93:これからの二人
──深夜、眠れずに一人寝室のバルコニーに出る。
夜風が冷たく、頬を撫でる。
色々なことがあって、考えが纏まらない。
私を悩ませた当の本人……もとい本猫は、ベッドの上で丸くなって眠っているのだから、気楽なものだ。
公爵邸の自室は、中庭に面していた。
甘い花の香りが、夜風に交じって鼻を擽る。
「……ルーシー?」
その風に、微かな声が入り交じった。
「……?」
こんな時間に、誰が中庭に居るというのだろう。
バルコニーの手摺りに手をかけ、下を覗き込む。
「……ジェロームお兄様?」
色とりどりの花々が咲き乱れる庭園。
その中央に、兄の姿があった。
月の光に照らされた銀の髪。
夜空の星よりも強い光を秘めた瞳が、じっとこちらを見上げている。
「どうしたのですか、こんな時間に」
距離があるからか、自然と声を張ってしまう。
「君こそ、どうしたんだ。眠れないのか?」
「私は……」
神様不在の世界について思い悩んでいたなんて、言える訳がない。
仕方なく、曖昧に笑みを浮かべて誤魔化してしまう。
「寝付けなかったんです」
「そうか……」
庭園を歩くお兄様の足が、バルコニーの真下で止まった。
傍らに生えたオークの木を見上げ、その枝に手を伸ばす。
「え?」
枝を掴んだまま、木の幹に足を掛ける。
そのまま、器用に掴む枝を変えながら、オークの木をよじ登る。
「……お兄様、何をしているのですか?」
「はは、たまにはいいだろう」
いつの間にか、お兄様の目線は私と同じ高さにあった。
枝を掴んだまま、木の幹に寄り掛かり、太い枝に腰を下ろす。
お兄様が動く度に、木の葉が揺れる。
彼が落ちやしないかと、つい心配になってしまう。
「もう、そんなことをして……怪我でもしたら、どうするんですか」
「そこまでドジではない」
どこか得意げなお兄様を、ジト目で睨み付ける。
そんなことを言われても、心配になるのは仕方が無い。
暗い夜の庭でいきなり木登りを始めるなんて、何を考えているんだか。
「ルーシー……」
お兄様が、私の名を呼ぶ。
どこか切ない声音は、木の葉が風に揺れる音に掻き消されてしまいそうなほど。
「なん……ですか、お兄様」
ドクンと、心臓が鳴る。
真っ直ぐ見つめられて、どうにも落ち着かない。
こんな時間に、誰も居ないバルコニーで、二人きり……兄とはいえ、緊張するなという方が、無理な話だ。
「その、“兄”というの……やめてくれないか?」
「──っ」
別の意味で、心臓が跳ね上がった。
彼の言葉の意味を図りかねて、じっと木の枝に座り込んだジェローム兄様を見つめる。
長い前髪に隠れて、その表情を推し量ることは出来ないけれど。
「ずっと、待っていたんだ……この時を」
「この時?」
私が首を傾げると、お兄様が弾かれたように顔を上げた。
いつもは冷静な顔が、珍しく緊張で強張り、僅かに赤らんでいる。
「もう、俺達に血の繋がりが無いことは証明された。だから……兄ではなく、一人の男として接してほしいんだ!」
「あ……」
心音が、うるさく鳴り響く。
きっと、私の顔はお兄様以上に真っ赤に染まっていることだろう。
どうしよう。
どう答えたらいい?
