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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第七章 穏やかな日々

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穏やかな日々05

 農業と畜産。

 アイシャ曰く、ある種の生物を人間の手で管理し、食用に適する状態まで育てる事を言うらしい。植物を育てるのが農業で、動物を飼育するのが畜産だ。地球生命と血縁的関係がないこの星に植物などいないが、生態系における生産者(無機物から有機物を合成する生物)を育てる行為は農業、消費者を育てる行為は畜産と定義する事にした。


「農業や畜産の利点は幾つもあるけど、まず食糧が安定して手に入る事。それと理論的には、際限なく食べ物の量を増やせる事ね」


「……そんな美味しい話があります?」


 アイシャが語る農畜産の利点に、シェフィルは怪訝な反応を隠さない。

 自然界で生きてきたシェフィルは知っている。どんな生物でも、個体数というのは変動するものだ。春に増殖する、夏に個体数が安定する、冬に休眠して地上からいなくなる……等の傾向は言えるが、個体数自体は絶え間なく変動する。同じ『季節』で見ても、今回の春はたくさんいる、前の春は殆どいなかった、というのは珍しくない。

 理由は様々だが、『偶然』の要素が大きい。偶々環境がその種や餌にとって好適で、天敵にとって不利なものなら、個体数を爆発的に増やせるだろう。逆に餌が殆どない、天敵が無数にいると、中々数を増やせない。天敵にとっての天敵が増えたか、天敵のライバルがどれぐらい繁殖したか、自分達の競争相手は勢い付いているか、餌となる生物の競争相手はどれぐらいいるか等々。あらゆる要素が複雑に絡み合って、生物の個体数は変動するのだ。

 そんな自然界で、何か一つでも食べ物が安定して存在するなどあり得ない。ましてや大量に得られるなど夢物語にしか思えなかった。

 無論、アイシャに自分を騙す意図がないのはシェフィルも分かっている。それでも、もしかすると自分やアイシャの命を預ける事になるかも知れない情報を、よく分からないまま受け入れる事はしたくない。何より惑星シェフィルと地球の環境は異なる。地球で上手くいったやり方が、この星でも上手くいくとは限らないだろう。それを判断するには、惑星シェフィルについて造詣のあるシェフィルが、農畜産について理解した上で判断しなければならない。

 アイシャもシェフィルと同じ考えなのか。特段機嫌を損ねる事もなく、疑いに対して答える。


「勿論、ちゃんと根拠のある話よ。まず安定して得られる理由は簡単。人間が作物が育つ環境含めて全部管理するから。作付け時期まで制御して、何時収穫するかも全部スケジュール通りに管理するわ」


「さくづけ?」


「トゲトゲボーのタネ、じゃなくて卵かしら。それを回収して、適切な時期になったら地面に撒くようなものよ。そうすれば何時孵化するか、どれぐらいで育つか予測出来るでしょ?」


「ほほぅ、確かに」


 成長だけでなく卵まで含めて管理する。このやり方であれば、何時食べ頃になるかある程度は逆算可能だ。

 とはいえ生き物には個体差があるのだから、そうなんでも計算通りになるものだろうか……というシェフィルの疑問にも答えがあり、曰く農畜産で育てられる生物は遺伝子レベルで統一され、遺伝子上の個体差はほぼないらしい。

 それでも突然変異的に他と異なる形質を発現する個体もいるが、そんなのは極めて稀。全体で見れば予想通りの性質を持つとの事だ。

 そして個体差を生むもう一つの要因である環境は、人間の手により管理される。同一の環境下に置けば、遺伝子が同じなら発現する形質もほぼ同じになるのが道理。遺伝子が同じなら性格もほぼ同じになるので、ストレスに対する反応も同じだろう。

 徹底的に『同じ』にする事で、個体差を最小限に抑える。これなら生育を予想し、どれぐらいの食べ物が得られるか推定する事は難しくない筈だ。


「そして得られる食べ物の量を増やせる理由も簡単。育てる面積を増やせば良いだけだから」


 一般的に、生物の生息域は環境によって制限される。寒さに強い身体は暑さに弱く、強大な身体能力を持つ種は餌の乏しい土地では生きていけない。

 しかし農業や畜産では、生き物が暮らす環境を人間が整備する。その生物にとって最適な環境を提供するのだ。これなら飼育する生物が暑さや寒さに弱くても、問題なく育つ。人間がコントロール出来る範囲であれば、いくらでも食べ物となる生物を増やしていけるのだ。


