穏やかな日々02
高さ三メートルを超えるトゲトゲボーの茂みの中を、体長一・六メートルに達する大型生物が闊歩していた。
体躯はずんぐりむっくりとした芋虫型で、六本の太く逞しい脚を用いて這うように歩く。脚は大柄な体躯を持ち上げるほどのパワーを持つが、前方に偏って生えており、芋虫のような体躯の六割ほどが地面を引きずっている状態だ。
表皮は柔軟なため自由に曲がり、Uターンもお手の物。しかし防御が手薄という訳ではなく、表皮が分厚くなって出来た肉の装甲が背中を覆うように存在している。背中よりは柔らかな胴体側面には数ミリ程度の棘を体毛の如く無数に生やし、強く触れてきた相手に反撃をお見舞いする仕組みが備わっていた。そんな体表面は一見して綺麗だが、よく見れば小さな傷跡が幾つも見られる。
丸い形の頭部は大きさ十センチほどであるが、こちらは身体と違って甲殻質で出来ていた。口器は左右に開く牙のような大顎(人間の手に匹敵する大きさだ)で出来ており、棘だらけのトゲトゲボーを平然と噛み砕いて食べている。
シェフィルはこの生物をオオトゲイモと呼んでいる。オオトゲイモはトゲトゲボーが繁殖を始めたのと同時期に出現する生物で、この地域では比較的よく見られる生物種の一つだ。性格は大人しく、また単独行動を好む。トゲトゲボーを食物としている性質上、シェフィル達人間ぐらいの大きさの生物を積極的に傷付けるような攻撃的能力もない。
更に繁殖力も優れており、体長一メートルを超えた辺りから(有性生殖を行うため別個体と頻繁に出会えたならの話だが)十時間に一度卵を数個産む。一度の産卵数は五十〜三百程度。長く生きた、大型の個体ほど産卵数は多い。個体数は非常に多く、大型種でありながら夏には頻繁に見られる。今季は原種返りに虐殺されていたのか、今の今まで姿が見られなかったが。
そしてその肉に人間に対する毒はないので、食用となる。
味についてはアンモニアに似た臭気と、激烈な渋味、突き刺すような酸味の混合物といったところ。酷いものだが、人間に対する毒性は殆どない。アイシャが料理してくれれば不味さも多少マシになるだろう。
この時期に狩れる獲物としては特に好ましい種だ。オオトゲイモから五メートルほど離れた位置にある、茂みの中に身を隠しているシェフィルは思わず笑みが零れてしまう。
茂るトゲトゲボーによってオオトゲイモの姿は殆ど見えないが、言い換えればオオトゲイモからもシェフィル達の姿はほぼ見えていない。此処なら安全な観察が可能と判断。シェフィルは生い茂るトゲトゲボーの中で身を屈めながら、アイシャと狩りの相談を行う事とした。
「アイシャ、あのオオトゲイモを狩りましょう」
「ええ……あれを食べる事に抵抗がないの、この星に慣れてきたって感じがするわねぇ」
シェフィルの傍にはアイシャがいて、物思いに耽るように空を見上げる。その手に持つ弓をぎゅっと握り締めながら。
プリキュとの戦いで、アイシャにも戦う方法があると分かった。
それが弓矢を用いた遠距離戦闘。プリキュの時に使った弓は壊されてしまったが、今回の獲物探しを始める前に新しく作った。そして前回と違い、時間的な制限もなく素材を厳選・加工出来たため、より性能に優れる弓矢が完成したとアイシャは言う。
アイシャの援護が得られるようになれば、狩りの効率は大幅に向上する。戦力が増える事で今まで一人では危険だった相手も狙える=獲物の種類を増やせるし、交戦距離が違えば互いに苦手なところを補えるからだ。包囲や誘導など、使える作戦も増える。
トゲトゲボーが視界を塞ぐぐらい茂っているため、現状弓矢の射線は確保されていない。しかしシェフィルが相手の動きを拘束すれば、その間にアイシャは射線の通る場所へと移動出来る筈だ。オオトゲイモが暴れればトゲトゲボーも薙ぎ倒され、射抜きやすくなる。十分戦力になってくれるだろう。
……あくまでも、理想の上では。
「ところで、シェフィルは武器を作らないの? 骨とかはないけど、トゲトゲボーでも槍を作れるんじゃない? 私の弓矢はトゲトゲボーに遮られて撃てない可能性もあるけど、槍とかならまだ使えると思うのよね」
「作れますけど、今の時期はいらないですかねぇ。まぁ、オオトゲイモと戦えば分かりますよ」
シェフィルの思わせぶりな言葉に、アイシャはこてんと首を傾げる。
こういう事は実際に経験しないと分からないものだ。なので詳しい説明をする事なく、シェフィルは狩りのために動き出す。
