第058話「種口迅vs犬瀬華馬」★
佐東さんが帰還の宝珠でダンジョンを後にすると同時に、俺は犬瀬の正面に対峙した。
もはや留年するしかないという状況を、彼女がここまで繋いでくれたんだ。絶対に無駄にはさせない。
だが、佐東さんの教えてくれたあの技は、結局練習で一度も成功することがなかった。あれを成功させないと……犬瀬には勝てないだろう。
本当に……あんな超人的な芸当が俺なんかに出来るのか?
「おい、浦霧! ちゃんと撮っておけよ? この底辺野郎が無様に俺の足元にひれ伏す様をな!」
「わかっとるって。あとで【ダン学Sクラス】のサブチャンネルで映像公開することも承諾済みや。……はぁ、なんでワイがこないな仕事をせなあかんねん」
「くくく……それじゃあ始めるか」
犬瀬の全身から魔力が立ち昇り、ビリビリと空気を震わせた。
まだ何もしていないのにすごい圧迫感だ。爾那によると犬瀬の実際の実力はCランク程度らしいが、それでも今の俺より圧倒的格上なのは間違いない。
「最初に言っておくが、俺は武器も卑怯な手も一切使わねーぞ。この拳一本でお前を捻り潰してやる! それが真の強者の余裕ってもんだからな!!」
「望むところだ」
「ほな始めるで~。副将戦、犬瀬対種口――――始め!!」
浦霧が両手をパンッと叩くと同時に犬瀬が動き出し、一直線に俺の方へと向かってくる。
「おらぁっ!!」
「――がっ!?」
右の拳が振るわれ、俺の左頬を正確に捉えた。
口の中が血の味でいっぱいになり、左耳がキンキンと甲高い音を鳴らし始める。
……ぐっ、駄目だ。"魔法戦士の腕輪"で身体強化した程度では犬瀬の拳の速度を目で追うことすらできない。受け流すなんて不可能だ。
やはり【鬼眼】を使ってガードするしかない。
「はっ、その程度か? カメラの前で無様な醜態を晒す前に、ギブアップしてもいいんだぜ?」
「……冗談じゃない」
「迅~~~!! 頑張ってぇーーーっ!!」
後ろから爾那の声援が聞こえてくると、犬瀬は露骨に顔をしかめる。
「……チッ、クソが! なんでてめーみたいなゴミムシ野郎が女二人とパーティ組めて、俺はくっせーデブと怪しい関西弁野郎と組まなきゃいけねーんだよ! ふざけやがってっ!!」
「お前のパーティメンバーは俺の責任じゃないだろ……」
「うるせぇ!! 全部てめーがわりーんだよ! オラァッ!!」
「くっ――【鬼眼】!」
俺は【鬼眼】を発動させて、迫り来る犬瀬の拳を左手の手甲で受け止める。
この状態なら十分目で追うことができるし、魔術によるガードがあればほぼノーダメージで攻撃を防ぐことも可能だ。
だが――
「はははは! それがワカラセマンの攻撃を防いだっていう底辺魔術かよ! だけどもうネタは割れてんだ。……てめー、防御はできるがその状態で攻撃することはできねえんだろ?」
「――っ」
さすがに気づかれたか……。
格上の人間との一対一の戦いにおいて、このハンデは致命的だ。パーティ戦なら壁役として機能するが、タイマンでは結局のところ【鬼眼】で攻撃ができなければ意味がない。
「オラオラオラァ! どうしたゴミクズ野郎! てめーの力はそんなもんかぁ!!」
「ぐぅぅっ……!」
「馬鹿な女どもはワカラセマンの攻撃をしのぎ切ったお前を褒め称えてるみてぇだが……結局はただのサンドバッグじゃねーかよ! 底辺のてめーに相応しいゴミみてぇな魔術だなぁ!」
「――――ぐぁッ!?」
……くそっ。どうすればいいんだ。
やはりアレを成功させるしか――
「ちっ……しかしかてぇな。てめぇその腕輪……相当レアな身体強化系の魔道具だろ。なら俺も一つくらい使わせてもらうとするか」
犬瀬は懐から団子のような物を取り出すと、ポイっとそれを口の中に放り込んで噛み砕く。
するとびきびきと腕の筋肉が膨れ上がり、身体に纏う魔力もより一層増していった。
「ふぅ~……犬瀬家の魔術料理人に作らせた"強化きびだんご"だ。卑怯とは言わせねぇぜ? てめぇも同じような魔道具使ってんだからこれで同条件だ。……いくぜ底辺野郎――オラァ!!」
「――がふっ!?」
「迅っ!!」
一瞬にして距離を詰めた犬瀬の拳が脇腹に突き刺さり、俺はそのまま闘技場の壁まで吹き飛ばされて激突する。
背中から地面に落下すると、思わず胃液が逆流して口から吐き出してしまう。
マズい、【鬼眼】でガードしてもこの威力! このままじゃ押し切られる!