あれこれ思い巡らせても、答えは見付からない。
ただ一つ、言えることは……、
「私が、妹でなくなっても……大事に、してくれますか?」
「──当たり前だ!!」
力強く告げる声。
今までの関係性が壊れてしまうのは、正直、怖い。
でも……これからの人生を誰かと歩むのだとしたら、一番最初に思い浮かぶのは、お兄様の顔。
「……すぐには、呼び方を変えられるかは分かりませんが……」
今まで染みついた呼び名は、早々に変えられるものではない。
それに、きっと恥ずかしい時、照れ臭い時……私は、お兄様と呼んで逃げてしまうだろう。
それでも──、
「私も……一人の女性として、お兄様と一緒に居たいです」
「ルーシー……」
お兄様の足が、木の幹を蹴る。
バルコニーに降り立った彼は、迷うことなく、私の身体を抱き寄せた。
「あ……」
ふわりと、お兄様の香りに包まれる。
……温かい。
夜風に冷えた身体が、今度は熱く火照っていく。
「妹だなんて、思ったことはない。ずっと……好きだったんだ」
お兄様の指が、優しく頬を撫でる。
思えば、お兄様はいつも側に居てくれた。
いつだって私を守って……そして、励まし続けてくれた。
そりゃ、少し過保護なところもあったけどね。
「ルーシー……」
少しずつ、お兄様の顔が近付いてくる。
吸い込まれるように目を閉じて、彼の腕に身を委ね──、
「ちょっとジェローム、お付き合いはちゃんと順を追ってなさい!!」
……ようとして、甲高い声が響いた。
この声は、お母様の声だ。
「んな──!?」
慌ててお兄様と離れ、周囲を見渡す。
気付けば、屋敷中の皆が窓やバルコニーから顔を出し、あるいは中庭に出て、私達の様子を見守っていたようだ。
「結婚は反対しないが、これまでは兄と妹だったんだ。少しは時間を置いた方が、要らぬ誤解を招かずに済む」
お母様の隣で、お父様は真顔で腕を組んでいる。
そうね、確かに……あの二人は前々からそうだったのではないか~なんて言われたら、面倒だものね……。
「待ってくれ、まだ私は諦めてはいないぞ! 我が家の嫁は、ルーシーしか居らん!!」
客間から顔を出して声高に叫んでいるのは、エディー伯父様だ。
「私は、ルーシーの気持ちを一番にと考えているが……もしジェロームが君を泣かせるようなら、迷わず攫いに行くからね」
「そんなことがある訳ないだろう!!」
ハーヴィー兄様の落ち着いた声を聞いて、ジェローム兄様がすかさず声を荒らげている。
相変わらず、仲が良いのか悪いのか……。
「お嬢様、お坊ちゃま、おめでとうございます!」
「ああ、なんてロマンチックな……」
「お似合いの二人ですわ……!」
屋敷の侍女達も、皆中庭に出て、うっとりと掌を合わせている。
ああ、女性達はこういった話が好きだものね。
暫くは、皆から色々言われる予感……。
いたたまれずに視線を逸らしたら、呆れたようにこちらを見つめていたバールが、大きく欠伸をして、ベッドの上で丸まった。
ああ、もう、他人事だと思って!
「……ってことは、なに。さっきの会話、全部皆に聞かれていたってこと……?」
「「「「もちろん」」」」
私の呟きに、一斉に返事が返ってきた。
あああああ、穴があったら入りたい。
家族や屋敷の使用人達に、大事な人とのやりとりを全部見られてしまうだなんて、恥ずかしすぎるでしょう!
……そんな風に意識している時点で、もう私の心は定まっているのかもしれない。
迷い子としてのしがらみから解き放たれて、これからも、自由に生きていく。
その時、隣に居てくれたらいいな、なんて……今はとても言える雰囲気じゃないけれど。
「良いか、ジェローム。深夜に女性の寝室──バルコニーに侵入するなど、もってのほかだ!」
「そうよ、兄妹として暮らしてきたからって、そこはきっちりしなさい」
お兄様ったら、今はもうお父様とお母様に捕まって、お説教タイムだもの。
オークの木から下りて、中庭でただひたすらに頭を下げている。
二人の言うことは、何も間違ってないものね。
お兄様も、少しは反省すればいいんだわ。
……ううん、もう、お兄様じゃない。
「おやすみ、ジェローム」
バルコニーの上から一言だけ掛けて、すぐ寝室に引っ込む。
散々ドキドキさせられた意趣返しのつもりだったけれど……自分の心臓の方が、うるさく鳴り響いていた。
このドキドキにも、いつかは慣れるのだろうか。
その頃には、きっと……私達の関係も、今とは違ったものになっているのだろう。
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました!
この先の展開も少し考えていますので、気が向いたら続きを書くかもしれません。
もし物語が続くようであれば、こちらでも告知を行いますので、再度お付き合いいただけると嬉しいです。
また、もしよければ他の作品も見ていただけると光栄です。
どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。









