063 軍靴の如く <前編>
当然のことだが、あらゆる物事には原因があって初めて結果が生じる。それはどんなに突拍子も無い出来事であっても同様だ。その時代を生きていた人々が見落としていた幾つかの事実が、数珠繋ぎに連なって、特定の事象へと事態を推し進めていく。
この戦争も同じだ。ある日唐突に起こった、ザンクトガレン連邦王国からの一方的な布告による開戦。そこに至るまでにも、無数の伏線とも言うべき出来事が存在していた。
一つ。ザンクトガレン国内で起こった魔物の大量発生。
先年以来同国を悩ませているこの問題は、他国からはそれほど重く見られていなかった。何しろザンクトガレンの魔物が強いというのは、イトゥセラ大陸における共通認識だ。これが都市を飲み込むほどの大災害となれば、すわ魔王の復活かと騒がれただろう。しかし、実際に『黒の森』と呼ばれる森林地帯から溢れ出て来たのは、ほとんどが一山幾らの下級モンスターである。各国の関係者は安堵した。何かと思えば所詮はゴブリンやオークばかりではないか。確かに幾らか強力な魔物が混じってはいるものの、いずれも知性が低く大攻勢の中核となれる存在ではない。どれ程数が多かろうと、遠からず駆除されるに違いないであろう、と。
しかし、それでも魔物は魔物。人類に仇為すことを存在意義とするような危険生物だ。人畜を殺し、食料を奪い、畑を穢して村を滅ぼす。実際、辺境の農村部では幾つもの村が潰れ、広大な田畑も雑食性の魔物に蝗害の如く食い荒らされた。同国の食糧事情は急速に悪化していった。
二つ。アルクェール王国との経済摩擦。
五十年前の戦争以来、ザンクトガレンとアルクェールの両国は融和路線を保っていた。領土問題や文化面での対立などはあったものの、両国間で漁夫の利を狙っているマールベア王国の存在や、人類共通の敵たる魔物もいる。一旦、遺恨を棚上げにしての共同歩調を取るにも吝かでない。
具体的には両国間での留学生交換による交流。貴族同士の婚姻政策。そして、経済面での連携だ。特に食料品関係は、大陸の食糧庫ともいえるアルクェール産の農産物に需要があり、盛んな交易が行われていた。
それが一変したのが、先年の王都大火である。
アルクェール王国の王都ブローセンヌを焼き払った火災により、大量の難民が発生。彼らを食わせる為には、食糧を他国に輸出している場合ではない。もしこの期に及んで交易を優先していたら、飢えた民たちが忽ち暴徒化し、例の活動家たちの蜂起が再来する可能性すらあった。
堪らないのはザンクトガレン側である。同じ年に魔物の大発生という災厄に襲われ飢えているのは、彼らも同じだ。いや、元々農業生産高で水を空けられている上、穀倉地帯に打撃を受けている分、こちらの方が深刻である。アルクェールが打撃を受けたのは食糧生産にほとんど寄与しない都市部ではないか、なのにこちらへと回す分をケチるとはどういう料簡か。ザンクトガレンでは感情的にそう叫ぶ声も多かった。
とはいえ、アルクェール側にも言い分はある。王都は国家の中心地、流通の大動脈である街道もここを起点に伸びているのだ。被災した王都を手当てせぬ限り、輸送網も回復しない。故に王都の民の不満を窘め治安改善を図る為にも、食料はこちらへ回したいのが人情ではないか。それに同じ民であるならば自国の民を優先するのが、真っ当な為政者というものであろう。
正論ではある。だが、正論で腹が満ちるなら苦労は無い。食料品の欠乏と価格高騰に喘ぐザンクトガレン人たちは、次第に唸るほどの食糧をただ王都で費消していく隣国に、怨嗟の目を向けるようになる。
これにトドメを刺したのが、貨幣の流出だ。前述の魔物大量発生に対処する為、アルクェール王国から大量の冒険者がザンクトガレンに渡航する。魔物は人類共通の敵という大義名分もあり、稼ぐ機会に貪欲な冒険者たちは次々と隣国に出稼ぎに現れた。これにより魔物の脅威には何とか対処できたのだが、それが終わるとまた別の問題が浮上する。
金だ。
魔物の討伐を依頼するには、当然冒険者ギルドへと金を払わなければならない。そこから仲介料を抜き、冒険者への報酬が支払われる。当たり前のことである。平時であれば、何の問題も無い。冒険者たちは活動拠点となる街に、飲み食いや宿泊施設の利用、装備や道具の購入、果ては命の洗濯である遊興に金を落としていくのだから。依頼に使った金の幾らかは、そうして還元される筈なのだ。
だが、今回ばかりは勝手が違う。魔物の大量発生に合わせて俄かにザンクトガレンに渡ったアルクェール人冒険者たち。彼らにとって隣国の文化は馴染みが薄く、はっきり言って肌に合わない場合が多かった。食事も酒も風俗も、まるで勝手の違う異国の地である。それに適応できずに失調する者も多かったという。
――やはり東方の蛮地は性に合わない。
彼らはそう嘯きつつ、依頼をこなして金が貯まるやさっさと帰国の途に就いた。本来であれば依頼を発した地にある程度還元される筈の、金貨銀貨を山と抱えて。美味い食い物や酒、女などは、自国で買った方が良いという判断である。ザンクトガレンの金銀保有量は、事前の想定をはるかに超える速度で減少した。
後に残ったのは、飢饉に喘ぐ国民と寂れた街、暴騰する食料価格に不足する貨幣。惨憺たる状況である。ザンクトガレンの反アルクェール感情は日増しに高まっていった。食料をケチられ、金まで毟られては当然だろう。
一方のアルクェール側は呑気なものであった。彼らは自分たちがしでかしたことの意味を理解していなかった。なに、こちらも災害があったのは同じな訳であるし、食料の輸出が多少滞るのも仕方が無いことだろう。どころか、貴国の危難に我が国の冒険者も回してやったのだから、寧ろ感謝してほしいものだ……大方の認識はそんなものであった。
両国間の外交は深刻な支障を来たす。認識の差異から双方の主張は全く噛み合わず、互いに自身の意見を容れない相手へ苛立ちを募らせるばかり。五十年来の融和政策は一年の内に砂上の楼閣と化していた。
そんな状況で一年を跨いだ。年が変わっても、状況は変わらなかった。輸出されない食料品。毟るだけ毟って帰っていく冒険者。復興の目途が立たない農村。ザンクトガレンの忍耐は限界を超えた。
――西国の身勝手な振る舞いの所為で、我が国は滅茶苦茶だ。
――アルクェールに奪われた物を取り戻せ。
――戦争だ。五十年前の教訓を忘れた阿呆どもに、改めて教育を垂れてくれる。
そうと決まると、森と精兵の国ザンクトガレンの動きは敏であった。苦しい食糧事情から兵糧をやりくりし、密かに動員を掛け、開戦の時を待った。
開戦は収穫期直前。目的は食料の確保だ。豊かなアルクェールの穀物を収奪し、これを以って国民の飢えを凌ぐ。
問題となったのは、緒戦でどこを攻めるかである。常識的には両国を隔てる山脈を迂回し、北のアルマンド公領から攻めるしかないだろう。だが、それには問題があった。
まずアルクェール側から見ても、攻められるのならそこからであることは自明である。ましてや彼の地は北洋にも面しており、海峡を隔てたマールベアにも備える為、かなりの戦力が配置されていた。激戦が予想される上に、短時日の間に陥落せしめることはまず不可能。そんなところへと馬鹿正直に攻め込むのも躊躇われるだろう。
そして長期戦や消耗戦の類は、現状のザンクトガレンにとっては鬼門である。飢饉と経済危機とで国力そのものが落ちているのだ。どちらかが倒れるまで走り続ける競走などを挑んでは、こちらが先に力尽きるのは目に見えていた。
アルマンドの攻略は正攻法では無理だ。では、どうする?
