恋する乙女達04
どんっ! と音がしそうな勢いで(無大気なので音は鳴らない)、アイシャはミミミの身体を地面に置いた。
このミミミは先程シェフィルが捕まえてきたもの。既に『止め』は刺されていて、無数にある脚はぴくりとも動いていない。だが止めと言っても、大きな傷を与えて一時的に行動不能へと陥らせただけ。放置すればいずれ再生し、活動可能な状態へと戻る。
料理する時には、まずこの再生能力を阻害しておく。
アイシャはミミミの身体を裏返し、腹が上を向くようにする。ダンゴムシと同じく頑強な甲殻で身を守っているミミミだが、その殻があるのは背中だけ。腹も一応節足動物的な甲殻で覆われているものの、背中ほどの硬さはない。頑強な殻は重い上に動きを妨げ、資源や生成に必要なコストも多い。全身をすっぽり覆い尽くすより、攻撃を受ける背中側だけ守る方が適応的な進化だったのだろう。
生物学的考察をしつつ、アイシャは傍に置いてある『ナイフ』を掴む。
これはシェフィルが大型生物の骨を加工して作り出したもの。アイシャが来る前から食材の剥ぎ取り、加工などに使われていたらしい。そして今ではすっかり、アイシャが料理を作るための調理器具となっていた。
惑星シェフィルの生物から作られたこれは非常に頑強で、生半可な金属製ナイフよりも耐久性に優れる。しかしどれだけ丁寧に使おうと、長らく使えば摩耗は避けられない。
既にナイフはボロボロで、遠からぬうちに壊れてしまいそうだ。
「(そろそろ新しいのが欲しい、というのが正直なところだけど)」
それを頼むのが惜しいと感じてしまうのは、これがシェフィルから渡された『プレゼント』だからか。
……シェフィルの事を恋する乙女だなんだと言ってた自分も大概だなと、アイシャは心の奥底で自嘲する。実際恋しているのだから否定する余地などある訳もないが、どうにも小っ恥ずかしい。顔がほんのり熱を帯びたように感じた。
ともあれ今は料理をしよう、とアイシャは気持ちを切り替える。そして何時も以上の気合いを入れるため、荒々しい鼻息も吐く。
気合いを入れた理由は、これがシェフィルを捕まえるための作戦だから。
作戦名は『掴もうぜ胃袋大作戦』……ネーミングセンスがないのはアイシャも自覚しているところだ。しかし効果はちゃんとあると考えている。
人間の三大欲求は睡眠欲と性欲に並び、食欲が存在している。恋愛は ― それが繁殖に結び付くという意味では ― いわば性欲の一種な訳だが、性欲は三大欲求の中でも比較的コントロールが容易な衝動だ。対して食欲は、軽度であれば問題なく我慢出来るものの、ある程度強くなれば抑え込み難くなる。性欲を満たせなくても死にはしないが、食欲は満たせないと死ぬのだから、何処かで我慢が利かなくなるのは当然と言えよう。
美味しい料理を作れば、シェフィルは我慢出来ず近付いてくる筈。そのまま一緒にご飯を食べ、満ち足りた気持ちの中で話す。恋や愛について語らい、気分が高まった二人の唇は近付き合って――――
……途中から欲望が出てきた気がしたので、アイシャは一旦思考を止める。ともあれ良い作戦だと自画自賛。むしろ何故これを最初にやらなかったのかと、自分の間抜けさに呆れてくる。
間抜けという汚名を返上すべく、アイシャはミミミ調理を進める。
まずミミミの腹をナイフで切る。甲殻と比べて柔らかいとはいえ、簡単に切れるほど軟でもない。そこで腹側の甲殻と背中側の甲殻の間、二つの接合部分にナイフを差し込む。刺したナイフは力尽くで引き、腹と背中の甲殻を切り離す。
「ん、しょ」
腹側の甲殻を外したら、次は腹の中身である内臓を取り除く。具体的には胃や腸。ミミミはウゾウゾなどと違い、それなりに発達した消化器官を持つ。毒性の強いトゲトゲボーを消化するため、消化能力を発達させたらしい。
消化器官自体に毒性はないが、ここには消化されたトゲトゲボー……要するに便が詰まっている。うっかり食べたら失神するほどの不味さに襲われ、しかも衛生的によろしくない。更にミミミが好んで食べるのはトゲトゲボーの中でも毒性の強い種。消化酵素で徹底的に分解するので理論上消化後は無毒らしいが、未消化物が混ざっている可能性もある。食べるのは控えた方が賢明だろう。
