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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第二章 絶対凍結気候

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絶対凍結気候14

 静かな大地が、何処までも広がっていた。

 暗闇はもう、大地を覆っていない。真っ白な、美しい白銀の景色を地平線の彼方まで眺める事が出来る。

 空を埋め尽くす満点の星空が見える。大気がないため純粋な、透き通った光が降り注ぐ……と言いたいところだが、宇宙空間を漂う僅かな水素により、若干の歪みが観測出来た。

 地表面温度はほぼ絶対零度。しかしこれは何時も通り。それよりも正確に『寒さ』を測る方法は、自分自身の体温だ。今も熱は着実に奪われていくが、発熱が間に合わないと思うほどの危険な感覚には見舞われていない。

 普段の、惑星シェフィルの環境だ。

 尚且つここ数十万秒にはなかった『穏やか』な気候でもある。それが意味する事はただ一つ。

 ようやく、冬が終わったのだ。


「んんぅーっ! 今回も無事生き延びる事が出来ましたー!」


 シェフィルは大きく背伸びをしながら、生きている喜びを声に出した。家である丘に空いた横穴から外に出て、大きく背伸びをする。


「……この環境で、暖かいと思ってる自分に驚きだわ」


 一緒に外に出たアイシャは、喜ぶ前に苦笑いを浮かべていたが。

 アイシャの反応の『鈍さ』にシェフィルも気付き、振り返って怪訝な顔を見せる。どうにか生き残れたのに、何故そんな控えめな反応なのだろうと、疑問に思ったがために。


「どうしたのです? 何か気になる事でもありましたか?」


「気になるも何も……窒素や酸素どころか水素も凍り付く絶対零度同然の中で、なーんで気温差なんかを感じてるのかしらって思っただけよ」


【そうですね。計測値的な気温としては冬とその前後で大差はないでしょう】


「わひゃ!?」


 不意に背後から聞こえてきた声に、アイシャはびくりと身体を震わせて驚く。

 アイシャが振り向けば、そこには母がいた。触手も身体付きも極めて健康的な様子。難なく冬を越した事が窺える。

 音もなく、それに気配もなく現れた母であるが、シェフィルにとっては慣れたものだ。何分、シェフィルは母が()()()()()()()()()()を知っている。

 そんな今更な疑問よりも、約束通りまた母と会えた事の喜びの方が大きい。


「母さま! 私、今回も生き延びましたよ!」


【ええ。正直今回の冬は駄目かと思っていましたが、あなたは私の想定よりも逞しく成長していたようですね。或いは、思いの外アイシャが役立ったのでしょうか? 彼女も生き残るのは、正直なところ想定外です】


「いえ、アイシャは大して役立ってないと思います。私が助けなかったからふつーに死んでいたかと」


「ぐふっ。じ、事実とはいえ、もう少し言い方を加減してくれないかしら……?」


 シェフィルの忌憚のない意見に、アイシャが呻く。尤も、シェフィルからすれば事実を話しただけであり、役立たずだからといって恥じる事もないと思っている。アイシャの呻きの理由は分からない。


【成程。しかし、だとすると尚更解せませんね。今回の冬の最大吸収熱量は三万六千六百度と、シェフィルが経験した中では最も強力な寒さだったというのに】


 母も『役立たず』がペット(シェフィル)の足を引っ張った事など、大して関心もない。それよりも疑問の方を優先する。

 そしてアイシャは話を逸らしたかったようで、露骨にとある単語に食い付いた。


「ね、ねぇ。最大級熱量って何かしら? 何かの単位?」


【……ふむ。シェフィルから聞いていませんか。そうですね、ごく簡単に答えると】


 アイシャからの質問に、母は一瞬考え込む。

 それは言葉通り、簡単な答え方をするための考察時間だったのだろう。


【一秒間で下がる温度の値です】


 だからこそ母はその言葉を、淡々と語った。

 シェフィルにとっても驚くような話ではない。小さい頃に意味は教わり、ちゃんと理解し、そしてそこそこ日常的に使う単語なのだから。

 しかしアイシャにとっては、初めて知る意味であり――――彼女の常識から見て、あまりにも逸脱したものだったのだろう。ギョッと目を見開くや、母の下に駆け寄り問い詰め始めた。


「いち、びょう……一秒!? え、一秒でってどういう事!?」


【厳密には一秒で一グラムの液体の水の温度をどれだけ下げるか、という事です。水温十度時の比熱から算出しますが、ほぼ誤差のようなものなのであまり気にせずとも良いでしょう】