開戦論者たちは数日の議論を経て、やがてある土地に目を付けた。
ヴォルダン州。山脈を隔ててザンクトガレン領エルプス=ロートレルゲンと隣接した土地だ。他の国境に比べて山塊の標高は幾分か低い。山越えを以ってしてこの地を奇襲することは出来ないだろうか。
無論、すんなりとその結論が決まった訳ではない。
山越えには危険が付き物だ。進軍中に滑落や遭難で兵を失う危険もあり、また山中は魔物の領域でもある。加えて馬匹の通行も困難であり補給の能率は劣悪だ。
だが電撃的な奇襲成功の魅力も捨て難い。何分、ザンクトガレン側には余裕が無いのだ。食料が乏しい中での戦争となると、一撃が大打撃となる奇襲に思考が偏るのもむべなるかなというものである。
そして、ある将軍が一つの提言を行った。
「……五十年前の戦争、彼奴らの敗残兵はどこを通って本国へと逃げ延びたのであろう?」
ザンクトガレンがエルプス=ロートレルゲンの西半分を獲得した戦争。アルクェール側は緒戦で軍の首脳部を失う大打撃を受け、組織的抵抗力を失った。当然、ザンクトガレン側も壊乱する敵を逃さず包囲し戦禍を拡張しようとしたのである。にもかかわらず、多くの敵勢が戦地より逃げ帰り、見積もったほどの打撃を与えることは出来なかった。多くの上級指揮官を失い、組織立っての撤退が困難な状況である。またアルマンド方面には当然の撤退路であるとして封鎖線が敷かれていた筈であった。
もしや、エルプス=ロートレルゲンからヴォルダンに、山を越えて逃げたのではあるまいか。
五十年前は、開戦に至る程の独断専行を働いた貴族を粛清するなど政治的混乱もあり、その点についての調査は不徹底に終わっている。戦後は融和・和平政策に舵を切ったこともあり、過去を蒸し返し両国の緊張を再来させるような行動は慎まれていた。
提言を受け、極秘裏に山脈への調査が行われると、驚くべき事実が判明する。なんと、辛うじて軍勢が通れなくもない程度の間道が発見されたではないか。無論、山の常として魔物の類は存在するものの、強さの程はそこまでのものではない。充足している軍勢であれば、容易く払い除けられる程度のものである。半世紀前の敗残兵どもも、この道を通って逃げ帰ったに違いなかった。逆に今は、自分たちが使ってヴォルダンに――アルクェール王国に攻め込める。
こうしてヴォルダンへの奇襲作戦は決定された。
山を越えた軍は電撃的に同地の諸都市を制圧し駐屯。食料を集めて越冬に入る。春となり雪解けを迎えたらアルクェール王国の各地に食指を伸ばし、街道を寸断させ経済的打撃を与える。天険を抜いての奇襲という作戦上、侵攻部隊は少数となろう。それを支援する為にザンクトガレン軍本隊はアルマンド方面へ進出。敵がヴォルダン救援の動きを見せれば守りの薄くなったアルマンドを攻め、逆にこちらを支えようとすれば奇襲部隊は柔らかい脇腹を存分に抉る。この打撃を以ってアルクェールから、多額の賠償金など有利な条件での講和を引き出す。奇襲部隊と本隊でもって敵国を挟撃、本格的にアルクェール王国の国土を脅かす構えを取る……。
それが彼らの計画であった。計画は完全に守秘され、そして実行に移された……かに見えた。
だが、アルクェール王国にもただ一人、これを完全に察知していた男がいた。のみならず、ザンクトガレンとの『次の戦争』をこのような形であると予見、想定し、その為に動いてさえいた。
王国侯爵ジョルジュ・アンリ・ラヴァレ。中央集権派貴族の元首魁。そして表立っては両国融和政策を推進していた筈の男である。そして彼も、五十年前の敗戦の際に、あの山道を通ったに違いない者たちの一人であった。
※ ※ ※
「ええい、どいつもこいつもっ! 今を何と心得る? 国難の時ぞ!?」
腹立ちの余りに卓へと拳を打ちつけつつ、ランゴーニュ伯は唸った。ライナスを狂気に落とし、それを以ってラヴァレを派閥の首魁から追いやった彼であったが、寝耳に水の開戦の報に仰天。慌てて戦争の準備に取り掛かるも、のっけから挫折の連続であった。
まず戦争となれば必要となるのが兵力である。尋常の貴族であれば、所領の領民から兵士を徴募し、それに指揮官となる家臣の武官を併せて兵団を編成する。が、中央集権派に属しているランゴーニュには、その手は使えない。累代、高位の廷臣であった彼の家は、爵位において同格の地方領主に比べ、所領がかなり小さいのだ。中央集権派に属する中で、自前で十分な兵力を確保できるのは、分権派からの転向者であるシャンベリ――そして、今は下野して王都を離れている、あの忌々しいラヴァレくらいであろう。あれらは未だに広い領地を残している。
では、ランゴーニュのような貴族は、参戦するに当たってどのように戦力を工面するのか? 決まっている、自前で用意できないのであれば、他所から持ってくるしかない。
傭兵を雇用するのである。金で雇われる戦争屋。魔物を退治する冒険者と違い、同じ人類の命を金銭に替える人肉業者。騎士道を知らず、忠誠心に乏しい、軍備を持った盗賊団ども……このように忌み嫌われる人種であるが、領土に乏しい貴族にとっては、数少ない戦力の当てだ。
だが、纏まった数の傭兵を――軍中にあって存在感を失わないだけの、そして手柄を立てることを見込めるだけの――兵力を抱え込むには、莫大な費用が掛かる。伯爵家の身代を一戦で潰すほどにだ。
そうならない為に、金貸しから融資を受けて戦費を調達しなければいけない。いけないのであるが、
「商人どもがっ! 手指に銅臭の染みついた守銭奴どもがっ! このランゴーニュ伯の足元を見おってっ!」
このように、資金調達の時点で既に難渋しているのが実情であった。
商人たちに融資を依頼しても、一度に貸し付ける額を渋られるか、或いは利息が異様に高く見積もられる。これは皮肉なことに、ランゴーニュ伯がそれなりには清廉な貴族であるのが原因だった。身代を傾けるような高い買い物を避け、無闇な借財の類は厳に慎む。芸術品の類もその道で高名な大家よりも、素質こそあるものの芽が出ていない若手のものを好んでいた。それが切っ掛けで脚光を浴びる者も多いことが彼の声望ともなっているのだが、この話は些か蛇足だろうか。
