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異世界の町は勝手が違うようです

「そこの二人、そこで止まれ」


 僕とイスカは中立都市、エラリアを囲む堀にかかる吊り橋まで進むと、二人の衛兵のうちの一人に声をかけられた。


 どこか気だるげそうな印象。誠実に職務に当たっているとは思えない風貌だが、鈍色にびいろのアーマーに覆われていない腕の筋肉は、鍛え抜かれた鋼のように盛り上がっている。


 僕とイスカは言われたとおりに衛兵の前で止まる。

 二人の衛兵は槍を右手に握っており、その迫力はなかなかのものだ。

 イスカは怖いのか、僕の左手をしっかりと握っている。


「身分証を出しな」


 言葉遣いは乱暴だが、男の声は高圧的には聞こえない。

 僕は素直にマジックポーチから身分証を取り出す。


 町に降りる前、身分証の必要性をイスカに言われて焦ったが、なんとポーチの中にはご丁寧に身分証が入れられていた。

 こればかりは女神さまに感謝しなくてはならない。


 イスカも恐る恐るポケットから身分証を取り出すと男に提示する。


「えー、何々。あんちゃんは、へぇ、ムラクモとは随分遠い所から来たな。で、こっちの嬢ちゃんは、おい!クルトスの町って言えばドーラスに滅ぼされた町じゃねぇか!」


 男は驚いたような顔をしたが、すぐに僕とイスカに身分証を返した。


「この時間にクルトスの方面から来たから訳ありだと思ったが、逃げてきたのか?」


 イスカをまじまじと見る男の仕草はどこか無遠慮だ。

 僕はイスカの怯えを感じ取り、男の視界へと立ちはだかる。


「あの!僕が彼女を助けて、やっとこの町に辿り着いたんです」


 僕はイスカがクルトスでドーラス軍に捕まった後、奴隷商人に輸送されていたこと、その途中ベイルベアーの襲撃を受けたところを助け、イスカを開放したことをかいつまんで説明した。


 男は興味を持ったように僕の話を聞いていたが、ベイルベアーの撃退の件は信じていないようだった。


「あー、分かった分かった。まぁ、そっちの嬢ちゃんは良かったな。町で奴隷に認定されていれば、あくまで所有権は奴隷商。勝手にそのあんちゃんが助けたとなれば、物の略奪になってしまう。あと、あんちゃん。流石にベイルベアーは盛りすぎだ。あいつらは俺たちが20人集まって、やっと倒せるかどうかのやつだ。ワイルドベアーならまだしもだがな」


 なるほどね。ベイルベアーはそれほどまでに強い魔物だったのか。

 ただ、僕としては熊の種類よりもイスカを助けたタイミングが結果的に良かったと知り安堵した。


「君、そうだな。言いがかりになって悪いが討伐部位とかは持っていないのか?」


 応対している男の横に立っている、こちらはやや細身の青年。青年はどこか訝しむように僕の顔を見る。


「まぁ、確かにな。ワイルドベアーくらいなら、正直奴隷商人の護衛くらいで事足りる相手だ。俺なら一人でも倒せるし、お前の話が本当であるという証明はほしいところだ。このエラリアは中立っていっても、さすがに隣の町が戦火になってピリピリしてるからな」


 うーん、面倒くさいことになった。

 でも、正直僕が持っている討伐部位はベイルベアーの物しかない。

 変に目立って目をつけられることは避けたかったが、そうも言っていられないらしい。


「⋯⋯分かりましたよ」


 ここで時間を割かれるのも問題だ。

 できれば早く町に入ってしまいたい。

 僕はマジックポーチの中からベイルベアーの牙を取り出した。


「⋯⋯マジかよ!」

「これがベイルベアー!」


 地面にドンと牙を広げると、衛兵二人は目を丸くした。

 取り出した二本の牙は1本で1メートルはするだろう。ズッシリと重量感のある牙は、この歯の持ち主だった者が只者ではないことを示すには容易なことだった。


「こいつを倒すなんて、あんちゃん。あ、ユズキって言ったか。すげぇ冒険者なんだな。確実にB級以上だろ?」


 衛兵に言われて僕はドキリとする。

 身分証はあるが、冒険者の等級なんて持っているはずもない。

 すかさず、イスカがフォローに出てくれた。


「あの、私達疲れてるんです。できれば、早めに宿を取りたいのですが」


 イスカが前に出てきたため驚いたのか、男は少したじろぐ。


「あ、あぁ。大変な中やってきたのに悪かったな。俺はベス。こっちのやつがクリフだ。暫く滞在するなら会うことも多いだろう、今後もよろしくな。宿は⋯⋯そうだな、この門を通過して3つブロックを進んだ所を右に曲がって暫く行くと、『星屑亭ほしくずてい』って宿があるから行ってみな。俺の名前を出すと少しは都合をつけてくれるだろうよ」


