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夢であれば良かったのにと思うことです

 僕達の前にやってきた人影は2つ。

 先頭を駆けてくるのはジェイクだ。その後ろには身長2メートルはあるかという巨躯の男が駆けてくる。

 宿屋『壁の穴(ウォールネスト)』では、ジェイクしか見ることはできなかったが、まず間違いなく『勇者』パーティーの一員であると思って間違いない。


 ジェイクは、宿屋を襲撃した時と同じ格好。動きやすい軽装備に、一振りの剣を握っている。

 その瞳は、宿屋で見せていたような余裕は見えず、苛立ちを隠しきれない様子だ。


 その直ぐ後ろを駆ける大男は、鍛え上げた筋肉に見合った重装備。背中には小柄な人間であれば、すっぽりと覆えてしまうくらいの巨大な盾を背負っている。


「ん。ここから先は行かせない」


『限定覚醒』を行い、長身女性へと姿を変えたフーシェが『アースブレイカー』を構えると、二人の前に立ち塞がる。


「くっ、こいつさっきの!」


 大男を制するように、ジェイクが動きを止める。

 軽く息はあがっているが、直ぐに警戒を怠らずに剣を構える所は、流石にS級パーティーを率いるだけはある。


「なんだい、君たちもいるとはね」


 ジェイクは、直ぐに僕達に気がつくと悪態をついた。


「ジェイク様、相手は4人。分が悪いです、それにあの金髪の女性も後ろの男と少女も人族ではないですか」


 すっと、盾を構えながら大男がジェイクの前に歩み出る。

 盾を構える姿はまるで、1枚の壁が現れたようだ。


「いいや、グスタフ。あいつらは、魔王である『リズ=フォルティナ・ヴァレンタイン』と一緒にいた。それだけで、魔族と組みする愚か者というわけだ。ここで我らグリドール帝国、ひいては人族の未来のために、あいつらはここで始末しなければならない」


 ジェイクの言葉は少し芝居がかっている様に聞こえたが、それは自己陶酔に浸っているからなのかもしれない。


「おい、さっきの女を攫って行った君。一応忠告しておくが、そいつは人族の天敵である『魔王』だぞ」


『魔王』、その言葉を聞いたエアの表情が一気に凍りつく。

 回復魔法をかける手を止め、怒りに満ちた眼でいきなりリズの首を絞め始めた。


「いけない!エアさん!」


 慌ててセラ様が凶行に走ったエアを止めるため、その細腕でエアにしがみつく。


「うるさい!!」


 エアは強引にセラ様を振り解くと、片手で突き飛ばす。


「キャッ!」


 抗うこともできず、セラ様の小さな身体が吹き飛んでしまう。


「エアさん!止めてくれ!!」


 クッ!レベルをフーシェに譲渡したためか、スピードが出ない!『最適化(オプティマイズ)』もされて、レベルは10残っているはずなのに、50ものレベルダウンをした今では、自らの身体の進み具合が遅いことに、もどかしさを感じてしまう。


「なんだ?仲間割れか?」


 グスタフと呼ばれた大男が、僕達の様子を眺めて声をあげる。


「駄目だ、エアさん!誤解なんだ!」


 必死に僕はエアの左手にしがみつく。


「うるさい、うるさい、うるさい!邪魔しないでよ!!」


「ぐっ!!」


 エアの細腕からは、想像もできない程の力が生み出され踏ん張ることができない。

 レベルの差で、絶対的な力の強さで負けているんだ!

 ならば!


『マスター、攻撃を最適化します!』


 セライの声と共に、瞬時に脳内に流れ込んで来た身体の動かし方を、咄嗟に実践する。

 流れ込んで来た知識は体術だ。

 一瞬の隙、エアが力任せに腕を振るったタイミングに合わせて、関節が決まるように締め上げる。


「痛いっ!」


 ごめん!でも、これしかできない!

 流れるように背後に回ると、一気にエアの腕を背中へと回し地面へと抑え込む。

 奇しくも、ジェイクがローガンを押し倒した様な動きに似てしまったことに、僕は嫌悪感を覚えた。


「は、離してよ!こいつ、『魔王』が!私のお父さんを奪ったのよ!!」


「か、ハッ!」


 絞められていた首からエアの手が離れたことで、リズは呼吸を行うことができ、苦しげに息を吐いた。


「こんなチャンスは逃がせないね!どけ!そこの女!」


 僕達の騒動につけ込もうと、ジェイクが高圧的に命令する。


「ん。どかない、通るなら私を倒してから」


『アースブレイカー』の切っ先をジェイクとグスタフに向けたまま、フーシェが牽制する。


「その剣⋯⋯気配が変わって分からなかったが、もしやさっきの魔族のガキか!?」


 そうか。ジェイクのスキル、『魔を穿つ者』は魔を持つ者に反応する。

 しかし、『限定覚醒』を使ったフーシェは限りなく人族に近い存在となっている。そのため、ジェイクのスキルに反応しないのだ。


「ジェイク様。危険です、あれは最早人の形をした何かです。到底倒すことなどできません。彼女が本気になれば、一瞬で私達の首は落ちてしまうことでしょう」


 グスタフのジェイクを諌める声が聞こえる。


「なんで、何で⋯⋯」


 僕に組み敷かれたエアは、力なく水気を含んだ地面に顔をつけながら、か細い声をあげた。


「私のお父さんは!レーヴァテインに連れて行かれて死んじゃったのよ!なのに、何で貴女はそうやって生きているの!──あんたなんて、『勇者』にやられて死んじゃえばいいんだ!」


