進化の根源07
ウゾウゾ料理を食べてから一眠りし、目覚めたシェフィル達。洞穴の中で更に一時間ほどのんびりした後、二人は外へと出た。フカフカボーの森があちこちに茂り、視界が賑やかになりつつも、未だ地平線が見える大地を二人並んで歩く。
目的は食べ物探し。
今までのシェフィルであれば、モージャの亡骸を探しつつ、大きめの獲物を求めただろう。春になってからもう百時間以上経つ。これだけ時間が経てばいくら大量のモージャが死んだとしても、殆どの死骸は小動物などに食べられて跡形も残っていない。だから他のものを探さざるを得ない。
しかし食べられる程度に不味い生き物は、天敵が少なめである中〜大型種が多い。
獲物も殺されたくないから、捕まれば反撃を試みてくる。大抵は問題ないが、攻撃された場所によっては致命傷となる事もあり得る。他の生物を狩るという事は、メリットも大きいが相応のリスクもあるのだ。この命懸けの狩りによって、シェフィルは命を繋いできた。
だが、もしかするともうそんな危険を犯さなくても良いかも知れない。
アイシャの料理が、食べられるものを増やしてくれるのだから。
「さて、今日はウゾウゾ以外の食材を集めましょ。料理の種類を増やしたいからね」
「はいっ! 味に拘らなければ食べられるものはたくさんありますからね! 料理したらどんな風になるのか、今から楽しみです!」
「……出来ればその中でも美味しいものが良いけどね。昨日はああ言ったけど、やっぱり良い食材を使った方が美味しくはなるし。あと、まだこの星の生物の調理法とか確立してないから、ふつーに食べられるやつを選んでよ」
やる気満々のシェフィルに、アイシャは窘めるように言ってくる。確かに、不味いものが美味しく食べられるようになるのは良い事だが、わざわざ不味いものを選んで食べる理由はない。最初から美味しいものを、もっと美味しく食べる方が『合理的』だろう。
それに料理の研究もまだ進んでいない。料理というのは食べられないものも食べられるように出来るというが、何が起きるか分からない状態で試みるのはリスクが大きい。まずは、食べられるもので研鑽を重ねるべきなのは理に適っている。
「そうですねー、なら最初はこれとしましょう」
念押しされた言葉に同意しつつ、シェフィルはその場に座り込む。
次いで、勢いよく地面に腕を突き刺した。
雪の下に広がる硬い大地を腕力で貫通。そこにいた『生物』を掴んだと感触で把握したら、一気に腕を引いて地上に引き摺り出す。
「ピキィイヤアアァアッ!」
出てきたのは、甲高い声で鳴く小さな生き物だった。
名を『アゴムシ』という。長さ二十センチにもなる細長い体躯を持ち、六十本もの細長い足が側面から生えている。足先には鋭い爪を有しているが、大きな生物を切り裂くほど鋭くはない。頭部には触角も目もないが、ぬらぬらとした粘液に覆われた体表面は電磁波の吸収性に優れ、微かな電磁波を検知可能。周囲を見通す事が可能だ。
特徴的なのは頭部にある顎。この星の生物としては珍しく、顎が上下に動く、シェフィル達人間と同じような構造だ。厳密に見れば唇も舌もないので、全然違う形なのだが……顎が左右に開く他の生物と違い、人間の顎が頭の先端に付いているように見えるだろう。
更に口内には『歯』が並んでいるのだが、獲物(主に攻撃的でない大型生物)の肉を削ぎ落とすのに向いたそれは人間の前歯にそっくりだ。唇がないため、その歯は何時も剥き出しである。
「これはアゴムシです。この生き物は春のウゾウゾよりマシな味ですから、きっと料理したらもっと美味しくなりますよ!」
「あ、うん。そうね……どう見てもエイリアンなのを除けば、良いんじゃないかしら」
シェフィルが見せ付けるように突き出すと、アイシャは顔ごと視線を逸らす。
