、倒れた新アナホリも放置。

 あっという間に全ての個体がトゲトゲボーの茂みに入り、生きたアナホリの姿はこの場から消えてしまう。

 残っているのはシェフィル達人間と、戦いの中で死んだアナホリ達。

 そして大切な家畜であるマルプニ二匹だ。


「……やった、のよね?」


「ええ、やりました」


 不安げなアイシャの言葉を、シェフィルは間髪入れずに肯定する。

 合理的な思考を持つが故に、シェフィルは現状を素直に認められる。しかしアイシャはまだそこまで合理的思考に慣れていない。

 だからこそ単なる現状認識に過ぎないシェフィルの言葉に、抱き着いて喜びを露わにしてしまうのだろう。


「やった! 勝った! 勝ったわ!」


 抱き着きながらぴょんぴょんと跳ね、満面の笑みを浮かべるアイシャ。

 喜びたい気持ちはシェフィルにも理解出来る。シェフィルだって嬉しい。

 安全な巣穴を手に入れた事で、マルプニを用いた畜産が行える。それにこの戦いでたくさんのアナホリを仕留め、大量の肉も手に入れた。しばらくは狩りをせずとも暮らしていけるだろう。

 しかしそれらはシェフィルにとって、本当に求めているものではない。

 そうだ。シェフィルがアナホリという危険な相手と戦ってまで求めたのは、安定した生活でもなければ大量の肉でもない。惑星シェフィルの生物からすればなんの価値もない、だけど今の自分からすれば至上の価値があるもの。

 アイシャと愛し合うための時間。それだけがあれば良い。


「んっ――――」


 シェフィルはおもむろに、アイシャの唇を奪う。

 いきなりのキスにアイシャは目を丸くした。けれどもシェフィルは構わず、唇を絡ませるように食む。舌も捩じ込んで、アイシャの『味』さえも求める。互いの唾液が、相手と自分の中を行き交う。

 最初は驚いて強張っていたアイシャも、キスを続けている間に身体から力が抜けていく。何十秒と貪るように情熱的なキスを交わした後、シェフィルの方から離れる。アイシャはすっかり蕩けたようで、口許が涎で汚れていても拭う事もしない。

 同じく唇が涎に塗れたシェフィルは、ぺろりと自分の唇を舐める。


「これからしばらく、いっぱい愛し合いましょうね」


 そして本能でも理性でも、求めている事を言葉で伝えた。情熱、獰猛さ、恋情、優しさ……数多の感情を混ぜ合わせた視線でアイシャを射抜く。

 伝えられた言葉と視線をどう受け取ったのか、アイシャは顔を真っ赤に染め上げた。しかし嫌がる素振りはなく、顔を背けながらも目はじっとシェフィルを見つめている。火照った身体をもじもじと揺する動きは恥じらっているだけでなく、ねだるようにも見えて。


「ま、マルプニの世話に支障が出ない範囲でなら……私も、愛してほしい」


 ややあって出てきた言葉は、シェフィルには思う存分愛してくれと頼んでいるようにしか思えず。

 言葉もなくアイシャの手を掴んだシェフィルは、ちょっとばかり強引に、けれども嫌がる素振りも見せないアイシャを、元アナホリの巣である新居へと引きずり込むのだった。

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