侵略的祖先種05
全長十三・二メートル。母よりも一回り大きい。
足の数は四本。シェフィルの身体よりも太く長いそれは、びっしりと茂る体毛でも隠し切れないほど筋肉質だ。身体の方も屈強な筋肉を持ち、全体的なフォルムは引き締まった印象を見る者に与える。背ビレや甲殻などは一切持たず、だからこそ純粋な力の象徴である筋肉の存在が際立つ。
首は太く長く、立っていた時には上向きに伸びていたであろう。その先には長さ二メートルにもなる巨大な頭部があり、左右に動く顎が半開きとなっていた。口の内側に鋭い歯は見られないが、縁は硬質化しており、どんなものも容易く噛み砕くだろう。
頭部にある二つの複眼は大きく発達したもので、視力の良さが窺える。触角は短くて前に付き出した格好の、鋭い角のようになっていた。
人間が知る動物で例えるなら、首が長くて筋肉質なヌー、と言ったところか。とはいえこの星で育ってきたシェフィルは、ヌーという生物を知らない。知っているのは、自らが与えた名前だけ。
「デカポン……!」
「ずこーっ!」
その名を思わず呟けば、アイシャがずっこけた。
「な、なんでそんな気の抜けるような名前なのよ……」
「? 何と言われましても、デカくてポーンッと鳴くのでそう呼んでいるのですが」
シェフィル的にはとても分かりやすい名前なのだが、アイシャは俯きながら顔を横に振る。何か言いたげな態度だが、特に何か言ってくる事はなかった。
しばらくしてアイシャはため息を吐き、気持ちをリセットさせたのか。幾らかスッキリした顔立ちになると、改めてシェフィルに問う。
「……まぁ、良いわ。コイツはデカポンって言うのね」
「ええ。この大きさなら、若いですが成体でしょう。デカポンは冬越しの時は地中深くに潜り、トゲトゲボーが地上を埋め尽くした頃に出てきます」
「この身体で地面に潜るのは難しくない?」
「難しいので、力の強さを活かして強引に掘り進んでいきます」
地球の動物であるヌーと似た体躯のデカポンは、その見た目通り地中に潜行するのは決して得意ではない。しかし巨体が持つ桁違いの怪力により、強引に地下深くへと潜る事が可能だ。餌が地上を埋め尽くすまで、ぐーすか地下で眠っている。
今し方アイシャに話した通り、姿を現すのは餌であるトゲトゲボーが繁栄した時。覚醒後は溢れ返るパワーで暴れ回る……なんて事はせず、ひたすらトゲトゲボーを貪り食う。巨体を支えるため、四六時中餌を食べなければならないからだ。
動かないトゲトゲボーを餌にしているデカポンは、非常に攻撃性が低く、大人しい生き物である。爪や牙などの武器も持っていない。しかしだからといってデカポンが捕食者に襲われる事は、ほぼあり得ない。
十メートル超えという、この地に生息する生物としては最大級の大きさを誇るからだ。余程特殊な身体構造をしていない限り、大きさと強さは比例する。大きければ大きいほど、生き物というのは強い。十メートル超えの巨躯を誇るデカポンは、この地に生息する獣としては最強格の強さを持つ。
勿論如何に強くとも、死が身近にあるのが自然界。餌とするトゲトゲボーが不足すれば餓死するし、病原体や寄生虫の感染によって衰弱する事もあり得る。しかし捕食者に襲われて死ぬのは、まだ力の弱い幼少期ぐらいなもの。成体が捕食者に殺される事はまずあり得ない。
あり得ない、というのに。
「(何故、このデカポンは頭を砕かれ、腹を引き裂かれているのでしょうか)」
シェフィル達の前に横たわるデカポンは、頭が半分抉れ、腹が引き裂かれて内臓が飛び出し、背中から折れた神経が露出していた。
これらの傷は病などで死んだ後、捕食者に食べられた事で出来た、という可能性もある。しかしシェフィルがこの星で培ってきた感覚的に、これらの傷が食べられた痕跡とは考え難い。もしもこの死骸が食べ残しであれば、頭は兎も角、内臓や神経が残っている事はまずないからである。内臓等には重要な栄養素が豊富に含まれ、脂質などのカロリーも多く、そして硬くないので消化の負担が小さい。餌として極めて魅力的だ。これを食べ残すなんて『適応的』ではない。
