遠くの敵を狙い撃つようです
「さすがユズキ様、面妖なことになっておりますな」
宿に迎えに来てくれたローガンは、僕の話を聞くと軽くため息をついた。
僕たちは今、宿を出てトナミカの町を一望できる高台に移動していた。
その眺望の良さから、ピクニックに来ているものや、仕事合間の昼食を片手に芝生に腰を下ろしている者も多い。
僕とイスカ、フーシェの他に、昨日僕を暗殺しようと潜入してきた『観測の魔王』リズも一緒だ。
さすがに、その目立つ1対の角を衆目に晒すわけにいかず、今は認識阻害の魔法の力で、周囲の人からリズは町人のように見えているはずだ。
「これが、普通の反応なのにね」
魔法の影響を受けていない僕にとって、僕から見えるリズの頭部には立派な白い角が見えている。
しかし、僕以外の3人にはリズの角は見えていないようだ。
「確かに私は戦闘は苦手だけど、魔法には自信があったのに、ユズキに会ってからはその自信が根本から折られるようだわ」
小さく腕を組むリズは、僕以外が見ればきっと町人の女の子が不機嫌になっているようにしか見えないだろう。
「さて、ユズキ様のことが本当だとするのならば、この御方は人族にとっては天敵のようなものです。ユズキ様、貴方は人族と魔族、どちらかに与するとは考えたことはありませんか?」
「ローガン、僕はもともと異世界から来たんだ。だから、僕がどちらかの味方になって、この世界のバランスを崩そうとは思っていないよ。フーシェのことがなければエラリアでイスカとフーシェと一緒に暮らしていたいと思っていたんだ」
それに、僕がそういったことをするということを、セラ様は決して喜ばない。
僕はセラ様が悲しむようなことはしたくなかった。
「どうして、リズさんはレーベンを守ってほしいのですか?」
イスカが質問すると。リズはキュッと自分の肩を抱くと、恐ろしい考えから身を守るように小さな声で答える。
「このままじゃ、戦争になるわ」
「ふむ、それは魔族と人族のですかな」
ローガンが、思案するように髭を触りながらリズに向き直る。
「えぇ、そうよ。でもこの戦争が起きる時、レーベンは見捨てられることが決まっているの。──私はそれを止めたい。いや、今だからできるのよ」
どういう意味だろう。
ここ、トナミカは『交易都市』として、名目上はリーフィア共和国とグリドール帝国のどちらの勢力圏にも属していないことになっていると聞いた。しかし、その上層部はややグリドール帝国に寄っているとの話をローガンから聞かされていた。
「その場合は、ここトナミカが人族側の最前線ということになるわけですな」
「違うわ。私の父、ヴァレンタインはその最前線をレーベンにしたいのよ」
それは、わざわざ獲得している領土を放棄して、人族を引き込むことになる。人族側がレーベンに拠点を作ってしまうことは、魔族にとっても不利になるのではないか?
「それって、レーベンに拠点を作られるとリズ達は不利になるんじゃないのかい?」
僕の質問にリズは軽く唇を噛む。
「そうね。でも、お父様はなぜレーベンに人族を引き込もうとしているのかは教えてくれなかったわ」
何か策でもあるのだろうか、だけどレーベンを統治しているリズにまで作戦を教えていないということが、僕にはどうにも引っ掛かるものがあった。
「ん。何かあった」
突然、芝生を飛び回る蝶を目で追いかけていたフーシェが動きを止める。
「な、何ですか?」
キョロキョロとイスカが周囲を見渡すと、フーシェは高台から望む海の一方向を指で指し示した。
「あれは──!」
そこには、遥か遠くに見える1艘の船から、何やら狼煙が焚かれているのが見えた。
ローガンは、その狼煙の色を見て深刻そうに腕を組んだ。
赤い狼煙が2本、青い狼煙が1本上がっている。
「これは厄介ですね。魚人族の群れに襲われています」
魚人族と聞いて、リズが忌々しそうに顔をしかめる。
「あいつらは、魚人と名はついてはいるけど、知能は低く本能のままに行動する野蛮な生き物よ。私たち魔族の船もあいつらに襲われるとただでは済まないわ。現に何艘もの船が被害にあっているわ」
ここからではさすがに船を襲う魚人族の姿や数か見えない。
立ち上る狼煙が右へ左へと揺れ動くことから、船が蛇行して必死に襲撃をかわそうとしていることが分かった。
「恐らく、トナミカの『海洋警備隊』も、狼煙で事態は把握しているでしょう。ですが、遠すぎる。あの船は恐らく港まで持ちますまい」
「そうね。奴らは決して自分が不利な所まで深追いはしないわ。きっとこの船は墜とせると思って襲っているのね」
「そんな!助けに行けないのですか?」
「無駄でしょうな。距離がありすぎる、辿り着くまでに船は沈められるでしょう」
助けを求めているのに、助けに行けない歯痒さを感じたのかイスカが手を握りしめた。
「それに⋯⋯あの船の造り。多分、レーベンの魔族の船ね。人族からすれば助けるメリットは余りないでしょうしね」
リズが忌々しそうに呟く。
「そんな!?交易をしている相手をないがしろにするのが許されるのか?」
僕の声に、ローガンは悲しそうな顔をする。
「えぇ。交易は行われてはいますが、それは一部に限られております。大多数の人族が魔族を嫌うように、魔族もまた人族を憎んでいるのです」
そんなこと──セラ様が望んでいるわけないのに。