ともあれ、本来であれば美徳と言って良い潔癖な行状ではあるものの、その為に金貸しとの縁が薄く、信頼関係が築けていない。貸し手もどれだけ貸せばいいか、貸したとして借り手の弁済能力は如何程なのか、見当が付いていない状況なのだ。これでは大口の融資は無理であろう。
それでも胸襟を開いて粘り強く交渉を行えば、短時日であってもそこそこの信頼を勝ち取ることは出来たかもしれない。が、ここでもまた彼の貴族的精神が邪魔をする。
ランゴーニュ伯は生粋の貴族であった。平民に傅かれることを当然と思い、その逆に貴族が平民に頭を下げることなど有り得ないと信じ込んでいた。有り得たとしたら、その者は貴族ではないとすら思っていた。つまり平民である商人たちに、譲歩出来るような性格ではなかったのだ。
仮にトゥリウス・オーブニルであるなら、遠慮無く頭を下げていただろう。それで金が、目的とする物が手に入るなら、幾らでも頭を下げる。何しろ、幼時から手製のポーションを売って資金を稼いでいた男である。商人との交渉なら、それも選択すべきオプションに入ると経験から知っていた。そもそも生まれた時からして、身分制度とは利用すべきものであり盲従するものではないと考えていた異端児である。
彼がこの間蹴落としたライナス・オーブニルなら、他の選択肢がある。あの不幸な青年は、広い領地を持っていたし、細々とした計数や事業の企画に長けていた。頭を下げる代わりに、提示された条件の不備を突いたり、相手を領地での事業に引き込んだりと、交渉を有利に進める材料を幾らでも用意できるだろう。……弟の悪い噂が、足を引っ張らなければだが。
ランゴーニュにはどちらも出来ない。あの狂人のように躊躇い無く譲歩することも、先日に狂わされた男のように代案を用意することも、である。
手詰まりに陥った彼は、自室で呻吟することしか出来なかった。
そこへ、
「旦那様、御来客にございます」
ノックと共に、執事の声が掛けられた。
「この危急の時節に、客だと?」
訝るようにそう言う。しかし、直後に我が身を省みて顔を顰めた。その危急の時に資金調達の手立てさえ浮かばずに地団駄を踏んでいるのは、どこの誰であろうか、と。
彼は不機嫌も露わな声でドアの向こうに問う。
「誰だ?」
「はっ。メアバン閣下です」
思わず舌打ちが漏れそうになった。なるべくなら会いたくない手合いである。メアバン伯爵はつい先日、ラヴァレ追放にかこつけて派閥内での地位を追い抜いてやった競争相手だ。昨日今日の事であるから、ランゴーニュの派閥主導者としての地位もまだまだ不安定である。こんな時節そんな男に、大事な戦の初手から躓いた姿など、見せたくはない。
かといって、会わない訳にはいかなかった。内心はどうあれ同じ閥に属する同志であるし、爵位は同じ。かつ年功は相手が上だ。そんな相手の面会を断るなど、それはそれでまた悪い噂の種になる。
彼は仕方なしに許可を出した。
「失礼するぞ」
一片も失礼と思っていなさげな態度で入室してきた壮年の男。巌のような頑なさが顔にも表れている貴族に、ランゴーニュは形ばかりの礼をした。
「……これはこれはメアバン伯。ご機嫌麗しゅう。して、当家に如何なるご用事かな?」
メアバンは心底を見透かしたかのように鼻を鳴らすと、開口一番に切り出す。
「いや、なに。貴殿が出陣の準備に難儀しておると小耳に挟んだのでな。どれ、どのような具合かと見舞いに参った次第よ」
ほら、来た。大方、ライバルである自分の失点を論いに来たのであろうとランゴーニュは解釈した。彼は忌々しく思う内心を押し隠して笑う。
「ははは……これはまた奇妙な噂だ」
「噂とな?」
「その通りでありましょう? 半世紀ぶりに東国と一戦交えようというこの大事。私がそれを前に手を拱いているなどと口の端に上るとは。いやあ、正に奇怪千万」
笑いながら、頭の中で無数の人名と顔とをリストアップしていく。どこの誰だ、そんなことを漏らしたのは、と。
対して、メアバンも頑なな表情を緩めるように笑みを作る。
「そうであったか。いや、そうであろうとも。ランゴーニュ伯の心強い言葉を聞けて、芯から安堵する思いじゃわい」
いけしゃあしゃあと、よくも言う。内心は相手の失態につけ込めずに落胆しているか、強がりを見透かして嘲っているかの癖に。ランゴーニュは更に苛立ちを募らせつつ、平然とした顔を装って言う。
「斯様な流言にお心を乱されるとは、剛毅な貴殿らしくありませんな。そういえば、そちらの方は如何な具合かな?」
「む? 如何な具合、とは?」
「……お惚け召されるな。軍備の方だよ。こちらは答えたのにそちらのご様子を伺えぬとは、些か不公平というものであろう?」
「おお、これはしたり。言い分いちいちごもっともだ。そうであるなあ――」
メアバンは勿体付けるように指折り数える。そして、ランゴーニュがいい加減焦れるかというところで、
「――おおよそ、四千といったところか」
出し抜けに、そう言ってのけた。
「よ、四千?」
ランゴーニュが目を瞬く。それを愉しげに見やりながら、メアバンは続けた。
「少なかろう? 伯爵ともなれば、この倍は用意するのが相場であるからな。いやはや、汗顔の至りであるよ」
この男はそう言うが、それは広い領地をもつ地方貴族の基準である。常に王都に詰め王宮に供奉するのを職とする中央の貴族としては、破格の数字と言って良い。
「お、大方は傭兵でありましょう? よくもまあ、それだけ抱え込めたものですな?」
「いや、なに。実を申せば古馴染みの商人たちから少々借金をしてな。此度の戦で何ぞ恩賞に与らんと苦しいことになる。ははは、普段は返済だ何だと何かとせっつかれているものだが、災い転じて福と為す。金貸しに縁があるのも善し悪しじゃな!」