反応はぎこちないが、言葉では褒めてもらえた。シェフィルはにこーっと笑みを浮かべた後、地面を歩き回り、また大地に腕を突っ込む。その腕を引っ張り出し、二匹目のアゴムシを確保した。
地面を適当に掘れば出てくるウゾウゾと違い、アゴムシはちょっと探してみないと見付からない。強力な電磁波を地面に向けて放ち、違和感のある場所 ― 体表面で電磁波を吸うため他の地面より反射量が小さくなる ― を探すというやり方をしないといけないので、エネルギー消費も大きい。
それでいてアゴムシの味は、気持ち春のウゾウゾよりマシなだけ。苦くて渋くて臭い。強いて良いところを挙げるなら、ウゾウゾよりも脂の乗りが良くて高カロリーな事ぐらいか。尤もその脂質が激烈に臭いのだが。ついでに言うと筋肉が発達していて、噛んでも中々肉が食い千切れない。一匹食べ終わるのに何分も掛かり、ただ噛むだけなのに消耗も少なくないと散々だ。
しかし食べられるものには違いない。シェフィルはアゴムシの頭を握り潰し、動きを止める。ウゾウゾほどではないがアゴムシも再生力に富んだ生物。再生が終わるまでの一時間ぐらいしか動きは止まらないが、一時的な『備蓄』であればこれで十分だろう。
「次は〜……おっ、そうです。あれがいましたね」
アゴムシを五匹ほど捕まえたところで、シェフィルが次に目を付けたのは乱立するフカフカボーによって出来た、高さ一メートル程度の森。
ただしフカフカボーを捕まえるつもりはない。確かにフカフカボーも食べられる生物だが、かなり美味しくない上に、老廃物を溜め込む事で弱いとはいえ有毒だ。しかも脂質やタンパク質も少なく、栄養に乏しい。
フカフカボーを食べる生物種は、どれもフカフカボーを食べるために消化管などを特化させている事が多い。そうしなければあまりに効率が悪く、食べてもあまり意味がないからだ。フカフカボーは資源としては豊富だが、言い換えればそれはこの種が如何に繁栄しているかを示す。ただ食べられるだけの、『無力』な存在ではないと言えよう。
料理すればこれらの問題は解決するかも知れないが、ウゾウゾを美味しくするのもあれだけ苦労したのだ。フカフカボー料理も相当な研究が必要だろう。今回の目的はアイシャが言っていたように、料理の種類を増やす事。難易度の高そうなものは対象にすべきでない。
だから今回狙うのは、もっと安全で美味しそうなもの――――フカフカボーの森に隠れている生き物だ。
フカフカボーの間に入り、掻き分けながら奥へと進む。ひしめくフカフカボーは小さな生き物達にとって、餌であるのと同時に敵から身を隠せる住処でもある。シェフィルが歩いて近付けば、危険を察知した無数の小さな影が蠢きながら逃げていく。
その中で、少しだけ目立つ生き物がいた。
何故目立つのか? それは殆どの生き物が周りの景色やフカフカボーの色に溶け込む白い体色なのに、そいつだけ腹部の末端に赤い『玉』が付いているからだ。大きさも五センチと、頻繁に見掛ける一センチ未満の有象無象と比べて圧倒的に大きい。
頭は小さく丸いもので、身体も丸みを帯びたずんぐり体型。腹部の末端だけが尻尾のように長く(三センチはあるだろう。つまり胴体はたった二センチしかない)伸び、先端に赤い玉を付けている。足の数は六本で、背中からは四つの棘を生やしていた。頭部には触角が四本生えていて、ぷるぷると震えているように見える速さであちこちを向く。
この小さな生き物を、シェフィルは『アカタマ』と呼んでいる。真っ先に目に付く腹部末端の赤い玉が名前の由来だ。この赤い玉は老廃物の集まりで、いざとなったら破裂させて敵を驚かすためのもの。ただ驚かせるだけでなく、摂取した場合死に至る可能性もある猛毒でもある。危険な目に遭った敵はアカタマを襲わなくなるため、印象に残る派手な見た目をしている方が生き残る上で有利なのだ。