「⋯⋯助けよう」
僕は決断すると、イスカとフーシェを見る。
その言葉に信じられないといった顔をしたのは、ローガンとリズだ。
「ちょっとユズキ!ここから、あの船までどれだけ距離があると思ってるのよ!?あんな豆粒みたいに見えるとこまで移動する方法なんてないわよ!」
「ここから、仮に魔法が届いたとして、船に被害を出さず魚人族だけを狙うなんてことはできませぬ!」
二人の言うことは最もだ。
確かに、あの船へ移動する方法は一つしかない。
僕だけなら、きっと跳躍で飛び移ることもできるかもしれない。
今なら数キロくらいなら、ジャンプで飛び越えることができる程にレベルが身体に馴染んでいた。
しかし、跳躍した後に姿勢制御を行えない僕は、下手をすれば上空の風に煽られて、船に着地できないかもしれない。
「そうだね。だから、リズ。君の力が必要なんだ」
「私!?」
自分の名前が呼ばれると思ってはいなかったのだろう、リズが驚いた表情で僕の顔を見つめた。
イスカは、僕の意図を汲んでくれたのか背中に背負っていた弓の準備を始める。
そんな様子をリズは不可解そうに見つめているのだった。
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「ちょっとユズキ。これでいいわけ?」
「うん、大丈夫だと思う」
僕とイスカ、そしてリズは先程の高台を見下ろすことができる巨大な木の上に立っていた。
枝も十分に太く、3人が足場として使ってもびくともしない。
「よし、それじゃあイスカ!」
「はいっ!」
イスカが弓を構える。
狙うのは遥か彼方、ここからでは豆粒のように小さく見える船に群がる魚人族だ。
僕の目にも見えない、イスカにだって敵の姿は見えないだろう。
「リズ?魚人族の波動は分かる?」
「と、当然よ!こんな距離なら波動だけじゃなく、その形も見えるわよ。ただ、使っている時は動けなくなることが難点なの」
そう言うと、リズはパンッ!と両手を胸の前で打ち、次にバッと両手を広げてみせた。
「『万象の眼』発動」
ほんの少しだが、リズを中心に風が巻き起こり、何かが僕の身体の中を駆け抜けて行ったような感覚があった。
「あーもうっ!ユズキが近すぎて怖い!この波動の奔流、すぐ横に滝壺があるみたいよ!」
眼を瞑ったまま、リズが少し震えてしまう。
そうか、波動を感じることのできるリズにとって、レベルが高すぎる僕の波動は強すぎるんだ。
だからといって、現状このレベルをどうにかする術はない。
「うーん、慣れってことで何とかならない?」
「ほんとっ、無理よっ!」
今にも泣きそうなリズだが、そこは『魔王』。次の瞬間には、索敵すべき敵を補足したらしく、小さく「見つけた」と叫んだ。
「見つけたわよ。それでどうするの?」
ここからは僕の出番だ。
僕は弓を構えるイスカに手を伸ばす。
僕は、自分のスキル『情報共有』を使えば、イスカにリズの見ている情報を共有できるのではないかと考えていた。
情報共有は仲が良くなければ使えないという問題も解決している。
この高台に来るまでに、脳内のセラ様AIがリズの僕に対する友好度は、親愛度に変化していると教えてくれたのだから問題ない。
問題といえば、何故勝手に好感度が上がっているのか分からないことが一番の問題なのだが⋯⋯
でも、今スキルを使う上では助かるのも事実だ。
それに、リズが好意を持ってくれるということに悪い気はしない。
「リズの見ている情報をイスカに共有してみるんだ。いくよ、『情報共有』!」
本来ならば、ステータス画面が現れるところ、今回はリズの脳内の情報をイスカに共有することを試みているため、ステータス画面は現れない。
変わりに、僕を介して黄色い光がイスカとリズを結んだ。
「凄いっ!こんなに離れているのに、魚人族の形が見えます!⋯⋯でも、見た目がかなり怖いです⋯⋯」
一体、どんな風に見えているのだろうか?
見てみたい気持ちもあるが、実物では見たくない気持ちもある。
「ちょっとユズキ?これはどういうことになっているの?」
「僕のスキルで、リズの見えている景色をイスカにも見えるようにしたんだ」
リズの質問に僕は答える。
「イスカ?距離や標的をつけるのは大丈夫そう?」
「これなら、全然余裕です!新しく覚えたスキルで狙い撃ちできますよ!」
イスカは、僕に嬉しそうに振り返った。
「貴方たち⋯⋯、魔族を助けるのに躊躇いはないの?」
「──勿論。リズが困っているんだろ?リズの所の住人を見殺しにはできないよ」
リズは、僕達が率先して魔族を助けようと動いていることが気になったようだ。
だけど、僕はセラ様から聞いている。
人族も魔族も、そのどちらもがセラ様にとっては等しく子供達なのだと。
それならば、僕くらいは、この世界のしがらみに囚われずに救いたい人達を救おう。そう思うのだ。
イスカとフーシェも勿論同じ気持ちだろう。
ローガンとて、元『勇者』の仲間という立場はあるが、反対はなかった。
「──もぅ、天然なんですから」
ボソッとイスカが呟いただろうけど、どういう意味なんだろう?
「なんでもないですっ!さぁ、ユズキさん。やりましょう!」
リズの視界を得たイスカが凛とした声をあげる。
イスカの瞳には、遥か遠くの魚人族の姿が、ありありと映し出されていた。




