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067 死者たちの宴

「隊長! 報告にあった村が見えて参りました!」


「……うむ」


 兵の報告に、一千名の部隊を率いる隊長があからさまに気乗りしない返事を返した。(まぐさ)の不足で驢馬の如く歩みを遅らせる軍馬の馬上、乗騎よりもなお覇気の無い表情を浮かべ、目を擦る。仮にも大陸最強ザンクトガレン軍の指揮官とは思えぬ、だらしのない姿であった。

 流石に部下も見かねた様子で、伺いの声を上げる。


「隊長? 如何なさいました?」


「いや、別に……」


「はあ、しかし、その調子でいられましては――」


 言い募る配下の兵を、隊長は手を振って退けた。


「うるさい、気が散る。……所定の手筈に則って、徴発を行え。作業が終わるか、何か異常が起こるまで報告は要らん」


「――了解いたしました」


 部下は納得いかなげに顔を強張らせながらも、速やかに踵を返して行動に入った。その背を見送りながら、隊長は欠伸を一つ漏らす。


「くあァ……っ。ああ、面倒だな……」


 そうして、もごもごと読経のような声で愚痴を零した。

 彼は与えられた任務に今一つ気乗りを覚えられずにいる。現地徴発という名目で働かれる略奪行為に気が咎めている……ということではない。

 寧ろ、彼の思いはその逆であった。


(夜逃げの終わった無人の村で、麦刈りか。つまらんな……)


 無防備な村を襲い、食糧を奪い、財貨を巻き上げ、分捕った酒で喉を潤しながら拐した女を抱く。男の征服欲をこの上無く満たす略奪という行いに、この隊長は魅せられていた。略奪、押し入りこそ戦場の華。そうとさえ思っている。

 だから、誰もいない村から畑の麦だけを持ち帰るなどという任務は、彼にとって物足りないものであった。碌な武器も持たず、雑多な農具や棒切れで身を守る民。任務遂行という大義名分の下、これを存分に追い回し、狩りの獲物のように仕留める。家々に押し入って家具を引き倒して財を漁り、物置や納屋に縮こまるようにして隠れている女房、娘を見つけ押し倒す。

 そうした何とも堪えられない娯楽も、標的となる村人がいなくては楽しめないではないか。

 特に女がいないというのが我慢ならない。噎せ込むような男所帯の軍中にあって、格好の息抜きが奪った女だ。国から随行してくる酒保女と違って、どれだけ手荒に扱おうと問題無い、最高の玩具である。すれっからした娼婦や、抵抗の意思すら折られた奴隷なぞより、懸命に拒もうとし、それでも及ばず敢え無く散らされる様を楽しめるこちらの方が男の好みだった。

 なのに、それが得られないとは! この隊長にとって、軍の補給が滞っている現状や戦争の行く末などより、そちらの方がよほど重大な関心事だった。


「隊長っ!」


 ぶちぶちと非生産的な物思いに耽っていた彼を、堅苦しい声が現実に引き戻す。渋々と声の方を見れば、指示に従って徴発に向かったはずの部下が、こちらに駆け戻って来た。目を眇めつつ、チッと舌打ちを一つ漏らす。


「何だ。異常があるまで報告は要らんと――」


「それが、異常なのです」


「――何ィ?」


 だらしなく弛んでいた隊長の顔に、ピリッとした緊張が走る。彼とて軍功には無関心ではいられない。ただでさえこの遠征軍の司令官は堅物で有名だ。つまらぬ失態が元で懲罰を受けた者、果ては誅され首を失った者は何人もいる。下手をすれば考課に障るどころか全てを失いかねない。なので、アクシデントの予兆を報じる声には、なるたけ真摯に耳を傾けようと努めていた。


「異常とは何だ? 何が起こった?」


「はい、麦刈りに先立って念の為に村内を探索したのですが――」


 兵士が言うにはこうである。

 彼らは所定の手筈通り、村の中に伏兵が潜んでいる可能性を考慮し、麦を奪う前に建物の中を調べたという。それも当然のことだ。美味しい餌をチラつかせ誘き寄せておいて後背から奇襲するなど、人間様の兵法どころか動物の狩りですら基礎の内。古典的な手だが、正面戦力ではどう足掻いても敵わないと判断したアルクェール軍なら、それに飛びつくこともあり得た。なので、まずは安全を確保する為に村を調べるのは当たり前のことだろう。

 そんな彼らが見つけたのは、予想通りの敵の伏兵――ではない。警戒態勢を取りつつある家の扉を開け中に入ったところ、異様な光景を見たという。

 そこにあったのは、質素な朝の食卓の風景だった。家族の人数分であろう目玉焼きに、薄く切った燻製肉。軍用の黒パンでは及びもつかぬ程に上等な白パン。コップの中の飲み差しのミルク。まるで、つい先程まで家人が食事を摂っていたかのようだった。


「馬鹿な。我らが来る前に村人は逃げていたのだろう? 何でそんな物が家の中に残っているのだ?」


 隊長は怪訝そうに眉を顰めて言った。

 これが今日発見されたばかりの村だというのなら、納得も出来る。食事の最中にザンクトガレン軍の接近を知り、食べる物も食べずに慌てて逃げ出した。これならば自然だ。

 だが、この村が発見されたのは斥候の手によってだ。その時には既に無人で、手付かずの麦畑だけが残っていたという。斥候の目の良さと足の速さなら、大挙して逃げ出したばかりの村人などすぐに見つかる。当然、そのことも報告されている筈だ。

