第063話「幽明境を異にする」☆
「く、くそがぁぁぁーーーッッ! こ、この俺があの底辺野郎のパンチで昏倒させられただとぉーーッ!?」
「お、落ち着いてくだされ坊っちゃま!! お身体に障りますぞ!」
犬瀬家の自室にて俺が机を叩いて怒り狂っていると、執事の"瀬場・チャンス"が慌てたように制止してきた。
「これが落ち着いていられるか!? 犬瀬家の長男であるこの"犬瀬 華馬"様が、あんなFクラスのゴミクズ以下のザコに負けただとッ!? こんな屈辱があってたまるかぁーーっ!!」
もちろんただのまぐれであることは間違いないが、人前で意識を失ってしまったのもまた事実だ。
浦霧には動画を公開しないように後で忠告しておくとしても、あの佐東とかいう人気配信者の女のカメラでも撮られていたのがマズい。あいつはきっとあの動画を躊躇なく自分のチャンネルで流すだろう。
なんとかして阻止しなければ……俺は学園中の笑いものになってしまう!!
……いや、今はそれよりもっと重要なことがある。
「じい! "魔法契約書"は地下の金庫にちゃんと保管してあるか?」
「はっ、坊っちゃまの仰せの通り、しっかりと一番奥の幾重にも厳重なロックが施された区画に格納しております」
「よし。今から取りに行くぞ」
たとえまぐれでもあの底辺野郎が実習に合格してしまった以上、既に魔法契約書の効力は発生してしまっている。
俺は次に奴に会ったとき、土下座してこれまでの非礼を謝罪し、その上であのゴミクズ野郎を『さん』付けで呼び続ける生活を送ることになる。もしこれを破れば恐ろしいペナルティが課せられてしまう。
それを回避するためにも、裏技を使って契約書を封印することが不可欠だ。
「じい、部屋の鍵を開けるぞ」
「ははっ!」
犬瀬家の地下には広大な倉庫があり、そこには大量の魔道具や重要な書類などが保管されている。
倉庫に入るには幾つもの暗証番号や指紋認証、網膜検査といった高度なセキュリティを通らねばならず、犬瀬家の人間と筆頭執事のじいくらいしか入ることはできない。
万が一どうにかして侵入者が忍び込んだところで、科学と裏世界の魔道具によるあらゆるトラップが張り巡らされているので、ネズミ一匹たりとも無事に出ることは叶わないだろう。
じいと連れだって様々な認証をクリアして奥にある金庫を目指す。
「坊っちゃま、魔法契約書の効果を封印するおつもりでしょうか?」
「ああ、犬瀬家の持つ時間停止機能のある次元収納袋にぶち込めばその効果を抑えることができるからな」
魔法契約書は世界のどこにあっても自動で発動し、しかも決して破壊できないという性質を持っている。
だが、一般には知られていない裏技として、時間停止などの特殊な機能が付加された収納系のアイテムなどに入れてしまえば効力を停止することができるのだ。
もちろん時間停止系のアイテム自体が非常に貴重なものなので、こういった裏技ができるのはごく一部の大富豪か超一流の探索者に限られるが。
とにかく、次元収納袋の中に契約書を入れてしまえばしばらくは安心だ。その後のことは後日ゆっくりと考えればよい。
「坊っちゃま、到着しました!」
「うむ! すぐに開けてくれ」
「かしこまりました!」
カチャカチャとダイヤルを回して最初のロックを外し、他にいくつもある認証をクリアしてついに分厚い鋼鉄製の扉が開いていく。
「――は?」
「こ、これは一体どういうことでございますか!?」
目の前の光景を見て思わず固まってしまう俺たち。
金庫の中には――――何もなかった。
魔法契約書はもちろん、一緒に保管していた重要書類や高級ポーション瓶も全て綺麗さっぱりなくなっている。
「ば……バカな!? この金庫に限って泥棒など絶対に不可能なはずだ!!」
「ぼ、坊っちゃま……あれをご覧ください!」
じいが震える声で指差す方を見てみると――金庫の奥に小さな紙切れが貼り付けられているのが目に留まる。
『オ~ホッホッホ~! お宝は全て頂きましたわ~!! 【怪盗マドモワゼル】』
――そこにはドリルヘアーを生やした仮面の貴婦人のイラストと共に、汚い字でそんなメッセージが書かれていた。
俺たちは愕然としたままお互いの顔を見合わせたあと、その場に力なく膝から崩れ落ちた――。
