第071話「メサイア教団」★
礼拝堂の扉を開くと、中は外界の喧騒を忘れさせる深い静寂に包まれていた。
部屋の中をぐるりと見渡すと、高い天井には精緻な彫刻が施され、壁一面を覆う巨大なステンドグラスからは柔らかな光が差し込み、床に幻想的な色彩の模様を落としている。
数百人は収容できるであろう広大な空間だが、今この場にいるのは私だけだ。
私はコツコツと靴音を響かせながら、陽光に照らされて輝いている白い大理石の床の上を歩き、奥に鎮座する豪奢な祭壇の前で足を止めた。
黄金色に彩られた祭壇には、私たちの崇める偉大なる聖王の姿を象った真っ白な像が、威風堂々と君臨している。
――ここはロンドン郊外にあるメサイア教団の総本山である――"グランメサイア大聖堂"。
当初はほんの小さな教会だったこの場所も、時と共に資金が潤沢となってから少しずつ改築増築を重ねていき、今ではこうして荘厳極まりない巨大建造物に生まれ変わった。
私は祭壇の前に跪くと、飾られている聖王の像に向かって恭しく祈りを捧げる。
「あなたと出会ったのは……もう40年も昔になるのか……」
こうして目を閉じると、今でもあのときの光景が――そして彼女の美しい声が鮮明に蘇ってくる。
……
……
……
当時の私は14歳、まだ少年と呼ぶべき若輩者だった。
体格に優れ、運動神経も良く、イギリスで最も名門とされる大学に飛び級で入学するほどの頭脳を持っていた私は、周りから神童と持て囃され、自分が誰よりも優れた人間であることを信じて疑わなかった。
全てが自分の思い描いた通りに進んでいく人生。
次第に毎日が退屈になっていった私が、唯一興味を惹かれたものが日本の裏世界だ。
まるでファンタジー小説の世界のような神秘に満ちた場所。数々のモンスターに未知のアイテム、そして不思議な力に目覚める人たち。
ここに行けばきっと退屈な人生を劇的に変えてくれるに違いないと直感した私は、両親の反対を振り切って大学を休学して日本に渡り、当時はまだ珍しかった外国人の探索者として裏世界に足を踏み入れた。
そこでも私は当然のように才能を遺憾なく発揮し、瞬く間に魔力使いとして覚醒すると、数ヶ月後には魔術まで発現させてしまう。
能力は【魔心智通】というモンスターの心の声を聞けるだけの地味なもので、奴らはまともな思考を持った個体が殆どおらず、不意打ちを避けることぐらいしか使い道はなかったが、それでも魔術が使えるというのは特別な存在になった証だ。私の自尊心は益々膨れ上がっていった。
だが、あまりにも上手く行き過ぎて私は調子に乗っていたのだろう。
魔術に目覚め、一年も経たずにあっさりBランクまで昇格できたことで気が大きくなっていた私は、ある日、当時はまだ人類が未到達であったエリアへと一人で潜ってしまったのだ。
今思い返すと、あまりにも浅薄愚劣な行為だったと言わざるを得ない。
協会のリストには載っていない未知のモンスター、電波の通じない不感地域、歩いても歩いても何故か同じ場所に戻ってしまう迷いの森。
遭難してから三日目――水も食料も尽き、朦朧とした意識の中で四方八方をモンスターに囲まれてしまった私は……死を覚悟した。
――だがそんなときに、あの御方が私の目の前に颯爽と現れたのだ。
《君、大丈夫? 僕の背中に乗って?》
それは神々しいまでに美しい輝きを放つ、真っ白なクジラのモンスターだった。
この凶悪な魔境に似つかわしくないほど気品に溢れるそのクジラは、周りのモンスターを一撃のもとに消し去ると、私を背中に乗せて空高く舞い上がった。
「せ、聖王……グラン・メサイア……! 私を助けてくれたのか?」
《グラン・メサイアかぁ。ふふ、ここ第二地球の人々にはそんな風に呼ばれているみたいだね。そう! 僕が聖王です! な~んて言っても会話なんて出来ないか》
「……第二地球?」
《え!? うそっ!? もしかして僕の声が聞こえてるの!?》
「あ、ああ……。私には【魔心智通】というモンスターの思考を読み取る魔術があって……それで貴方の声が伝わってくるのだと思う」
《ちょ、ちょっと待って! 今のは聞かなかったことにして!》
何の役にも立たないと思っていた私の魔術――【魔心智通】が、まさかあんな素晴らしい出会いを運んでくれることになるなんて思いもしなかった。
聖王グラン・メサイア……彼女と交流することで私が得たものは計り知れない。
彼女はとても聡明で、私の知らない知識を豊富に持ち合わせており、それを小さな子供に授業をするように懇切丁寧に教えてくれた。
それまでは神童と呼ばれながらも傲慢で狭量な性格な私だったが、彼女のおかげで真の智を知り、己の過ちを悟ることができたのだ。
本当に重要な世界の秘密こそは語ってくれなかったものの、それでも彼女と交流した十数年間は私にとって人生で最も有意義な時間だったと断言できる。
やがて彼女は魔王との戦いで消滅してしまったが……おそらくあれはこの世界にとって必要なことだったのだろう。
寂しくはあるが、嘆いてはいない。あれはただのアバターでしかないのだから。
「私がこの世界の覇者になれば……アバターではない本物のあなたに会えるか?」
《もちろん! ふふっ、コンラッド……もし君がここまで来れたら、そのときは向かい合っていっぱいお話しようね!》
だが……いつか彼女の本体がいるという場所に辿り着いてみせると誓った14歳の少年だった私も、気が付けば人生の折り返し地点をとうに越えてしまった。
