恋する乙女達14
「コ……!?」
アイシャに飛び付かれたプリキュは、僅かに動揺を見せる。
しかし慌てる様子はない。慌てる訳がない。アイシャの攻撃が大した脅威でない事は、これまで繰り広げてきた戦いの中で既に明らかとなっているのだから。何かされても少し痛いだけで致命傷とはならない。
冷静に排除すれば良い。手で適当に払うなり、届かないなら尻尾を振るうなり。やりようはいくらでもあって、なんら急ぐ必要はない。
だからこそプリキュは、アイシャを今の今まで放置していた。お陰でアイシャは『策』を使える。
「(思った通り、まだ傷が残ってる!)」
二回、同じ場所に矢を撃ち込んだ。リスクを承知で近くから放った甲斐もあり、正確に傷跡が刻まれている。液状の体組織しかないウゾウゾ等と違い、プリキュの体内には発達した筋肉があるらしく、湿った肉が露わとなっていた。
もしもプリキュ達の再生能力がウゾウゾ並に優れていれば、今頃傷なんて完璧に治っているだろう。しかしプリキュ達にそこまでの再生力はない。ある訳がない。シェフィルを圧倒するほどの戦闘能力、つがいの状況を把握し常に正確なフォローを行う情報処理能力……高等で洗練された肉体は、修復に莫大なコストと時間が必要なのだから。
そして身体の内側には中枢神経がある筈だ。地球生命と違い、中枢を破壊したところでプリキュは死なないだろう。だが身体の動きは止まる。高度で優秀な身体能力を発揮するには、情報を統合して処理する必要があるのだ。情報処理を担う器官が損壊すれば、少なくとも器官が再生するまではろくに身体を動かせない。
動きさえ止めれば、後はシェフィルがなんとかしてくれる。
「っやあああああああ!」
一番頑丈な矢を握り締め、アイシャはプリキュの背中に叩き込んだ!
渾身の力と言っても、アイシャの貧弱な筋力が生み出す力など小さなものだ。相手のプリキュが全くの無傷であれば、矢は浅いところで止まっていただろう。しかし治りきっていない、表皮より柔らかな肉が剥き出しになった場所なら話は別。
アイシャが突き立てた矢は、プリキュの肉に深々と食い込む!
肉を突き破る感触が、アイシャの手に伝わってくる。肉の感触自体は料理などで散々体験しているが、仕留める前の大型生物の身体は『食材』とはまるで違う。生命の活力が、矢を通じて伝わってきた。
だが、命を奪う事への嫌悪は湧かない。
そんな上から目線の感情が湧くほど、プリキュの肉体は弱々しくない。矢から伝わる力は弱るどころか、今にもこちらを押し返そうとしてくる。体内に手が届こうとも、人間ではこの怪物には及ばないのではないか――――
圧倒的な生命力に気圧され、アイシャの手が一瞬止まる。ほんの一瞬、瞬きよりも短い刹那の間であったが、プリキュからすれば十分な時間だ。
「ゴキャアアア!」
「う、ぐ!?」
プリキュは振り返りながら、大きく腕を振るって反撃してきた! 跳び付く形で背中に張り付いていたアイシャには、この攻撃が躱せず。殴り飛ばされてしまう。
「コオオオオオオ……!」
プリキュは健在だった。突き立てた矢は中枢神経に届いていないのか、或いは情報処理能力を失うほどの傷ではなかったのか。反撃出来ない状態には至らなかったようだ。
そしてアイシャの攻撃が極めて危険だった事も理解しただろう。
今までアイシャへの対処がおざなりだったのは、アイシャが脅威ではないと認識されていたからだ。より脅威度の高いシェフィルへの対処を優先した結果、アイシャを深追いしなかった。しかし今の攻撃は、最悪身体の制御が出来なくなる極めて危険なもの。もう適当な対応をする訳にはいかない。
プリキュがアイシャに迫る。危険ではあっても脆弱ならば、迅速に殺害すれば良い。ここでアイシャを始末するつもりなのだろう。
なんと正しい判断か。状況に応じて脅威度を変え、適切に対処している。高度な知性を持ち合わせている証だ。アイシャもプリキュの聡明さについては異論などない。
だが、奴等には足りていない。
『仲間』に頼るという発想が。その仲間が、自身の危険を顧みず自分を助ける可能性と言うものを。野生的かつ合理的であるがために。
非合理なアイシャは信じていた。
「があああああああっ!」
シェフィルであれば、必ずこの状況を見逃さずに駆け付けてくれると。
シェフィルはもう一体のプリキュを無視して、アイシャを襲おうとしているプリキュ目指して一直線に駆けていく。もう一体のプリキュはシェフィルを追い、ガラ空きの背中目掛けて尻尾を振るう。