◇◆◇◆◇◆◇
「鈴香ちゃん! チャンネル登録者数100万人突破おめでとう~♪ いえ~い、パフパフ~!!」
「ありがとうございます!」
涼木家のリビングにて、リノがクラッカーを鳴らしながら盛大に祝福してくれる。
テーブルにはたくさんの料理が並んでおり、俺の好物である唐揚げやエビフライなどが湯気を立てながら美味しそうな匂いを漂わせていた。
「鈴香さん、今の気持ちをお聞かせください」
「そうですね。やり遂げたというよりは、ホッとしたと表現するのが近いでしょうか。これは絶対に達成しなければならない目標でしたから……」
「ぷぷぷっ! サッカーWCのアジア予選を勝ち抜いた日本代表選手のインタビューみたいなこと言ってる!」
手をマイクのようにして向けてくるリノの質問にキリっとした表情で答えると、彼女はケラケラ笑いながらソファーに寝転がって足をパタパタさせた。
俺はその上にボスっと乗っかって体重をかけてやる。
「スズ~……。私と二人っきりになるとそうやってすぐ甘えてくっつきたがる癖、そろそろ直したほうがいいよ~。もうハイティーンになるんだからさ」
「……うぐっ! む、無意識にやってました。そうですね……もう子供じゃないし、これからは控えます」
「そ、そんな絶望的な顔しないでよ……。くっつくのは別にいいけど無意識で頻繁にするのは気を付けようって話だから」
赤ちゃんの頃からずっとこうしていたせいで気づけば習慣になっていたが、確かにリノの言うとおりだ。もう16歳なんだから、これからは少しずつ距離をとっていかなければならない。
……でも頻繁じゃなければいいと許可も出たので、今後もたまにはくっついておくことにしよう。
リノの上から退いてソファーの隣に座り直すと、二人並んでご飯を食べ始める。
「ところでさ、これで戦女神の聖域に復帰できることになったけど、鈴香ちゃんとしての活動は続けるの?」
昨日のダンジョン実習実況配信で、遂に佐東鈴香のチャンネル登録者数が100万人を達成した。
アーサーたちに課せられた罰ゲームのミッションはこれで完了したので、俺は明日から晴れて戦女神の聖域の"涼木 鈴輝"として戻ることができるようになったのだ。
「せっかくなのでもうしばらくは続けてみるつもりです。配信頻度は少し減らして、戦女神の聖域の活動があるときはそっちを優先する形になると思いますが」
「まあ、今までも戦女神の聖域だけじゃなくU・B・Aでも活動してたもんね。ちょっとハードだけどスズならやれないこともないか」
「はい、それに"奈落"の攻略準備に思ったより時間が掛かっているのでしょう?」
「そう、あそこは私たちでも下手すると死ぬかもしれないくらい凶悪なダンジョンだからね。慎重に行かざるを得ないんだよね~」
そういう事情もあって、アーサーはもうしばらく佐東鈴香としてダン学でゆっくりしていろと言ってくれている。
そんなわけで、当分は今まで通りの生活を続けようかな……と俺は思っていた。
「ちょっとスズ、スマホ見ながらご飯食べないの! お行儀悪いよ」
「すみません、先程投稿したダンジョン実習の編集版動画の反応が気になってしまって……」
修練の塔の最上階は不感地域だったので、攻略の途中で配信をぶつ切りのように終わらせてしまった。
なので視聴者の皆も首を長くして続きを待っているであろうと思い、急いで編集をしてすぐにアップしたのだ。
今回の動画はチャンネル登録者数100万人突破記念ということもあって、かなり気合を入れて作った自信作だぞ。
特に犬瀬と種口くんのバトルなんて、『Aクラス所属の名門犬瀬家の長男 vs 元Fクラスの劣等生。その衝撃の結末とは!?』といった煽り文句も書いて、種口くんが犬瀬をワンパンで倒すシーンとかは、ニナや浦霧のカメラに映っていた映像も借りて三カメ編集をして盛り上げる演出を加えた。
浦霧は「ワイが映像を提供したとか絶対に内緒にしといてや?」と言って快く協力してくれた。
どうやらあいつはあの見た目で本当に悪い奴ではないようだ。
……いや、そう思わせておいて油断させる作戦かもしれない。まだ心を許さないように気を付けよう。ガルルーーッ!