と、借金持ちの男は、金さえ借りられなかった男の前で笑った。
(愚物が、何を笑っている? 借金取りと仲良くなるような奢侈で乱脈な暮らしぶりが、それほどおかしいか? ……おかしいのは貴様の頭だ)
ランゴーニュは見下げ果てた心境で目の前の男を見る。無論、表立ってはそんな感情を見せずに、
「いやはや、メアバン伯は剛毅ですなあ! 正にお大尽の振る舞いだ。あはははっ!」
調子を合わせて殊更に笑い声を聞かせてやるのだった。
……無論、目の前のまだ若い貴族の内心など、円熟したメアバンにとっては見え透いたものだろう。
(……ふんっ。三十路もとうに過ぎていながら、とんだお坊ちゃんよな)
歳を経ている彼からすれば、ランゴーニュなど貴族の社会――それも王都の中のみという限定的なそれ――しか知らないひよっこである。商人のあしらい方を知らず、海千山千の地方貴族とやり合った経験も無く、サロンで仲間と気炎を吐くだけの夢想家だ。
確かにこの男は中央集権派において、若手貴族のリーダー格だろう。だが、決して若手以外のリーダーにはなれない。異なる夢を抱く者を説き伏せたり、夢を見終わった後の老人を相手に、現実に即した提案を出す。そんなことが出来るたまではないのだ。この男の弁舌は、あくまで同じ夢に浸っているものにしか通用しない。だから商人から融資の一つも引き出せないのである。
確かに若さ故の勢いはある。その勢いで以って、ラヴァレを一時派閥の領袖から追いやった。しかし、その後が続かない。何ぞ例の【奴隷殺し】と組んで分権派を圧倒しようと企んでいたらしいが、その為の具体的なプランなど、持ち合わせていなかっただろう。
トゥリウスと結んだとして、どうやって分権派を処する? 地方を縛る法度でも打ち出して弱らせるか? だが、地方を統制する策には当然、本質的には地方を根拠とするトゥリウス一派からの反発が生じる。それをどうやって窘める? それとも数を恃みに武力で分権派を脅すか? その場合は分権派も武力で抵抗するだろう。下手を打てば内戦になる方向へ舵を切る覚悟はあるのか? そして実力行使となれば、ドルドランなどの兵力を当て込めるトゥリウスが主導権を握り、集権派を内から乗っ取られる恐れもある。これらの問題をどう捌く?
……湧き上がる無数の命題に、ランゴーニュは何ら明確な答えを出せていない。ひたすら数を揃えて権を握るのだと喚くだけだ。当然、何ら成算も無いプランには誰も乗らないだろう。あのシャンベリですらそっぽを向いているのだ。中央集権派を一本の木と喩えるならば、ランゴーニュという枝は、蝙蝠がぶら下がることを躊躇う程に細くひ弱く、そして実りが無い。
(この男が主導権を握っていては、我らが派は終わる)
メアバンは暗澹たる思いでそう決を下した。
こうなっては、やはりラヴァレを呼び戻すしかない。あの寝業師の事だ、どうせ出戻る為の策など幾つも用意しているだろう。この料理しやすい坊やにあっさりと地位を預けたのもその証拠である。自分はその流れに乗ってこれを助け、十分に長生きした老人が引退する際、その基盤を引き継ぐか――とまで考えて、はたと気づく。
自分ももう若くはない。既に六十の大台に手が掛かるまでになった。平均寿命から考えれば、例え病に倒れ隠居するかそのまま起き上がれずに身罷っても、世人は不思議と思うまい。ラヴァレに至ってはいつ迎えが来てもおかしくない歳である。だというのに、後事を託すべき若手の代表は、目の前のこれだ。
ただでさえ暗い気持ちが、更に暗くなった。
(……今からでも、せがれを鍛えるか)
ふと、そろそろ三十にならんとする嫡男のことを思い浮かべる。己の年を考えれば、そろそろ地位を譲る為の下準備に入っても良い頃合いだった。それと併せて自分の目の黒い内に、せめてランゴーニュよりはマシになるよう教育するべきだろうか。明日が今日と同じように来るとは限らない。事実、この国へ隣国の兵が攻め入ってくるなどと、ほんの一週間前までは思いもしなかったではないか。
考えを固めるメアバンに、心配を装った声が掛かる。
「いかがされた、メアバン伯爵? 何やら気も漫ろであるようだが?」
親切ごかした声音の裏に、自分より老いた者を見下す思いがありありと窺えた。このように見え透いているから、お前は駄目なのだ。そう言いたいのを我慢して豪放に笑い飛ばす。
「ははは。いやなに、合戦は凶事といえど貴重な経験。此度はせがれにも何ぞ手伝わせようかと思案しておった次第でな」
「ほう! 貴殿の親心、実に感じ入りますなあ。私も今から学ぶことが多いと存じ上げまする」
(その殊勝さが真実であれば、儂の悩みは取り越し苦労なのだがな)
下手をすれば戦争よりも深刻な問題を前に、老いの坂に差し掛かった貴族は、懸命に嘆息を噛み殺すのであった。
※ ※ ※
「――とまあ、王都のランゴーニュ伯は万事が万事こんな調子のようでして」
「うわあ……」
出陣の為の準備を進める傍ら、ルベールが王都の諜報員から受け取った内容を聞いて、僕は思わず目を覆った。あの伯爵、ヴィクトルが酷評しただけのことはある。僕らが手を尽くして中央集権派を主導する地位に就けてやったのに――本人は知らないだろうけど――早くも馬脚を現そうとしていた。これじゃあ折角の中央との伝手が、すぐにでも失脚してしまう。いや、そもそもあちらから伝手を持とうとしても派閥内の反発を抑えられずに難航しているんだったか。……ますます救えない。
「しっかし、暫定とはいえ中央集権派の頭が、何でまたそんなことに駆けずり回っているのかな……普通だったら、繋がりのある将軍に便宜を図ってやって、彼らの戦果で自分たちの発言力を強化すればいいだろうに」
少なくとも宮廷政治家が兵を率いて前線に出張るより、こちらの方がよっぽどマシである筈だ。というか戦争の素人が指揮官気取りで、傭兵なんていう武装したゴロツキどもを率いて乗り込んで来る? 統制取れるのか、それ? 下手をすればヴォルダンで両国の軍が略奪しあうような事態になりかねないと思うんだが。