 斥候が来るより数日前、軍の接近に先んじて避難したというのなら、これはおかしい。流石に心穏やかとはいかないだろうが、食事を済ませて英気を養ってから逃げても遅くはないのだ。どころか、村を捨てて逃げれば、次にまともな食事にありつけるのがいつになるのか分からない。ならば余計に目の前の料理を放っておく道理は無いだろう。

 報告者は首を横に振った。


「私には分かりかねます。また、家財道具もほとんど持ち出されていません……不気味なことに、このような家は一軒ではありませんでした。調査の手を付けたのは四、五件ですが、いずれの家も同様なのです」


「何だそれは? それでは、まるで――」


 ――まるである朝急に、生きている村人だけが忽然と消失したようではないか。

 その光景を脳裏に思い浮かべ、隊長はぶるりと小太りの身体を震わせた。

 消えた村人、残された生活の痕跡、本当に何だそれは。まるで出来の悪い怪談ではないか。自分たちは、戦争をしに来た筈だ。肝を試されるのは同じだが、幽霊を相手にしに来た訳ではない。


「……ともあれ、村に敵兵の姿は無いのだな?」


「は、はっ! 今のところは、ですが」


「では、最後まで確認し次第、徴発に移れ」


「よろしいのですか? このような事態、只事とは思えませんが」


「分かっておる。だが、只事ではなかったとして、どうするのだ?」


 そう返されて、兵士は答えに窮した。

 無論、どうするか考えるのは部隊の指揮官である隊長の役目である。しかし、その彼に課された作戦目的は、村民消失の謎を解決することではない。あくまでも、この村から麦を始めとする物資を奪うことだ。確かに報告にあった痕跡は薄気味悪いが、彼らも軍隊である。子どもの使いではない。怖かったから食糧を調達出来ませんでした、では済まないのだ。

 誰もいない? ならば結構ではないか。手早く徴発を済ませれば良いだろう。何を怖気づく必要があるというのか。

 少なくとも上の連中はそう判断するだろう。不気味な現象に出くわして、調査の為に足止めを食ったら、その分食料の調達が遅れるのだ。当然、軍功の査定にも響く。


「何かの罠であったら、護衛の部隊に対処させろ。もしも幽霊の仕業だったら、従軍司祭でも呼んでくれば良い。分かったな?」


「はっ……」


「無論、貴様らの発見は報告書には特記しておく。おっつけ、誰かが本格的に調査するだろう」


 隊長はそう言い添えておくことも忘れなかった。不審を座視して後に何かが起こったとなると、重要な報告を怠った咎で罰を受けるかもしれない。それも面白くないので、上に報せるという意思はハッキリと明示しておくべきだった。

 兵士は顔を青くしながらも命令に従った。それを見送りつつ、隊長は鼻を鳴らす。


「ふんっ……面白くないことばかりだな」


 徴発任務に付き物の美味しい余禄は一切無く、代わりに面倒事の気配がするオマケが追加されたのだ。これを面白がれるのは余程の物好きだけであろう。彼は余程の好き者ではあったが、物好きになった覚えは無い。

 せめて、麦を刈り終えるまで何も起こらなければ良いが……そんなことを思いながら、隊長は作業の進捗を見守っていた。







 結局、村人が突然消えたような生活痕を除いて、異常らしい異常は見当たらなかった。気味が悪いのには違いないが、ともあれ作業の障害となるものは現れていない。ならば手早くやることを済ませるべきだった。徴発部隊の兵は、警戒を護衛部隊に任せ、三百人掛かりで村の麦畑から刈り入れへと取り掛かる。


「……にしても、出来の悪い麦だなァ」


 兵の一人が、不意にそう漏らした。森と精兵の国と謳われるザンクトガレンの兵士といえど、徴募される前は単なる民だ。そして人口の比率では、農民こそ最大多数の平民である。麦を刈るのに回された彼もまた、戦前は一般的な農民であった。

 その農民上がりの兵士から見ても、この村の麦は質が悪く見える。


「そんなに良くないのかい?」


 隣で不慣れな手つきを晒しながら作業していた兵が、何の気無しに応じる。おそらく、農作業の経験のない町民だろう。そう推測して、農民上がりはちょっとした優越感と共に答えた。


「ああ。茎が黒ずんでいるし、穂が下がり過ぎている。アルクェールの麦とは思えないな。これじゃあ、俺らのクニの畑の方がよっぽど良い物を作れるぜ」


「マジかよ……それじゃあ、これから俺らが食う飯は、この駄目な麦で作った麦粥やパンかァ? 今から食欲無くすぜ」


「贅沢を言うなよ。食糧はすっからかんなんだ。食い物が口に入るだけマシだろ」


 実際、移動中に摂った糧食は小石のように固く量の少ない黒パンと、塩を溶いた湯をスープと言い張った物だけ。これも備蓄食料を焼失した影響である。その穴を、ここで奪う麦で埋めなければいけない。