他にも食べた跡としては、欠損が小さいというのもある。デカポンの死骸を見る限り、明確に失われているのは頭の半分ぐらいか。大きな頭とはいえ、全体から見れば僅かなもの。戦いの時に粉砕された、と考えるのが妥当だろう。
引き出された内臓や神経も、食べられていないという事は殺すために与えた傷の筈だ。デカポンほど大きな生物になると、身体を効率的に動かすため、筋肉や神経系が高度に発達している。そのため再生に消費するエネルギーが多く、この程度の損傷でも致命傷に陥るのは頷けるが……
「(では誰がやったのでしょう?)」
成体のデカポンを殺せる生物なんて、シェフィルが知る限り母の種族ぐらいしかいない。しかし母達がデカポンを殺すとは思えない。母達は生態系には不干渉であり、ある種の生物が爆発的に増えたとしても、『間引き』や『駆除』はしないのだ。そもそも生物を襲って食べるような事をしない。
母達がデカポンを殺す事はない。だが、そうなると他に候補が浮かばない。一体このデカポンは何に殺されたのか……
「シェフィル? どうしたの?」
考え込むシェフィルを怪訝に思ったのか、アイシャが声を掛けてきた。
……考えてみても、答えは出そうにない。答えを導き出すには、情報が足りないのだ。
ならば、目の前にある『死体』そのものを意識する方が重要だろう。
「いえ、なんでも。それよりも早めに此処を離れた方が良いかも知れません。デカポンを殺せるような生き物となると、私達が束になったところで一息でふっ飛ばされるでしょう」
「う……た、確かに、こんな大きな生き物を殺せる奴なんて、勝てっこないわね……」
「とはいえ、そそくさと逃げ出すのはあまりに勿体ないのも事実です」
「勿体ない?」
キョトンとしながら、首を傾げるアイシャ。
デカポンがどんな生き物か知らないアイシャには、分からなくても仕方ない。しかしデカポンにほぼ天敵がいない事から考えれば、『利用』方法ぐらいは想像出来るだろう。
「デカポンは無毒です。ですから私達でも問題なく食べられます」
食べる、という用途が。
何事にもデメリットは存在する。例えば毒を持つ事は天敵対策になるが、代わりに毒の生成にエネルギーや物資を消費する。その分成長は遅くなり、一度に産める子の大きさや数も減らさなければならない。つまり繁殖力が低下する。
天敵が数多くいれば、捕食を避けられる分、繁殖力で劣ろうとも有毒な方がより多くの子孫を残せるだろう。しかしデカポンは成体になれば天敵なんていない。幼少期は捕食される事もあるが、生まれた時から身体が大きい(一メートルほど)のでやはり天敵は少なめである。デカポンにとって毒は恩恵が少なく、消費が大きな性質と言えよう。
よってデカポンは毒を持たない方向へと進化した。古代に生きていた祖先種は有毒だったが、ある程度大きくなったところで無毒になった……という話をシェフィルは母から聞いている。
「……あっ、そうか。これだけ大きいと天敵もいないから、毒なんていらないのね!」
アイシャはハッとしたように目を見開き、そして満面の笑みを浮かべた。余程お腹が空いていたのか、それとも毒生物ばかり見てきて気が滅入っていたのか。
いずれにせよ、アイシャが嬉しそうにしているとシェフィルも嬉しい。
それに、アイシャが作る美味しい料理への期待も膨らむ。
「はい! という訳で早速肉を剥ぎ取りましょう!」
「おーっ!」
シェフィルの掛け声に応じて、アイシャも返事。二人は揃ってデカポンの死骸へと向かう。
さて。肉を剥ぎ取る、と言ったが……これも簡単には出来ない。
デカポンの体表面は極めて強靭だからだ。皮膚というより繊維を練り込んだ『外骨格』であり、打撃にも刺突にも強い。シェフィルの力では傷一つ与えられず、猛獣の牙も容易く弾く。家に帰れば石製のナイフもあるが、あんなものを使っても刃が立たない。むしろナイフの方が砕けるだろう。
よって毛皮を切り裂く、という事はしない。ついでにその内側にある筋肉も、巨体を支えるため非常に発達していて強靭だ。皮膚よりはマシだが、岩よりも硬くて逞しい。
ではどうやって肉を得るか?