「要するに、今回の冬は水が一秒間に三万六千六百度の勢いで冷たくなる寒さだった訳ですねー。あ、ちなみにこれ一グラム単位の重さに掛かる単位ですから、出力値を出す時は私達の体重分も考慮しないと駄目ですよ」


「う、嘘よそんな!? あり得ない! だって……なんでそんな冷え方をするのよ!?」


【前に話したでしょう? シェフィルはエネルギーを吸い取ります。吸熱量は熱に対する出力を数値化したものに過ぎません。シェフィル表面が絶対零度なのも、熱が吸い取られているからです】


「だ、だからって、そんな量の熱を吸われたら、私達の身体もあっという間に凍っちゃうでしょ!?」


【凍りませんよ。我々の発熱量ならば問題ありません】


「は、発熱……」


 母に言われて、思い出したのだろう。自分達が冬の寒さに対抗するため、熱を生み出した事を。

 あの時生み出した熱量を、具体的に測る事はシェフィルもしていない。仮にしたところで分からないだろう。自分の発熱量が何度かなんて、どうして分かるというのか。

 故に母の説明が本当かどうかもシェフィルには分からないが、母は嘘など吐かない。だからきっと、本当の話なのだとシェフィルは信じている。

 しかしアイシャの方は、まだ母を信じきれないらしい。


「で、でも、そうよ! 本当にエネルギー吸収でそんなに冷えてるなら、私がこの星に来た瞬間凍ってる筈よ! 冬ほど寒くないにしても、エネルギー吸収自体は常にしてるって話だったじゃない!」


 矛盾に気付いたと言わんばかりの、強い口調での意見。ちょっと自信があるのかアイシャは不敵に笑っていた。

 母は別段、動じもしなかった。


【それはあなたがシェフィルではないからです。平時であれば、シェフィル以外のエネルギーはあまり吸い取らないように設定していますから】


「せ、設定……? シェフィルって、えと、この星の生き物って事?」


【はい。シェフィルの発熱量と比べれば、他の物質から得られるエネルギー量なんて、微々たるものでしょう? これらから常時熱を吸い取るのは、あまり効率が良くないですからね。なので普段はシェフィルだけを対象にしているんです】


 母曰く、それでも秒間数百度程度の冷却は起きるらしいが。

 しかしアイシャは幸運な事に、膨大な電気エネルギーを保有した宇宙服の中にいた。惑星シェフィルのエネルギー吸収には『優先順位』が存在し、電磁波(光エネルギー)が最優先に吸収されていく。電気エネルギーも熱より優先度が高いので、まずは宇宙服の電気が吸い取られ、アイシャの体温は後回しにされたらしい。

 もしもアイシャが『シェフィル』――――この星の生物だったなら、宇宙服のデンチは一瞬で吸い尽くされていただろう。母がそう言ったので、シェフィルは「そうなんですねー」と納得した。

 アイシャは、頭が痛むかのように顔を顰めた。


「あり得ない……対象を選んでるのも無茶苦茶だけど、一体何処からそんなエネルギーが……対消滅でも起こさなきゃ捻り出せない量よ!?」


【対消滅などしていませんよ。代わりに、空間からエネルギーを引き出しています】


「空間からって……まさか相転移、それとも、真空のエネルギー!? なんで生物がそんな……」


【さて、それは分かりませんね。私も知識として知っているだけで、具体的なメカニズムまでは把握していませんので】


 母は淡々と答えるが、アイシャは納得していないのか。睨むような眼差しを母に向けていた。

 しかし母の【人間も同じではありませんか? 自分の身体がどうやってエネルギーを生み出しているのか、知識ではなく感覚としてご存知なのですか?】という問いでアイシャは呻く。図星を突かれたらしい。

 アイシャにとっては非常識な力かも知れないが、シェフィル達にとってこの発熱はそれこそ体温維持のための力でしかない。そして自分の身体の中で何が起きているのか、シェフィル達は詳しく知らない。多少『解析』は出来るし、ある程度はコントロールもするが、詳細なメカニズムまでは分からない事が多い。