「そらぁっ!!」
「――がっ!?」
「おらおらぁ!! 無様だなぁ~。これでテメェは留年、いずれ退学確定だ!! 長南は晴れて俺のメイドとなる! 俺様のためにたっぷり尽くしてもらうぜぇ!」
「っ……」
犬瀬は何度も拳や蹴りを俺の胸や腹に振り落としてくる。
【鬼眼】で防御している俺は抵抗できずに、ひたすら殴られるばかりだ。
「そうだ、あの佐東とかいう女も犬瀬家の力で俺専属のメイドになるように仕向けるか。あの顔にスタイルだ。じゅるり……俺好みに開発しまくってやるぜ」
「お前、いい加減に……しろよ」
「迅、落ち着いて!! 敵意を持ったら【鬼眼】の効果が切れる! 鈴香との特訓を思い出して!」
「……っ!」
そうだ。怒りで我を忘れたら駄目だ。冷静になれ。
深呼吸を繰り返して気を静める。佐東さんの言葉を思い出すんだ。
――魔術とは自分との闘いです。
目を瞑って心を落ち着かせると、彼女の優しい声色が脳内で蘇り、特訓の日々が鮮明に思い起こされる――
……
…………
………………
◇◆◇
魔術はその人物の深層心理が強く反映される。
つまり魔術は己自身の鏡とも言えるのだ。
初めて魔術を発現させた人間は、その瞬間、心にはっきりとした心象風景が浮かび上がるという。
俺の場合で言えば、それは『屈強で誰にも負けない最強の自分』をイメージしたものだった。
姉さんが全てを飲み込むモノに呑み込まれた数日後のことだ。後悔と自分の無力さに打ちひしがれていた俺の頭に、突如として流れ込んできた不思議なビジョン。
心象風景の中の俺は、真っ赤な瞳で周囲を睥睨しながら悠然と佇んでいた。
肉体は鎧のような筋肉に覆われており、額からは左右二本の鋭い黒角が伸びている。
その姿はまさに"鬼"。圧倒的な力を内包した最強の怪物の姿がそこにあった。
だが、鬼の俺は誰彼構わず暴力を振るい、見境なく破壊を繰り返す悪鬼でもあった。このまま元の世界に戻ると、きっと俺は周囲への迷惑を考えずに暴れ回ってしまうだろう。
力は欲しい、だけど人を傷つけるような怪物にはなりたくはない。
……そうして生まれたのが、強大な力を持つが決して人を害することのない、優しい鬼だった――。
「素晴らしい判断だったと思います。もしその選択をしていなければ、おそらくあなたの魔術は力と引き換えに理性を手放す類のものになっていたでしょう」
魔術が発現したときの話を佐東さんに聞かせると、彼女は大きく頷いて賛辞を述べてくれた。
「……でも、おかげでずっと攻撃手段がないんだよね。このままの状態だとやっぱり犬瀬には勝てないだろうし、探索者として大成するもの難しいと思う」
「迅くん、【鬼眼】を使ってもらえますか?」
「え?」
「とりあえず20パーセントでお願いします」
「わかった」
俺が魔術を発動すると、佐東さんは少しだけ目を細めながらこちらにゆっくりと歩いて来る。
「そのまま全ての魔力を右の拳に集中させてください」
「了解」
魔力を操作して一ヶ所に集めるのは、かなり神経を削る作業だ。
通常の状態であればこれだけの魔力を動かすなんて到底無理だが、【鬼眼】を発動させた状態ならなんとかできる。
バチバチと稲妻が走るようにして魔力が右手に集束していく。
「……ふむ、素晴らしいですね。20でこれなら30以上なら犬瀬くんくらい一撃で倒せるんじゃないですか?」
「人間を殴れないという制約がなければそうかもね……」
「では、そのままの状態で【鬼眼】を解いてください」
「……え? そんなことしたら――」
「大丈夫ですから。ほら、早く」
「う、うん……」
【鬼眼】を解いた瞬間、右手に集中した大量の魔力が全く制御できなくなり、あっという間に拡散してしまう。
俺は反動で痺れた右手を押さえながら、その場に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……。い、今の行為に一体なんの意味があったの?」
「……なるほど、やはり【鬼眼】で発生した魔力は解除しても消えないんですね」
「どういうこと? 今消えちゃったと思うんだけど……」
「いえ、消えていません。今のは迅くんが【鬼眼】を解いたことによって魔力操作の精度が著しく低下したため、集めた魔力を留めて置くことができなくなっただけです。魔力自体は消えてなかったんですよ」
「どの道消えちゃったんだから同じことじゃないの?」
「違います。もう一度同じことをしてもらえますか?」