とはいえ知能ある人間からすれば、要はその赤い玉を食べなければ済む話だと分かる。故に食用だ……身が異様かつ奇妙な臭いを発するため、空腹時に一匹二匹なら兎も角、数を食べようという気にはならないが。
「うーん。これは三匹も取れば良いでしょうかね」
赤い玉が破裂するよりも早く、アカタマの尻尾を指で素早く切り捨てる。それから頭を潰し、動きを止めておく。こちらはアゴムシよりも再生が遅く、三時間は大人しいだろう。また赤い玉に含まれる有毒成分は老廃物由来なので、一度取り外せば中々再生しない。
春は生命が豊富だ。すぐにたくさんの生物を捕まえる事が出来た。次を探す前に、これらの獲物をアイシャに渡しておこう。
「ひぃやああっ!?」
そう思った刹那、アイシャの悲鳴が聞こえてきた。
即座にシェフィルは声の方へと振り向く。周りは警戒していた。だが敵の潜伏能力の方が上だったのか――――最悪を想定していたシェフィルだったが、結果的に杞憂に終わった。
何故ならアイシャの上げた悲鳴は、恐怖に引き攣ったものではなく、歓喜に染まったものであるから。
そして悲鳴の理由が、アイシャの足下にいる体長三十センチほどのふかふかした生き物なのは容易に想像出来た。
シェフィルはそれを『フワワン』と呼ぶ。
姿形は丸い毛玉といったところ。長くふわふわとした白い毛により、そのシルエットはもっふりとしたものになっている。手足は四つ生えているが、いずれも短く、足は兎も角手に至っては何かの役に立つとは思えない。何しろ手と手を合わせる事も出来ないぐらいの短さなのだから。歩行は後ろ足二本で行うので、退化途中の不要器官かも知れない。
顔は丸い身体の中央よりもやや上部にあり、丸くてつぶらな青い瞳を持つ。ただしこれは柔らかな眼ではなく、大きな単眼だ。口はこの星の生物では一般的な左右に開く構造であるが、もっさりした毛に隠れて見えない。体表面は甲殻で形成されているものの、長毛に覆われているので外からは分からない。
可愛くないところを徹底的に隠し、可愛いところを全面的にアピールする。そんな『意図』を見出してしまうほどに、兎にも角にも可愛い生き物。それがフワワンである。
「きゃあぁあっ!? 何この可愛い生き物!? か、かわ、かわわ……!」
シェフィルでさえその可愛さに魅了されそうになる生物だ。アイシャに至っては既にノックアウトされたようで、身の危険を感じる視線を向けながらフワワンに手を伸ばそうとする。フワワンは逃げもせず、愛らしく小首を傾げていた。
……そう、兎にも角にも可愛い。それはシェフィルも認める。
だがそれは連中の作戦だ。フワワンは可愛らしく無害なように装い、『獲物』に肉薄する。
そして隠していた左右に開く顎で、相手の肉を噛み千切るのだ。今し方伸ばしたアイシャの指のように。
「ぎゃあっ!? か、噛まれたぁ!?」
「キキャキャキャキャキャ」
一口噛んだら素早く逃げ出す。変な笑い声のような鳴き声は、相手を驚かせて怯ませるための生態だ。
可愛らしさで騙し、肉を食い千切る。
実に巧妙な作戦を使う生物だが、シェフィルは幼少期を除き襲われた事がない。何故なら奴等は相手の行動を注意深く観察し、全身の体毛で相手から発せられる電磁波を感知。非常に大人しく、自身に攻撃する意思を向けていないと判断した生物だけを狙うため。少しでもこちらを警戒する、或いは敵意を向ける相手には近付きもしない。極めて狡猾で聡明な種である。
要するにアイシャはフワワンに嘗められているという事だが。
たった体長三十センチの生き物に嘗められるというのもどうなんだ、とシェフィル的には思わなくもない。しかし実際アイシャは弱いのだから、そこにあれこれ言っても仕方ないだろう。
むしろその弱さを利用すべきだ。
「捕まえたーっと」
「キキャッ!?」