 だからシェフィルは、母の説明は特段おかしなものではないと思う。


「なんなの……この星の生き物って、一体……こんなの、普通じゃない……」


 しかしアイシャは余程ショックだったのか、ぶつぶつと否定の言葉を呟く。

 別段、アイシャに自身の存在を否定されたところで、シェフィルはどうとも思わない。

 思わないが、アイシャのために良くない事だと考える。アイシャの言う『普通』なんてものは、惑星シェフィルの生物には関係ない。現に惑星シェフィルの生物は常時膨大な熱を生み出し、冬の間は更に多くの熱を生み出す。アイシャが言うには、普通ではない量を。

 それが現実なのだから、現実に即した考えを持つべきだ。否定するのは勝手だが、現実を否定しても正しい答えには辿り着けない。計算式に誤った値を入れたら答えを間違うように、現実に即していない考えは誤った行動へと繋がる。

 一瞬の誤りで食われるこの星で、こんな体たらくでは命が幾つあっても足りない。しっかり忠告すべきだろうと、シェフィルは口を開く。

 しかしそれを伝える『暇』はなかった。


【ところでシェフィル。何故あなたはこの大切な説明をアイシャにしていなかったのですか?】


 母から、何やら嫌な予感がする問いが飛んできたがために。


「へ? あ、えーっと……」


【アイシャがこの星の住人でない事はあなたもよく知っていますよね? 最大吸熱量は冬を越すために必要な知識ですが、その説明を何故欠いたのです?】


「い、いや。あの、あの時のアイシャは寝起きで、こう、話すタイミングが……」


【タイミングというのは作るものです。そもそも冬の大半は動かないでいるのですから、時間はいくらでもあったでしょう。喋らずに体力の温存をするにしても、食事中などに話す事は出来た筈です。それとも一言も無駄な言葉を発せられないほど、状況が逼迫していたとでも? そこまで逼迫していた割に、見たところあなたがペットと主張している個体はまだ家の中にいるようですが】


「あ、あの、えと」


【良いですかシェフィル。あなたはアイシャと繁殖としたいようですがでしたらこれからあなた達は共に暮らす身なのです情報の共有というのは極めて大事な事で】


 くどくどくどくど。そんな音が聞こえてきそうなねちっこい声色で、母はシェフィルを問い詰めてくる。

 激しい怒りの感情はない。だがシェフィルは知っている。これは母からの『お説教』であると。

 母がお説教をするのは余程の時だけだ。どうやらアイシャとの情報共有をサボった事は、余程の事だったらしい。母と共に暮らしてきたとはいえ、シェフィルはずっとこの星で一人だった身。おまけに知識と情報は基本母から与えられてきたものだ。自分から情報を共有するという行いに、あまり慣れていなかった。

 母はこのお説教でその概念を叩き込もうとしている。それはシェフィルにも分かり、母が自分の今後を考えて叱っている事も分かるのだが……念入りに叩き込むためか、母のお説教はとても長い。人格否定や罵声はないのだが、理詰めで長々と詰めてくる。


「ひぃーん……」


 思わずシェフィルはアイシャの方に見て、助けを求めてしまう。

 アイシャはシェフィルの泣きそうな顔を見て、毒気を抜かれたのか。ため息一つ挟んだ後、助け舟を出してくれた。


「まぁまぁ、そこまで怒らなくても。ほら、私もシェフィルもちゃんと生きてるし、単語の意味は今覚えたし、もう良いじゃない」


【……そうですね。次からは気を付けるのですよ】


「うう、分かりましたぁ……」


 アイシャのお陰で説教はすぐに終わり、シェフィルは一息吐く。アイシャの方も、お説教を横から聞いていて気持ちの切り替えになったのか。もうこちらを否定するような事は言わず、気の抜けた笑みを浮かべた。