佐東さんの考えていることがよくわからない。こんなことをしてなんの意味があるのだろうか。
だけど彼女の言うことで今まで間違っていたことはない。ここは大人しく従ってみよう。
再び【鬼眼】で魔力を漲らせると、それを全て右の拳に一点集中させる。
「今度は解除する前に手を出してください」
「……?」
「ぎゅっ~~~~」
「ちょ!?」
俺の右手に佐東さんの小さくて柔らかい右手が重ねられた。
まるで恋人のように指の一本一本まで絡ませられて、心臓の鼓動が急激に高まっていく。
「さ、佐東さん!? ちょちょちょ――」
「――集中」
「あ……」
その瞳は澄み渡った湖畔のように静かで、一遍も浮ついた様子が感じられない。
……はずかしい。彼女はいつもシンプルで合理的な判断をする。必要があるからこの行為を行っているだけで、それ以上の感情など欠片もないというのに。
「ごめん……もう大丈夫だから」
「わかりました。ではこのまま【鬼眼】を解いてください」
「う、うん……」
魔術を解除した瞬間、再び右手に集めた大量の魔力が拡散するかと覚悟していたが――何故か全く暴発せず、しっかりと凝縮されたままその場に留まり続ける。
「え!? なにこれ? どうして!?」
「はぁ……はぁ……。わ、私が迅くんの右手に干渉して魔力が拡散しないようにコントロールしています」
――あ、ありえないッ!!
魔力操作というのは、本来とても難しくて繊細なものなんだ。
こんな大量の魔力を右手に留めるなんて、俺からしたら小さな針穴に常に糸を通過させ続けているようなものだ。
ましてや他人の肉体に干渉しながらそれを操るだなんて……それこそ高速で動くミシンの針穴に糸を通し続けるような神業だぞ!
……こ、この娘は本来ならこんな場所に居るような人間ではないのではないか?
俺みたいな劣等生の魔術指南なんかしてる場合ではなく、もっと別の場所で、輝かしい偉業を成し遂げることのできる逸材なのではないか?
ポタ……ポタ……っと大量の汗が佐東さんの額から滴り落ちていく。彼女の細い首筋を伝い落ちていく汗粒が妙に艶めかしくて美しい。
「こ、こっちへ……」
俺と手を繋いだまま、近くにある大岩のところまで移動する。
そして彼女は俺の拳をそのまま大岩へと叩きつけた。
――ドゴォンッッ!!
凄まじい轟音と共に大岩はバラバラに粉砕されてしまい、粉塵が嵐となって周囲に飛び散っていく。
佐東さんは「ふぅ~……」っと大きく息を吐くと、ゆっくりと手を離して俺から離れた。
「はぁ……はぁ……。わかりましたか? 今、迅くんは【鬼眼】を使ってない状態で【鬼眼】と同等の魔力量の攻撃を繰り出せました」
「……あっ!」
「【鬼眼】を発動させて大量の魔力を右手に蓄え、解除してから殴る。これで人間を攻撃できないという制約をクリアできます」
「な、なるほど……。でもこれをやるには素面の状態で魔力を留める技術が必要になるよね?」
「ですから、訓練するんです。今ので大体の感覚は掴めたはずです。わからなかったら何度でも私がやってあげるので遠慮なく言って下さい」
「ちょ、ちょっと待って! こんなの基礎を通り越した高等テクニックだよね? まずはもっと簡単なステップから――」
「不要です。あなたは今後――右手に魔力を留める、それだけの練習をしてください。他のことは一切する必要はありません」
「で、でも……! 学園でも基礎を疎かにしていきなりこうした高等技術をやろうとする人間は愚かだって先生たちが――」
「あなたは魔術師です。魔術は人それぞれ違う個性のあるもの。他の人と一緒のことをする必要はないんです」
「あ……」
――なぜ皆と同じことができない? 皆これくらいのことは当たり前にできるぞ?
「あなたは【鬼眼】を使えばそれだけで魔力量と魔力操作の精度が著しく上昇し、一流の魔力使いと同等の力を得られます。ですからあなたには基礎訓練など一切必要ない。魔術の練度を高めて行けば、それだけでトップクラスの探索者になれます。あなたには他にはない特別な才能がある」
――残念ながら君には探索者としての才能がないよ……。探索者を目指すよりも他の道を探しなさい。
「誰かのピンチに命を懸けて駆けつける。人はそう言った妄想をよく抱きますが、実際にそのような場面に遭遇したとき、命を投げ打って助けに行ける人がどれだけいるでしょうか? あなたは私や見知らぬ女子高生のために、死を恐れずに助けに行った。あなたには確かな勇気があります」
――腰抜けが! ロクに喧嘩すらできねーのか? てめぇはよぉ!!