 元農民は肩を竦めた。


「兎に角、食える物を食って力を付けて、それから美味いもんを奪いに行くことを考えようぜ。何しろ、俺らに回る筈だった食い物を一人占めしてるのがアルクェール人だ」


「だよなあ。この間に盗ってきた豚、肥えてて美味かったなあ。本物の西の食い物ってのは、ああいうもんだよなあ」


「豚ァ!? お前、なに良いもん喰ってやがる。どこでガメたんだよ?」


「しィーっ! 声が大きい! ……あのな、前に村を落とした時に、隊長に黙って――」


 手を動かしつつも、そんな会話に興じていた時である。




「置いてけェ……」




 不意に、誰かがそう囁く声がした。

 二人の兵士はギクリと動きを止める。


「おい、今何か言ったか?」


「い、いや……別の誰かじゃないのか?」


 そう思い辺りを見回すも、周囲の兵士はみな刈り入れに没頭している。彼らのことなど目に入らないようであるし、それに麦穂の鳴る音が引っ切り無しているのもあって、囁くような声が届く距離でもない。

 背筋がゾッとした。

 折しも、村人が煙のように消えていた家の様子を見たばかりである。そこに誰とも知れぬ声が耳に聞こえては、あらぬ想像を働かせてしまっても無理は無い。

 二人は麦を刈る手を止め、改めて声の主を探ろうとした。


「おい……」


「「ヒィ!?」」


 瞬間、突如として背後から声を掛けられ、兵士たちは飛び上がった。

 もしかして、化け物が出たか? 自分たちはここで襲われてしまうのか? ビクビクと震えながら、仲間と身を寄せ合って恐る恐る後ろへと振り返る。

 そこには、


「おい、何をしておる?」


 不審げな表情でこちらを睨む、彼らの隊長の姿があった。


「た、隊長ぉ?」


「お、驚かさないで下さいよ……」


「何が驚かすな、だ。手が止まっているではないか。んん?」


 軍が食糧難である今にあっても丸く肥えている隊長。彼は威嚇するかのように低く唸ってみせるが、その体格もあってまるで豚が鳴いたようにしか聞こえなかった。

 実際、隊の中でもこの隊長に敬意を払うものは皆無である。怠け者であり、その癖欲深で、軍務においても保身ばかりの男だ。人望に欠けるとしても、当然だろう。


「で、何があったのだ。とっとと言え」


「……おい、どうする?」


「どうするって、お前……」


 迫力に欠ける声で問い詰められて、二人の兵士は顔を見合わせる。まさか正直に、誰かの声に怯えて竦んでいました、などと言える訳が無い。例の不気味な家々の様子が高じて、いたずらに不安がっているなどと思われるのがオチだ。

 それにこの隊長は粘着質な性格だ。根拠のないことを言って余計な手を煩わせたなどと考えられたら、何か陰湿な八つ当たりを受ける恐れもある。


「愚図愚図と言い訳の相談か? そんな暇があったらさっさと話せ。見てみろ、日が暮れてしまうぞ」


 隊長は苛立たしげに口元を歪めながら、ちらりと西の方へと顔を向けた。彼の言う通り、太陽はいつの間にか沈みかけている。作業は思ったよりも捗々しく進んではいなかったようだ。


「夕日……いつの間に」


 このままでは夕飯時になっても刈り入れが終わらない恐れもある。仕方ない、黙りこくってお説教を待っている訳にもいかない。素直に言って馬鹿にされるのも癪だが、何か言わないことには始まらなかった。黙っていればいたらで反抗的な態度と取られて不興を買うだろう。農民上がりの兵士の方が、意を決して言った。


「あの、作業中に声が聞こえたんです」


「声? どんな声だ」


「えっと、小さな声で『置いていけ』って――」


 その時だ。




「置ォいィてェけェ……っ!」




 地の底から響く声と共に、兵の足が何者かに掴まれた。


「――は? ……ヒィ!?」


 足首を戒める、おぞましく冷たい手の感触。血の凍えるような悪寒が身体の下から這い上がって来る。飛び上がりたくなるような不快感に襲われるが、万力のような力で締め上げられた足ではそれも叶わない。


「ど、どうした!?」


「何だ!? おい、何だ!?」


 仲間と隊長の声に応じるように、手の主は姿を現そうとする。

 墓穴を掘り返すような土くじりの音を立てて、それは這い出て来た。

 ところどころ捲れ上がった血色の無い土気色の肌に、ぬるぬると滴る腐乱汁。吐く息は白く、しかしそこに人がましい体温の温みは無い。唇の削げた口、仄見える乱杭歯の隙間からだらりと舌を垂らす姿に、知性を感じ取ることは出来なかった。事実、零れ落ちそうなほど見開かれた目に光は無く、すぼまった瞳孔は生ある者への怨念に、芋虫めいてのたくるのみである。

 ゾンビ。動く死体。あらゆる魔物の中で最も不浄な冒涜的種族、アンデッドの一種だった。


「ま、魔物だァァっ!? 魔物が出たぞォ!!」


 幸運にもその汚猥に満ちた手に触れられることの無かった兵士は、大声を上げて周囲の仲間へ注意を呼び掛ける。

 しかし、それは無益な行いだった。


 ――ボコォ。

 ――ボコッ、ボコォ。

 ――ボコッ、ボコボコボコォ!