消化器官を取り除くと、残るのはどろっとした体組織だけ。肝臓や呼吸器などはない。液状体組織はそのまま食べられるが、激烈に渋い。シェフィルですら眉を顰めるほどで、美食に慣れ親しんだアイシャに至っては一瞬意識が飛ぶほど。栄養的にはアミノ酸が豊富らしいが、渋さに全て上書きされて旨味は全く感じられない。
この渋みは熱を加えると多少薄れる。よって調理方法は加熱一択。
今回は煮る事にした。
「よっと」
熱源に使うのは油石。服にしまっていた(料理のためよく使うので、しまうためのポケットを毛皮の服のお尻部分に作った。少量ではあるがここに油石を格納している)ものを手に取り出す。
握る事で着火する、という性質に最初は戸惑ったものだが、今ではすっかり慣れた。何度もやっていればどの程度の強さで着火し、どのぐらいの時間で熱が伝わるかも把握出来る。或いは何度も火傷しているうちに、手の皮が厚くなったかも知れない。
火を付けたら、その周りに石を適当に何個か並べる。置いた石で炎を囲う台座を作ったら、上に乗せるは先程下処理を終わらせたミミミ。背中側の甲殻を下にして、火で焙るようにする。
甲殻を炙る数万度の熱は、中身である液状体組織も加熱。ある程度温まると、組織からじわじわと汁が出てきた。
汁と言っても純粋な水ではない。もしも水なら、真空に晒されれば瞬く間に蒸発してしまう。しかし染み出した汁は沸騰しつつも中々蒸発しない。この極寒真空の星に適応した結果、ミミミの体液には蒸発を抑えるなんらかの成分が含まれているのだろう。
とはいえ体組織中の水分が外に晒される状況は、どんな生物にとってもイレギュラーな筈。そこまで強力な蒸発耐性があるとは思えず、事実沸騰している汁は刻々と量を減らしている。このままでは汁はなくなり、焼き肉が出来上がる。それはそれで美味しそうな気もするが、今作りたいのはそれではない。
「(ここで腹側の甲殻を、ほいっと)」
そこでアイシャは残していた腹側甲殻を、ミミミの腹へと戻して閉じた。
真空に晒されているからあっという間に蒸発してしまうのだ。ならば蓋をすれば良い。蒸発した水蒸気が『大気圧』の役割を果たし、体組織の水分が気化するのを防ぐ。実際は甲殻の隙間から少しずつ漏れているが、完璧な密閉が無理な以上ある程度は妥協するしかない。
甲殻で蓋した後も、体組織からはどんどん汁が溢れ出す。それが沸騰を始め、ぐつぐつと体組織を煮込む。中の様子を確認したい衝動を抑え、五分ほど火を通す。
程よく火が通ったところで、アイシャは甲殻の蓋を開いた。すると大量の蒸気がむわっと広がり、一緒に揮発した色々な成分をアイシャの鼻まで運んでくれる。
……ぶっちゃけ悪臭だ。勢い良く吸い込めば、鼻の奥を刺激する激烈な臭いにノックアウトされかねない。
小型種の臭いとしては、これでもマシな部類である。高い防御力があるので、悪臭などで身を守らなくても良いのだろう。それでも今の人類には到底食べられない、苛烈な臭気には違いない。ところが今のアイシャはこれを食べられるどころか、多少なりと胃が活動して食欲が湧いてくる始末。身体能力云々より、こういった部分の方がこの星に適応した証と言えそうだ。
ともあれミミミ煮の完成である。
「シェフィルー、いい加減隠れてないで出てきなさーい。ご飯よー」
料理が出来上がったら、大きな声でシェフィルを呼ぶ。
呼ばれたシェフィルは最初無反応だったが、しばらくすると茂みから顔を出した。生唾を飲んでおり、視線はミミミ煮に釘付け。食欲が込み上がっている事は間違いない。
やがてシェフィルはトゲトゲボーの茂みから出てきて、赤面した顔でちらちらとアイシャを見つつ近付いてきた。
やっぱり私のご飯の魅力には敵わなかったわね……そんな優越感を覚えつつ、アイシャはお皿を取りに家の中へと戻る。皿と言ってもちょっと前にシェフィルが狩ってきた生物の甲殻なのだが。
「あ、あの、アイシャ……」
お皿を持ってくると、シェフィルがか細い声で話し掛けてくる。顔は今も真っ赤で、心臓の鼓動が痛いのか胸を押さえている。
恋に苦しむ姿は、年相応の愛らしさだけでなく痛ましさもある。何しろシェフィルは、アイシャの好きな人なのだ。好きな相手が苦しんでいるのに愉悦に浸るほど、アイシャの感性は歪んでいない。ましてやその苦しみを解消する手段があるのだから、何時までも見ているつもりはない。
