遠い悪夢のことのようです
ふと目が覚めると、僕の視界の前には1つのスクリーンが輝いていた。
周囲は暗く、光は前方のスクリーンしかない。
僕は立ち上がると、ふらふらと光に向かって歩く。
まるで椅子のない映画館に放り込まれたようだ。
周囲は何もなく、床も漆黒のように暗い。
そこに穴があったならば、僕の身体は真っ逆さまに吸い込まれるだろう。
まるで、真夏の夜に光を求める羽虫のように僕は光へと歩みを進める。
「──あ」
気がつくと、光の前には一人の人影があった。
僕は、この世界においてたった一人の人影を求めて近づいていく。
背格好は僕と同じくらいだろうか。
人影は、僕を振り返ることなくスクリーンを見て佇んでいた。
「おい、見ろよ。始まるぜ」
その声はとてもハスキーで、明らかに男の声と口調であるのに、どこか女性らしさを兼ね備えていた。
僕は男の隣に立つと、スクリーンに照らされて映し出される男の顔を見た。
美少年。そう一言で表せる程に目鼻立ちが整っている。
赤い髪に、深紅の瞳。
無邪気そうな笑顔は、何故かとても恐ろしいものを彷彿させた。
僕は彼に促されるままに、初めてスクリーンを凝視する。
──そこには、僕が映し出されていた。
魔族の男の顔が驚愕に染まる。
いや、僕だけではない。
フーシェやセラ様、エアまでが一歩も動くことができない。
その顔は恐怖に染まっていた。
僕はあんな顔をしているのか?
残虐に、冷酷に。
純粋な破壊を楽しむ。あれはまるで『魔王』の姿ではないか。
「なんです!貴方は!」
魔族の男が腕を振るうと、男の影から漆黒の刃が生まれた。
地面から生み出された刃の2つが、僕の脇腹と太腿を貫通する。
僕のレベルは、リズに譲渡したためレベル1のはずだ。
成人男性より遥かに少ない最低レベルの僕にとって、この一撃は確実な死を僕に与えるはずだった。
「ハハッ!あれが始まりだよ。見てみなよ、ここが特等席だ」
隣に立つ彼が嬉しそうに、スクリーンを指差す。
「ハハッ!ハハハッ!!」
狂ったような笑い声を上げると、画面の中の僕は脇腹を貫く刃を、躊躇することなく掴んだ。
掴んだ手から、鮮血が滴り落ちる。
しかし僕が掴んだ漆黒の刃に突如異変が起こった。
パキキッ⋯⋯
乾いた音を立てて、真っ黒だった刃が突如真っ白に染まる。
その白は、輝きを表す色ではない。
寂しさと孤独によって朽ちていくような白色。
魔族の攻撃は、まるで風化した廃墟の様にサラサラと風と共に崩れていく。
白い滅びの光は、漆黒の刃をみるみるうちに侵食して白に変えてしまう。
「グレイン!加勢しなさい!!」
魔族の男が大声で叫ぶ。
右手を高く翳すと、前方に複雑な紋章が宙に浮かび上がった。
「ウオオオッ!!」
獰猛な猛獣の様な雄叫びと共に、紋章の中から身長3メートルはあるかと思われる大型の魔族が現れた。
顔は獅子、肉体は人形。
金色の鎧で、隆々とした筋肉を封じ込めた姿はまるで彫像のようだ。
「な、なんだあれは!」
グレインと呼ばれた魔族の出現に、グスタフが顔面蒼白になる。
鍛えられたグスタフの筋肉でさえ、グレインの前ではまるで幼木の枝のような細さしかない。
「なんだこいつはぁ!ドルトン、こんな奴を恐れているのか?」
豪快な声で、グレインは執事姿の魔族。ドルトンに向かって声をかけた。
「私の闇を妙な技で壊しました。グレイン、その人族は触れずに倒すのです!」
ドルトンの言葉を受けて、グレインは腰に下げている金色の戦斧を掴むと、僕に向かって構える。
「ガハハッ!ようは触れなければ良いということだ!」
グレインは笑い飛ばすように叫ぶと、僕と同じくらいの大きさの戦斧を横薙ぎに振るった。
「むんっ!暴風の斬撃!」
神速の斬撃が真空を生み出し、吸い込まれるように風の刃が生み出される。
グレインが腕を振るうたびに幾つも真空の刃が生み出され、僕に迫る。
──ズシュッ
幽鬼のような動きで初撃と二撃目を交わした僕だったが、三発目の斬撃を避けることは叶わず、右手首が吹き飛んだ。