 麦畑のそこかしこから、地面を下から掘り返す音が聞こえる。その音と共に何本、何十本もの腐った手が、不浄の収穫物として伸び上がった。


「置いてけェ……」


「おおいいてえけえぇ……」


「置ォいィてェけェ……っ!」


「ぞ、ゾンビだっ!」


「な、何だこのゾンビの大群はァ!?」


 夕闇が迫る中で次々と出現する、ゾンビの群れ。注意を呼び掛けるまでも無い。兵士たちは、そこかしこに溢れる腐った死体の姿を目にし、そのおどろおどろしい姿に身を強張らせていたのだから。


「こ、コイツらは!?」


 太っちょの隊長が、ゾンビどもの上げた声に驚愕する。

 兵士はそれを鼻で笑った。


「何をビビってるんだ、隊長! 数だけは多いが、所詮はゾンビだぜ!」


 動揺する自分を鼓舞するように叫び、同僚の足を掴んだままのゾンビに剣で斬り掛かる。

 ゾンビはアンデッドの中でも低級な部類に属する。単なる動く死体であるのだから、戦闘力は元となった生き物に毛が生えた程度。つまり人間のゾンビなら人間と同じように倒せる。既に死んでいるだけあって急所の類は無いが、生きていないから動きはぎこちない。兵士が倒せない相手ではないのだ。

 ましてやここにいるのは、魔物との戦いが日常茶飯事なザンクトガレン人である。ゾンビ如きに怖じる必要は無かった。あったとしても、その不細工さと汚らしさへの嫌悪でしかない。

 しかし、


「ぅえっ!?」


 剣先がゾンビの肉に触れた瞬間、ぐにゃりとした感触が柄を持つ手に伝わる。

 確かに兵士の剣はゾンビを斬った。だが浅い。糜爛した皮一枚の下、腐っているとは思えない程の強靭な筋肉が刃を阻む。刀身は僅かに食い込むものの、それ以上進むことなく止まった。

 どころか、汚らしい汁が金属を腐食し、急速に錆を浮かせていく。


「早く剣を戻せっ! 使い物にならなくなるぞ!」


「は、はいっ!」


 上官から一喝されて、弾かれたように怪物から離れる。


「ただのゾンビが喋るか! 死んでるくせに口を利くような奴は、ゾンビの中でも上位種だ!」


 隊長の怒鳴り声に、兵士は自分の失敗を悟った。

 ゾンビは言葉を喋らない。唸り声を発することはあるが、目の前の亡者のように意味の通る言葉は喋れないのである。脳味噌が腐っていながら言葉を解すだけの知性を残しているのは、下位種のゾンビより高い能力を持つ、上位種の特徴だった。


「畑の物を取られて、置いていけ、だと? 畑の麦を守る、農民、生前の行動をなぞるアンデッド……ちっ! ということはコイツら、レブナントか!」


「れ、レブナント?」


 レブナント。それはアルクェール語で『再来する者』を意味する言葉だ。文字通り、死後に生前生活していた場に舞い戻り、以前の行動様式に基づいて暮らそうとする習性を持ったアンデッドである。そして、レブナントはその行動を邪魔立てする者に、敵意を以って襲い掛かるのだ。

 勿論、そんな魔物に対する専門的な知識は、徴兵されただけの一兵卒には備わっていない。隊長は無知な部下に説明する手間を惜しんで、


「強いゾンビだとだけ、分かっていれば良い!」


 そう叫ぶや、農民上がりの兵の足を掴む手を一閃。拘束を切り離して、腰の引けている部下を助け起こす。


「早く立て! この愚図が!」


「はひっ、すみませんっ! で、でも、足が冷たくて――」


「瘴気に当てられておるんだ! ズボンを切れ、腐毒の液も染み込んでいる。早くせんと、お前の足も腐るぞ!」


「――ヒィイっ!?」


 風采の上がらない小太りの中年は、その見掛けと普段の素行を裏切る果断さで部下を叱咤した。

 レブナントのおぞましい手から逃れた兵士は、平時の侮りを捨てて従順に隊長へ従う。

 隊長は兵士を後ろ手に匿いつつ剣で敵を威嚇しながら、大声を張り上げた。


「集合っ! 集ぅー合ぉーっ!! 方陣組めっ、密集隊形ーっ!!」


 レブナントの呻きや兵たちの動揺の声をも圧して、指揮官の怒号が響き渡る。略奪にしか興味の無かった小物とは思えぬ、見事な命令であった。

 突然の魔物出現に気を取られ、各自バラバラに戦闘をしていた部下たちが、正気付いたように隊長の下に駆け集まって来る。


「早く集まれ、馬鹿ども! 死に損ないどもの手薄な一点から突破、護衛部隊との合流を図るっ!」


「は、はっ!」


 隊長は次いで、集まった兵の中から最も気弱そうな一人に目を向ける。


「それと、そこのへっぴり腰。お前の剣を寄越せ」


「えっ、はあっ!? な、何故です!?」


 声を掛けられた兵士が、剣を庇うように背に回した。こんな時に、部下からも略奪する気かとでも思ったのだろうか。

 隊長が癇癪手前の表情で兵を睨む。


「アンデッド相手に予備の武器は幾らあっても足らん! 腐汁や呪いで劣化するからだ!」


「し、しかしっ! 剣が無ければ、自分が戦えないでありますっ!」


 気弱そうな青年は、目を剥いて隊長に抵抗する。完全にパニックであった。手元に武器が無ければ安心出来ず、それを人に預けるなど思いもよらない。このままでは、剣を抱えたまま死人どもの仲間入りをしかねなかった。