「私が出て、オオトゲイモの動きを止めます。私がアイツの背中にしがみついたところで、アイシャは矢を撃ち込んでください。胴体部分の表皮は頑強なので恐らく弓矢は通じないと思いますから、狙うとすれば脚が良いですね」
「分かった。ちゃんと当てられるか分からないけど、頑張る」
「期待しています。では……がああああああ!」
一通り作戦を説明した後、一呼吸入れてからシェフィルは茂みから跳び出す。
雄叫びを上げたのは身体の力を最大限発揮するため。五メートルと離れた位置でオオトゲイモを観察していたのも、これ以上近付くと気付かれる恐れがあったからだ。限界まで接近したら、惜しみなく全力で走り出して捕まえる……これがオオトゲイモ狩りの最適解である。
しかし、最適解だからといって必ずしも捕まえられるとは限らない。
「ギプィイイィイイッ!」
シェフィルの存在に気付いた瞬間、オオトゲイモは身を翻して動き出す! 猛然と接近してくるシェフィルを、直感的に敵と判断して逃げようとしているのだ。
オオトゲイモは芋虫型の体躯をした生物である。この形態は餌の消化・吸収に特化しており、食べたものを無駄なく活用出来る。早い成長と高い繁殖力を生み出す形態だが、反面素早い動きは困難。オオトゲイモも『歩行』スピードは極めて遅い。
だがそんな事はオオトゲイモ自身も……知性ではなく本能的に……知っている事。逃げ出す時にわざわざ走るような真似はしない。
代わりに、跳ねるのだ。
オオトゲイモは液状体組織の中に、強靭な筋繊維を有している。この筋繊維は持久力に乏しいが、瞬間的なチカラを生むのは得意だ。更に体液を身体の前方に集める事で重心を動かし、運動エネルギーを効率的に利用して飛距離を伸ばす。
それでも跳躍高度は高々数十センチ、飛距離も五メートルが限度である。だが瞬間最高速度は時速一千五百キロ以上に達する。これほどの速さになると、身体能力に優れた捕食者でも追い付く事は出来ない。
そうして距離を開けたら、また跳躍。この繰り返しにより、瞬く間に遠くへと逃げてしまう。オオトゲイモは単に成長速度や繁殖力に優れるだけでなく、捕食者に対する生存能力も高い種なのだ。
とはいえこの逃げ方も無敵ではない。跳躍のエネルギーを溜め込む一瞬、その場で強く大地を踏み締める必要がある。この一瞬の間に肉薄すれば、捕獲のチャンスはある。
「(間に合っ、たぁ!)」
シェフィルは跳ねる前のオオトゲイモに肉薄し、臀部(腹部末端という方が正しいが)の背中側の肉を掴んだ――――が、オオトゲイモは構わず跳躍。
オオトゲイモの体長は人間と大差ないが、その身体はずんぐりむっくりしたもの。身体は柔軟ながら分厚い表皮により支えられており、中の液状体組織も固体に近い密度がある。このため体重は体格以上に重く、今回シェフィル達が出会った個体の推定体重は二百五十キロ以上。六十キロに満たないシェフィル一人がしがみついても、オオトゲイモからすればちょっとした重石ぐらいのものでしかない。
シェフィルを連れて数メートルと飛ぶオオトゲイモ。スピードは多少落ちていたが、突進されたトゲドゲボー達が破片となって飛び散るほどの威力を持つ。オオトゲイモにしがみつくシェフィルも、この激しい突進の余波を受けて身体が浮かび上がる。
このままでは振り解かれる。とはいえシェフィルは暴れるオオトゲイモを掴むのに必死で、中々手が出せない。
ここは遠くで控えているアイシャが頼りだ。
「シェフィル! 今助けるわ!」
そのアイシャは弓を構えながら、オオトゲイモの後を追ってきた。
オオトゲイモが移動した後であればトゲトゲボーは薙ぎ倒され、空間は開けている。この状態なら弓矢による攻撃は可能だ。
ただし、ほんの一瞬であれば。
オオトゲイモは大人しくアイシャに狙われるのを待たない。着地後即座に次の跳躍の用意をし、アイシャが弓を構える頃にはもう跳ねて移動していた。勿論アイシャはすぐに後を追うが、オオトゲイモは跳ぶのを止めない。シェフィルがしがみついているため、これを振り解こうと必死になっているのだ。
そしてオオトゲイモは、決してアイシャと向き合わない。
何故ならオオトゲイモは獰猛な捕食者ではなく、トゲトゲボーを食べる大人しい生物だから。敵に襲われたら戦わずに逃げる。非力なアイシャを殺す事はオオトゲイモなら可能だろうが、オオトゲイモはその行動を選ばない。だから決してアイシャの前に長時間居座らない。
