フーシェは奴隷商とやり合うようです
「ん。ユズキ、イスカお待たせ」
星屑亭に戻って食堂で昼食を食べた後、イスカと共に紅茶を飲んでいた僕達の前にフーシェが、小走りで近づいてきた。
フーシェの話を聞いてから、イスカは少し表情が暗い。
数日前には、自分が奴隷にされそうになった身だ。
そんな境遇を恐れていたのに、今度は顧客になるフーシェと同席する。
断っても良いと僕は思ったが、イスカが行っても良いという気持ちになったのは、フーシェの言葉があったからだろう。
買った奴隷はいずれ開放する。
フーシェがユズキ達と行動する間、権限はミドラに委譲する。
それに
「私も元々奴隷だった」
フーシェのその一言が、イスカが奴隷市場についていく気持ちに傾かせたのは明白だった。
「えっと、その仕事着のまま行くの?」
僕の質問にフーシェはこくんと頷く。
「ん。この服気に入っている」
僕とイスカ、フーシェはフロントに戻るとカウンターにはミドラが腰掛けつつ、何やら作業をしていた。
僕達を見ると、ミドラは少し笑った。
「いい人材見つけてきなよ」
フーシェに声をかけた後、ミドラは僕を見ると片目を瞑ってウインクした。
「フーシェに気に入られるとは、やるね色男。ただ、この娘は親の私が言うのもなんだが、料理や掃除などかなり優秀だよ。あんたが、フーシェを連れて行くっていうなら、二人は雇わないとだめさね」
この小さなドアクラッシャーは、そんなに有能だったの?
軽い衝撃だ。
「ミドラさんは、娘のフーシェが僕のパーティーに入ることは寂しくないのですか?」
僕の質問に、ミドラは笑う。
「バーカ、寂しいに決まってるだろう。でも、子供の旅立ちを親が止めたりはできないだろう。条件だって難しいもんじゃない、普通に次の働き手が見つかればいいくらいだからね。それに、この子は強くなりたがってるのさ」
僕はフーシェを見る。
無表情ではあるが、フーシェはコクコクと頷いた。
「理由は⋯⋯」
僕が更に続けようとしたが、その言葉はフーシェに袖を引っ張られ遮られることになった。
「ん。行こう、早く行かないと夕食の仕込みに間に合わない」
言いたくなかったのかな?
その考えは表情から読み取ることはできなかった。
僕とイスカはフーシェに引っ張られるように星屑亭を後にすることになった。
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町中に出たフーシェは目的地に向かってズンズンと進んでいく。
小柄な身体だが足取りは早く、僕とイスカは少し小走りのようになってしまう。
「フーシェちゃん。エラリアには奴隷商がいくつもあるの?」
イスカの問いにフーシェは首を横に振る。
「正規の奴隷商館は一つだけ。後は非合法」
そう言いつつ、前を歩くフーシェは陽の刺す大通りを歩いている。
ということは、正規の奴隷商館へ行こうとしているのかな。
星屑亭を出て歩くこと10分、町の東部に位置する大きな通りに面した奴隷商館は、ギルドと負けず劣らずの石造りの立派な作りをしていた。
「これが、奴隷商館⋯⋯」
「全然、イメージと違いますね」
どうしても奴隷と聞くと、戦争に負けて植民地化された先住民が、蹂躪され搾取を受けるというイメージが強かったが、とても、この外観からはそのようなイメージを持つことはできない。
驚く僕達にフーシェは補足する。
「正規の奴隷商は、奴隷を『商品』として扱う。非合法は『モノ』として扱う。商品を汚く見せる商人はいない」
淡々と説明するフーシェは、何やらゴソゴソと手に持った袋の中身を確認した。
「ん。ただ、正規で買うと奴隷も高い。重要な労働力になるから」
小さく頷くと、フーシェは袋の口を再び締めると僕とイスカに向き直った。
「今日は、一緒に来てくれてありがとう」
意外なことに、フーシェはしっかりと僕達に礼を述べると深く頭を下げた。
「そんな、フーシェちゃん。頭を下げないで」
イスカが慌てて言うと、フーシェは頭を上げる。
「イスカは嫌がってるように見えたけど、こうして来てくれた。それが、少し嬉しい」
相変わらず表情は乏しいが、その声は僅かに抑揚があった。
僕達に慣れてきてくれているのかな?
その反応は僕としても嬉しい。
「ん。行こう」
ごく自然にフーシェは僕の手を掴んで歩き出す。僕は慌てて、イスカの手を握ると商館の階段に足をかけた。
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「お待たせ致しました。当館の主人がお越しです、皆様、くれぐれも失礼もないよう」
商館に入った僕達は受付に奴隷を買いに来たことを伝えると、始め受付は僕達の身なりを見て訝しんだが、それでも一人の初老の執事を寄越すと、応接間に僕達を案内してくれた。
僕達3人が並んで座っても有り余る幅のソファーは、フカフカしてとても気持ちが良い。
一目見ただけで室内の調度品の質の高さが見て取れた。
敷き詰められたカーペットの起毛は、一歩歩くごとに心地良く足を包み込み、まるで雲を歩いている気分だった。
テーブルに用意されたティーセットは、中世ヨーロッパの貴族が使っていそうな、凝った装飾が施されている。
僕達は慌てて立ち上がる。
果たして、重厚な扉から現れた人物は──
!!