 先程、レブナントを斬ろうとして敵わなかった兵は、仕方ないと溜息を吐きつつ言う。


「お前、その剣で強いゾンビどもを斬れるか? アイツら、普通のゾンビより倍か三倍は固いぞ? それでも斬れるか?」


「そ、それは……」


「隊長、いや、隊長殿は斬れた。アレの腕を斬って、コイツを助けてくれた」


 言って、未だにガタガタと震えている農民上がりを顎で示す。気弱そうな兵士は、ついに諦めて剣を差し出した。隊長はフンっと鼻を鳴らし、振り返って新たな剣で一閃。


「置いて――げぇえぇえぇ……っ!?」


 いつの間にか迫っていたレブナントの一体が、肩口から斜めに一刀両断され、地面に倒れる。驚いたことに、真っ二つになってもまだ動いている。隊長が煩わしげに眉を寄せながらも、文字通りの死に損ないに介錯を与える。


「最初からそうすれば良いのだ! ……おい、お前も戦えそうにないな。寄越せっ! 鞘ごとだ!」


「は、はいィっ!?」


 元農民も、弾かれたような動きで剣を渡した。三本目の剣を腰のベルトに無理やり手挟む隊長。何度か揺すって固定を確かめると、彼は兵たちに言う。


「良いか? コイツらはゾンビの上位亜種、レブナントという糞っ垂れだ! このように並のゾンビよりしぶとく、力があり、毒も強い。……だが、それだけだ!」


 言いながら、右手に持った剣で、迫り来る怪物どもの群れを指した。密集隊形をとった兵たちを前に、死者の大群はのろのろと遠巻きな包囲を始めていた。


「見ての通り、脳味噌が腐れているのと動きが鈍いのは、下位種と何ら変わらん! こうして目の前でお喋りをすることも出来るくらいだ」


「た、確かに……」


 一人の兵が納得の声を上げる。これがオーガやトロルといった人型モンスターであれば、とっくに総攻撃を掛けて血みどろの乱戦を始めている頃だった。なのにレブナントどもは、例の繰り言を漏らしながら、魯鈍な動きで間合いを詰めている最中。これなら、逃げるだけならば難しくはない。

 その突然の出現と頑強さに浮足立っていた兵たちも、隊長の説明に冷静さを取り戻していく。


「弱点もある! 手足が届かんと攻撃出来ないから、距離さえ取ってしまえばこっちのものだ。また死に損ないの常として火に弱い。火葬するのは簡単だ。そして何より、コイツらは通常のゾンビよりもテリトリーに未練が強い! 塒からはそうそう離れられんのだ!」


「では、この畑から出られれば逃げ切れると?」


「或いは、この村の外まで出れば、だ」


 レブナントは生前の行動をなぞるという習性から、かつて暮らしていた場には強い執着を持つ。厄介なことに未練という感情は、このアンデッドの怨念を増幅し、負の力で能力を強化するのに一役買っている。だが裏を返せば、その為に一つの場所に縛られるということだ。

 見たところ、このレブナントどもの正体は村の農民の成れの果て。ならば、行動範囲は精々が村の中までが限界だろう。


「そういう訳だ。敵に近寄られても、撃退に徹して深追いはせず、味方との合流を最優先にしろ。分かったな!?」


「「は、はっ!」」


 隊長の命令に声を揃えて応答し、兵たちは脱出行を開始する。


「置いてけェ……!」


「おい、そこっ! 麦など何を後生大事に抱えているっ!? さっさと捨てろ、荷物になるしそれを目当てにして敵が襲ってきているのだぞ!? 脱出を最優先にと、命令したではないか!」


「す、すみませんっ!」


「走れ走れ愚図ども! お前らにこの腐った死体どもよりマシなところがあるとすれば、命令が聞けるだけの頭と、その鼠のような逃げ足だけだ! それが無いなら、ここで死ぬぞ!」


「「ひ、ひぃいいいいぃっ!」」


 如何な巡り合わせか彼らの指揮官は、素行や風采は兎も角として、こうした危機的状況にあっては頼れる男であったらしい。冷静に指示を下し、先頭に立って敵を排除し、確実に部下たちを味方の下へと導いていく。

 だが、それでもなお犠牲を生じずとはいかなかった。


「置ォいィてェけェ……!」


「ひいっ!? こ、こっちにも出たァ!」


「は、放しやがれ化け物ォ! ……ぐぇえええええっ!!」


 退却を図る兵たちの眼前へ、待ち伏せていたかのように新手のレブナントが湧き上がる。不幸にもその腕の届く範囲にいた兵は、忽ち捉えられ、残忍に身体を引き裂かれる。

 それだけではない。


「おぉおぉおぉ……!」


「AARRGGG……」


 怪物の犠牲になった死者たちが、彼らもまた新たな怪物となって蘇る。ある者は不自然なほどの早さで肉体を腐敗させたゾンビに、またある者は肉を剥ぎ取られ骨だけとなったスケルトンに。そして未だに命を保つ生者たちを、仲間に加えんと襲い掛かってくるのだ。