「どのような目標を持ってもいいじゃないですか。厄災魔王の一欠片を倒す、きっとそれは他の人には理解し難いものかもしれません。けれど、あなたはあなたの道を進めばいい。あなたの人生に他人は関係ありません。あなただけの物語を紡いでいけばいい。他の誰が笑っても、決して私はあなたを笑わない」
――厄災魔王の一欠片を倒す? ぎゃははははっ! こいつマジかよ! 頭おかしいんじゃねーのか!
「あなたはきっと強くなる。それこそ、いずれ厄災魔王の一欠片を倒せるほどに。私が保証します」
「……本当に?」
「私が迅くんと出会ってから、嘘を吐いたことがありますか?」
「……な、い」
俺の頬を暖かい何かが濡らしていく。
それは次々と溢れ出て止まらない。いつの間にか視界が霞んでしまっていて、彼女の表情がよく見えない。
「存分に泣いてください。そして涙が枯れたら、また一緒に特訓しましょう。いいですか? 魔術とは自分との闘いです。決して自分を見失わないことです。そうすればきっと――あなたは望む未来を掴み取ることができるでしょう」
………………
…………
……
◇◆◇
「オラオラァ!! なにボケっとしてやがる! 遂に戦意喪失したか! ギャハハハ!!」
「……」
犬瀬の高笑いが聞こえる。身体にも痛みを感じる。なのに不思議と心は穏やかだ。
もう迷いはなくなった。これは犬瀬との戦いではなく、自分自身との闘いなのだ。
「ふぅ~……そろそろトドメといくか。おい浦霧! カメラはちゃんと――」
「――【鬼眼】……30パーセント解放」
「……あ?」
ビキビキと骨が軋む音が聞こえる。これが現在俺が致命的な反動なく使用できる限界点だ。
普段の倍以上もの魔力が全身に充満し、まるで別人になったかのような全能感が湧き上がってくる。
「……っ、けっ。何をしようが無駄なんだよ! いくら魔力と身体能力が上がっても攻撃できないんじゃなぁ! 俺が一方的に殴り続けて終わりだ!!」
犬瀬がなにか言っているが、ほとんど耳に入ってこない。今は目の前のことに集中したい。
佐東さんに言われた通り、右手に全ての魔力を一点集中するイメージ。
「な、なにしてやがる……。手に魔力を集めたところでどうせ攻撃できねーんだから無駄だろ!!」
ザっと犬瀬が一歩下がる音が聞こえた。
ここからが一番の山場。【鬼眼】を解いても右手に魔力を留めなければならない。
思い出せ、佐東さんと行ったあの日の特訓を。俺の手は今、彼女に握られている。
……その繊細で柔らかな感触が脳裏に蘇ってきた。
――さあ迅くん! あなたならできます!!
「ふぅ――」
ゆっくりと息を吐き出し、気持ちを整えてから魔術を解いていく。
すると先程までの全能感は消えたが、右手にはバチバチと閃光が走るほどの魔力がしっかりと留まっている。
数秒間も持たないだろう。だが、それで十分だ。
俺がやることはこれを犬瀬の顔面にぶつけるだけなのだから。
「おい……? お、お前さっきからなにしてやがる……」
「俺だって……本当はムカついてたんだ」
いつも大勢の前でコケにされて、殴られて、蹴られて、罵られて。
けど、へらへらしてやり過ごすことしかできなくて。
俺だって男なんだ。プライドはある。本当はいつもこいつをぶっ飛ばしたいと心の奥底では思っていた。
それが――今はできる。俺は今、【鬼眼】を使わずに右手にこれだけの魔力を留めているのだから。
「……ま、待てよ。それで殴る気なのか? それほどの魔力を込めた拳を食らったら――」
犬瀬の顔面に向けて右手を掲げる。
「お、俺は犬瀬家の長男だぞ!! 俺に危害を加えればお前はただじゃ――」
――ベキ、ボキィ、バキィッ!!
「ぐぼぉおおおおおおおおおおおっ!?」
犬瀬が言い終わる前に拳を繰り出すと、奴は悲鳴を上げながら空中へと吹き飛んでいく。
宙には歯や血しぶきが舞い上がり、闘技場全体に衝撃波が広がる。
そのまま数十メートルほど吹っとんだ犬瀬は、闘技場の壁にめり込んでぴくりとも動かなくなると、光に包まれて消えていった。
「あ~……副将戦、勝者種口ぃ~。これで二勝なので種口チームの勝利やな。……ワイはちゃんと仕事したからな。犬瀬家は後でいちゃもんつけたらあかんで」
浦霧がカメラに向かって終了宣言をすると同時に、俺は全身の力が抜けてその場に倒れ込んだ。
種口くん視点ではヒロイン力が高すぎる佐東さんですが、残念ながらタイトル通りヒロインではありません!