「それなんですがね。ラヴァレ侯爵更迭の影響で、彼を通して派閥と繋がりのあった軍人らと切れてしまったようです。あの御老体は近衛拡充の大恩人でしたから、特に近衛騎士団はランゴーニュ伯に不信感を持っているでしょうね」
何気ない疑問の答えは、更に深刻なものだった。中央集権派だってのに、肝心の中央を押さえる為の武力の要と、関係が破綻しているじゃあないか。看板倒れもここまでくると芸術的だった。余りにも芸術的なので、そのまま爆発してほしいくらいだ。
というか、ラヴァレの追い落としを図るんならその辺りの根回しくらいするだろうに。実働戦力も押さえずにクーデターだなんて、自殺でもしたいんだろうか。
「やられたね……近衛を押さえられず、商人ともまともに交渉できないとなると、ランゴーニュ伯はもう駄目だ。早晩、あの爺さんが息を吹き返してくる」
「これも、ラヴァレ侯が狙っていたことだと?」
「当たり前だろう」
僕は思わず憮然としてしまう。
「爺さんは王都復興の為の物資調達で、あちこちの商人と会見を持っていた筈だろう? 大方、ランゴーニュ伯がどん詰まりに陥った頃合いを見計らって王都に戻り、商人たちを口説き落として戦費や物資、傭兵たちを引っ張ってくる。その功績で返り咲くつもりなんだ」
しっかりしてくれよ、こういう政略だの何だのは君らの担当だろうに。
「……閣下のお言葉を補うなら、商人からの供出のみならず、更に自身でも相当量の食糧や物資を軍に提供すると思われます。復興計画にかこつけて掻き集めていた分を、ここぞとばかりに吐き出すつもりでしょうな。ザンクトガレンを激発させる為に、自分の懐に貯め込んで流出を止めていた財貨を」
とヴィクトル。流石はアレの隠し子、爺さんの思惑をピタリと読んでくるじゃあないか。まあ、相手の動きを止めようも無い状況になってからでは、遅きに失しているかもしれないけど。
ルベールの方を見ると、彼はまだ信じられないように頭を振っていた。
「本当にですか? だって戦争ですよ? 策略の為に、ここまでしますか?」
「するだろうよ」
ヴィクトルが吐き捨てるように言う。
「あの男の本来の敵は、ザンクトガレン。露骨な中央集権化を図るようになったのも、五十年前にかの国に敗れてからと聞いている。それを思えば寧ろ、今までの策謀全てがこの一戦の為にあったとしてもおかしくはない」
「にしても、博打が過ぎる……もし、ザンクトガレンがアルマンド公爵領の方から来たらどうするんだい? いや、寧ろ主戦場は確実にそちらになる。それどころか前当主を失脚させる策を僕らが仕掛けなかったとしたら――」
「どっちでもいいのさ、あの爺さんにとっては」
そう、考えてみればすぐに分かることだ。
「アルマンド公爵は王家の血を引いてはいても、結局は地方に大封を持つ貴族だ。集権派としては目障りな存在だろうね。それが消耗したりしてくれれば願ったり叶ったりだ。そもそもの防備が厚いから、あっちを無理に力攻めにしてくれた方が戦争にも勝ち易くなる。兄上の件にしたって、こっちが手を出していなくたって構わないだろう。彼が当主のままでいれば、僕はその指揮下でザンクトガレンと戦うことになるんだから。無茶な命令で死にに行かせる、なんて策も使えるじゃあないか」
どう転んでもラヴァレの得になるというか、ラヴァレの敵が損するように出来ている。本当に嫌らしい事を考える爺さんだ。
唯一のネックは、こんなにゴタゴタした政治状況の中でザンクトガレンに勝てるかどうかだが……勝つ気でいるのだろう。
何しろ、向こうは食糧が足りないから攻めて来た蝗のような連中だ。短期決戦狙いでいるのは火を見るより明らかである。対してこちらというかラヴァレは、潤沢な食糧を抱えており幾らでも長期戦が出来る。アルマンド方面の防備を固めて北回りでの敵増援を抑えつつ、向こうの攻勢が限界に達したところで反撃に出て殲滅する、っていうのが一番堅実な策だろうか。これならアルクェール王国側の勝算は高い。
ザンクトガレン側の戦略は、アルクェール王国が戦時体制に移行していないか、するのに時間が掛かることを前提にしている。ラヴァレはそれを読み切って、その前提から引っ繰り返す気でいるのだ。奇襲の衝撃から醒めれば、十全に体制を整えて殴り返しに行けるアルクェール側が有利だろう。
五十年前みたいに、勝てる筈の戦局でグダグダをやらかした挙句に奇襲を喰らって逆転、なんて間抜けを演じさえしなければ。
「それで我らは、あの妖怪の宿願達成の為の生贄ですか。救われませんね」
ヴィクトルが言う通り、ラヴァレの立てただろう戦争計画では、僕らの無事は度外視されている。いや、すっぱりと犠牲にする気だろう。内憂が外患を食い止める足止めとして玉砕してくれれば、万々歳だろうから。そしてこの戦争を生き残った場合も、伯爵の地位にありながら国王から預かった土地を守り切れなかったとして処罰を与えれば良い。逆らうなら、ザンクトガレンを倒した軍を余勢を駆る形でこちらに向ける。本当に救われない未来図だ。
「全くだね。だから、そうならない為に頑張らないと」
僕はヴィクトルと肯き交わすと、ルベールの方を見る。
「得心はいったかな? あの狐だか狸だかの爺さんが、まだまだやる気でいるってのには」
「――ええ、ようやく。すみません、少し取り乱していたようです」
さっきまでの取り乱しようは少しどころじゃない気もするけれど、まあ、良い。理解を得て落ち着いたというのなら、これからは冷静かつ慎重に、家臣団きっての吏僚らしく働いて貰おう。
兎も角、この事態が誰の差し金であるかどうかを云々するのは、ここまでだ。今はどう戦うかを考えなければいけない。
と、そこへ、
「失礼します。オーパス02ドゥーエ・シュバルツァー、及びドルドラン辺境伯様をお連れしました」