 エアが悲痛な叫びをあげる。

 あぁ、そうか。

 彼女もまた、作られた『魔王像』を信じてリズを批判しているのだ。

『クズ魔王』、ビビ達の認識が住民達に広く浸透してしまっていることが思い知らされる。


「カハッ、確かに⋯⋯私は最悪の『魔王』よ」


 なんとか息を整えたリズが、首元を押さえながら立ち上がる。

 少しばかりの回復で、傷は先程よりは良くなっているが、リズの身体には未だに生々しい傷跡が無数に残っていた。


「ふん。住民にも嫌われて、いっそ自分で自分を殺したらどうだ」


 こいつ!


 挑発するようなジェイクの言葉に、僕の頭に一気に血が上る。


「駄目ですよ!ユズキさん!」


 エアによって、数メートルは飛んだセラ様が、ゆっくりと上体を起こすと叫んだ。


「──ハッ!」


 セラ様の言葉は、僕の心に湧き上がった黒いヘドロの様な感情を吹き飛ばすような力強さがあった。


 そして、次の瞬間。

 自分が、勇者であるジェイクを「殺してしまいたい」と、心の底から思っていたことに戦慄した。


「駄目ですよユズキさん、黒い心に支配されたら。エアさん、そしてジェイク、全ては悲しい勘違いから起こったことなのです」


 ゆらりと立ち上がったセラ様は、軽くスカートについた土をはらうと、背筋を伸ばした。


「これ以上の争いは無意味です!ジェイク、直ちに仲間を率いてこの場を去りなさい!」


 ──!!


 その声は、最早小柄な少女から発せられるものではなかった。

 身体中、いや、心臓を直接響かせるような不思議な力があった。

 只事ではないと感じたのはジェイク達も同じのようだ。

 無意識のうちに、ジェイクとグスタフの足が一歩後ろへと下がる。


「な、何故だ。何故僕がこんな小娘に気圧される」


「ジェイク様。リアーナとヤンもいません。ここは一つ退きましょう。今は何より、『魔王』よりその隣にいる女の方が危険です」


 レベル97で『限定覚醒』を使用したフーシェには隙がない。

 それは、アースドラゴンに相対した時の絶望感とはまた異なる、絶対的な力の象徴。

 倒す、いや傷つけるということ自体が不可能のように思えてしまう。


「く、くっ」


 気がつけば、僕に組み伏せられたエアが泣いていた。

 四肢に力は籠もっておらず、声を殺して泣き崩れている。

 そこには、怒りに身を任せていた時の気迫は感じられず、無力さや脱力感に身体が支配されているようだ。


「ごめん」


 僕は、エアには既に戦意がなくなったことに気づき、関節をきめていた腕を緩めた。


「『勇者』ジェイクよ。貴方は私から情報を引き出してから殺したかったでしょうけど、私をいくらいたぶっても出る情報はないわ」


 リズがふらつきながら、今先程、自分の首を絞めていたエアの横に跪く。


「ごめんなさい。貴女の父親が殺された時、私は何もしなかった。だから、貴女の父親を殺したのは私のようなもの。後で教えて頂戴、レーヴァテインで何があったのかを」


 真摯な瞳で訴えかけるリズの瞳を見つめ返し、エアが瞳を涙で滲ませる。


「分かってる。いくら貴女を憎んでも父さんは帰ってこないって⋯⋯」


 そのまま嗚咽を漏らしながら、地面に顔を伏せてしまったエアの背中にリズは手を置くと、立ち上がる。


「私、レーベンの『魔王』、リズ=フォルティナ・ヴァレンタインは、父親であるドミナントの『魔王』、メナフ=フォルティナ・ヴァレンを止める覚悟でこの地に戻ってきた!父の掲げる人族の殲滅という野望は私が止める!それならば、魔族が人族と争うことなんて何もない。私達は、今からでも手を取り合える!」


 腕を振るって、リズが宣言する。

 その声には確かな決意が見え、彼女の目指す理想が掲げられていた。


「リズさ──キャッ!!」


 高らかに宣言したリズを眩しそうに見上げたセラ様が、驚きの声をあげる。


「え、何?」

 

 理解が追いつかないといった、不思議そうな声をリズがあげた。

 僕にとっても、それはスローモーションのような出来事だった。

 スッと音もなく、突然にリズの胸元から禍々しい漆黒の刃が、彼女の皮膚を突き破り突然出現したのだ。


 言葉を発したリズが、ようやく自分の身に起こったことに気が付き、自らの胸元から伸びる血塗られた刃を認識する。


「な、何で⋯⋯」


 そこまで喋ったあと、リズの口からコポリと大量の血がこぼれ落ちた。


「くくっ、困りますなぁ。せっかく流布したことを覆されては。レーベンの『魔王』はクズで民のことを考えない愚王である。その筋書き通りにされないのであれば、リズ様にはここでご退場なさってもらいます」


 その声は、リズの背後から突然出現した。

 崩れ落ちるリズを支えるように、リズの影から一人の魔族が現れる。

 手には凶行に走った曲刀を持ち、青白い肌の男の魔族は今にも事切れそうになるリズを優しく抱えると、その耳元で囁いた。


「今までご苦労様でした。道化の『魔王』様」

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