37 出会ってくれてありがとう
「大晦日の時は、送ってくださって本当にありがとうございました」
今日は、ついに悠希くんのご両親に挨拶する日。
悠希くんのお父さんとは大晦日の夜に一度お会いしているけれど、今日はまた違った緊張感を味わっていた。
「いやいや、あれがきっかけで付き合うことになったと、翠さんにお手柄だと褒めちぎってもらえて、こちらこそ感謝したいくらいだよ」
ホクホクとした笑顔で悠希くんのお父さんが、私達の交際を喜んでくれた。ちなみに「翠さん」というのは悠希くんのお母さんの名前だ。
「いや、別に父さんがきっかけじゃないんだけど……」
ところが、せっかく嬉しそうな様子のお父さんに、悠希くんが水を差す……。
まあ、確かに直接的ではなかったかもしれないけれど、私の中では悠希くんのお父さんが迎えに来てくれて家まで送り届けてくれたのも、きっかけのひとつだと思っている。
「本当に、良かったわ〜。朱里ちゃんなら安心して任せられるわ」
けれど、そんな息子の発言もスルーして、悠希くんのお母さんが朗らかにそう言ってくれたので、その歓迎ムードにすごくホッとした。
ただ、そう言ってもらえたのはすごく嬉しいけれど……。高校の時、一度、悠希くんを傷つけたことがあるのをご両親は知っているのだろうかと、ふと罪悪感で胸がチクンと痛んだ。
今回、二人は孫の顔を見に行った帰りに悠希くんの所にも寄るということで、それならこの機会に交際の挨拶をさせてもらうことになった。ちなみに、お姉さんはまだ育児で何かと大変なので、また次の機会にということに。
無事に挨拶も済ませ、悠希くんのお母さんが台所に立つと私もお手伝いを申し出た。といっても、未熟な腕前の自分にはお母さんが作ったおつまみを運んだり、使い終わった調理器具を洗ったりするくらいしか出来ないけれど……。
それでも、合間に簡単な味付けを教えてもらったりしていると、ふと悠希くんのお母さんからあらたまって感謝を伝えられた。
「朱里ちゃん、悠希のこと本当にありがとね」
「いえ、そんな……悠希くんにはいつも支えてもらっているので、感謝しているのは私の方です」
普段、何かと世話を焼いてもらっているのは私の方だから、恐縮しまくりだった。
「フフッ、あの子のことそう言ってくれて、ありがとう。でも、だからこそ私達は感謝しているのよ」
そう言って、悠希くんのお母さんは、彼の事をほんの少し話してくれた。
「あの子ね、小さい頃からとても物静かな子でね。幼稚園や小・中学校でもなかなかクラスに馴染めなかったみたいで……。でも、勉強面は問題なかったし、本人も特に気に病んでいるとまでではなさそうだったから、静かに見守ってたんだけど……」
親としては、もちろん心配もあったけれど無理に馴染もうとしなくても、本人が健やかに過ごしてくれるならそれに越したことはなかったそうだ。
ただ、悠希くんが中学2年までは東京に住んでいたけれど、お父さんの転勤が決まったことで思い切って環境を変えてみてもいいんじゃないかと、彼に家族ごと赴任先に引っ越すことを提案したそうだ。
もちろん、NOと言えば単身赴任をするつもりだから、何も遠慮することはないと言ってあったが、特に関心を示す事もなく、ただ一家で越した方が生活費もかからなくていいという理由で転校を決めたそうだ。
「高校に進学してからも、あまり変わらない様子だったけれど。しばらく経ったある日、びしょ濡れで帰ってくる日が続いてね……」
「え……」
「最初はね、もしかしてイジメだったらとこっそり心配してたんだけど、様子を見てたらどこか楽しそうな雰囲気だったから、不思議に思ってたんだけど……」
悠希くんのお母さんの話を聞きながら、もしかしたらと嫌な汗がたらたらと流れてくる……。
「あ、あの……」
当時、水風船バトルにハマっていた時期があり、何度か悠希くんを巻き込んでびしょ濡れにさせたことがあった。
「あら、あれもやっぱり朱里ちゃんと何か関係あるのね。実は、そのあと、ご近所さんから貴女と一緒にいる目撃情報を聞いてね。でも、親が変に首突っ込んで台無しにならないように、その話題に触れるのをずっと我慢してたのよ〜」
田舎の小さな町なので、当時、そういう情報がご両親の耳にも入っていてもおかしくはないけれど、何だか気恥ずかしくなってしまった。
だけど、そうやってニコニコと当時を振り返るお母さんに、私はこれ以上隠しておけないと話を切り出した。
「あの、実は……当時の悠希くんとのことで、話しておきたいことがあるのですが……」
おそるおそる話し出すも、悠希くんのお母さんはさらに笑みを深くしてこう言ってくれた。
「ふふふ、そんな思いつめた顔しなくても、おおよそのことは想像がついているから大丈夫よ」
「え、悠希くんが話したんですか……」
「まさか。もう、あの子ったらね、私たちだって朱里ちゃんのこともっと知って仲良くなりたいと思っているのに、交際することになった以外は何も言ってくれないのよ!」
私が気に病まないように事前に話してくれていたのだろうかと思ったけれど、どうやらそうではなかったみたいだ。
しかも、何やら意外なところで息子に対する小さな不満が出てきたけれど、気を取りなおしたお母さんが話を続けた。
「あ、ごめんなさいね。話がそれちゃったわね。えーと、何だったかしら。そうそう、あの子がね高校1年の冬に、急に自分だけでも東京に戻ることは可能か私達に聞いてきたことがあったの」
「え……」
「あの子から、はっきりこうしたいって聞くのはほぼ初めてのことだったから最初はびっくりしたけれど、あとになって朱里ちゃんが東京の大学に行くって噂を聞いてね」
それで、薄々は彼の発言の意図に気づたらしいけれど、あえてそのことには触れなかったらしい。
「当時、東京の家には悠希の姉の真希が大学のために一人で住んでたから、特に反対とかはなかったけれど。でも、その話も次の日にはすぐに撤回してきて、そのかわり勉強に打ち込むようになってね。いまこうなって思うと、きっとあなたを迎えに行こうという思いがどこかにあったんじゃないかしら」
初めて聞かされた悠希くんの行動に驚いて言葉も出なかった。それはもしかしなくても、私のためにそう言ってくれたのだとしたら……。
けれど、彼女が東京に行くからって理由で、彼を振り回してしまっていた可能性があったかと思うと、ご両親には申し訳ない気持ちになった。
けれど、またもや表情が曇った私に、悠希くんのお母さんが意外な言葉をかけてきた。
「でもね、私はそれが嬉しかったのよ。だって、あの子が誰かのためにそこまで考えるなんて、それだけ心を動かされるものに出会えたってことだから。だからね、私達は朱里ちゃんにはすごく感謝しているのよ」
お母さんがかけてくれた言葉に、胸の奥から熱いものが込み上げてきて、もう涙があふれて止まらなかった。
「あらあら、こんなに泣かせるつもりじゃなかったんだけど。朱里ちゃん、ありがとうね。あの子に出会ってくれて、本当にありがとう」
お母さんもちょっと涙声になりながらも、エプロンの端で私の涙を優しく拭ってくれた。