 隊長は生き残りを連れて麦畑を脱出し、味方の下に辿り着くや、開口一番声を張り上げる。


「護衛部隊! 魔導師はいるか!?」


 護衛隊の百人隊長の一人が、こちらにも現れていた怪物を斬り殺すと、振り返って答えた。


「……はっ! それは勿論のこと」


 元々、敵精鋭の強襲に備えて附けられた護衛である。逆撃の為に強力な魔導師が配置されているのは当然のことであった。


「そうか。では、魔法で火を放たせろ」


「は、はあっ!?」


 略奪屋の放ったとんでもない一言に、周囲が騒然とする。


「火を放つだって?」


「確かにアンデッドは火に弱いものだが……」


「それでは貴重な麦が……」


「何を考えているんだ、隊長!?」


 騒然とする味方たちを煩わしげに一瞥し、隊長は手近に生えていた麦穂を一つ掴んで示す。


「こんな麦など、どうせ食えはせんっ! アンデッドの大群が埋まっていた畑に生えていたのだぞ? 腐敗毒や呪詛に穢されているに決まっているだろうが」


「あっ……!」


 先程隊長に助けられた農民上がりの兵が、目に理解の色を浮かべた。

 レブナントの襲撃直前、同僚と話していた内容を思い出す。農作物の豊かなアルクェール王国らしからぬ、病気にでもなったかのように茎が黒ずんだ麦。あれはアンデッドに毒されて悪くなっていたのだ。

 見れば、隊長が掴み上げたものも一面の畑に群生するものも、ポツポツと不吉な黒班を生じさせている。不死者の毒が回っているのだ。これでは到底兵糧に回すことなど出来まい。


「それに、こんな大量の化け物どもも放置出来んだろう。今は縄張りに籠る死に腐れどもに過ぎんが、万一知能を持つ同類が合流したら、何が起こるか分からん」


 それもまた正論だった。魔物を放置しておいて良いことが起こるためしなど無い。殺せるのなら、その時に殺すのが上策だった。


「勿体無い話だが、仕方ないか……魔導師隊、火を放て!」


「「はっ」」


 虎の子の魔導師たち十人が、素早く詠唱に入る。しかし、その顔にはありありと不満の色があった。それも当然のことだろう。一般に戦士より体力に劣る魔導師が、わざわざ軍に駆り出され、不慣れな山越えまでして戦争に参加したのである。なのに空きっ腹を抱えながら受けた仕事が、畑への火付け道具代わりなのだ。アカデミーに学んだ教養人としてのプライドは、大いに傷つけられたことだろう。

 とはいえ、それがアンデッドの群れを効率的に処分する方法であるならば、我慢するしかない。魔物は倒す。特に生者を呪い、殺した者を取り込んで増えかねないアンデッドは、特に念入りに。それがこの世界の常識であり、ルールだった。


「……≪ファイアボール≫」「≪フレイムランス≫!」「≪ヒートウィンド≫」


 こういう時の魔法の使い方一つをとっても、魔導師の性格が出る。たかが火付けと低位魔法で済ます者。八つ当たりのようにレブナントを狙い、あたら必要も無く中位魔法を使う者。或いは真面目に、威力にこそ劣るものの広域に火の手を及ぼす呪文を選ぶ者など。

 ともあれ、魔導師たちの術は畑のそこかしこに着弾し引火して、


「――お゛お゛お゛い゛い゛い゛でええげえええっ!?」


「ARRRGGGGGHHHっ!!」


 レブナントの群れを、炎の海に飲み込んだ。


「よしっ、効いてるっ! いや、覿面に効いているっ!」


「ざまあみやがれ、腐れ野郎ども!」


「成仏しろよ、糞っ垂れどもがっ!」


 亡者どものシルエットが火炎の中へ焼け崩れていく光景に、兵士たちは歓呼の声を上げる。

 だが、千人からなる部隊を預かる隊長と、その下の下級指揮官たちの顔色は冴えない。


「……魔導師たちに指令だ。続けて風魔法用意。風向きを変えて延焼させ、村を焼き払え」


「……はっ!」


 彼らは炎を更に広げて、無人の村をも焼こうとする。兵たちが不思議そうに隊長たちを見た。

 隊長は不機嫌な表情で、部下たちが抱いているだろう疑問に、先んじて答える。


「レブナントは、こうも大量発生するようなアンデッドではない。確かに殺した者を仲間に加えて増えはするが、動きが鈍いし狭い縄張りの外には興味を持たないからな」


「はあ……ですが、実際大量に――」


「戯けがっ! だから、人為的に増やした者がおると言っているのだ!」


 察しの悪い兵に、隊長の怒声が飛んだ。

 人為的にアンデッドを増やす。その言葉のおぞましさに、兵たちが目を剥く。生命を冒涜し、あり方そのものが教会の教えに背く怪物を、あろうことか己の意思で増やす? そんなことがあり得るのだろうか、と。

 多くの兵が呆然とする中、隊長の説明は続く。


「思い出してみろ、無人の村を調査した時の様子を。テーブルの上には食いかけの食事が残り、争った形跡は特に無し。そうだったな?」


「は、はい。ですが、それはどういう――」


「まだ分からんのか? ……仮に村民の誰かがレブナントになり、生前の仲間を襲って数を増やしたというのなら、もっと家の中が荒れていなければおかしいだろうがっ!」


 言われてみればそうであった。レブナントの攻撃は手足を使った近接攻撃のみ。それも知能の下がったゾンビ系アンデッドらしい、精密さを欠いたものである。そんなものが村中を暴れ回ったとしたら、犠牲者の血痕を残すなり破壊された物品が散らばるなり、その痕跡は絶対に残る。少なくともテーブルの上に料理が綺麗に残っているなど有り得ない。


