今夜の宿は温泉宿だそうです
「ん。ほんと?」
口に肉を詰め込んだまま、フーシェがローガンへと質問する。
頬を少しハムスターの様に膨らませているのは、小動物の様で可愛らしいのだけれども、テーブルマナー的にはNGだ。
そしてローガンは、視線をステータス画面が映し出す情報に落としたまま返答する。
「ほんとも何も、その第一次遠征に私は参加していたのです」
ローガンはそう言うと、ゆっくりと水を一口飲んだ。
「愚かなことを考えるものです。特にレーベンはこの大陸とも交流があり、必ずしも敵対的ではない。そこを魔王討伐の足がかりにしようなどとは」
「『勇者』の最終的な目的は?」
僕の質問にローガンは嘆息する。
「魔大陸全ての『魔王』の討伐。それを持って、人族の安寧を築くと共に、グリドール帝国時期国王の座を確固たるものにしたいのでしょう」
「え?『勇者』とはグリドール帝国の王子なのですか?」
僕が驚きをもって質問すると、ローガンは眉を潜めながら頷いた。
「左様でございます。側室の子ではございますが、ジェイク様はれっきとしたグリドール国王の子。私は、彼の家庭教師件パーティーの指導役を務めておりました。もう15年もお供をさせて頂いておりました」
その口調には、遠い過去を懐かしむような声色が含まれる。
それだけ長い年月を過ごして来たというのに、『レベルリバース』を起こしただけで簡単にその繋がりは切れてしまうものなのだろうか?
決して、パーティーを抜ける時が良い別れでなかったことは、追い出されたという表現で分かっていた。
「そういえば⋯⋯失礼ですが、貴方達が魔大陸へ渡る理由をお聞かせ願えますか?」
ローガンは、思い出したというふうに僕にたずねて来た。
僕は、かいつまんでフーシェのことと魔大陸でフーシェの手がかりを見つけるために海を渡りたいことを説明した。
一通り、話を聞き終えたローガンは、何やら考えていたがやがて意を決したように口を開いた。
「不躾なお願いで大変恐縮ではありますが、私をその旅のお供に加えてはいけないでしょうか?無論、レベルが足りないことは分かっております。ですが、やはりもう一度、私はジェイク様とお会いしなければならないのです」
その瞳は、何かを決心したかのように確固とした意思を宿していた。
ここで、ローガンと共に行動をするということは、『勇者』にまつわるローガンとジェイクの問題の渦中に飛び込むことになる。
そういったトラブルは避けたい所だが、魔大陸に渡ったことがあるローガンの情報はきっと役立つはずだ。
「ん。ユズキの好きにすればいい」
大盛りゼリーを頬張りながらフーシェは頷く。
「ユズキさんは、答えを出しているんですよね?私もローガンさんが一緒に来てくれると心強いです!」
イスカもローガンが共に来ることには賛成のようだ。
ローガンは緊張した面持ちで僕の言葉を待った。
「分かりました。ローガンさん、一緒に行きましょう。その知見、頼りにしています」
僕が右手を差し出すと、ローガンは少し目を潤ませつつも強い力で僕の右手を握り返してくれるのだった。
『対象、ローガンの友好度が友情度に変化しました。レベル譲渡可能レベルは残り19です。尚、譲渡されたレベルはスキルによって固定され、『レベルリバース』の影響を受けることはありません』
脳内に響くセラ様AIの声。
譲渡できるレベルが一度に20あるのは、元々ローガンのレベルが高いためだろうか?
「ありがとうございます。この老いぼれ、微力ではございますが誠心誠意を込めて、お三方のお役に立つことを約束致しましょう。──ところで、ユズキ様?今晩のお宿はお決まりですか?」
握っていた右手を離すと、ローガンが微笑む。
そうだった、宿泊をする『水海月亭』に行かなければ。夕方になって宿が取れないと心配だ。
僕達がトナミカに着いたのは早朝。陽は少し傾いており、店内に差し込む光は暖かさを増している。
僕が、まだ宿を取っていないことを聞くと、ローガンは嬉しそうに笑った。
「良かったです。それでは、不肖このローガンが仲間に入れて頂きましたお礼と、本日の数々の御無礼のお詫びを兼ねて、本日の宿を取らせて頂きます」
「?」
僕達3人はお互いの顔を見合わせる。
ローガンは笑うと、僕達に優しく微笑み嬉しそうに笑った。
「温泉宿ですよ、ユズキ様。トナミカで一番の温泉宿、そちらを是非堪能して下さい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ほへぇ、本当に温泉宿だよ」
僕は、少し呆けた声を出して眼前に広がる光景に圧倒された。
うん、温泉宿。これはどこをどう見ても温泉宿だ。
決してヨーロッパにあるようなスパではない。建物の壁はトナミカらしく白く塗られているが屋根は瓦でできており、その色は日本でもよく見る灰色だ。
「この建物は、ムラクモという土地の建物をモチーフとしているのですよ。ユズキ様」
隣に立つローガンが僕に、建物の造りの由来を教えてくれる。
──って、え?この建物はムラクモの造りなの?
「これは、覚えておいた方が良いことですね、ユズキさん」
少し意地悪な笑みを浮かべながら、イスカが僕に耳打ちをする。
そうなのだ。女神のセラ様から頂いた僕の身分証には、僕の出身地は『ムラクモ』ということになっている。
しかし、肝心の僕はムラクモに行ったことは勿論ないし、ムラクモの文化体系もほとんど分からない。
え、これってボロが出たら、僕は詐欺罪で捕まってしまうんじゃないか?
