穏やかな日々06
「ところでアイシャ。やるのは良いですけど、どんな風に始めるつもりなのですか?」
農畜産を始めると決めたところで、シェフィルは大まかな方針をアイシャに尋ねた。
農業にしろ畜産にしろ、シェフィルには殆ど知識がない。非常食用にメンメンを飼った事があるものの、あれは保存食としてやっていた事。『食べるために大きく育てる』事は経験がない。だから何から始めるべきか、何をするべきかも分からない。
根本的な部分だからこそ、アイシャに丸投げするしかない。アイシャもシェフィルにこの手の知識が一切ない事は分かっている。シェフィルが尋ねる前から考えていたのか、すぐに答えてくれた。
「まず育てるのは一種類だけにしておきましょ。慣れない事に色々手を出しても、失敗しやすくなるだけだし」
「ふむ。確かに経験を積むのは大事ですね。無理した挙句失敗しても、それでは教訓も得られませんし」
「そーゆー事。で、次に決めたいのは何を育てるかだけど……これはシェフィルに聞きたいけど、家畜や作物に適した種に心当たりはない?」
「適した種と言われましてもねぇ。美味しく食べられる事以外に、どんなのが良いかなんてさっぱりですし」
「そりゃそうか。まず、農畜産に向いている特徴は幾つかあるわ。全部を満たす必要はないけど、どれにも合致しない奴はまず使えない」
アイシャはそう前置きしてから、農業や家畜に向く性質について話す。
まず農業に向いている生物の特徴。
美味しい事、可食部(食べられる部分)が多い事などは、実のところあまり重要な形質ではない。それは食用に対する向き不向きであり、『農業』とは別の問題だ。
ではどんな形質が良いかといえば……可食部が勝手に飛び散らない事である。
例えば種子。次世代そのものである種子は栄養価が豊富なため、古来より人類は重要な食糧として利用してきた。米や麦などの穀物、豆類などが『主食』として摂取カロリーの大部分を占めるのも、種子が如何に食糧として優秀かを物語っている。
ところが多くの植物は、熟すのと共に種子を広範囲にばら撒く。何故なら撒き散らした方が、兄弟姉妹で光や栄養を争わず、より多くの子孫を残せるからだ。
その種子を食べたい人間としては、極めて都合が悪い。ばら撒かれたものを地面から拾い集めるのは、いくらなんでも労力が掛かり過ぎる。また土壌に落ちる事は汚染の可能性があり、衛生的にも好ましくない。熟しても一塊になったまま、人間が収穫するまでは植物体に付いているのが理想的である。
そしてもう一つあると良いのが、『毒性』の低さだ。
単に食べられるというだけでは不十分。農業を食糧生産の基盤とした場合、収穫した作物を毎日大量に食べる事になる。すると微量な毒素であっても、体内に蓄積して毒性を発揮するかも知れない。
料理など、なんらかの方法で無害化出来ればそれでも良いが……大量に食べても大丈夫なもの。農作物として育てるなら、この性質は欠かせない。毒がないと天敵から身を守る能力は低くなるが、どうせ人間が保護するので非力なのは大した問題ではないだろう。
「他にはあまり背丈が大きくないとか、受粉の行程が複雑ではないとか、そういう特徴があると管理する時に楽で良いんだけど……そんな感じの植物っぽい生き物に心当たりはない?」
「心当たり、と言われましてもねぇ……」
期待のこもったアイシャの眼差しを受けながら、シェフィルは真剣に考える。
まず、この星に植物は存在しない。地球生命と無縁の系統なのだから、『植物』なんてある訳がない。しかし植物、それと動物がどんな存在であるかは、幼い頃に母から聞いた事がある。シェフィルが乗ってきた宇宙船に記録されていた情報から、人間と共に生きていた生物として教わったからだ。
そんな植物と同じ生き方……無機物から有機物を作り出す、生態系の最下層を支える『生産者』は惑星シェフィルにもいる。
例えばトゲドゲボーがその一つだ。トゲドゲボーの餌は土中に含まれている多種多様な無機元素。有機物もあれば吸収するが、割合としては無機物が多い。口などは持たないが、体表面から直に取り込む。この取り込んだ物質をタンパク質や炭水化物に加工し、肉体の材料にしているという。
地球生命である植物は光エネルギーを用い、二酸化炭素と水から炭水化物を作り出す。トゲトゲボーは太陽光ではなく、惑星シェフィルの生物が持つ能力である『無から生み出したエネルギー』を用いて、無機物から有機物を生み出す。やっている事や、生態系の立ち位置は、植物とほぼ同じと見て良いだろう。
では、トゲトゲボーの中にアイシャが求めるような性質の種はいるだろうか?