これでは弓矢で射抜くための射線と時間が確保出来ない。アイシャは必死に追い駆けてくるが、それ以上の事は何も出来ていない体たらくだ。
「っ! 今っ……!」
それでも執拗に追い駆けた甲斐もあって、ついにチャンスを掴む。狙いやすい角度で、ほんの少しだけオオトゲイモは今までよりも跳躍に時間を掛けたのだ。大地を踏み締める六本の太い脚目掛けてアイシャは矢を放つ――――
筈だった。
「いっつ!?」
この肝心な時に、弓を引く腕がトゲトゲボーに当たってしまう。
素早く弓を引こうとした分、勢い良く動いた腕には深々と棘が刺さった事だろう。あまりの痛さからか構えた弓は傾き、撃ち出された矢はオオトゲイモを外す。
「キプィッ!」
「げふっ」
矢を受けなかったオオトゲイモはとびきり力強く跳ね、シェフィルはその勢いでオオトゲイモの尻に胴体を打ち付ける。巨体との衝突により力が弱り、ついに振り解かれてしまった。
自由になったオオトゲイモは、反撃なんて一切する素振りもなくまた跳躍。シェフィルが抑えていない分、より遠くまで跳んでいった。
最早追い付く事は出来ないと判断し、振り解かれた後のシェフィルはそのまま仰向けで地面に横たわる。アイシャもオオトゲイモを追うのは止め、申し訳なさそうな表情を浮かべながらシェフィルの顔を覗き込んだ。
「……ごめんなさい。動きが速くて、全然狙いが付けられなかった。しかも肝心な時に外すなんて……」
「あー、気にしないで良いですよ。状況的に、武器が上手く扱えないのは想定内ですから」
アイシャの謝罪を、シェフィルは軽い言葉で流す。
生い茂るトゲトゲボーは、単に視界を遮るだけではない。硬くて丈夫、そして棘だらけであるがために、シェフィル達の動きを妨げてくる。四肢を振るうだけでも、正直かなり邪魔臭い。
槍などの武器は素手よりも射程が伸びる。言い換えれば、素手よりも広い空間がなければ何かしらに引っ掛かり、動きが妨げられてしまうものだ。これでは攻撃力を活かせないどころか、動きを制限された挙句、下手をすれば予期せぬタイミングで隙を晒す事もあり得る。
そんなミスや行動制限を受けるぐらいなら、最初から武器なんて持たない方が良い。故にシェフィルは槍を作らず、素手でオオトゲイモを捕まえようとしたのだ。
「こんな事なら、弓矢なんて持ってこない方が良かったかしら……」
「いえ、それは違います。アイシャは弓を使った方が良いです」
とはいえこれはシェフィルの事情だ。肉体的な戦闘能力で劣るアイシャには、武器が必要である。
それに遠距離からの狙撃が効果的なのは言うまでもない。今回はトゲトゲボーに邪魔され命中しなかったが、もしも脚に当たればオオトゲイモの動きは止まり、シェフィルが攻撃するチャンスもあっただろう。シェフィル一人で挑むより、仕留められる確率は格段に上がっている筈だ。
要するに、必ず矢による援護がある、と考えるのが間違い。矢による援護もあるかも知れない、という考え方であれば間違いなくアイシャが弓矢を装備する事は『戦力強化』となっている。
「まぁ、気にしないでください。そもそも大物狩りは失敗するのが普通ですし」
そして一番重要なのは、オオトゲイモのような大物は簡単に仕留められるものではないという事。
あのオオトゲイモの身体には、幾つもの傷痕があった。小さな頃から幾度となく天敵に襲われ、肉が切り裂かれるような怪我を負ってきたのだろう。この星の生物密度を鑑みれば、なんらおかしな話ではない。
だが今回シェフィル達の前に現れたように、今もオオトゲイモは生きている。つまりあのオオトゲイモは、今まで出会ってきた全ての天敵から逃げ果せてきたのだ。戦わないだけで、あのオオトゲイモも自然界では『強者』と呼ぶに相応しい存在なのである。強者相手に勝負を挑んでいるのだから、シェフィル達が負けてしまうのも不思議ではなかった。
しかし負けるのが普通なら、こういう考え方もある。
「……ふと思ったんだけど、別に無理して大物狙う必要なくない? 前みたいに小さな虫を集める方法でも食べ物は集まるわよね?」
アイシャが尋ねてきたように、小さな生き物を狙うのも一つの手だと。