「つまりこのレブナントの群れは、何者かが村人を襲って、それを材料に作ったということだ。しかも村に一切の痕跡を残さないだけの知能と、村民を逃がさず残さず、丸ごと仕留められるだけの力を持った者がな」


 示唆された可能性は、背筋のゾッとするような内容だった。鄙びた農村といえど住民全てを痕跡無く消し去り、それをアンデッドに変える。それだけの能力を持った存在とは、如何なるものであろうか。

 道を踏み外した強力な死霊術師か、或いは――相当に高位の知性あるアンデッド。いずれにせよ油断ならない恐るべき敵である。

 兵は恐る恐る疑問を発した。


「それがあの村にまだ隠れている、と?」


「さあな。調査の際に姿を現さなかった以上、既にこの地を離れているやもしれん。が、その可能性は無くは無い。建物のどこかに隠し部屋があって、そこに潜んでいたりするかもな……それを思えば、どうせ無人なのだ、念の為に焼き払っておいた方が良いだろう」


 憮然とした表情で炎が燃え移って焼けていく村の方を見る隊長。険しい目つきは、その視線の先にこの罠を仕組んだ下手人の顔を見出そうとしているようであった。




  ※ ※ ※




「あーあ……酷いことをするなァ、我が懐かしの祖国、ザンクトガレンの軍人さんたちは。自分たちの畑を守ろうとした可哀そうな村人さんたちを、村ごと焼き払おうなんてねェ?」


 夕焼けと炎とで二重に赤く染まった村の中、不吉なシルエットが笑う。

 立体に伸び上がった影法師のように揺らめく、マントに包まれた長身痩躯。顔立ち自体は秀麗で高貴な趣さえあるが、嘲りに歪んだ表情は果てしなく卑しい。黄昏時の中でさえ白さを見てとれる肌は、美しさよりも非人間的な印象を見る者へと与え、嫌悪感を掻き立てるものであった。

 それは言うなれば、貴族という存在への悪意あるカリカチュア。民草の血を啜る怪物として描かれた青い血の流れる者(ブルーブラッド)

 ヴァンパイア。アンデッドの貴族として君臨する、美しさとそれに倍するおぞましさを備えた魔物である。

 その名をシャール・フランツ・シュミット。またの名をオーパス04。悪魔の如き錬金術師が産み落とした、呪わしき四番目の『作品』であった。


「しかし、これでご主人様の計画通りです、と、言及しマス」


 その背後から音も無く現れたのは、白金の髪に金瞳という美しくも異相の女性――或いは女性的なフォルムを持った物。

 神工が精緻に彫り上げた像の如き美貌に浮かぶのは、それこそ彫像めいた無表情。細くしなやかで柔らかささえ窺わせる体躯は、その実この世で最も頑強な金属で出来ている。角のように上へと高く伸び上がる耳覆いは、野生動物の聴覚さえ凌駕する人造の感覚器だ。

 オーパス05、フェム。失われた技術により生み出されたゴーレムにして、未だ知られざる技術により生み出された兵器を執る戦闘機械。シャールと同じく、外道が外法を以ってして生み出した『作品』の一つである。


「西からお越しのお客様も、予定通りのご到着、と、お知らせしマス」


 言いながらフェムは異形の両耳に手を当てる。彼女はそれで、キロメートル単位で隔たった場所の会話を拾い、聞いていた。


『――見ろ、村が燃えてやがるっ!』


『――あそこに見える軍勢は、ざ、ザンクトガレンかっ!?』


『――や、やっぱりあの噂は本当だったのか……!』


 州の西部、州都ヴォルダンから派遣されて来たアルクェール側の斥候。彼らが見たのは夕暮れの中を炎上する農村の光景である。距離と夕闇、炎と煙によって、目撃者に与えられる情報は酷く限定的な物へと劣化していた。

 ザンクトガレン軍が、農村へ火を放った、と。

 そう受け取り憎悪を掻き立てられるだろう斥候たちの姿を思って、シャールがさも愉快そうに笑う。


「いやァ、僕らのマスターも相変わらずえげつないことを考えるねェ! 非道な侵略者ザンクトガレン……そのイメージをこうも効果的に作り上げるなんて!」


「何を言いますか、と、反駁しマス。ザンクトガレン軍の非道は事実でショウ。この国の民から物資を奪い、人を殺し、女性へと意に沿わない行為を強要しているのデス。そこに村への放火、虐殺の疑いを加えたとしても、今更というものデハ?」


「まっ、それもそうなんだけどねーっ! こういうの、何て言うんだっけ? 木を隠すなら森の中? それとも……火の無いところに煙は立たない、だったかなァ? ぷふふっ! これジョークだから笑っても良いよ? うぷぷぷっ!」


「全然面白くありません、と、感想を述べマス」


「いやァん、フェムちゃん手厳しーっ!」


 指を組んだ両手を顔の横に寄せて、大袈裟にいやいやと体をくねらせるシャール。フェムの機械的な眼光が、じっとそれを視界の中央に収まるようトレースする。

 ふざけた振る舞いをしているが、この村を密かに襲って全滅させ、殺した村民をレブナントに変えたのは、この男だった。無論、人類の天敵ヴァンパイアであり存在が露見すると一大事になるとして、普段は地下に身柄を秘匿されている彼である。地上に現れて行動している以上、それが独断である筈が無い。