「農業は世界最初の自然破壊って言うぐらい、環境を改変して行うもの。実際、田んぼとかは自然の湿地帯を破壊して作ったものだしね」


「ふぅむ、成程。そういうやり方であれば、たくさんの食料を安定して得られるのも納得です」


 自然を自分にとって都合良く改変し、その環境に適した食べ物を管理して育てる。

 このやり方なら、アイシャが言うように食べ物を安定的かつたくさん手に入れられる。確かにとても魅力的で、人間という種が繁栄した原動力と言っても過言ではない。

 だが、それに飛び付くのは早計だ。

 どんな事にも表と裏がある。大きなメリットがあるという事は、同じぐらい大きなデメリットもある筈だ。仮にデメリットが些末なものであるなら、この星の生物も進化で農畜産を会得しているだろう。それに地球と惑星シェフィルでは環境が大きく違うので、地球で上手くいったやり方が通じるとは限らない。


「それで? 何か大きなデメリットもあるのではありませんか? この星でそんな事してる生き物、見た事ないですし」


「……そうね。地球にはアリとか魚の一種が農業をしているし、アリはアブラムシを牧畜していると言えるかもだけど、あまり一般的ではないわ。シェフィルが言うように、重大な欠点があるからでしょうね」


「それはどんな?」


「物凄く労力がいる事よ」


 問い詰めてみれば、アイシャはあっさり白状する。

 ただ、シェフィルにはいまいちピンと来ない。

 何分シェフィルはこの惑星シェフィルの生物しか知らず、食べるために生き物を『世話』する事がどれだけ大変かよく分かっていないのだから。


「……そんなに労力が必要なんですか? メンメンみたいに適当な住処を用意して、そこを泳がせておけば良いのでは?」


「そんな簡単に済む訳ないでしょ。やる事はいくらでもある。そしてそのやる事を全部やっても、正直効率は良くないわ」


 アイシャ曰く、人類文明の最初期に行われていた農業や畜産は、あくまで狩猟採集生活の補助に過ぎなかったらしい。現代のように人類の食糧源といえるほど生産が増えたのは、相当後の時代になってからだとか。

 実のところ、『労働力』当たりの収量で見れば狩猟採取の方が圧倒的に上なのだ。自然環境は資源量こそ少ないが、そこにあるものを採るだけで良いので労力は殆ど掛からない。対して農作物は、収穫までの数ヶ月間世話が必要となる。勿論一年間食べていくなら、数をたくさん育てなければならない。それらも結局気候一つで台無しになるかも知れない。

 人口が少ない頃なら自然の資源が枯渇する心配もない。よって無理をしてでも食糧を大量生産する必要もない。このため古代人にとって、農畜産は然程魅力的なものではなかった。

 しかしそこから時代が進むと、農業機械や化学肥料、抗生物質などが開発された。更に作物や家畜自体が品種改良され、本来の種よりも「大量のエネルギーを消費して効率的に食糧を生み出す」ようになった。

 大量の労働力を注ぎ込む体制と、それを受け止められる食べ物の誕生……これにより農業の生産性が爆発的に上昇し、ようやく何十億何百億もの人間を養えるようになったのだ。

 無論、惑星シェフィルの生物にそんな『下ごしらえ』は一切ない。


「だから私達に出来る農業や畜産も、狩猟採集の補助的なものが限度でしょうね。今の人類みたいな、それだけで生きていくのに必要な食べ物を生産するのは多分無理。それが出来るのは、私達の子孫が文明を発展させた後の話よ」


「ふーむ、そういう事ですが」


 デメリットについて聞いて、シェフィルは一度考え込む。

 人類文明の農業・畜産は、あくまでも極限まで発展したもの。対してシェフィル達がやるのは、道具も技術も整ってない状態でやる、極めて非効率な最初期のもの。同じ行動に見えて内容は全然違う。

 現代人類文明ほどの恵みを期待したら、痛い目に遭うだろう。

 ……だが、期待抜きに評価しても悪いものではないと分かる。確かに生活の基盤とするには色々問題はあるが、原始時代の人類と同じく補助的に使うのであれば十分役立つ可能性が高い。その補助にどれだけ労働力が必要かは分からないが、最初から補助としてやるなら割り振る仕事量を調整する事は出来る。もしも色々しんどかったら止めれば良い。補助であれば、止めたところで痛手にはならないのだから。