実際、そのやり方は今の時期だと最適解ですらある。トゲトゲボーが繁殖した事で、それを餌にする小さな生物の個体数は膨大なものとなった。元々小型種というのはバイオマス量に換算すれば大型種よりも遥かに多い(そうでなければ捕食者を養うなんて出来ない)が、夏の時期は繁茂するトゲトゲボーのお陰で生存率が上がり、よりバイオマス量を増やしている。つまり単純の量では、小型種の方が大型種よりも遥かに上なのだ。
小型種は巧みに身を隠しているが、知力を持つシェフィル達なら探し出すのは難しくない。おまけにそこら中にいるので、集めるために歩き回る必要すらない。生きるのに必要な分を集める事は難しくないだろう。
しかし、とある理由からシェフィルは大物を狙いたかった。
「……駄目ではないです。ですが、大物の方が良いです」
「良いって、何が?」
「だって小さな生き物を集めるのは、すごく効率が悪いじゃないですか」
小型種を集めるやり方は、二つの欠点から極めて効率が悪い。
一つは、労力に対して『肉量』が少ない事。小型種はトゲトゲボーの棘と棘の隙間など、当たり前だが外敵から攻撃され難い場所に潜んでいる。いくら知性を用いて的確に隠れ場所を狙えるといっても、この隙間に指を突っ込んで獲物を引きずり出すのは極めて面倒臭い。
これほど苦労したのに、捕まえられたのは爪先ぐらいの大きさしかない小さな生き物。一匹だけでは全然足りず、何百何千も集めなければ必要なカロリーには達しない。
何時間も掛けて、ようやく腹が膨れるぐらいの数を確保出来るだろう。これなら最初から大物を狙っても労力的には大差ない。更に他の細々とした作業も加わるので、もっと効率は悪くなる。
二つ目の欠点は、備蓄が出来ない事だ。種にもよるが、小型種の多くは身体の構造が単純で再生能力に優れている。ウゾウゾのように、バラバラにしても数時間で肉片全てが新個体となるだろう。そして元通りになり次第、各々が勝手に逃げ出してしまう。たくさん集めても次の食事の分にはならない。都度都度食べ物探しに出る必要がある。これは中々面倒だ。
「いやまぁ、そうだけど。でも食べ物を確実に確保する方が大事じゃない?」
とはいえ、あくまで非効率なだけ。近くにいるか分からない大物を探すのと違い、小型種は間違いなく傍にいる。確実に、必要な量の食べ物を集めるなら間違いなくこのやり方が正しい。
かつてのシェフィルなら、迷わずアイシャの意見に同意しただろう。だが、今のシェフィルには頷けない。一切否定しないしその通りだとも思うが、どうしても容認出来ない。
「……だって、効率悪いとアイシャと愛し合う時間が減るというか、ちょっとの間しか出来ないじゃないですか」
何時間も掛けて一食分を集め、それを食べても数時間後にはまた次の食べ物を探しに行かなければならない。睡眠や調理時間を考えると、『余暇』として使えるのはほんの僅かな時間だけだ。
単に交尾するだけなら、その僅かな余暇で十分だろう。他の生物種は食事と休憩の合間にささっと交尾して、効率的に次世代を生み出しているものだ。
だがシェフィルはアイシャを愛したい。心身が溶け合うぐらい情熱的に、生存に不利なほどに絡み合いたい。数分のうちにちゃちゃっと愛してまた食べ物探しなんて、そんな興が削がれる事はしたくない。
やるんだったら徹底的に、アイシャと一つになったと思えるぐらい愛を交わしたいのだ。
「て、徹底的って、もうっ。あんまり恥ずかしい事言わないでよ」
そして赤面するアイシャは、反論しつつも満更ではなさそうだった。実際嫌ではあるまい。ほんの少し前の姿を思い起こせば、わざわざ聞くまでもない事だ。
「そんな事言って、さっきはアイシャからもっと愛してって言ってたじゃないですか」
聞くまでもなくても、恥ずかしがるアイシャが可愛いのでつい言ってしまうシェフィルであるが。
アイシャは更に顔を赤くする。今までなら此処で怒り出しただろうが、今のアイシャはシェフィルと同じく愛を求めるもの。怒るどころか、口の端がもにょもにょ動いて若干笑みを浮かべていた。
「あーっもう! 私だってたくさん、ずっと愛されていたいわよ! さっさと大きい獲物を捕まえて、またイチャイチャするわよ! おー!」
「おーっ!」
アイシャは拳を高く突き上げる。意図は分からないが、シェフィルも真似して同じポーズを取る。
自分達の想いを叶えるため、シェフィル達は再びトゲトゲボーの茂みを掻き分けて進む。
残念ながらどれだけ意気込んだところで、大自然は人間の願いなど聞き届けてはくれなかった。