 ニヤリと笑うベスと名乗った男は、気だるげな口調は変わらないが悪い人物ではないらしい。

 礼を言い、橋を渡ろうとする前にベスは手招きで僕だけ近づくように合図をした。


 キュッと僕の手はイスカによって握られる。


 その様子を見て、ベスは観念したのか再び僕達に近づいてきた。


「あー、ユズキだけに伝えときたかったけど。言っておいた方がいいか、⋯⋯この町は基本的に中立で、亜人族にも比較的寛容ではあるが、正直差別や偏見はある。で、イスカだっけ、嬢ちゃんはクルトスから逃げてきた市民だ。それでクォーター。奴隷になりそうだったとは口が裂けても言わないことだ」


 ベスの眼が鋭く光る。


「言っちゃ悪いが、力ないやつは搾取されるだけだ。奴隷になりかけたって話を聞いたなら、次の奴隷商人に目をつけられるのは明らかだ。基本的にエルフは見た目が良くて人族にウケがいい。だから、搾取されないためには2つだ。ユズキ、お前がしっかり守ってやるか、イスカ自身が自分を守れるように強くなるかだ。⋯⋯安心しな、その格好を見ても『星屑亭』のおかみは悪いようにはしないから。ただ、なるべく見た目を整えてやるんだな」


 ベスはそう言うと、ドンッ!と僕の背中を叩く。

 痛くはないが、勢いで僕の身体はガクンと前に出た。


「ほぉ」


 横で見ていたクリフが何か驚いたような顔をしていたが、どうしたのだろう。


 横を見ると、先ほどの話を聞いたためかイスカの耳は下がってしまっている。


「大丈夫、僕はイスカを見捨てない。行こう」


 小さなイスカの手をしっかりと握りしめ、僕達は歩きだした。

 陽はすでに、先程まで僕達が通ってきた森へと姿を隠そうとしている。

 紅く染まる夕焼けは、夜のとばりを連れてくるようだった。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ベスのおやっさんが本気出したのに、ユズキってやつ全く痛がらなかったですね」


 クリフは遠ざかりつつあるユズキ達の背中を見ながらベスに話しかけた。

 クリフの言葉にベスは苦笑する。


「あぁ、試すつもりで叩いたのに何も言わねぇとはな。引退したとはいえ元エラリア一の冒険者だった俺の張り手を喰らって平然としてるなんて、傷つくぜ」


 ヒラヒラと手を振るベスにクリフは笑いかける。


「じゃあ、傷心のおやっさんをいやすために今夜は飲みに行きますか?」


 クリフがクイッとエールをあおる仕草をすると、ベスはニヤリと笑う。


「バカ言え、飲みだけで終わるかよ。その後は娼館に突撃するぞ」

「バカ言わないでください、娼館の香の匂いなんてつけて家に帰ったら嫁に殺されますよ!」


 慌てるクリフにベスは、ガハハと笑って肩を組む。


「いーや、傷ついた俺を励ます義務がお前にはある。だからこれは決定事項な。あ、俺が奢るから遠慮しなくていいぞ」


 クリフは脱出を試みたが、元一位のベスの腕から逃げることは敵わない。悲痛な叫びだけが、人通りのない門に響き渡った。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「わぁ」