「まぁ、アンタ達の体質についてあれこれ言っても仕方ないわね……うん。一旦、これ以上は問わないわ」


【そうですか。他に分からない点があれば説明しますが】


「それはあり難いけど、一度にたくさん情報を詰め込まれてもこっちの頭がパンクするわ。今日は止めとく」


 母の提案を拒み、アイシャはこの話を終えた。いや、或いは本能的に終えたかったのかも知れない。

 ぐうぅ〜、という大きなお腹の動き(電磁波)が、アイシャの身体から鳴り響いたのだから。アイシャは顔を赤くして、俯いてしまう。


「あ、や、これは……」


【成程空腹でしたか。確かに冬が終わったばかりで、身体は飢餓状態の筈です。すぐに食べ物を探した方が良いですね】


「ですねー」


 アイシャは何やら恥ずかしがっているようだが、シェフィルからすれば空腹は自然な反応。隠す必要はなく、また隠すべきでもないと考える。


「私もお腹ぺこぺこです。アイシャ、食べ物を探すとしましょうか」


「う、うん。あ、でも……」


「でも?」


「冬が終わったばかりで、食べ物なんてあるのかしら。あんな厳しい寒さだと、みんな地中で死んでるんじゃない? そもそも生き物を見付けるのが大変なんじゃ……」


 アイシャは不安そうな顔で、懸念を言葉にする。

 アイシャの語る事は尤もなものだ。生き物の死体は食べ物に出来ても、その死体が届かない位置にあってはどうにもならない。

 シェフィルもそれは重々承知している。しかしアイシャのような不安や懸念は抱かない。何故ならその心配は、二つの点で必要ないからだ。


「そこは大丈夫ですよアイシャ。ほら、見てください」


 シェフィルはある場所を見るよう促し、アイシャはその通りにする。最初は怪訝そうに眉を顰めていたアイシャだったが……やがてその顔は驚きに染まった。

 アイシャが見たのは、地面から生き物が這い出す姿。

 現れたのはゴワゴワ。六足のずんぐりとした身体は地面を掘り進むのに適していないが、大きなパワーで強引に大地を掘り進んできたのだ。のそりと、大した苦労もなかったかのように出てきて、ぶるりと身体を震わせ雪を払う。

 しかしアイシャの驚きは、そこではない。

 現れたゴワゴワは一匹だけではないのだ。もう一匹、また一匹……どんどんその姿を表す。ついには何十匹にもなる、大きな群れを作り上げてしまった。

 更にその後を追うように、様々な生物が姿を見せる。全身が逆だった毛に覆われたイモムシ型生物、巨大な鉤爪を持った四足の獣、ぐるぐると螺旋を描きながら垂直に伸びる何か……アイシャがこれまで見た事もないような種もわんさか出現する。

 少し経てば、あちこちに生命の姿が見られるようになった。冬の前と比べて数が減るどころか、そこら中に溢れ返る。


【多くのシェフィルにとって、冬の寒さは脅威ではありません。確かに準備なしで過ごせるほど甘くはありせんが、大半の個体は問題なく越冬出来ます】


「私達の冬越しが大変なのは単純な準備不足と、あと人間の身体が休眠に向いていない所為ですね。それとアイシャ、あなたが来たのは冬の直前です。殆どの生き物は、とっくに地中深くに潜っている時期なのです」


 冬に死ぬ個体は、全体から見ればごく一部。しかしその死骸に地上で出会えるのは、この星に暮らす生命の数が膨大だから。

 冬が終われば、命は地上に戻ってくる。早めに安全圏に退避した、数え切れないほどの生命体が。

 命溢れる、この星本来の生態系が瞬く間に蘇るのだ。

 固体窒素や固体二酸化炭素の降り積もる大地に、生命がわんさかと息づく。再び目の当たりにした『非常識』に、アイシャはしばし呆然と立ち尽くし――――


「……ぷっ、ははははは! あははは!」


 元気よく快活な笑い声を上げた。


「成程、成程ねぇ。これがこの星の本当の姿という訳ね」


「その通り。みんな地上に出てきますし、生き物は山ほどいます。食べ物なんて簡単に見付かるでしょう?」


「ええ、そうね。だけどその食べ物って、私達も含まれてるわよね?」


「勿論」


 この星の生態系は、人間とそれ以外を区別などしない。生き物であれば、それは全て誰かの『食べ物』だ。

 そして冬が終わり、生命に溢れた今ならば、巨大な生命体の身体も十分に養える。巨獣が闊歩し始め、様々な命を喰らわんとする。否、巨獣以外の生命も油断は出来ない。

 何故なら今此処にいるのは、過酷な生存競争の生き残りと、その末裔達。失敗すれば死を迎える、非情なる大自然の生存者。無数に積み上がった屍の上に立つ、唯一無二の存在達。

 シェフィル達が繰り広げねばならないのは、そんな強者との真っ向勝負。


「さぁ、アイシャ。今からが『春』――――生存競争の時期が始まりますよ!」


 満面の笑みを浮かべながら地獄の到来を告げたシェフィルは、達観した様子のアイシャの手を掴み、早速危険な生命達(食べ物)の下へと駆け寄るのだった。

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