 全ては彼の主、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルの指図であった。


「僕は凄く面白いけどねェ! いや、つまらない冗談のことじゃなくって、この作戦がさァ。この州の人間たちは、ザンクトガレン人が火を付けて回っているってすっかり信じ込んでいる。あちこちの村や畑を焼いているのは、マスターの指示を受けた僕らだってのにねェ!」


「無駄口を叩かないで下さい、と、要請しマス。ここはラボではありまセン。盗聴を受けている可能性もゼロではないのデス」


「あっはははははァ! フェムちゃんは心配性だなァ。周囲一帯に魔力干渉の痕跡無し。生き物の気配も無し。君みたいに常識外れの聴力でもない限り、僕らの会話は盗み聞き出来ないってェ!」


「ですが、念には念を入れるべきでしょう、と、提言しマス。これは重要な作戦行動であり、今は戦時下デス。明確な敵対者が存在する以上、気を抜き過ぎるのも問題カト」


「はいはーい。分かってまァ~すっ」


 おどけて肩を竦めながら、シャールはひょこひょこと炎上する村の中を歩く。そして、ある一角に立ち止まると、パチンと指を鳴らした。

 直後、彼の足元の地面が震える。


 ――ボコリ。


 土を押し退けてそこに現れたのは、一個の棺桶だった。分厚い鉄製のそれは、厳重に太い鎖で巻かれて封をされ、更には錠前まで取り付けられている。無論、吸血鬼が地面から呼び出した棺桶だ。その中身が、真っ当な死体である訳は無かった。


 ――ドンドンドンっ!


 棺桶が地上の空気を吸った途端、内側から激しく蓋を叩く音が聞こえた。


「おうおう、元気だねェ……それじゃ、次の仕事に取り掛かろうか。フェムちゃんも、この為にわざわざ西方から呼び戻されたんでしょ?」


「そうですね、と、肯定しマス。Sシリーズに続く新たな『製品』のテストは、ワタシがご主人様から賜った任務の一つですカラ」


 そう言うフェムの顔を横目で見つつ、それだけではないだろう、とシャールは思う。

 このゴーレムが本当に見ているのは自分だ、と彼は考えていた。生身の肉体を持たず、人工の思考回路で物を思うゴーレムには、吸血鬼にして死霊術師である彼の能力が全く通じない。地上に出て活動する自分を監視し、叛意を見せた場合は始末する。あの主はその為に西方辺境に配置していた彼女を呼び戻したのだろう、と。


(君は本当に恐ろしい人だ、オーブニルくん……)


 道化の表情で内心の畏怖を糊塗しながらも、吸血鬼は小さく喉を鳴らす。

 右手で心臓に杭を突き付けるような真似をしながらも、左手で彼の代替に成り得るものをチラつかせる――何かやりたければやってみなよ、すぐに始末するし替わりもすぐに用意する、取り替えられたくなければ必死で僕に尽すんだ……彼の主が取ったのは、言葉は無くとも、そう言っているも同然の行為だった。


(大丈夫だよ、オーブニルくん、僕のマスター。そんなことにならないように、君が僕の頭を弄ったんじゃないか。魂から服従を誓った僕が、叛くなんてあり得ないだろう? だ、だから、だからやめてくれっ! ぼ、ぼ、僕を始末なんかしないでくれェ――!)


「どうしました04、と、質問しマス。お身体が震えていまスガ」


 フェムの無機質な声に、シャールはハッと正気付く。

 彼はニコリと笑みを作りながら――愛想笑いが露骨過ぎないか気に掛けつつ――彼女へと向き直った。


「……いやァ、武者震いってやつだよコレはさァ。何しろ、マスターがわざわざ手を掛けてくれた玩具で、最初に遊ばせてくれるって言うんだからねっ! 楽しみで仕方ないよ、君もそうだろォ?」


「そうですか、と、納得しマス。確かに、この試作品の仕上がりは楽しみでスネ。ただ、ご主人様が今一つ自信無さげでいらしたのが気掛かりデス」


 それもそうだろう、と彼は内心で肯く。何せこれは試作品も試作品、それも原材料である素体は廃品を再利用したという出来損ないである。この作戦に投入するのも廃棄がてらに実戦データを取得する為。ついでにこの後の状況を有利に操作出来れば儲けもの、といった具合だ。シャールが運用を一任されたのは、彼への当て馬を兼ねてのことだろう。

 だが、だからこそ上手く使いこなさなくてはならない。この新型の試作品を使った作戦を成功に導けば、主の中で彼の信用は大きく上がる筈。自分に使いでがあるところを見せれば、廃棄処分という最悪の未来は遠ざかる筈なのだ。

 たとえこの試作品が、彼の代替を作る為のものだとしても。

 板挟みの葛藤を振り払うかのように、シャール・フランツ・シュミットは殊更に陽気な声を上げる。


「さァ、それじゃあ始めようかァ! そろそろ日が沈む頃合い、恐怖劇の時間はこれからだ! まだまだ安心するのは早いよ? ザンクトガレンの皆さァん!? ……あはっ、あはは、あァーはははははっ!!」

 

※今週は明日も同じ時間に更新します。

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