ユニが、軍備の把握の為に外に出ていた二人を連れて戻って来た。
「いやはや、えらいことになっちまったなご主人」
「失礼する」
ドゥーエの表情は、深刻な事態への憂慮は伺えるものの、それ以上のものは浮かんでいない。ザンクトガレンは彼の母国だった筈だが、まあ、あの国も東方諸侯の寄り合い所帯だ。さして帰属意識を刺激されるような成り立ちではないのだろう。そもそも、彼は元より根無し草の冒険者だったし。
それよりもドルドラン辺境伯の仏頂面の方が気になる。
「どうかな、こちらの状況は?」
「悪い、という言葉ですら足らぬ。最悪だ」
王国西方を鎮護し続けた貴族の言葉は、重々しさを孕んで耳に響いた。
ドゥーエががしがしと頭を掻きながら、その後を引き継いで続ける。
「まず、どう考えても兵力が足りねェ。このマルランだけで総兵力はいいとこ千人。州全体でも五千が精々だろうな」
「あ、やっぱりそんなに少ないんだ」
絶望的な数字である。
この国で伯爵級の貴族の平均的な動員兵力は、おおよそ八千人と記憶している。ドゥーエが上げた数字はその半分強程度だ。
が、絶望するにはまだ早い。
「しかも、緒戦で散々に撃ち減らされているからなァ。こりゃ下手すると、残る兵力が二千位にまで落ち込むかもしれねェ。勿論、マルランの兵力を入れて、だ」
本当の絶望はこれからだ、である。
「頭数も足らぬが、それより練度が問題であろうよ。先代はどうやら内治を優先しておったようで、軍備の方はほとんど手付かずだ。士気も経験も装備すらも、二線級のそれよ。後方を固めるのにようやく使えるかといった程度だ。とても最前線は任せられぬ」
溜息と共に漏らすドルドラン辺境伯。彼はそう言うが、何も兄が悪手を取った訳ではない。そもそもの原因は、それより更に以前にある。
「先々代の父上が家を傾けたツケが、よりにもよって今になってから回って来たということか……」
そう。王都で遊び暮らしていた僕らの父。彼は領地の統治を代官任せに放任した挙句、稼げば稼ぐだけ使い込んでいた駄目貴族だ。兄上が継いだ――父が倒れて政務を代行し始めた――当初、ヴォルダンはボロボロだったに違いない。それをよくもまあ、内政だけとはいえ大過無い程度までに回復させたものである。軍備の強化を犠牲にしたのは頂けないが、良く頑張った方だと言えるだろう。
また、兄上も国境の山脈に軍隊が通れるだけの間道があると知っていたら、ここまで軍事を軽視はしなかった筈だ。そうなると先々代である父上か、そのまた更に先代の当主が、領地を危機に陥れかねない秘密を、後継者へと伝え損ねていたことになる。何やっているんだよ、本当に。
「つくづく身内に恵まれなかった男だねェ、アンタの兄貴は」
「まったくだね……」
ドゥーエの言葉にしみじみと肯く。僕としても、身を守る為とはいえ彼を蹴落としたことに多少の罪悪感と勿体無さは覚えているのだ。それに伯爵なんかにならなければ、こうして戦争の矢面に立たずに済んだ訳だし。
「つまり我々は、最悪の軍備で戦争に向かわねばならない。そういうことですね」
ユニがいつもながらの無表情に、微かに憂鬱さを忍ばせながら話を元に戻す。
「その上、相手は精兵を以って知られるザンクトガレンです。更に言えば、戦後における立場を全うする為には、王都の連中から余計な言い掛かりを付けられないだけの戦果を挙げる必要があります」
「無茶振りにも程があるよ……」
ヴィクトルとルベールも、お手上げと言うように肩を竦めた。
兵力も装備も練度も士気も無い無い尽くしな軍隊で、大陸最強の脳筋国家と戦争、加えて一定以上の戦果は必須である。勝つことからして無理難題なのに、勝ちっぷりまで要求されるのだから堪らない。戦う前からお通夜めいた暗さになるのも仕方ないことだろう。
「オマケに指揮官は僕だからね」
「ご自分で仰るかね……」
冗談めかして言った僕に、ドルドラン辺境伯がジロリと白い目を向ける。
はっきり言って、僕は自分に初陣で強敵を相手に奇跡的な勝利を飾れる、なんて言えるほどの軍事的才能があるとは思えない。そりゃあ前世から持ち込んだ現代知識があるっちゃあるが、それを有効活用出来るほどの軍事教育を受けている訳じゃないし、そもそも兵を率いた経験すら無いのだ。
素人が半可通の知識で軍隊を動かしたところで、泣いて馬謖を斬るの故事に倣うのが関の山である。いやいや、諸葛孔明と語り明かせるだけの知識を持っていたという馬謖でさえ、実戦ではあの様だ。三十六計すら碌に諳んじれない僕が、彼に及ぶ程にも立ち回れるとは思えない。
狼に率いられた羊の群れは、羊に率いられた狼の群れに勝る。戦争における指揮官の重要さを端的に表した言葉だ。残念なことにヴォルダン州の兵力は羊が如しで、その上に立つ僕も同じくである。そして攻め込んで来る連中は正に狼のような強兵で、おそらく羊なんかに率いられるたまではないだろう。始まる前から勝負は見えていた。
一応は武官の最高位にあるドゥーエも、兵たちを戦わせるより自分が斬り込んでいくタイプだ。狼は狼でも一匹狼。群れを統率するには不向きだろう。
「まあ、だから貴方を当てにしている訳ですよ、ドルドラン辺境伯」
「とはいえ、当てにされてもな――」
今ここに居る中で、最も軍事的才幹に恵まれているだろう人物は、露骨に気乗りのしない顔をする。まあ、僕の当主・伯爵就任を祝いに来たところを、不幸にも戦争に巻き込まれてしまったのだ。巡り合わせの悪さを嘆くのもいたしかたない。
「――戦う前からなんだが、はっきりと言わせて頂く。尋常な戦を挑んでは、勝てる見込みは無い」
加えてそれが勝ち目の無い戦いときたら、尚更だ。分かり切っている事なので、僕も肯きを返す。
「でしょうね」
「おいおい、ちょっと待てよ」
そこへ口を挟んで来るのはドゥーエだ。戦うのが生き甲斐と言う彼の事だから、折角の激戦を前に辛気臭いことを言われるのが、我慢ならないんだろうか?