ダラダラと嫌な汗が流れつつも、僕はローガンに促されるままに宿の門をくぐる。
うん、のれんが出ている所は如何にも日本らしさに溢れている。
「ようこそおいでくださいました!」
──日本!!
まず、従業員さんが作務衣を着ている辺りが日本。
そして、パチパチとホールに設置された囲炉裏で茶を沸かしている所も、何故だろう。異世界なのに高級な温泉宿にでも来たような雰囲気だ。
僕の他にも転生者がいて、その文化を持ち込んだ……ということがあってもおかしくないくらい日本味に溢れている。
ただ、よく見ると少し日本では見られないような装飾が施されていたりと、細部の違いはあるようだ。
「ここは、トナミカでも最高級の宿として20年以上前からやっているのです。オーナーはムラクモ出身の方で、この交易都市で宿を開きたいとわざわざ船で資材をムラクモから運んだようですよ」
うわぁ。これは、絶対オーナーには会いたくないな。
僕はそう思いつつ、受付の手続きを済ませたローガンから部屋の鍵を受け取る。
「はい、これで明日の昼まで泊まることができますよ」
「あれ?ローガンさんは?」
僕が質問すると、ローガンは苦笑した。
「さすがに、ここの宿は連泊なんてできませんよ。町中に宿を取っています。明日の昼には参りますので、ゆっくりと旅の疲れを癒してください」
そう言うと、僕たちに一礼するとローガンは宿を出て行ってしまった。
うーん、本当に高級そうな宿だけど堪能してしまってもいいのだろうか?
僕が、荷物を従業員の女性に預けて2人に振り返ると、そこには調度品に興味津々なイスカと、ちゃっかりお茶を頂いているフーシェがいた。
「凄いです!この装飾、全然煌びやかさはないのにすごく精巧に作られていて、本当に未知の文化って感じがします」
「ん。ユズキ、このお茶はなんか薬草のような味がする」
確かに、ここだけ見れば西洋に日本を持ちこんだような場所だ。2人の反応も当然といえるだろう。
「2人とも、一回部屋に行ってみよう」
僕が2人に声をかけると、男性従業員がやってきた。
「それでは、ユズキ様御一行様。お部屋に案内させて頂きますね」
うーん、ホスピタリティも十分だ。
僕たちは男性従業員の誘導により廊下を進む。本館の廊下を進んでいたが、男性従業員は通路の先の扉を開けると、今度は屋外の渡り廊下に僕たちを案内した。
「それでは、ここから先が離れとなっております。少し段差がございますので足元には十分お気をつけて下さいませ」
ん?離れ?
「あの~、ここって一泊おいくらになるのですか?」
さすがにイスカも、ここが尋常じゃない程の高級宿であることに気づいたらしい。
フーシェの方は、いまだ口に残るお茶の味が気になるのか、渋い顔をしている。
男性は、イスカの質問に困ったように笑うと答えを教えてくれた。
「ローガン様からのご紹介ですよね。えーっと、そうですね。ローガン様の顔がありますから、詳しくは言えませんが、一泊金貨1枚では足りないくらいございます」
「ひっ!」
額を聞いてイスカが卒倒しそうになる。
僕だって値段を聞いてびっくりだ。
日本円に換算すると一泊、最低100万円以上。
どうひっくり帰っても、転生前の僕では縁のない世界の宿だ。
さすが元S級パーティーというべきなのか……。
ワイバーンとドラゴンの討伐で、大分懐事情は良くなった僕たちだが、こんな宿は長居するには落ち着かない。
旅の旅館がとても素晴らしいと感じるのは、日常の中に非日常が挟まれることに胸を打つものがあるからなのだろう。
「さぁ、着きましたよ。ここが本日のお部屋、『夕凪』でございます」
離れの造りは、本館と比べても一段とその格式の高さが伝わってくる。
広々とした離れにわずか数室しかない部屋は、その一部屋だけで本館の数室の部屋を収めてしまうくらいの広さがあるのだろう。
男性従業員が静かに、そして洗練された客をもてなす所作で襖を開く。
「凄い……!」
襖を開けると、そこは一面のオーシャンビューだ。
夕焼けを描こうとする橙色の空が、白波を立てる海を淡く染め上げている。海には大小様々な形の帆船が白い帆をあげて、風を掴んでいるのが見えた。
海原へとスピードを上げて駆けていく船。帆を下ろし、速度を落として入港しようとする船。それぞれの旅路が、僕の眼前に広がる光景に収まっていた。
「ユズキさん、何だか私も別世界に迷い込んだようです」
「ん。この部屋だけで『星屑亭』の部屋が軽く10室は入るから驚異的」
女性陣も驚きを隠せないようだ。
かくいう僕も、どう見てもこの部屋のようにスイートルームクラスの宿に泊まったことはない。
幼い頃、両親に最大4人くらいが泊まれる和室に宿泊したのが関の山だ。
勿論、その経験でさえ、僕の心に印象深く残っており旅の楽しさを思い出させてくれるのだから、こんな宿に泊まれるということは、もしかしたら、もう一度転生しても覚えているかもしれない。
「今日はゆっくりと過ごしたいですね。トナミカはご飯も美味しいので楽しみです!」
「ん。麺料理も有名と聞いた。食べてみたい」
果たして、あれほど昼食を食べたのに、まだ足りないというのだろうか。
食事を楽しみに嬉しそうに笑い合う二人を見て、僕は背筋が少し寒くなる思いがするけどまぁいいか。
──久しぶりの宿だ。ゆっくりしよう。
心の底からそう思ったのだが、そういうことは大体フラグとやらになることに、今の僕はまだ気づいてはいないのだった。