難しく考える必要はない。死に至らしめたであろう傷が、デカポンの身体には刻まれているのだ。そこから柔らかい肉を拝借すれば良い。
「じゃあ、内臓を頂きましょう」
デカポンの腹側へと訪れたシェフィルは、外に出ている内臓を素手で掴んだ。それから力を込め、ずるずると引き摺り出す。
内臓は栄養価の高い部位だ。貴重な鉄分やビタミンを豊富に含む。これだけを食べるというのは健康的でないだろうが、生きていく上では積極的に食べたい。また内臓は基本攻撃を受ける事は想定していない部位なので、そこまで強靭な硬さではないのも食べる側としては魅力だ。
引っ張り出した内臓は、歯と両手を使って千切っていく。強靭ではない、と先程述べたが……ある程度大きくなれば、自重で潰れない程度の丈夫さは必要だ。その程度の強さであっても、デカポンからすれば遥かに小さなシェフィルにとっては厄介な防御力。全身の力を活用しなければ柔らかな内臓すら得られない。
その様子を見ていたアイシャは若干表情を引き攣らせていた。とはいえ彼女もこの星でそこそこの期間暮らしてきた身。今更内臓一つで怯みはしないのか、後退りもしない。
「ん? んんー?」
そんなアイシャが見ている前で、解体作業中のシェフィルはふと気付く。
腹の中に、何かがある。
なのでおもむろにその腹に手、どころか上半身を突っ込んだ。シェフィルの行動に驚いたのかアイシャは「ぎゃぁっ!?」と悲鳴を上げたが、割と何時もの事なのでシェフィルはこれを無視。身体と着ている毛皮が体液や肉片で汚れるものの、シェフィルはそんな事など気にしない。身体を左右に揺れ動かすようにして、どんどんデカポンの体内に潜り込む。
腹の中は未だ残る体温の影響でそこそこ暖かい。惑星シェフィルのエネルギー吸収でも吸い尽くせない、膨大な発熱が今もあるという証拠だ。死後間もなくで、何割かの体細胞はまだ生きているのかも知れない。
その熱は電磁波の形で外に放出されている。シェフィルは電磁波で世界を見ているため、発熱している体内はとても明るい。お陰で腹の奥にあった『何か』を見付ける事は難しくなかった。
かなり大きな塊だ。掴んで引っ張ってみたが……筋肉か何かで繋がっているのか、動かない。しかしビクともしない訳でもなく、何十回と引っ張るか、もう少し力があれば千切れそうな気がする。
「アイシャ! ちょっと私の身体を引っ張ってください!」
「え、え? ひ、引っ張る……?」
未だシェフィルが体内に突撃した事に動揺していたアイシャは、狼狽えながらシェフィルの腰を掴む。
特に息を合わせるでもなくアイシャはシェフィルを引っ張り始めたので、シェフィルがこの力に合わせて自分も動き――――アイシャの微々たる力も合わされば、予想通りデカポンの体内にあった何かを繋ぎ止めていたものは千切れた。
最早止めるものはなく、ずるんと外へと飛び出す何か。シェフィルの身体はその勢いで後ろに倒れ、彼女の腰を掴んでいたアイシャを巻き込む。
「ぎゃぶっ!? いたた……」
「よしっ、取れました。どれどれ何があったのか……」
転んで痛がるアイシャよりも、シェフィルが先に気にしたのは自分が取り出した何かの方。アイシャもシェフィルをじとっとした眼差しで見てから、二人で協力して取り出したものに目を向ける。
そこにあったのは、一つの大きな『臓器』。
大きさは二メートルぐらいあるだろうか。表面積を増やすため無数の皺がある腸などと違い、表面はつるんとしたもの。色合いはやや白く、筋肉や消化管とは異なる役割のものだと窺い知れる。一見して目立った傷はないが、見えない部分が破れているのか、張りはなく萎んでいる状態だ。
故に、『中身』の形が薄っすらと浮かび上がっている。
小さなデカポンという形が。
「ひいっ!? な、何、これ……!?」
「何って、デカポンの子供だと思いますよ? 妊娠していたんですね、この個体」
怯えた様子のアイシャに対し、シェフィルは淡々と答えるだけ。
どうやら引っ張り出したのは、デカポンの子宮だったようだ。子供を育てる子宮は大事な器官なので、本来は強靭な筋肉で支えられている筈なのだが……殺傷された際の衝撃で千切れかけていたのかも知れない。
デカポンは所謂胎生で、子供を腹の中で大きく育てる。これは惑星シェフィルの生物ではあまり見られない繁殖方法だ。