「勝ち目が無ェってことはないだろ。俺らオーパスシリーズ全員で掛かれば、例え軍隊でも――」
「駄目だね。無理ではないけど、駄目」
僕は手を翳して彼の意見を遮る。確かに僕の『作品』たちは絶大な戦力を持つ。六体全てを投入すれば、山越えなんて無茶をして送り込んで来た軍隊など一蹴出来るだろう。
しかし、だ。
「考えてみても下さい。たった六体で戦争に勝てる戦力……そんな存在が公に露見したとなれば、どうなるでしょう?」
ユニの淡々とした指摘が示唆する通りである。
この子たちの真価がバレたら、世界中が蜂の巣を突いたような大騒ぎになるだろう。各国からは、一伯爵が持つには過ぎた戦力である、なんて言い分で引き渡し命令が来るだろうし、下手をすればそれを理由にして僕らを滅ぼしに来るかもしれない。いわば小国が核兵器を持っているようなものだ。前世の世界だったら、自由と正義を信条とする世界の警察が、空からプレゼントを降らしにやってくるだろう。
オーパスシリーズで敵を吹っ飛ばせば、確かにザンクトガレン軍の侵攻は阻止出来る。しかし、次に待ち受けるのは大陸全土からの強大な圧力だ。この国の宮廷も僕らを守ってなんかくれない。向こうの立場になって考えてみれば、自分たちに黙って強力な戦力を抱え込んでいた地方領主など、絶対に信用ならない筈だ。しかもユニたちには、僕か僕の委任を受けた者しか命令を下せないよう改造したりしている。制御困難な過剰戦力など、戦争が終わったら、はい、サヨナラ。狡兎死して走狗煮らる、だ。どうでもいいことだが、いつ聞いても動物愛護団体が憤慨しそうな響きの諺である。
「――あっ」
「理解は出来たかな、ドゥーエ? そもそも、ここには爺さんの息の掛かった近衛騎士が送り込まれているんだ。もしかすると連中、この戦争で僕が隠している戦力を見極めるつもりなのかもしれない」
特に、あのエリシャ・ロズモンド・バルバストルとかいう変な人。何とも常識に欠けた女性だが、どことなく独特の剣呑さを感じさせる相手だ。大いに欠落が見られる分、長所は相応に尖っているだろう。戦闘に関するセンスはかなり高いと見える。迂闊にオーパスシリーズの全力を見せたりしたら、すぐさまその危険度を理解出来てもおかしくはない。
他にも問題はある。
「大体、シャールとかはどうするんだい。幾らなんでもヴァンパイアロードなんて厄ネタ、表に出せる訳が無いだろう」
「ヴァ、ヴァンパイアっ!? そ、そのような者まで抱えておったのか!?」
「ほら。ドルドラン辺境伯ほどの人でも、こんなに驚いているじゃないか」
人類に害を為すばかりか、犠牲者の死体を眷族として蘇らせ、勢力を増し続けるヴァンパイア。彼らが魔物の中でも殊更に危険視されており、匿ったりすれば人類への重大な背信として罪に落されるのは、何度も言った通りだ。ましてやシャールはロード級。仲良く轡を並べているところなんて見られたら、オムニア皇国から異端審問官が飛んでくる。折角増援を送ってくれるかもしれない友好国なのだ、あそこの不信を買うのは避けたい。
「ゴホン! いや、失礼……他にも、あのゴーレムなども拙いな。強大な魔法生物を私有していただのと、王都の連中が騒ぎ出すのは必定」
「それと一軍を薙ぎ払う程の大魔法も、ですね。それほどの魔導の達者は、宮廷魔導師なり冒険者ギルドなりが、是が非にでも管理下に置こうと動くでしょう」
フェムは駄目、ユニやドライ、セイスは運用に大幅な制限が掛かる。シャールなんて端から論外。まともに使えるのはドゥーエのみである。彼が剣一本で全ての敵を薙ぎ払ってくれると言うなら、それはそれで構わない。が、ザンクトガレンにも人無しという訳ではないだろう。厄介な戦士一人程度、避けて通って余所で戦うくらいはしてくる筈だ。
「じゃあ、使える手札は量産型の『製品』だけってことか?」
「残念なことに、そちらにも縛りはある。EシリーズやEEシリーズは使えない。領内で大量のエルフの姿なんてチラつかせたら、欲深な貴族連中がどう動くか分からないからね」
「何処かの誰かさんみたいに、里を丸ごと掻っ攫おうとしてもおかしくないってか?」
「まあね。そう言う訳で、表立って使える『製品』はMシリーズとBシリーズだけだ」
「……Sシリーズはどうしたのです? 戦闘特化のアレらならば他の者ほどは目立ちませんし、有為な戦力かと思われますが」
そう口を挟んで来るのはルベールだ。彼の言う通り、Sシリーズなら戦争においても有効に働いてくれるだろう。元々その為に作った物でもある。
しかし、
「在庫が無い」
「はっ?」
「だから、もう在庫が無いんだよ。僕の派閥に入れた貴族たちに、粗方配っちゃったからさ。あと、素体用の奴隷も足りてない」
僕とて何も無いところからひょいと手駒を作り出せる訳じゃあない。礼装を作るには素材が、改造奴隷を作るには素体が必要になる。手持ちの改造用の奴隷は今のところ無し。これでは幾らSシリーズが最も低コストな製品とはいえ、一体たりとも作れない。そもそも改造にも時間が要るから、今から作っちゃ間に合わない。
一応はドゥーエ配下の武官たちも順次Sシリーズへの改造を予定しているが、それにしたって一朝一夕で終わることじゃあない。頭数が揃う前にヴォルダン州がザンクトガレン軍に制圧されてしまうのは目に見えていた。
「ば、馬鹿ですか貴方!? アホなんじゃないですか閣下!? 何で万一に備えて最低限の数でも手元に残しておかないんですか!?」
「酷いことを言うなよルベール。派閥全体の強化の為に、頑張って配って回った結果じゃないか。それに逆に考えなよ。僕が洗脳した領主は大概近隣にいるんだからさ、真っ先に援軍に来るのはSシリーズを擁する彼らだ。ラヴァレの爺さんの息が掛かった連中に手柄を奪われる可能性が下がるだろう?」