「ほれ!ほれ!細切れになるがいい!!」
画面越しに映る姿の僕に、今ここにいる僕の意思は宿っていない。
今の僕は完全な聴衆だ。
「あれくらいじゃ『略奪者』は止まらないよ。ほら、こういう風にすればいい」
横に立つ少年が、鼻歌でも歌うように人差し指を振るう。
「こ、殺す⋯⋯殺す。奪う⋯⋯」
壊れた再生機のように、僕はなくった右手首を探すこともなく、グレインに向かって差し出す。
「むうっ!?」
パキ、パキキッ⋯⋯
乾いた音が、今度は僕を中心に地面から、いや周囲の空間から響き渡った。
「周囲から『魔素』をかき集めてるの!?」
エアが恐怖に怯えた表情を見せた。
エアの瞳に破壊と略奪に支配された僕の姿が映し出されれる。
「怖い⋯⋯」
あの戦闘においては気丈なフーシェでさえ、自分の身体を抱きしめている。
ジェイクとグスタフは完全に放心しており、辛うじて武器を構えることで精一杯だ。
乾いた音が響いた所から次々と色が失われていく。
地面に蔓延るたっぷりと水気を含んだ、青々しい苔は一瞬で乾き白色へと変わると、僕の踏み出した一歩によって流砂の如く霧散した。
「な、なんだこいつは!?」
「距離を取るのです!!」
ドルトンの言葉に我に帰ったグスタフが、その重量級の装備からは想像もつかない程俊敏に後方へと下がる。
「ええい!『大地の槍舞踏』!」
ドルトンの放った術式により、僕の四周から土の槍が一直線に伸びてくる。
「う、奪う⋯⋯」
僕を貫くために放たれた槍を、画面の中の僕は、なくなった右手首の断面で受け止める。
瞬間、土の槍は砂のように霧散する。
ドスッ!ドスッ!
鈍い音と共に、止めきれなかった槍が僕の身体を貫いた。
「大分レベルも戻ったから。もう効かないよ」
画面を一緒に眺める少年が笑い飛ばす。
「ユズキさん!」
セラ様の制止も効かず、僕はドルトンへと歩みを進める。
なくなったはずの右手が、いつの間にか再生している。
画面の中の僕の顔は、狂気に支配されたかのように、はりついた笑みが浮かんでいる。
周囲の空気、大木が乾いた音を立てる。
それらは何かを失ったかの様な音を響かせると僕の身体へと吸い込まれた。
「なんだ⋯⋯力が抜ける。これは弱体化魔法か?」
戦斧を握っていたグレインが、柄を握り直すと額に冷汗を流した。
「グレイン!そいつは、周囲から魔素や生気を取り込んでいます!これは、まるで禁術の『生命吸収』?」
「っつたって、こいつ何もない所からも無理矢理吸収しているぞ?これでは器が持つまい」
距離を取る二人の魔族に対し、僕はゆらりと前傾姿勢を取ると駆け出した。
一歩、一歩。
足が地面を踏みしめる度に、斑点のように地面が白く死んでいく。
「奪う、殺す⋯⋯。奪われたよりも、もっと奪ってやる⋯⋯」
うわ言の様に繰り返し前進する僕を、隣の少年は楽しそうに眺めている。
「おっ、レベル100くらいは回復したねぇ。とりあえず、あの二人は瞬殺できるくらいに戻ったんじゃない?」
スクリーンに映り出される映像を見る目は楽しそうだ。
「こ、これは。あの二人を倒したら戻るんだよな?」
僕は、目の前の光景に、自分のことであるはずなのに恐怖を覚える。
──こんなことは望んでいない。
そう思い、少年の両肩を強く握る。
「──こんなことは望んでいない。そう言いたいんだよね」
少し呆れるような少年の声。
──なんで、僕の思考が読まれる?
「なんでって、そんなことマスターが一番分かっているじゃないか」
少年は、きっと青ざめているであろう僕の顔を見つめると、少し悲しそうにため息をついた。
そして、彼の「マスター」という言葉に僕はハッとする。
「僕は(私は)セライだよ。マスターは自分自身の望みを叶えるために私を(僕を)『最適化』したんじゃないか」
スクリーンの光を受けたセライと名乗った少年の横顔が明るく浮かび上がる。
その光の先、画面の向こうでは今まさに、グレインとドルトンの全ての攻撃を跳ね返した僕が、握りしめた右拳でグレインの鎧を突き破ることに成功していた。