「凄い」


 僕とイスカはお上りさんよろしく感嘆の声をあげた。

 目に見える全てが、ここが異世界なのだとよく分かる。

 夕暮れ時の街に漂う香りは、各家庭が今晩の夕食を準備しているのか香ばしい香りが煙突から漂っている。

 街頭に並んだ屋台は既に閉められ、店主達が品物をリアカーに積み込んでいる。家路を急ぐ者もいれば、肩を組み夜の街へと繰り出していく冒険者達がいる。


 町並みは、いつかテレビで見た東欧諸国に似ているなぁ。

 僕はイスカの右手を握ったまま、ベスに言われた『星屑亭』を探して歩き続ける。

 女神さまのくれた『言語把握』のスキルのお陰で、未知の文字も違和感なく頭に入ってくることが有り難かった。


 異世界物で、言語を分からないところから初める主人公達の努力を思うと、涙が出るほどだ。


「イスカ、ほらここかな?」


 人目を気にして歩くイスカのために、僕は道の端を歩き、なるべくイスカの身体が人目から隠れるように配慮していた。


 立ち止まり二人で数軒先の建物を見上げると、そこには宿と星空を形どった看板が軒先に下がっており、『星屑亭』と書かれていた。


「行こう」


 僕とイスカは一緒に少し重い扉を引くと、宿の中へと足を踏み入れた。


「いらっしゃい!ここは『星屑亭』だよ、あんた達泊まっていくのかい?」


 おぉ。

 なんというか、かなり恰幅のいい受付のおば⋯⋯さまだね。

 声は少し太く、体格はなんだろう。肝っ玉が宿ったかのような肉体をしている。あの腕で締められたら、魔物だって落ちてしまうんじゃないかな。


 ドーンと来た第一印象に飲み込まれた僕とイスカだけど、突っ立っているわけにもいかない。


「泊まります!僕達、衛兵のベスさんに薦められてここに来たんです!」


 僕がそう言うと受付の女性は、ほぉと眼を見開いた。


「ふーん、あんた達ベスに紹介されたのかい。あたしはミドラって言うんだ。あの鼻垂れベスが目をつけるなんてあんた達面白いね。一泊は二人で銅貨50枚、連泊するなら銀貨1枚で普通は20泊のところ、ベスの知り合いってことで25泊まっていいよ。あくまで宿代だけ、飯が食いたきゃ朝は1人銅貨5枚、昼と夜は10枚だ」


 うーん、貨幣の価値が分からないぞ。

 僕は助けを求めるようにイスカを見る。イスカの方は少しぽーっとした表情をしていたが、僕に見られていると知ると慌てたように頷いた。


「えっと、良心的な値段で驚きました。その値段なら有り難いです」


 イスカが頭を下げる姿を、ミドラと名乗った女性はじーっと眺めていたが、いきなりその大きな手をイスカの頭にのせた。


「──!!」


 いきなり頭を触れられると思っていなかった、イスカの身体が強張り驚きからか、その長い耳がピンッと立った。


「なんだい、あんた大変だったんだろ。なーに、悪いようにしないさ。あたしだって、ドワーフのクォーター以下だ。あんたの辛さもちーっとは分かるからね。どれ、泊まるんだろ?だったら、あんたはこっち来な。で、そこのぼんやりしてるあんちゃんは、代わりにカウンター入ってきな。で、店番な」


 え!?

 何この急展開。


 驚く僕にミドラは有無を言わせない。


「あー、客来たら適当に待ってもらいな。待たない客なら返していいや、どうしても困ったら、食堂に向かって叫びな。娘が給仕やってるから、なんとかなるはずだよ。はい、エルフのあんたはこっちこっち」


 いつの間にやら手を繋いでいた僕とイスカは離されており、僕はガッと肩を掴まれたと思うと気がつけば、先程までミドラが座っていたと思われるやけに大きな椅子に座らされていた。


 うっ、尻が生温かい⋯⋯


「あの、ミドラさん⋯⋯」

「なんだい!さん付けなんていらないよ。で、あんたは何ていうんだい。⋯⋯ふーん、イスカって言うのかい。響きが綺麗でいい名前だね!」


 イスカの僅かな抵抗も虚しく、ミドラはガハハと笑うとイスカを連れて従業員以外立ち入り禁止と書かれた受付奥へと姿を消してしまった。


「え、マジでどうしよう」


 ぽつんと残された僕はたまったもんじゃない。


 ⋯⋯


 ⋯⋯


 1分が長い!


 もうあとは外から客が来ないことと、宿泊客が受付に要件を言いに来ないことを願うしかない。


 ⋯⋯それにしても、ミドラって人もドワーフの血が混じっていたなんて。見た目だと、恰幅の良い浪速のおばちゃんにしか見えないのに、種族によって差があるのだろうか。


 気がつけばとんでもない大役を任されてしまったものだ。

 仄かな木の香りと食堂があると思われる通路から漂う食欲を刺激する香りは、本来心をホッとさせるもののはずなのに、異世界でポツンと店番をさせられるのは、たまったもんじゃない。


 僕は戦々恐々、周囲の動きに気を配るしかなかった。

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