「いや、このままではその援軍が来る前に、ヴォルダンが落ちるのではあるまいか?」
ドルドラン辺境伯が呆れた風に言う。
確かに今の説明ではそう思うのも無理は無い。
「まあ、本当にそうなるって言うなら、貴族の地位も何も捨てて逃げるだけですけどね」
僕がぶっちゃけると、ルベールとヴィクトルがギョッとした顔でこっちを見て来た。やれやれ、肝が小さいな。物の喩えじゃないか。
現に辺境伯は平然としたものである。
「ほう、なのに夜逃げの支度に取り掛かられぬということは……何ぞ腹案がおありか?」
「ええ。ですけど、その為には辺境伯閣下のお力添えが必要です」
問いに肯きを返しつつ、彼の方を見やる。
確かに僕には多少の知識はあるが、軍事の実務における才覚は未知数――正直、あんまりあるとは思えないが――であり、経験に至っては皆無だ。だが、それを補える人材がいるとしたら? 長年に渡り西方辺境を抑え続けて来た、経験豊かな指揮官でもある辺境伯。彼ならば、僕のアイディアを噛み砕いて消化し、具体的な方策にまで修正し、そして実行出来るだろう。
やはり僕は、ここ一番での運が良い。危難の時に必要な人材が偶然手元にいてくれたのだから。
「まずはですね――」
ザンクトガレン軍が山を越えて来たと聞いた、その時点から温めていた考えを披歴する。これならば何とかヴォルダンの兵力でも、戦えないことはないだろうという策を。
反応は芳しくなかった。ドゥーエはいつもながらの苦虫を噛み潰したような顔をする。ルベールとヴィクトルは揃って反対のシュプレヒコールを上げた。肯定的なのはユニくらいだ。そして、ドルドラン辺境伯も難しい顔をしていたが、
「何と非常識な。いや、しかし……これより他に手は無いか」
細かい問題点より、純軍事的な効用をついには認めた。
「だが、大掛かりな策だ。手は足りるのか?」
「裏工作にはオーパスシリーズを回しますよ。彼らが戦争の表舞台に立つから問題が起こるのであって、舞台裏で動かすのなら何も心配は要りません」
そう、強力な魔法だの種族的なあれこれだのは、記録に残るような派手な振る舞いをするから問題になるだけだ。今まで通りあくまでも裏で動かすのならば、オーパスシリーズを存分に使うことが出来る。最終的な戦果を通常の軍隊で挙げられれば、それまでの細かい工作を誰が、どうやってやったかなどは誰も気にしない。演習で使った弾の薬莢まで回収する程に几帳面で近代的な軍隊なら兎も角、このイトゥセラ大陸の旧態然とした軍組織では、その辺りのチェックはザル同然だ。
ヴィクトルが渋い顔で口を開く。
「政治的にも様々な問題が起こる策でありますが……」
「論功行賞の時に、戦果を盾にしてゴリ押すさ。あのザンクトガレンを相手に、ヴォルダン一州でこれほどまでに頑張りました、この上は格別のご引き立てのほどを……ってね。御恩と奉公は封建社会の基本だ。これを無碍にしたりすれば、戦争が終わっても次に起きるのは地方諸侯の内乱だよ。例えラヴァレだろうと、絶対に折れる」
この策が上手くいけば、そう強弁出来るだけの戦果は期待出来る筈だ。少なくとも被害をヴォルダンのみに限定することは可能だろう。そこまでやれば、領地を守れなかった罪より他の国土を守った功が勝る。もしもそのように認められなかったら? ……是非も無し、である。僕も覚悟を決めるし、爺さんにも決めて貰う。陰謀家の言いなりになっている、役立たずの王宮にもだ。
最後にドゥーエが口幅ったい様子で言う。
「無駄だと思うけど一応言っておく。……アンタ、心は痛まねェのか?」
「ちょっとは痛むよ。でも、我慢出来る範疇さ」
何しろ戦争だ。犠牲は避けられないだろうし、敵を大勢殺すことにもなる。かといってそこで躊躇っていたら、重要な局面で何よりも大事なものを守れないかもしれない。
……たった一つしかない、この僕の命を。
だから多少良心に疼きを覚えたところで立ち止まる訳にはいかないのだ。命を脅かす外敵は、徹底的に排除しなければならない。ラヴァレだろうとザンクトガレンだろうと、何だろうとだ。
僕の答えに、彼は深々と溜息を吐く。
「……だろうな。色んな意味で今更な質問だったぜ」
それで反論は終わりだ。彼らは不承不承とはいえ僕の策を受け容れた。
まあ、気に入らないのは仕方ないだろう。貴族らしい華々しさも、戦士らしい猛々しさも無い、泥臭く陰惨な策なのだから。僕だって好みであるとは言いかねる。しかし現状、他に案が無いのだ。気に入ろうが入るまいが、これで行くしかないのである。
「さあ、それじゃあ早速行動を開始しようか。時間は無いし敵は待ってくれないよ?」
言って、渋い顔のままの連中を尻を叩くようにして送り出す。それから僕の傍に控えたままのユニに視線を向けた。
「ユニ。君はラボのMシリーズとBシリーズを、最低限のシフトだけ残してこっちに引っ張ってくるんだ。例の玩具も一緒にね。……ああ、ついでだ。折角だからあの試作品も使っちゃおう。この際、大盤振る舞いだ」
「畏まりました」
「それと――」
丁度撫でやすい位置まで下げられていた頭に手を伸ばす。そういえば、彼女とこうした触れ合いをするのは久しぶりだな、などと思いながら。
「――今回は今までに無い程に、大掛かりな作戦だ。当然、君にも存分に働いて貰う」
「はい、ご主人様」
そっと目を閉じて僕の手慰みを受けながら、ユニはしかと了承の返事をした。
表情こそ澄ましたものだが、微かに漏れた吐息、それから感じる熱量に、いつも以上のやる気を抱いていると知れる。
僕の最高傑作は、この通りモチベーション十分。そしてコンディション良好だ。
思わぬ事態に急場の対策……不安の種はままあれど、この切り札が十全な限り、僕が怯える必要は一切感じられなかった。