アイシャから逃げる事に夢中なフワワンは、シェフィルへの警戒が疎かになっているのだから。正面にバッと現れるようにして行く手を遮れば、フワワンは小さく悲鳴を上げて止まり――――即座に急旋回するも、シェフィルの手の方が速い。
がしりと頭を掴んだら、大きく持ち上げ、次いで地面に叩き付ける。一度だけでは小さなフワワンといえども死なない。彼等の身体を包むふわふわの体毛は、相手の実力を測るセンサーであるのと同時に、物理的衝撃を和らげる鎧でもあるからだ。しかしシェフィルとフワワンには圧倒的な体格差がある。二度三度と叩き付ければ、フワワンはぐったりとした。
念のためもう一度叩き付けて、ぐしゃりと潰れた手応えを感じたところで力を緩める。
「うん、やりましたよアイシャ! フワワンはそこそこ大きくて、そこそこ肉量が多い獲物です! 食べ応えがありますよ!」
「そ、そそ、そんな事より、私のゆ、指がぁぁ……!」
「……コイツに噛まれた傷ぐらいなら、もう治ってると思いますけど」
涙目になりながら訴えるアイシャに、シェフィルは呆れながら指摘する。「え?」と言いながら食い千切られた方の手を見たアイシャは、五本きっちり揃った指をまじまじと眺めた。
「そんなんだからコイツに嘗められるんですよ。コイツ、弱い生き物の傍にしか近寄りませんから」
「うぐぐぐ……し、仕方ないじゃない。人間はふつー指を食い千切られたら大惨事なのよ!」
反論するアイシャだが、赤面した顔は怒りか羞恥か。
きっと両方だろうと、シェフィルは思う。
「はいはい。あ、ちなみにフワワンは比較的不味くない生き物ですよ」
「……ふぅん。ちなみにどんな味?」
「味はしないです。パサパサの肉で、少なくとも生で食べた時はなーんも感じませんね。猛烈に臭いですけど」
「成程。味がしないのなら……」
ぶつぶつと呟くアイシャ。料理のやり方を考えているのだろうか。
しばらく考え込んだ後、アイシャはシェフィルの顔を見てニッと微笑む。
「うん、良いと思うわ。まさかこんなに早く三種類も食材が手に入るなんてね」
「他にも色々いますけど、こんなもんでいいですかね?」
「ええ、そうね。後は、それらがどうやっても食べられなかった時用にウゾウゾも捕まえとこうかしら」
「りょーかいでーす」
最後に足下の地面を適当に掘り起こし、料理したら美味しかったウゾウゾを捕獲。四種類の『食材』を確保する事が出来た。
「ふへへー。これがどんな料理になるのでしょうか。うへへへへへ」
「あんまり期待しないでよ? ウゾウゾみたいに上手くいくとは限らないんだから。ただ……」
一旦そこで言葉を区切ると、アイシャは自慢気な笑みを浮かべる。
自信があるのは良い事だと、シェフィルは思う。自然界を生き抜く上で、自分の出来る事に確信があるのは強みだ。無論それが自惚れでない限り、という前置きは必要であるが。
そして笑っているアイシャは可愛いとシェフィルは思う。落ち込んでいたり、悲しんでいたり――――
「期待に応えられるよう、全力でやるわ。この星で私に出来る事なんて、これぐらいなんだしね」
気にする必要などないのに、役立たずなのを気に病むよりもずっと。
加えてシェフィルは確信している。上手くいくとは限らないと言いつつも、きっとアイシャは美味しい料理を作ってくれると。
だって彼女はこの星に来る前から、たくさんの料理をしてきたのだ。アイシャの中には確かな経験が積まれている。努力は『勝利』を保証しないが、勝利するには努力が欠かせない。
努力したアイシャは、勝利を掴む可能性がある。ならばそれに賭けるのは決して無謀なものではあるまい。
「楽しみです! さぁ、早く家に帰って料理をしましょう!」
たくさんの食材と期待を抱えて、シェフィルは足早に家へと向かう。
――――それが、あの『怪物』との出会いを生むきっかけになるとは、思いもせずに。