胎生という繁殖方法は、子供を大きく育てるため大量の資源とエネルギーを消費する。このため一度にたくさんの子を産む事は出来ないし、一回の繁殖に時間が掛かるので生涯で産める子の数も少なくなってしまう。また子供が大きくなると母体の動きが妨げられ、本来の身体能力を発揮出来ないという欠点もある。そして母体がなんらかの理由で死亡した場合、腹の中にいる子も一緒に死ぬ。
惑星シェフィルの生存競争は苛烈だ。常に食う食われるの争いが起き、どれだけ身体能力に優れていようとも生き残れる個体はほんの僅か。成体となっても長く生き続ける事は難しい。
よって最適な繁殖方法は「短期間に大量の子孫を生む」事。
胎生の利点が、尽く活かせない環境なのだ。だからこの星の生物は、大半が卵を産みっぱなしにするという戦略を取る。それが一番多くの子孫を残せるのだから。
しかしデカポンは圧倒的な巨体により天敵が殆どいないため、出産数の少なさがデメリットになり難い。むしろ大きな子を産んで同種間の競争に強い方が、縄張り争いなどで有利になる分生き残りやすい。それに成体となれば殺される事はまずないので、腹の中にいる子供を確実に守り通せる。一回当たりの出産数の少なさも、殺されないのであれば寿命の長さでカバー出来る。結果、胎生が発達した。
……自然界において、妊娠しているから襲われない、なんてルールはない。むしろ身重で動きの鈍い生き物は、捕食者からすれば格好の獲物だ。だからこそこの星では『胎生』という繁殖スタイルはあまり繁栄していない。デカポンにそれが出来るのは、妊娠中だろうと天敵に襲われない強さがあるからだ。
故に、解せない。
「(出産直後とかを襲った訳じゃないなら、襲った相手は何を食べたのでしょう?)」
捕食者が生まれたての子を襲い、母親であるこの個体は守ろうとして返り討ちに遭った――――これなら、此処でこの個体が死んでいる事を上手く説明出来た。出産直後で体力を消耗している状態なら、デカポン相手でも多少勝機はある。食べられた痕跡が殆どないのは、産まれた子供を食べて満足したから……これなら説明が付いた。
ところが子供は母親の腹の中。産まれてすらいない。
『誰』がやったかは兎も角、生き物が他の生物を殺す理由なんてものは大抵食べるか、或いは自分自身や子孫を守るためだ。縄張り争いで殺す事もあるが、それは戦いがエスカレートした結果。無闇に殺すような真似はしない。何故なら殺すための行動もエネルギーを消費するため、その後の闘争や繁殖、食料確保などで不利になるからだ。だから普通、無駄な殺しはやらない。
しかしこのデカポンは食べられてもいない。デカポンはトゲトゲボーを食べる生物なので、襲われた種が必死に抵抗したという可能性も低い。どうにも、合理的な理由で殺されたとは考え難い状況である。
まさか遊びで殺したのか? 確かに捕食者の幼体は、狩りの練習としてそのような行いをする。だがデカポンはこの地で最上位の強さを誇る生物。如何なる天才捕食者でも、ろくに狩りの経験がない幼体なんて踏み潰されてお仕舞だ。
ましてやデカポンを遊び半分で殺せるような生き物がいるとは、到底考えられない――――
「……警戒するに、越した事はありませんね」
「しぇ、シェフィル?」
急に真剣な表情を浮かべるシェフィルに、アイシャが不安げに名を呼んでくる。
楽観させたい訳ではないが、不安に陥らせたくもない。此処で長々と説明するのは得策ではないだろう。
それに必要なものは確保したのだ。長居をする必要はない。
シェフィルは顔を上げ、にこりと微笑む。
「アイシャ。とりあえず千切った肉とこの子宮、それと生まれる前の子供を持ち帰りましょう! コレだけあればしばらくは引きこもり生活が出来ますよ!」
告げる言葉は事実と本心。
そして偽りのない言葉は、人の心を打つ一番の方法である。たとえ当人にそれを『利用』しようという打算があろうとなかろうと関係なく。
「……そうね。食事も得られたし、死骸の傍にいたら危険な生き物が集まるかもだし。さっさと離れましょ」
シェフィルの言葉にアイシャは異論を挟まず、考え事を追求もしてこない。
大量の肉を手に入れたシェフィル達は、この不気味な死骸の傍からそそくさと逃げ帰るのだった。




