幕間:悪魔は蹂躙する
海での戦は、陸での戦と本質が違う。
陸で戦う場合には、接敵して相手から攻撃を受けることでダメージを負う。
だが、海では接敵如何に関わらず命の危険を伴う。
船から一歩足を踏み外せば、そこは大海原。
ちっぽけな人間の命など、容易く刈り取ってしまう。
それを分かっているからだろう、人間達は仰々しい船を用意して、その上で精一杯の虚勢を張っていた。
軍船の上で兵を指揮するのは、地獄で六十もの軍団を指揮する生粋の兵法家アビゴールだ。
彼奴が率いている以上、この戦に負けはない。
だが、海の上では如何なアビゴールとて、本領発揮は出来ないだろう。
クラーケンは、所詮はただの大きくなりすぎた魔物――巨大なイカだ。
ろくな知性もなく、ただ闇雲に人を襲うのみ。
恐るるに足らず。
しかし海という絶対的な立地が、クラーケンを強者にしていた。
船の上から攻撃を行うのでは、あまりに効率が悪い。
何より、あのイカは不利になれば海中に引っ込んでしまう。
そうなれば、陸の生き物達には為す術がない。
これがクラーケン退治が難航する一番の理由だ。
「まったく、仕方ないわねぇ」
お嬢は、優しい。
優しすぎるくらいだ。
アビゴールの実力を信じていない訳ではない。
だが、彼女は兵達に犠牲が出るのが嫌なのだろう。
その甘さ、嫌いになれないのよねぇ。
仕方ないから、アタシが一肌脱いであ・げ・る。
ぴしゃんと、水飛沫が飛ぶ。
アビゴールが指揮する軍勢は的確にクラーケンを包囲しているが、それでも唯一塞ぎきれない場所がある。
それが海中だ。
ざぶんと、海に潜る。
寸前、船の上で兵を指揮する知将と一瞬目が合った気がした。
アビゴールが率いているんだから、どうなっても平気でしょう。
それくらいの信頼は置いている。
銛と魔法で傷付いたクラーケンが、もう何度目になるか分からない海中への逃走を試みる。
その瞬間船上で指揮官が号令を発し、何艘もの船が勢いよく引いていった。
いい判断だわ。
兵士達は訳が分からないだろうけど、それでもアビゴールの指示に従ってくれている。
良い部下達ね。ちゃんと統率が執れている。
海中を潜れば、すぐにクラーケンと遭遇した。
人間姿のアタシとでは、比べものにならないほどの巨大さ。
うねる足を伸ばせば、小さな森の一つくらいは飲み込むんじゃないかしら。
クラーケンにとって、海に落ちた人間などただの餌に過ぎないのだろう。
吸盤のついた足を伸ばし、ぐわりとこちらに迫ってくる。
でも、残念ね。
海を住処としているのは、アナタだけじゃないの。
本来の姿を解放すれば、海が悲鳴を上げる。
湾全体がぐらりとうねり、波打ち際の岩が音を立てて崩れ落ちる。
クラーケンの伸ばした足が、水中を無様に掻く。
ふふ、きっと自分より大きな生き物なんて見たことないんでしょうね。
こんな小さな湾内で王様気取りだったようだけど、こういうのって何て言うんだっけ。
東洋では確か、井の中の蛙とか言っていたような……?
アタシにかかれば、アンタこそただの餌に過ぎないの。
お得意の海で、逃れることも出来ず、ただ一方的に蹂躙されるだけの恐怖――
……存分に味わうがいいわ。