強烈な一撃を受け、シェフィルの服は呆気なく切り裂かれる。柔肌に一筋の赤い傷口が出来、血だけでなく肉も飛び散った。普通の人間ならば、いや、鍛え上げた肉体を持つ軍人でも、その痛みに足を止めてもおかしくない怪我だ。
だが、シェフィルは走り続ける。
尻尾を振る攻撃は威力こそ強力だが、その体勢故すぐには走り出せない。だからシェフィルが離れていくのを――――シェフィルが、アイシャを襲おうとしているプリキュの背後に肉薄する事も、尻尾を振ったプリキュには止められない。
「ぅううがあああああああ!」
シェフィルが叫ぶ。声ではなく強力な電磁波の形で放たれたそれは、物理的なエネルギーはほぼ有していないにも関わらずアイシャの身体が痺れるほどの衝撃をもたらす。
そしてシェフィルは跳び、アイシャに迫るプリキュの背中を蹴る。
ただの蹴りなら、勿論ダメージはあるが、大したものではないだろう。シェフィルとプリキュの身体能力差は、気持ち一つでひっくり返るほど小さくない。だが今プリキュの背中には、矢が突き刺さっていた。
シェフィルの放った蹴りは、その矢を正確に打つ。矢は深々と沈み……そして奥にある神経まで到達。
情報処理の中枢である神経が傷付き、プリキュの全身が一瞬硬直する。人間ならば脊髄損傷に該当する致命的な怪我であり、身体の動きが止まるのも仕方ない。むしろ全身のほんの一部とはいえ、片手を動かして反撃してくるだけでも凄まじい生命力だ。
アイシャであれば、反撃に驚き自身も硬直したに違いない。しかしシェフィルはもう十五年もこの星で生きている身。この星の生物がどれだけ逞しいか知っている。
「ふぬぅううううっ!」
プリキュの苦し紛れな反撃など無視。蹴りを入れてすぐ、シェフィルは片手で刺さった矢ことトゲドゲボーを掴み……さながらレバーを操作するように力強く押し下げる!
背中の肉と神経を大きく引き裂かれては、さしものプリキュもただでは済まない。全身を痙攣させ、四肢も尻尾もピンっと張り詰めた。ここまでダメージを受けても、プリキュはシェフィルを切り裂こうと鋭い爪を構えたが……最早シェフィルどころかアイシャよりも動きが遅い。シェフィルは回し蹴りを放ち、プリキュを突き飛ばす。
中枢神経系が傷付いたプリキュはまともに身体を動かせず、蹴られた勢いのまま地面を転がっていく。トゲドゲボーの茂みに突っ込み、その衝撃の強さを撒き散らす破片が物語る。
「コ、コキャ、キ、キィィイイィイ!」
ここまでのダメージを受けながら、しかしプリキュは死なない。力強い咆哮を上げ、闘争心を露わにしていた。
とはいえ中枢神経は未だ損傷しているため、満足に身体は動かせない様子。立ち上がる事さえ出来ず、這いずり回るのがやっとといったところか。
「……コクルルルル」
這いつくばるプリキュの下に、もう一体のプリキュがやってくる。藻掻くプリキュはつがいが来た事で落ち着きを取り戻し、激しい闘争心を露わにしつつアイシャ達を見つめてくる。
藻掻くプリキュを、もう一体のプリキュはしばし見下ろす。次いでアイシャとシェフィルに目を向けてきた。
睨むようでもなく、怯えるようでもない。無感情で無機質な眼差しは、見つめられるアイシャの心をざわめかせる。パートナーの怪我に動揺一つしない、合理的で数学的な思考は、一切の隙のなさを生んでいた。
プリキュの力は凄まじい。少なくとも疲弊したシェフィルと、弓矢を失ったアイシャよりは格段に。二対一には出来たが、戦闘力としてはどうにか五角以上といったところか。
尚且つ、中枢神経を損傷した個体もいずれ立ち上がる。ウゾウゾほどではなくとも、再生能力はあるのだ。数分もすれば中枢神経は元の機能を取り戻すだろう。そうなれば二対二の状況へと戻るが、今度はアイシャの武器がない。たとえ弓を作り直しても、恐らく同じ作戦は通じない。戦局は以前より格段に不利となる。
立ち直るまでの数分で、もう一体のプリキュを戦闘不能に出来ればアイシャ達の勝ち。出来なければプリキュ達の勝ち。そしてアイシャ達が勝てる確率は、アイシャの見込みでは五分五分よりはマシなぐらいか。
未だ一切気を弛められない。死の可能性がちらつく。
それでもアイシャが立ち向かう勇気を持ち続ける事が出来たのは、傍にシェフィルがいたから。一切迷いなく、シェフィルはアイシャの前に立つ。プリキュの攻撃は全て自分が受け、アイシャには届かせないと言わんばかりに。
愛する人が自分を守ってくれる。これほど頼もしく、愛おしい事はない。