とにかくコメントを見てみようか。
:スズたそと草井の戦い美女と野獣すぎるw
:俺もスズちゃんに鞭で打たれたかった
:あんなキモデブの汗が佐東さんに降りかかってるとかマジで殺意が沸くんだけど?
:でも正直ちょっと興奮したわw
:てか犬瀬負けてて草www
:ワンパン男が成長著しいのはわかるけど元Fクラスで現Dクラスに負けるのはさすがに恥ずかしすぎだろw
:あいつ実家の力でAクラスなだけで実際もっと弱いからな
:なのにいつもイキっててムカついてたから正直清々したわ
:というか種口君かっこよすぎでは? ハァハァ……
:最近ワンパン男の変なファンも増えてきたなぁ
:犬瀬が吹っ飛んでるシーン拡散しようぜww
:浦霧と爾那ちゃんの戦い楽しみだったのになに負けてんだよあいつ
:↑それな。マジで犬瀬つかえねー
どうやらダン学の生徒の書き込みが多いようだ。
犬瀬への批判が予想以上に多いな。どうやら彼は普段の態度で周囲からの評判がよろしくなかったらしい。
逆に種口くんは俺のせいで色々と巻き込まれてしまったけれど、意外とネットでは好意的な意見も多いみたいだな。
「オ~ッホッホッホ~! "怪盗マドモワゼル"、ただいま戻りましたわ~!!」
そのとき、突然リビングの壁から半透明のレイコがス~っとすり抜けるようにして現れ、宙返りをしながら対面のソファーに着地した。
その姿は徐々に立体感を帯びていき、やがて実体化するとテーブルの上に置かれていた紅茶を優雅に飲み始める。
「はい、スズに頼まれていた魔法契約書。ちゃんと盗ってきましたわよ」
「ありがとうございました。後日報酬をお支払いしますね」
「結構ですわ! 報酬は金庫の中からたっぷりいただいて参りましたから!」
レイコから魔法契約書を渡してもらうと、俺は満足気に微笑みながらそれを鞄の中に仕舞い込む。
ニナが犬瀬と契約を交わしてしまったとき、俺は奴にわざとぶつかって鞄の中の魔法契約書に髪の毛を数本絡みつかせておいたのだ。
なので、保管場所は常に把握することができていた。
……ん? 髪の毛を操るのは円樹の能力なのに鈴香が使うのはルール違反じゃないかって?