ベイルベアーの襲撃の際に会った奴隷商のイメージが強すぎたせいか、正直僕は金をひけらかすような中年男性が出てくるかと思っていた。
しかし、実際に出てきたのは、まだ40台には届かないであろう淑女であった。少し胸元が開きすぎている気もするが、ことさら金持ちをアピールするような服装はせず、アクセサリー類はシンプルにまとまっておりスッキリとした印象だ。
「当館の主、フローリア様です」
執事が紹介するのに合わせ、僕達は頭を下げる。
少し天然でありそうなフーシェも、しっかりと頭を下げて対応していた。
「貴方達が奴隷を買いに来たお客様ね。⋯⋯給仕と、冒険者が二人。しかも、真ん中に立っているのが給仕とは、その小さな娘が私のお客様かしら」
嫌味のようには聞こえない、しかし値踏みをするような声が響いた。
フローリアと紹介された、この館の主は腰まで届くような鮮やかなブラウンの長髪を複雑に結い、身に纏う薄紫のドレスは不思議とよく合い、品の高さを高めているようだった。
「ん。私は給仕だけど、そのことに誇りを持っている。だから、この格好できた。予算はこれだけ、これで奴隷を二人買いたい。求めることは、給仕ができるだけでいい」
そう言うと、フーシェは手に持っていた袋をテーブルへと差し出した。
すかさず執事が袋を受け取るとフーシェに向き直った。
「中身を拝見しても?」
執事の問いにフーシェは頷く。
「奴隷を買いに来たお客様をたくさん対応したけど、今日ほどワクワクすることはないわ」
フローリアはそう言うと、少しいたずらっぽく笑った。
「だって、魔族の少女がお客様で、その同伴者が人族の冒険者と、エルフクォーターのお嬢さんだなんて、経験したことがないわ」
「!?」
フローリアの言葉に、僕を含め、イスカ、フーシェそして執事までが凍りつく。
カチューシャをつけているフーシェは、見た目は完全に人間なのに、どうしてこの人は分かったんだろう?
僕達の反応を見て、フローリアは殊更に喜んだように頬をほころばせた。
「ふふ、もう商談は始まっているのよ。長年、奴隷達を見てきてたから分かるの。そのカチューシャで隠しているものの、肌の色や目の形、特に肌の質感と話し方は魔族に近いものがあったわ。ただ、カマをかけた訳でもあるから、その反応が最後の決め手よね」
やられた!
さっきの僕達のリアクションまでを含めて、彼女はフーシェを魔族と断定したのだ。
ほんの数十秒で、それほどまでに僕達を分析してくる力は、商人としては本物なのだろう。
でも、言いかえれば商談をする僕達にはとても不利なような気がした。
「ご主人様、予算は銅貨が多くございましたが、しめて金貨2枚と銀貨3枚分でございます」
「あら」
執事の言葉を聞いて、フローリアは軽く考えるように腰から扇を取り出すと口元を隠した。
「それは困ったわね。その予算であれば、一人は買えるけど二人目は無理ね。二人買うのであれば最低金貨3枚は必要よ」
芝居じみたフローリアの態度。確かに商談という名の戦いは始まっているようだ。
それを聞いたフーシェは、残念がることもなく口を開いた。
「嘘。私が出した条件だけの労働奴隷であれば、金貨2枚か多くてもそれに銀貨2枚をつければ足りるはず」
堂々とした反論に、僕の方がビビってしまう。フーシェは、奴隷の市場価値を知っているのだろうか?
フローリアの方も、簡単にはそれを認めない。
「確かに、だけどそれは大口のお客様に売る時につける価格。見たところ、貴方は今回だけのお客様だと思うけど、少ない取引だと当然奴隷一人の単価も上がるわよ」
そう話すフローリアは、どこか楽しそうだ。
自分の言葉に、フーシェがどのように返してくるか。
その問答を楽しんでいるのだ。
「なら、条件を変える。私と同じ魔族を候補に入れて」
フーシェの言葉を聞いたフローリアはますます嬉しそうだ。
「それは、私に『安全ではない商品』をお客様に売れということね」
その言葉に、フーシェの口元が少し歪んだのを僕は見逃さなかった。
しかし、その変化は一瞬。
その一瞬の変化は、フローリアを楽しませるには十分だったのかもしれないが、次の瞬間にはフーシェはスッと立ち上がってフローリアを直視した。
「『安全ではない商品』かは、買ってみないと分からない。私も『安全ではない商品』の一つだった。そんなことならこの世に『安全な商品』なんてものはない。魚屋で買った魚でさえお腹を壊すことはある」
そう言うと、フーシェはおもむろにしっかりと閉じていた給仕服の第一ボタンを外した。
!!
そこには、僅かではあるが元奴隷であったことを示すように、うっすらと肌の色が薄くなったリング状の跡が見て取れた。
対するフローリアは、フーシェが元奴隷であることを嘲笑することなく、ニヤリと笑うと執事に手招きをした。
「『商品』と『人』のどちらにもなった者にしか言えない言葉ね。いいわ、お望みの奴隷がいるわよ。モリソン、連れてきなさい」
フローリアは執事にそう命令すると、僕達に向き直り再び微笑んだ。
「さぁ、商談の続きをしましょう」