残念ながら、シェフィルが知る限りそんな種はいない。希少種どころかとんと思い付かない。
「(何から何まで、アイシャの要求とは真反対の生き物ですからねぇ)」
運動能力が殆どなく、天敵が多いトゲトゲボーは強い毒性を持つ。分解酵素を持たない人間が大量に摂取するのは極めて危険だ。常食なんてすれば、数回も食べた頃に土へと還る羽目になるだろう。
またその子孫……『卵』は僅か〇・一ミリ以下という小ささで、身体に空いた穴から勢い良く噴射して拡散を行う。卵自身も強力な磁力によって互いに反発し、その勢いで数百メートルもの距離を飛ぶ。もしも卵を食べるためトゲトゲボーの身体を割れば、その衝撃で飛び散る徹底ぶり。纏めて収穫なんてまず出来ない。
これらの性質は遺伝子により発現している。よってなんらかの突然変異でこれらの性質を持たない、作物化に適した形質の個体が何処かにいる可能性はある。
あるが……見付かる可能性は限りなくゼロだ。生物の形態は、それが生き残る上で有利だから備えている。必ずしも『最適』ではないが、少なくとも今の環境における合理的性質には違いない。そこから変化した性質が生き残る可能性は高くないだろう。例えば毒を持たないトゲトゲボーが誕生しても、それは天敵から身を守る術がないので一瞬にして食い尽くされてしまう筈だ。
仮に生き延びていたとして、トゲトゲボーを編んで作ったこの家から出れば、何千億ものトゲトゲボーがシェフィル達の前に並ぶ。ここから一〜二本あるかも知れない突然変異体を探し出すなど、どう考えても不可能だ。
そしてこの地域に、トゲトゲボー以外の生産者は殆どいない。
「うーん。まずこの地域に、トゲトゲボー以外の生産者って殆どいないんですよね。いなくはないのですが、目に見えないぐらい小さな種ばかりと母さまからは聞いています」
「あー……確かにトゲトゲボー以外で、植物っぽい生き物は見た事ないわね」
「少なくともこの地においては、トゲドゲボーの一人勝ちですね。そしてどのトゲトゲボーも毒や卵を広範囲散布する性質は持っています。まぁ、やり方には多様性があるようですが」
トゲトゲボー以外の生産者が殆どいないという事は、トゲトゲボーの生存戦略が(少なくともこの地域では)最適解に近い筈。
だとするとトゲトゲボー以外の生産者も、アイシャが求める性質は持ち合わせていない可能性が高い。トゲトゲボーの生き方が最適ならば、ある程度似たような生き方をする方が子孫を残せる筈だ。無論全く同じだとトゲトゲボーと競争になるので、いくらかの違いはあるだろうが……それらの種も人間のためにいるのではない。人間にとって都合の良い性質を持ち合わせている可能性は、極めて低いだろう。
「うーん。農業に使えそうな生き物は、ちょっといない感じっぽいわね」
アイシャもなんとなく予感していたのか。あまりガッカリした素振りもなく、苦笑いを浮かべる。
しかし諦めるのはまだ早い。
農業に使えそうな生き物はいない。だがもう一つの、畜産の方はまだ分からない。『生産者』はトゲトゲボーぐらいしかいないが、トゲトゲボーを食べて生きる『消費者』……地球生命で言うところの動物に該当する種は多種多様だ。中には家畜にしやすい種もいるかも知れない。
「そうですか。なら、畜産はどうですか? どんな生き物が向いているのです?」
「そうねぇ。色々あるけど、一番大事な特徴については大部分の生き物が満たしていると思うわ」
「大事な特徴?」
「人間が食べられないもの食べる、って特徴よ」
畜産で育てる生き物を『家畜』と呼ぶが、これらを育てるには餌が必要だ。太陽光と水だけで育つ(正確には肥料も必要だが)植物と違い、動物は食べ物を摂取しなければならない。
だから何かしらの餌を与える必要があるが、もしも人間が食べないものを与えられるのなら――――それは家畜の肉を経由して、本来食用でないもののカロリーを摂取している事になる。例えば牛は草を食べて育つが、その牛を食べる人間は実質草からカロリーを得ている事になるのだ。
逆に人間と同じものを食べる生物だと、人間と食べ物の競合が起きる。「食べた分だけ育つから結局与えた餌のカロリーは人間が摂取する事になるのではないか?」という考えは、ハッキリ言って間違い。生き物は摂取したカロリーの一部しか利用しておらず、肉として身になるのは食べた分のほんの一〜三割程度でしかない。
肉質改善など『品質』を良くするために人間の食べ物を与える事はあるが……それは文明が発展し、十分な食べ物を確保出来るからやっている。今回シェフィルとアイシャは新たな食糧源として畜産を始めるため、食べ物は競合していない方が好ましい。