「ねぇ、シェフィル」
「ひゃ!?」
やってきたシェフィルの傍に、そっと歩み寄るアイシャ。シェフィルは小さな悲鳴を漏らしたが、驚き過ぎたのか身体を強張らせていた。煮込んだミミミ肉を入れた皿は受け取ってくれたが、食べる動作すらろくに出来ていない。
ちょっと緊張し過ぎにも思えるが、この隙を逃す手はない。アイシャは更に近付く。あまり大きな声で話し掛けては驚かせてしまうかも知れないからと、小さな声で、だけど聞き取れないようではいけないと耳元の近くで囁く。
「今、胸が苦しいわよね。身体も熱いでしょ?」
「うぁ、あ、ひゃ」
聞いてみてもシェフィルの口から出るのはたどたどしい声ばかり。ちゃんと聞いているのか? という疑念が湧いてくる。
ちょっと戸惑い過ぎて、話を聞くには落ち着きが足りないかも知れない。
「大丈夫。私がなんとかしてあげるから」
まずは安心させてあげよう。そんな気持ちで発した言葉に、シェフィルはぶるりと身体を震わせた。目が一層潤み、顔の赤さが濃さを増す。
この辺りで、正直「あら?」と思うアイシャ。何やら余計体調が悪化しているように見える。これは良くない。話をする前にまずは楽にさせた方が良いだろう。
「ほら、力を抜いて……」
優しく語り掛けながら、アイシャはシェフィルの手をそっと摩った
「ぴょおおおおおおおおおおおお!?」
瞬間、シェフィルから飛び出したのは妙に興奮した雄叫び。
予想外の叫びにアイシャが困惑すると、その隙をつくようにシェフィルは立ち上がってしまう。不味い、とアイシャが思った時にはもう手遅れ。シェフィルは猛ダッシュでこの場から立ち去ってしまった。料理を乗せた皿と共に。
「……あれ?」
何が悪かったのかしら? そう言わんばかりに首を傾げるアイシャ。人間の知り合いが近くにいれば、お話と呼ぶにはあまりにも艶やかな言動を窘めただろう。だが生憎この星にアイシャとシェフィル以外の人間はおらず。
問題点が把握出来ず、アイシャはしばしその場で立ち尽くす事しか出来なかった。
……………
………
…
料理したミミミを平らげた後、家の前に戻り、地面にしゃがみ込んだアイシャは小さく息を吐いた。
穏便な作戦は失敗した。そして料理を食べている間あれこれと考えてみたが、これといった妙案は浮かばず。
ならば、多少非道であるが確実な策をやるしかない。
「(正直、最低だとは自分でも思うけど)」
酷い事をしようとしている自覚はある。今からやる作戦は、シェフィルの善意と恋心を弄ぶものなのだから。
しかし良識に従ってはどうにも出来ないのなら、少しは外道な方法にも手を出さねばなるまい。時間を掛ければいずれは通じ合えるかも知れないが……此処は過酷な自然界。シェフィルもアイシャも、何かのきっかけで命を落とす事は十分あり得る。想いが通じた後なら良いという話ではないが、想いを伝えられないまま死んだら後悔してもしきれない。
人道や良識なんて野生の世界は汲んでくれない。一刻も早く、何かが起きる前に想いを伝えるため、多少非道な方法だとしてもやるべきだ。
そう心の中で決意を決めたアイシャは、
「あ、だだだだだだだ!」
わざとらしく、悲鳴染みた声を上げた。
両手で自分の足を抑え、大仰に身体を丸めて苦しんだ素振りを見せる。ごろごろと転がり、藻掻き、のたうつ。
傍から聞けば演技臭くて怪しい悲鳴だろう。ついでに言うと動作が一々大袈裟で胡散臭い。
実際痛みを訴えながらも、アイシャは痛みなんて全く感じていない。見た目通りこれはただの演技だ。
作戦名は「心配させちゃう大作戦」。
まるで怪我をしたかのように見せて、心配したシェフィルが自分の下に来るよう誘き出すのだ。いっそ失敗してくれれば笑い話となるのだが……痛みを訴えてすぐ、トゲトゲボーの茂みがガサガサと揺れ動く。
「アイシャ! どうしたのですか!?」
そしてなんの躊躇いもなく、シェフィルが跳び出してきてしまう。
どんなに恥ずかしくても、恋に戸惑っていても、自分が苦しんでいたら真っ先に助けに来てくれる。その純粋さと想いに胸がときめきそうになりつつ、ぐっと堪えてアイシャは呻き続ける。答えを返さないアイシャに、シェフィルはますます心配したようで、大慌てで駆け寄ってきた。