けれども、その代わり……私は力をつけた。最初はほんの小さな組織だったメサイア教団も――今では世界規模にまで拡大している。
もう少し、もう少しで私の野望を果たせる日がくるだろう……。
……
……
……
「アームストロング大司教、また愛しの聖王様との思い出に耽っておいででしたか?」
不意に背後から声を掛けられ、瞑想状態に入っていた私を引き戻す。
振り向くとそこには、この世の物とは思えないほどの美しさを誇る金髪碧眼の女性が立っていた。
「マグマガーか」
教団幹部の一人であり、私に忠誠を誓う腹心の部下だ。
相手の顔を奪い取るという魔術を使いこなし、この絶世の美貌と抜群のスタイルを併せ持つ肉体も彼女自身のものではない。
「いつもそのような誰もが知る有名人の顔で出歩いているわけではあるまいな? くれぐれも迂闊に己の身元がバレるような真似だけは慎むように」
「もちろん心得ておりますとも。この顔を使うのは教団幹部との会合や自分一人のときくらいですよ」
「……だといいのだが。ところで潜入のほうは上手くいっているのだろうな?」
「ええ。順調そのものですよ。もうすでにU・B・Aの"五傑"という立場まで上り詰めましたからね」
ふむ……と私は彼女の報告を受けて腕を組む。
今や私はSランク探索者にして厄災魔王の一欠片の一人であり、世界中で勢力を伸ばしているメサイア教団のトップとしても君臨している。
莫大な富と名声と力……それに加えて、神の領域に迫るほどの知識をも手に入れた。
しかし、かつて神童と呼ばれた私も、衰えが来たことを否応なく感じざるを得ない年齢になった。
まだ老け込むような年ではないが、下からは若く才能溢れる有望株たちが次々と成長してきている。
――涼木 想玄。
――切封 斬玖。
――アーサー・ロックハート。
――そしてシャイリーン・ゴールドスタイン。
特にこの四人は間違いなく私と同等以上のポテンシャルを秘めており、私より先に裏世界を制して彼女の元へ至る可能性すらある危険な存在だ。
中でも最後のシャイリーンに関しては一番年若いというだけあって、その伸び代が他の三人よりも圧倒的に高く、脅威度は計り知れない。
奴を排除するために、無差別テロに見せかけて母親のアンジェリーナを拉致監禁しようとしたが、最終的に作戦は失敗してしまい、その過程で教団幹部を八人も葬られてしまった。
それでも、あの一件でシャイリーンを表と裏両方で指名手配させることに成功したので、これでしばらく奴の動きを牽制できるはずだ。
ただ、日本にいることだけはわかっているが、それ以降は依然として目撃情報がないのが気がかりではあるが……。
それにこの四人だけではない。時が進むごとに次から次へと新しい才能が芽吹いてくるだろう。
……私は老いた。もう手段を選んでいる暇などない。あらゆる方法で障害を取り除き、同時にメサイアレリックの回収も進めなければならない。
私には彼女から聞いたこの世界の人々にとって未知の情報と【全てを知るモノ】による未来予測、そしてメサイア教団という巨大な組織を活用することができる。
そのどれもが他にはないアドバンテージだ。
今のうちにメサイアレリックを可能な限り手中に収めておけば――確実に私が裏世界を制することのできる未来に辿り着けるはずだ。
「しかし……U・B・Aの中枢に潜り込んだのはいいのですが、黒鵜忍の持つ"クロノクロック"を奪うのはなかなか骨が折れそうです」
「うむ……。クロノクロックはなんとしてでも奪いたいが……能力の性質上最も奪うのが難しいからな」
既に77あるメサイアレリックの半数以上を教団が所有しているのだが、残り半分の中にどうしても手に入れたい代物がいくつか存在する。
特に一桁ナンバーのレリックは非常に強力なものばかりであり、それが私の手元にあるか否かで今後の流れが大きく変わるのは明白だ。
だがそれらは日本政府やトップ探索者たちがすでに確保済みのものが殆どであり、なかなか回収することができずにいた。
黒鵜忍の持つ"クロノクロック"もその内の一つだ。
――【メサイアレリック《No.03》――"クロノクロック"】。
黄金に輝く懐中時計のような形状をしているこのアイテムは、所有者が危機に瀕した際に自動的に作動し、自分だけ記憶を維持したまま最大で三時間程度過去に遡ることができるという驚異的な能力を持っている。
この"危機"という部分が非常に曖昧で、クロノクロックを盗むという行為自体がトリガーになる可能性もあり、下手に手を出すとマグマガーの正体だけがバレて時間を戻されるという展開になりかねないのだ。
欠点として、任意で使用することができないのと、再使用するには戻した時間の三十倍のインターバルが必要なため連続使用できないことが挙げられるが、それを考慮しても他に類を見ない破格の性能と言えるだろう。
これを確実に奪うには、まず一度使用させてインターバル期間に狙う必要があり、そのためには所有者の黒鵜忍が危機的状況に陥る必要がある。
「マグマガーはん、苦戦しとるようやなぁ。ワイのほうはこの通り既に一つ確保してきたでぇ」
突如どこからともなく独特の訛りのある喋り方が特徴的な声が響き渡り、祭壇の近くにある柱の陰から一人の人物が現れた。
銀髪に真っ白な仮面を付けた細身の男だ。
仮面は笑顔を浮かべているデザインになっており、男の声質と喋り方も相まって非常に胡散臭い印象を与えてくる。
男は仮面の下でニヤリと口角を吊り上げながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。




