25:護衛騎士の葛藤
一昔前は、タウナー王国とペンフォード王国の間に小競り合いが絶えなかったと聞く。
だが、それも昔の話。その頃も国境付近での小競り合いばかりで、国を挙げての大規模な戦争が行われたのは、百年以上も前のことだ。
この世界でも、戦争なんて縁の無い話だとばかり思っていた。
それが、どうして。
もしタウナー王国とペンフォード王国の間に戦端が開かれたなら、戦場となるのは国境――お母様の実家であるヒントン辺境伯領だ。
「なん……で……」
私は部屋を辞すことも忘れ、呆然と立ち尽くした。
その言葉が聞こえたのかどうかは分からないが、ウィンストン王子が言葉を続ける。
「長兄であるショーン王子は、長年迷い子を手に入れる為に策を弄してきました。それに対抗するべく、次兄とすぐ上の兄が手を組んだと……」
タウナー王国には、四人の王子が居る。
立太子前に国王は病床に伏し、次期国王の座を巡って第一王子と第二王子の支持者で国が二分されていると聞く。
隣国の情勢は私でも知っていたが、まさかそこに迷い子の話が関わってくるだなんて。
迷い子を手に入れる為に、そして戦果をもって兄より優位に立つ為に、我が国に戦争を仕掛けるとでも言うのか。
「ルーシー!?」
理解した瞬間、溜まらず私は走り出していた。
キャロルの制止を振り切り、伯爵邸の階段を駆け下りる。
「チェスター、チェスターは居る!?」
伯爵邸の厨房を覗けば、案の定そこに探し人が居た。
「うおっ、どうしたお嬢」
「暢気につまみ食いなんてしている場合じゃないの、お願い、すぐに馬を出して!」
チェスターの手を引いて、屋敷の裏手にある馬房へと向かう。
私の様子に異変を察したのか、黒猫が軽やかな足取りで私の後を追ってきた。
「馬を出すって、どこにですか」
「ヒントン辺境伯領、伯父様のところ!」
事情を知らないチェスターは、戸惑いの表情を見せている。
そうこうしている間にも、私を追うキャロルの声が屋敷の方から聞こえてきていた。
「急いで、お願い!」
キャロルや伯爵様に話せば、引き留められるに決まっている。
ウィンストン王子を名乗る彼の話が本当ならば、ヒントン辺境伯領は戦場となるのだ。
そんな場所に、戦うことの出来ない令嬢を向かわせる訳がない――普通に考えたなら。
でも、私には悪魔達が居る。
彼等の力を借りれば、何とか出来るかもしれない。
ヒントン辺境伯領にはお母様の兄である辺境伯様と、私の従兄ハーヴィー・ヒントンが居る。
領地が離れている為に滅多に会うことは出来ないが、二人ともとても優しい、私にとっては大事な親戚だ。
そんな彼等を見捨てる訳にはいかない。
「ああ、もうどうなってんだ」
戸惑いながらも、チェスターが私を抱き上げて馬に跨がる。
二人乗りで私を前に座らせ、馬の腹を蹴る。
私の腕には、黒猫のバールがしっかりと抱かれている。
タウナー王国から男の子が一人で海を経由してここまでやって来たのだとしたら、ペンフォード王国への出征計画は、現在どの程度進んでいるのだろうか。
伯爵様の様子を見るに、今はまだヒントン辺境伯領から侵略を受けたという一報は届いていないはずだ。
既に交戦状態にあるのか、それともこれから戦端が開かれるのか。
どちらにせよあの少年の話が真実ならば、すぐにヒントン辺境伯領に駆けつけた方が良い。
「お願い、急いで!」
私の声に応じるように、チェスターが馬に鞭を入れる。
デイヴィス領からヒントン辺境伯領までは、馬を走らせたらそこまで時間はかからないはずだ。
焦る心を静めるように、ぎゅっと黒猫を抱きしめる。
「急ぐのは良いけど、少しは事情も説明してくれ」
チェスターの言葉は、もっともだ。
馬上で風を受けながら、唇を開く。
「タウナー王国がペンフォード王国に攻め込むかもしれないって……そんな話を聞いたの」
「はあぁぁ!?」
上擦った声と共に、チェスターが手綱を引く。
馬が急激に速度を落とし、流れていた周囲の景色が止まる。
「そんなところに向かうなんて、正気か!?」
馬上で、チェスターの怒声が響いた。
常日頃から言葉遣いを注意され、特に私への態度がなっていないと怒られる彼だが、その心は忠義の人だ。
人情に厚く、面倒見が良い。
私がまだ幼い頃から我がティアニー家に仕えてくれていることもあって、私のことを実の妹のように可愛がってくれている。
そんなチェスターが、本気で声を荒らげている。
「すぐに引き返そう」
「待って、お願い!!」
馬を方向転換させようとするチェスターを、慌てて制止する。
どう説明すれば良いのだろう。
私が行けば、何とかなるかもしれない。
でも、チェスターにとっての私は、ただの子供。
戦う力を持たない、主家の令嬢だ。
「私に考えがあるの。だから――」
「考えがあるからといって、お嬢を危険に晒す訳にはいかない」
チェスターの答えは、取り付く島もない。
彼は私の護衛騎士で、私の安全を第一に考える立場だ。
そう判断するのが普通なのだろう。
でも、私だってここで「はい、そうですか」と大人しく引き返す訳にはいかない。
「チェスター、これは命令よ。私をヒントン領に連れて行って」
チェスターは黙ったままで、何も答えない。
振り返るようにして彼の顔を見上げようとしたら、大きな掌で止められてしまった。
「一応ねぇ。俺の雇い主はお嬢じゃなく、公爵様なんだ」
「知ってる。でも、貴方は私の専属でしょ」
「だからってなぁ……」
はぁぁぁ……と、頭上から大きなため息が降ってきた。
「お嬢を戦場に連れて行ったなんて知られたら、確実に俺の首が飛ぶ……」
「そんなこと、私がさせないから!」
お父様なら、ある程度の事情は汲んでくださるはず。
そこら辺の事情を説明出来ないのが、何とももどかしい。
「ねぇ、お願い、チェスター!!」
大人の理屈で考えたら、ここで引き返すのが正解となるのだろう。
だからもう、ここからはひたすらに言葉を重ねるしかない。
説得出来ないなら、頼み込むまでだ。
「ヒントン領には、伯父様とハーヴィー兄様が居るの」
そう。大事な伯父と、従兄が居る。
私なら、いや私が連れている悪魔ならどうにか出来るかもしれないのに、大事な人達を放っておくなんて出来る訳がない。
「あーもう!」
私の頭上で、チェスターががしがしと頭を掻いた。
「お嬢、分かってんだろうなぁ。戦場は遊びで行くような場所じゃねぇんだぞ」
「分かっているわ」
チェスターの言葉に、力強く頷く。
「いいかお嬢、絶っっっ対に俺から離れるなよ!!」
「うん!!」
再び馬がスピードを上げて、ヒントン辺境伯領に続く道をひた走る。
私達のやりとりを静かに見守っていた黒猫が、機嫌良さそうに鳴き声を上げた。
悩ませてごめんね、チェスター。
こうして二人と一匹を乗せた馬が、真っ直ぐにデイヴィス領を北上していった。
馬の蹄音が木々の間に反響し、冷たい風が頬を掠める。
北へ進む度に、空気の緊張が肌に沁みるようだった――。