「さっきは良い案が閃いたって感じで言ったけど、手放しでやれる事じゃないわ。だから、シェフィルはどう思う? やってみたい?」


 しばらく考えていると、アイシャがこちらの目を見ながら尋ねてくる。こちらに判断を委ねるような言い方は、無理強いしないという意思表示か。

 とはいえ先の喜びようと、説明中に見せた自信たっぷりな態度からして、アイシャはやりたくて堪らないのだろう。

 勿論アイシャがいくらやりたくても、その選択が不利益をもたらすなら拒否しなければならない。アイシャを愛するからこそ、なんでも言う事に従う訳にはいかない。アイシャの事が好きで好きで堪らないが、そこで優先順位を誤るほどシェフィルの本能は脆弱ではない。

 冷静に、数式的に思案。数十秒ほどでシェフィルは一つの結論に至る。


「そうですね。やってみるとしましょうか」


 アイシャに返した答えは、積極的な同意だった。


「やった! ありがとシェフィル!」


「いえいえ。私はあくまで合理的に判断しただけです。それに私は農業や畜産に関する知識がありません。この星の生物についてのアドバイスは出来ますが、作業を主導するのはアイシャですからね?」


 聞かれれば、シェフィルもあれこれ答える事は出来る。だがそれだけ。「大人しい生物」などは答えられても、「農業に向く生物」は答えられない。

 料理の時と同じく、主導するのはあくまでもアイシャだ。

 勿論、シェフィルはただアイシャに丸投げしたつもりはない。農畜産をやるだけでも幾つかのメリットがあると感じたからこそ、アイシャの意見に賛同した。

 まず、食料源を増やせる。

 自然は不安定だ。ある程度の傾向はあるものの、どの生物がどれだけ増えるかは分からない。最悪、食糧となる全ての生物の個体数が不運にも壊滅的に少ない時もあるだろう。

 人間は雑食性の強い生物であり、様々なものを食べるのでその不運に見舞われる確率は低い。だが決してゼロではない。その時、たとえ補助的でも安定した食糧源があれば生き残る役に立つだろう。

 そしてもう一つの理由は、色々な生存術を試すなら今しかないから。


「(何時、アイシャと私の子が出来るか分かりませんし)」


 散々愛し合い、交尾してきたのだ。既に自分達の子が出来ていてもおかしくない。妊娠したら、そのうち子供が産まれ、間髪入れずに子育てが始まる。

 人間の子育てがどれぐらい大変か、シェフィルは母からある程度伝え聞いている。シェフィルとアイシャの二人でも、きっと大変な日々になるだろう。そんな状況では新しい事にチャレンジする余裕なんてない。

 また、今のシェフィル達はそこまで追い詰められていない。もしも飢死寸前のような状態で農畜産を始めるなら、必ず成功させる必要がある。余裕がない以上、投入したリソースを必ず回収しなければ『死』が待っているのだから。しかし今のシェフィル達はそこまで危機的状況ではないので、面倒臭くなったら気軽に止められる。

 総合的に考えて、今ならメリットが大きく、デメリットは小さい。新しい事を始めるタイミングとしては最適だろう。


「(なんて、あれこれ考えてますが……)」


 そこまで理性的に、合理的に考えてから、シェフィルはちらりとアイシャの方を見遣る。


「やったやったー! えへへ。ちょっと農業とか畜産にも興味あったのよねー。自分で料理作るから、食べ物を作るってどんな感じなのかなーって」


 シェフィルが農畜産に賛同した事に、アイシャは大喜びしていた。どうやら内心、興味本位でやってみたかった事らしい。

 実利があるのだから、提案者の内心なんてどうでも良い。数学的に思考する惑星シェフィルの生物ならそう考える。シェフィルも、自身の脳神経(本能)が導き出す結論はそんな無感情なもの。

 だけどシェフィルの中にある人間的な部分は、実利よりも幸せそうなアイシャの姿が見れた事を喜ぶ。嬉しそうなアイシャを見られただけで、農畜産を始める甲斐があると本心から思う。


「じゃあ早速始めましょ! 善は急げよ!」


「おーっ」


 楽しそうに拳を突き上げるアイシャに、シェフィルも同じく拳を突き上げて応えるのだった。

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