「成程。でしたら大半の種は家畜の条件を満たしていますね。今の時期は殆どの種がトゲトゲボーを餌にしていますから」
「そゆこと。だけど勿論これだけが条件じゃないわ」
納得するシェフィルに、アイシャは家畜化の条件を語っていく。
次に重要なのは成長速度。人間よりも成長に時間が掛かるような種は、家畜化に適さない。食べるために育てるのだから、可能なら人間が食べる量に匹敵する勢いで育つのが望ましい。繁殖力も当然高い方が良い。
また、飼育下での繁殖しやすさも重要だ。生物種の中には、飼育下では上手く繁殖出来ないものもいる。例えばマグロなどの大型魚は激しく動き回るため、繁殖には大きなスペースが必要である。産まれた稚魚は数ミリしかなく、脆弱なためすぐ死に、しかも餌やりが困難。このためかなり文明が発達するまで、マグロは完全養殖の実現・産業化が出来なかった。
この二つの条件を満たしていないと、まず家畜化は出来ない。だがこれについても、惑星シェフィルの生物は問題なかった。小型〜中型種であれば、旺盛な繁殖力と成長速度を有す。人間よりも遥かに巨大な大型種でも、下手な家畜よりずっと繁殖力が高いほどだ。しかも繁殖を最重要視する形質から、多少不適切な環境でも必要に迫られれば繁殖を行う可能性が高い。環境適応力に優れているので、幼体の生存率も高いのが特徴だ。
味を除けば、惑星シェフィルの生物は家畜化の適性がある。そして今回、シェフィル達は食糧生産の手段として畜産をしたいので、味は二の次だ。この適性の高さから畜産ならば、と期待が膨らむ。
しかし。
「後は、管理の容易さね。簡単には逃げ出さない性質とか、群れでいる事を拒まない性質があると良いわ。そして攻撃性の低さが肝心。育てる度に噛まれたら堪らないし」
「……それらも条件に含めると、殆ど候補がいなくなってしまいますね」
「え? そんな事ないでしょ、ほらウゾウゾとか……」
シェフィルが否定的な意見を述べると、アイシャは代案とばかりにウゾウゾの名前を出す。が、すぐに口を閉じてしまう。
ウゾウゾは、長期的に飼うのが難しいと気付いたのだ。
餌には困らない。ウゾウゾは土中の有機物を食べているので、適当にそこらの土を定期的に運び入れれば良い。生物遺骸も好んで食べるので、砕いたトゲドゲボーを与えても良いだろう。人類文明が家畜に与えていたという、残飯や人糞でも問題なく育つ筈だ。
繁殖力も旺盛である。十分な餌を与えていれば、瞬く間に数を増やす。むしろ増え過ぎて、捨てなければならない事が容易に想像出来る。しかも天敵の気配を察するとすぐに逃げ出すが、神経質というほどでもない。地面の中を埋め尽くすぐらい増えても生存上の問題がないなど、過密に強いのも飼育に適した特徴だろう。
毒性についても、食べたものの影響が大きいので、与える餌をコントロールすれば弱毒化は容易い。人糞などの消化物であれば、無毒化も可能かも知れない。こうして考えると、ウゾウゾは家畜化に適した生き物に思える。
しかし飼育という、長期間一箇所に留めておく行為は困難だ。いや、不可能と断言しても良い。
「ウゾウゾは穴を掘るのが得意ですからねー。積極的にはしませんが、硬い岩盤をぶち抜いて移動する事も出来ますし」
ウゾウゾは一見非力で貧弱な生き物であり、事実戦う力は殆どない。されど穴掘りだけは一級品だ。いや、穴掘りを極めた身体が、あの単純な構造と言うべきか。どんなに硬い床を用意しようと、巨大生物の頭蓋骨で囲おうと、ウゾウゾは簡単に突破する。
食べる前に逃げられては、家畜として飼育する意味がない。ウゾウゾのあらゆる点が家畜向きでも、そもそも飼育出来なければ家畜化は困難だ。
「おまけになんでも食べますからね。籠とか作っても、今度はそれを食べて逃げ出します。宇宙船に使われていた金属の板とかなら、なんとか出来るかも知れませんが」
「な、なんでも食べる性質がこんなところで足を引っ張るとは……で、でもウゾウゾ以外にも色んな生き物がいるのよ。他の候補もあるでしょ!」
「ありますかねぇ……」
前向きに考えるアイシャ。そこに水を差すつもりはないが、シェフィルは怪訝な気持ちを隠さない言葉を漏らす。
そしてこの星の生物についてより詳しい、シェフィルの懸念の方が正しかった。
まず小型種の家畜化はほぼ不可能という結論に至った。どれも脱走する恐れがあるからだ。理由はこの星で『建材』として使えるものがトゲトゲボーぐらいしかなく、殆どの小型種がトゲトゲボーを食べてしまうからだ。入れ物を作っても、その入れ物を容易く破壊するだろう。
