こぼれそうな勇気と偶然
「バックレか。しょうのない奴だ」
「若者言葉をあまり使うではない。わかり辛い」
「仕事を放棄して遁走するって意味よ」
「もうお終いだ。なーご」
途中で職場放棄した明智は、猫背になり頭を垂れたままビルを後にした。
当てもなく歩く、心の中は悔恨と不安でいっぱいだ。心の中の天使が、職場に戻ることを一生懸命がなっているが、良心の声も、やってしまった勢いと後悔の念、予想される唐沢の怒髪天を衝く表情などにかき消されて届かない。
「もう少し粘るべきだったかもしれない。最悪の結末だ。菊池さんも僕のことを軽蔑するだろう」
嘆きながら、強い否定の言葉が脳内に響き渡った。
「嫌だ! 嫌われたくない」
恋心が、彼の勇気を後押しした。踵を返し、少しずつつま先に力を込め、元来た道を引き返しつつある。
「先は大変だろうけどよ。勇気だけは認めてやるよ」
「ここからどう立て直すか。彼にすべてを任せるしかないのう」
「恋の力はすごいわね」
トラは寝ている。
コールセンターの会場。昼食を終えたアルバイト、パートたちが気分を切り替え、業務をこなしている。
「こんにちは」菊池が入室して、唐沢に声をかけた。午後からの出番だったらしい。
唐沢は不機嫌そうだった。
「こんにちは。明智の奴バックレやがった」
「残念ねえ。もう少し気をつければ仕事の波に乗れたのに」
「いやあ、あいつはダメだと思うね。口調はぶしつけだし。叱るとむっとした顔をしてくる」
「また来たら面談入れてみるわ」
「無駄だと思うけどね」
「指導法は心得ているつもりよ」
ビルの前で逡巡する明智。唐沢に叱られるのは覚悟していたつもりだったが。恐怖心が想像を悪い方へ引きずり込むのだった。
誰かが後ろから来て、ぶつかった。50代ぐらいの女性でソバージュヘアに赤くてレンズの大きいメガネをかけている。
「遅刻しちゃった。ほらあんたも早く」
「えっ」
見知らぬおばさんは明智の腕をつかみ、ビルの中へと入っていく。明智は、おばさんの強引な力で、エレベーターに押し入れられた。
「いい。唐沢さんうるさいから。大人しくしてやり過ごすことね」
エレベーターがコールセンター会場に着き、二人は降りた。
「ごめんごめんパスケースが行方不明になっちゃって」おばさんは見え見えの言い訳をして着席。陰に隠れるように明智も戻った。
「水上さん、あんたまた遅刻じゃないか。おや」
唐沢が秀則に気づいたようだ。
「明智くん、個人的に注意しておきたいことがある。すぐ面談室に来るように」
最初に、ここに来た時、パーテーションで仕切られたブースがあり、給与の振込先やざっとした仕事の説明を別の社員から受けた。
お説教だから唐沢が来るだろと予想して縮こまっていた。
「とにかく謝ろう。それでもダメだったら土下座しよう」
土下座するスペースはないのだが。明智の心は決まっていた。
ドアが開き、菊池が対面に座った。