鈴香は髪の毛を仕込んだだけだからいいんだよ! 探知するときに円樹になればいいだけの話だ。
そして……犬瀬の奴もきっと魔法契約書の効果を封印する裏技を知っていると思っていたので、俺はレイコにお願いして早急に奪取してもらうことにしたのだ。
ちょうど鈴香のチャンネル登録者数も100万人を突破したので、戦女神の聖域の仲間に遠慮なく協力をお願いできるようになったところだしな。
「相変わらずコソ泥に最適な能力だよね~」
「コソ泥ではなく怪盗ですわ!! わたしくの魔術――【幽明境を異にする】にかかれば盗めない物なんてなくてよ~!! ンオ~ッホッホッホッホ~ッ!!」
こんな調子でアホみたいに騒いでいるが、こいつの魔術は本当に凄まじい。
レイコの【幽明境を異にする】は、自分と自身に接触している物体を、実体、半幽体、幽体の三段階に切り替えることができるというものだ。
実体の状態であれば通常通りで特に変化はないが、半幽体になれば物体に物理的に干渉できなくなる代わりに物をすり抜けられるようになり、宙にも浮くことができるようになる。
そして幽体状態にまで進むと、完全に透明になって姿も声も気配も完全に感じ取れなくなる。この状態では如何なる攻撃も受け付けないし、カメラや赤外線などの監視装置も全く通用しないのだ。
更に消費魔力はかなり大きいが、大雑把な座標に自分の幽体を瞬間移動させるという荒業も使えたりする。
まあ、これは距離が延びるほどに凄まじい魔力が必要になるので、普段は精々23区内程度の距離しか飛べないらしいが……それでも十分に便利すぎる力だ。
だが、この能力の最も恐ろしい点は、任意の部分を幽体と実体を自由自在に切り替えられる点だろう。
例えば戦闘の際、肉体だけ半幽体にして無敵の状態にしつつ、持っている武器だけを実体化させて攻撃したり、相手の武器や防具を掴んで幽体にし、するりと盗み取ったりもできるというわけだ。
レイコを倒すには、幽体を攻撃する類の魔道具や魔術を持ち、尚且つ膨大な魔力を有する彼女を単純に戦闘能力で上回る必要がある。
正にSランク探索者に相応しい反則級の魔術といえるだろう。
「ちょ、ちょっとレイコ! これエリクサーじゃん! さすがにマズいでしょ、返してきなよ!」
レイコが戦利品をテーブルの上に広げたのを横目で見ていたリノが、驚きの声を上げる。
するとそこには、数本のマキシポーションの他に、戦女神の聖域ですら二つしか所有していない伝説級の回復薬、エリクサーが一本紛れていた。
こ、こんな物まで盗って来たのかよ!?
これはいくら犬瀬家の息子と因縁があるとはいえ、さすがに大問題になりかねないぞ。
「いえ、問題ありませんわよ。これ、表には出せないアイテムみたいですし」
「どういうことですか?」
「魔法契約書の隣に怪しい書類の束が置いてありましたので、ついでに拝借しましたの。それをアーサーに見せたら、なんか犬瀬家がすっごい悪いことしてたみたいですわ~」
「すっごい悪いことってなにさ?」
「さあ? あとは任せろとアーサーが言ってましたので、わたくしはよく分かりませんの。まっ、とにかくすっごい悪いことして手に入れた表には出せないアイテムみたいなので、押収しても構いませんでしょう? オ~ッホッホッホ~!」
「「ならまあいいか~」」
俺とリノは同時に頷くと、食事を再開する。
別に俺たちは正義の味方じゃないので、悪党がアホな怪盗から貴重品を盗まれたところで特に同情などは感じないのだ。
「あらっ、その唐揚げ美味しそうですわね! いただきますわ~!!」
「駄目ですよ! それは私のメインディッシュですから――――あれ?」
「オ~ホッホッホ~ッ!! 唐揚げは既に全て半幽体にさせていただきましたので触ることはできませんわ~~!」
「あーーーっ!? ああああぁぁぁぁぁ~~~!!」
「今、お皿全体にレモン汁を振りかけてから返して差し上げますのでしばしお待ちくださいまし~」
「そ、それだけはやめてください~~!」
お、俺は唐揚げにレモン汁をかけられることがこの世で8番目に嫌いなんだよ!
唐揚げを奪われた俺は、立ち上がってリビングの上空を飛び回るレイコを追いかけ回す。
「ちょっと~……食事中くらい静かにしてくれないかな~……」
リノの呆れたような呟きが聞こえてくるが、俺は今にも皿の上にレモン汁をぶっかけようとするレイコから何とか唐揚げを奪い返すべく、必死に追いかけっこを繰り広げるのだった――。