アイシャが跳び付いても、すぐには躱せない至近距離まで。
罪悪感は未だある。しかしここまでやって何もしなければ、ただシェフィルをからかっただけになってしまう。やると決めたからには、最後までやり切る。
「とぅ!」
「ひゃぁ!?」
決心したアイシャに跳びかかられ、シェフィルは驚きの声を漏らす。身体が強張ったようで、シェフィルはか弱い乙女のように両腕を身体の前で縮こまらせていた。
お陰でアイシャは難なくシェフィルを突き飛ばし、押し倒す事が出来た。最初目を瞑っていたシェフィルだったが、アイシャが馬乗りになっていると気付くと顔を赤くする。顔面から血が噴き出しそうだと、あり得ないと分かっていながら思ってしまうほどに。
そして顔面真っ赤なシェフィルは、縮こまるばかりで何もしない。今にも泣きそうなぐらい目は潤み、半開きの口はあわあわと無意味な声を出すばかり。少々厳しい表現をするなら、幼児退行したように見える。
それだけ、シェフィルにとって恋という感情は未知のものなのだろう。
シェフィルが恋に対しあっけらかんとした性格なら、こんなに苦しまなかったのだろうか。それとも人間の『恋』というのは、本来このぐらい苦しくて熱いものなのだろうか。或いは繁殖のために必要な本能が、自身の繁栄を追求するこの星の生命体が持つ遺伝子によって強まった結果か。恋に藻掻くシェフィルの姿を見ていると、様々な考えがアイシャの脳裏を過る。
「あ、あ、アイシャぁ……」
それらの考えも、シェフィルの熱を帯びた声で名を呼ばれたら、霞んで見えなくなってしまった。
可愛い、という言葉では足りない。愛しくて、どうしようもないほど焦がれて。
――――シェフィルが、欲しくて堪らない。
恋を自覚して、愛を伝えたからだろうか。本能的な衝動がアイシャの胸中から湧き上がってくる。シェフィルに自身の身体を狂わすものが何か答えを教えるべきだという理性的な考えなど、生物の根幹である本能には敵わない。本能で生き、繁殖を優先するこの星の生物であれば尚更に。
アイシャはそっとシェフィルの両頬に触れる。アイシャが触れた途端、シェフィルは目を瞑り、身体を震わせながら縮こまる。それは怖がっているようにも、自分に身体を預けているようにも見えて……本能に突き動かされる身体が言う事を聞かない。好きな人が恥ずかしがっているという『情報』に対し、可哀想と思う前に愛しさが噴き出す。
最初に口付けを求めてしまうのは、僅かに残った理性の賜物か。アイシャの顔が近付けば、シェフィルはその身体を震わせながらも逃げはせず。
途端、アイシャは嫌な予感がした。
何故? と思ったが、考える暇もなく悪寒がアイシャの背筋を駆け巡る。恐らくシェフィルであれば、本能的危機感に従って即座に離れただろう。しかしアイシャは『野生動物歴』一年未満の未熟者。危険を察知したとしても、すぐには動けない。
動けなかったので、シェフィルに触れているアイシャの手はじゅうっと焼ける羽目になった。
「あっつあぁあっ!?」
色気もムードもない悲鳴。反射的にアイシャは仰け反り、シェフィルの上から退く。
そうしていなければ、更に大変な目に遭っていただろう。
何故ならシェフィルの身体から、一層強烈な熱波が放たれたのだから。厳密に言えば熱というより赤外線、膨大な電磁波というのが正しい。
あくまでもアイシャの推測であるが、これはシェフィルの体温調節機能が暴走した事で生じた現象だろう。シェフィル達この星の生物は、一万度以上の体温を毎秒吸収されても凍結しないだけの『発熱能力』を有す。しかもこの能力を、食べ物で補給しながらとはいえ一生涯だらだらと続けられる。
もしも後先考えず最大出力で熱を放出すれば、その威力は絶大なものとなるだろう。それこそ人類文明なら兵器として活用出来る威力の一撃だ。中性子ビームすら吸収するこの星の生物にはダメージにならないだろうが、目眩ましぐらいには使えそうである。
名付けるなら、体内熱放射か。
――――いや、なんでロマンス昂ってる時にトンデモな新技編み出しちゃうの? 酷くない?
勝手にお触りした自分の狼藉を棚に上げるアイシャは、全速力で逃げ出すシェフィルの背中に批難の眼差しを送るのだった。