「シェフィル! 絶対、勝つわよ!」
「勿論です! アイツら仕留めて、山盛り肉を食べてやります!」
アイシャの掛け声を受け、シェフィルも意気揚々と応える。
そして二人揃ってプリキュ達に向けて駆け出そうとした
「コアアッ!」
が、それよりも前に無傷のプリキュが雄叫びを上げる! 更に大きく足をもちあげ――――
這いつくばるつがいの首を、躊躇なく踏み潰した。
「ゴギャッ!?」
「えっ!?」
踏まれた手負いのプリキュは苦悶の声を上げ、アイシャは驚きを露わにしてしまう。何しろプリキュの行動は仲間、いや、『伴侶』への追撃だ。何故そんな事をするのか、アイシャには理解出来ない。
唖然とするアイシャに対し、シェフィルは冷静に無傷のプリキュを睨む。極めて鋭い眼光であり、仲間であるアイシャでさえほんの少し恐怖を感じるほど。
その眼差しを受けたプリキュは、大きく口を開けて威嚇。
「コカッ!」
したのも束の間、力強く跳躍した。
目にも留まらぬ速さだ。シェフィルならば反応ぐらいは出来るかも知れないが、それでも攻撃されれば回避は困難か。常に無理をしないプリキュの本気がこれなのかと、アイシャは少なからず驚きを覚えた。
ただし進む方向はアイシャ達がいる方ではなく、『後退』なのだが。
瞬く間にプリキュの姿は遠ざかり、トゲトゲボーの森の中へと消える。何時まで経っても戻って来る気配はなく、首を潰されたプリキュだけがこの場に残されていた。
この状況を現す言葉を、アイシャは知識として持ち合わせている。今も脳裏に浮かんでいる状態だ。されど口には出さない。出せない、というより出したくない。だって意識したら、あまりにも哀れに思えてしまうから。
「むぅ。アイツ、つがいを『囮』にして逃げましたね」
だがシェフィルはそこまで思っていないのか、あっさり言ってしまうのだが。
「囮って……で、でも、つがい、なのよ?」
「つがいと言っても、奴等からしたら繁殖相手以上の価値はありませんよ。相方は傷付いて動きが悪くなり、実質二対一。不利だと判断し、囮にしたのでしょう。逃げた方は相手を新しく見付ければ良いんですし。つがいの片方が捕食者にやられて死ぬなんて珍しくもないですから、次の相手を見付けるのも然程苦労しないかと」
認めたくないアイシャに、シェフィルは淡々と『合理的』な判断を語る。その言葉に異論はない。自然界において、つがいのために命を懸ける事など稀だ。危機が迫れば、繁殖相手をその場において逃げ出すのが普通。自分さえ生きていれば、次の繁殖相手と交尾するチャンスがあるのだから。
ただ、悲しい気持ちにはなる。
合理的な思考をするこの星の生物の事だ。たとえつがいに裏切られたとしても、そこに悲しみや後悔などは感じないだろう。実際残された手負いのプリキュも、絶望した素振りすらなく、今も勇ましくこちらを見ていた。逃げた『伴侶』についてあれこれ考えるより、自分が今置かれている状況に対処した方が良い。生き延びる事さえ出来れば次のつがいを見付け、次世代を残せる……極めて合理的な思考だろう。
もしも自分が同じ立場に置かれたなら、きっと、そのまま何もしないで死を受け入れてしまう――――今のアイシャはそう思う。
「勿論、私はそんな事しませんよ。アイシャと離れ離れになるぐらいなら、いっそ敵に体当りしてやります」
するとアイシャの心を読んだかのように、シェフィルはそう語る。
嬉しかった。
シェフィルはきっと、アイシャの気持ちなんて察していない。察せないタイプではないが、そんな気遣いは今の言葉からは感じられないのだから。
純粋に思った事を言っただけ。だからこそ、自分とシェフィルは同じ事を考えている。相手がいなくなったら生きていけないと、相手も思ってくれている。普通ならば確かめようもない事が確信出来て、恋に生きている身として嬉しくなってしまう。
さて。嬉しい気分をもっと盛り上げるには何が必要か?
やはり、肉料理だろう。肉の美味さや満腹感、そこからもたらされる多幸感が加われば最強だ……菜食主義者が聞いたら怒り狂いそうな、しかしこの星では仕方ない考えにくすりとアイシャは微笑む。
「ええ、私も同じ気持ち……ちなみにこいつはどうする?」
「とーぜん、美味しくいただきます」
念のため我が伴侶の意見を確認し、やっぱり同じ考えである事に喜ぶ。
そして目の前の生き物を『肉』に変えるべく、二人揃って残されたプリキュに歩み寄るのだった。