おまけに体長十数センチを超えると、身体能力が高くなってくる。餌やりなどの僅かな隙をついて、難なく逃げ出すだろう。身体能力の低い種もいるが、そういう生き物は例外なく食べられないほど硬いか、食べられないほど猛毒だ。敵から逃げる力がないのだから、他のやり方で身を守るしかない。
仮に、髪の毛などで『縄』を作って縛り上げたところで、あまり長い期間拘束は出来ない。周辺にいる体長数ミリ以下の生物が、その縄をどんどん食べて劣化させていく。数時間置きに縄を交換するのは、現実的ではないだろう。仮に頻繁な交換をしたところで、その気になればこの星の生物は『自切』して逃げる事が可能だ。
自切出来ないぐらい再生力の低い生物だと、今度は身体能力が高過ぎる。再生しない=組織が高度化しているからだ。こんな『危険生物』を飼育するなど、命が幾つあっても足りない。
どれが良いか、どんな問題があるか。長らく語り合ったシェフィルとアイシャが辿り着いた結論は――――
「が、該当する生物、なし……!」
あまりにも無情な現実だった。
「生産者はどれも不味いし毒あり、消費者は脱走能力があるか飼育自体が困難……なんなのこの星ぃぃぃ……!」
「久しぶりに聞きましたね、その台詞」
「ここまで文明の基盤を拒絶する星、早々ないわよ! 普通はここまで高等な生き物が棲んでいたら、もうちょっと家畜化に向いた生き物がいるものよ! 実際家畜化した異星生物なんて珍しくもないし!」
「そう言われましても、いないものはいない訳で。いやまぁ……本当はいなくもないのですが」
「え?」
ぽろりと最後に漏らした言葉。そこに反応したアイシャが顔を上げ、ちょっと批難めいた表情になる。
アイシャの言いたい事は分かる。何故それを言わずに無理だと結論付けるのか、だ。
しかしシェフィルとて、意地悪で言っていないのではない。単純に、それを探す事が『無駄』だから言わないだけである。
「そいつは私も今までの人生で一度しか見た事ないぐらい珍しい種なんですよ。以来死骸すら見ていません」
「……せ、生息地とかは……」
「ないです。母さまから聞いた話では古代種の生き残りのようですが、環境変化で衰退してるそうです。前に出会った時は偶々適した環境が生じたため大量発生しましたが、その一回きりで終わりです。何処かに生き残りがいるかも知れませんが、絶滅している確率の方が高いでしょうね」
この星の生存競争は過酷だ。環境に適応出来なければ、容赦なく滅びるのが常。そして進化が非常に早いため、絶滅も瞬く間に進行する。
たとえ生き延びていたとしても、人生で一度しか見た事のない生物を探すのは大変だ。件の生物は耐久卵を産む性質があるので、何処かにそれが眠っている可能性はあるが……しかし広大な、長年暮らすシェフィルですら全貌を把握していないこの地域の『何処か』にある卵を探すなんて不可能。見当を付けたところで、周囲一帯を掘り起こして探すのにどれだけの労力が必要か分かったものではない。
日々の生活の中でついでに探すなら兎も角、多大な時間とコストを投じてやるのは、賢明な考えとは言えないだろう。
「うう……でもそうよね。簡単に飼えそうな生き物とか、この星じゃ喰われて絶滅よね……」
「まあまあ。あまりガッカリしないでください。家畜について詳しくない私が判断しただけですから見落としがあるかも知れませんし、もしかしたらいい感じの突然変異個体が運良く見付かるかも知れませんよ」
落ち込むアイシャの背中を擦り、励まそうとするシェフィル。
アイシャはしばし項垂れていたが、そんな事をしても無意味だと察したのか。顔を上げ、ちょっと照れたように笑い……そして力強く立ち上がる。
「……そうね。うん、出来ないものは出来ない! 考え事したらお腹空いたし、また狩りでもしましょ! 今度は大物のね!」
元気を取り戻したアイシャの顔を見て、シェフィルも微笑む。
結局出来る事が何一つ思い浮かばず、現状維持。今の状況での妊娠・子育てが不安だから始まった話なのだから、進展がなければ未だアイシャの心は不安な筈だ。元気な振る舞いは自分を鼓舞するためか、それとも落ち込んでも何も変わらないと考えたからか。
不安がるアイシャのため、自分に出来る事は何か? 考えるまでもない。
愛しい『つがい』の空腹を癒やし、自分と愛し合う時間を作る。そのためにシェフィルは大物狩りへの意欲を燃え滾らせるのだった。




