36 二人でいられる道
やっとの事でその日の仕事を終えると、カフェで待っている悠希くんを迎えに行き、私のアパートへ一緒に帰った。
「ここ最近、悠希くんの様子がおかしかった理由、話してくれる?」
パパッと部屋着に着替えた私がリビングに戻ると、すっかりお馴染みになったエプロン姿の悠希くんがお茶の用意をして、ほんの少ししょんぼりとした表情で待ってくれていた。
せっかくなので、彼が入れてくれた温かいお茶を口にしながら話を切り出してみた。
「もしかして、お仕事で何かあった?」
「あると言えば、ありますが……。実は、海外転勤の話が持ち上がっています」
悠希くんの言葉に、心臓がドクンと大きな音を立てた。
「そうなんだ……。いつ行くの?」
「もし行くことになったら、今年の秋には……」
驚きで心拍数が一気に跳ね上がったと同時に、頭がぐるぐると回転し始める。
「……それが悠希くんのやりたい事だったら、私は応援するよ」
いつだって私の応援をしてきてくれた悠希くんだから、彼がそうしたいというなら私だって心から応援したいと思うのは当然のことだ。
「朱里さんなら、きっとそう言うと思っていました……。でも、じゃあ、貴女はまた僕と離れ離れになってもいいと……?」
だけど、私の言葉を聞いた悠希くんは何故か顔を歪めて切な気な声を上げた。
そんな彼をよそに、やっと彼の様子がおかしい理由が判明した私は頭をフル回転させながら、ぽつぽつと語り始める。
「ううん。ついていくよ。ただすぐに仕事を辞めるのは難しいし、準備もあるから、一生懸命頑張っても来年度にはなると思う……。だから、半年くらいは遠距離になっちゃうけど、再会するまでの10年を思えば、あっという間じゃないかな?」
現実は、そんなに簡単なことではないかもしれないけれど、あっさりそんな提案をした私に対して、悠希くんがめずらしくぽかんとした顔をしていた。
「僕に、ついて来てくれるんですか……?」
「うん! ……え? あ、もしかして、その……私を連れて行くつもりはないとか……?」
頭をフル回転させて、ここ最近の彼の様子がおかしかったことや指輪のパンフレットをどっさりと渡してきたことを繋ぎ合わせると、てっきり「一緒についてきて欲しい」ということかと思って、言ってみたけれど……。
またもや、ひとりで先走ってしまったかと思って恥ずかしくてあたふたしていると、悠希くんにぎゅっと抱き寄せられた。
「どうしたの?」
「……」
無言でぎゅうぎゅう抱きしめてくる悠希くんの背中を、ぽんぽんと撫でてあげる。
「ただ、海外に行ってすぐに就職とかは無理かもれないから、それまで生活費は出世払いということでお願いしてもいいかな? あ、織田部長にお願いして、仕事をリモートにしてもらうとかどうかな?」
ゆっくり彼の背中をさすりながら、言葉を続ける。
「大丈夫だよ、すぐにどっちかの結論を出すんじゃなくて、なるべくお互いが自分らしくいられて、その上で一緒に過ごせるにはどうしたらいいかを考えてみようよ」
「……何か、朱里さんがめちゃくちゃ格好良いのに……僕ときたら」
しばらくして、ひとつ息を吐いた悠希くんがぽつんとそう呟いた。
「申し訳ありません。僕は最初から行くつもりはなかったので、すでに断っていたんです」
「え? そうなの?」
「こんな事言ったら重いって思われそうですが、僕にとって今の仕事は性に合っているかもしれませんが、僕が何よりも大事なのは朱里さんだけなんです」
そこまで自分を想ってくれている人がいることに、あらためて胸から感動が込み上げてくる。
悠希くんのその気持ちは、一方的に依存しているとかそういうのとは違って、これまで私の気持ちもちゃんと尊重してくれているんだってことがちゃんと伝わっているから、大切な人のことを重いだなんて思わないし、受け止めたいと思ってる。
「本当に、断ってもいいの?」
もう一度、自分のやりたいことを諦めたとかじゃないのかと確認するような私の眼差しに、彼はしっかりと答えた。
「はい。実は、投資で得た資金もあるので、別に仕事自体しなくても朱里さんを丸ごと支えるくらいの甲斐はあるつもりです。ただ、しっかりとした社会的な肩書もないと、朱里さんのご両親も不安に思うだろうと考えて……」
何か、今さらりとすごいことを口にしたような気がした……。
そう言えば、値段の書かれていない宝石の図鑑のようなパンフレットがあったけれど、樹ちゃんの言う通り一般的に出回らないVIP専用カタログだとしたら……悠希くんの底知れない部分を知ってしまったような気がしたけれど、いま話に水を差すのもアレかと思って一旦、スルーした。
「正直、僕の中では朱里さんが弱っているところにつけこんだ形の交際になってしまい、しかも、貴女がとても辛い思いをしたというのに、最初はその状況に心のどこかで朱里さんを独り占めにできるという想いもありまました……。でも、お仕事に友人にと貴女の周りにまたどんどん人が増えて、以前のように生き生きと過ごす姿に、ふと、あの頃のようにまた置いていかれそうな不安が過ぎって……」
私は悠希くんとのお付き合いの際に引け目みたいなものを感じていたけれど、彼もまた彼なりの葛藤や不安があったのかもしれない。
だけど悠希くんは、私の不安や心配を感じたりしても、これまで言葉と態度で何度も何度も大丈夫だという事を伝えてきてくれた。それに比べて、私は悠希くんへ伝える努力が足りてなかったような気がする。
「悠希くん、大好きだよ」
そう言って、今度は私から悠希くんを思いっ切り抱きしめた。
「朱里さん……」
ぎゅっと抱きしめると、悠希くんももぎゅっと抱きしめ返してくれた。
「悠希くんが私を大切にしてくれているように、私もあなたのこと大切にしたいと思っているよ。何かあっても二人で乗り越えていけるように、こうやってお互いの気持ちをいっぱい伝え合おうね」
どんな時でも大丈夫だと思える強さがお互いの中にあれば、この先いろんな事があっても同じ方向を向いて歩いていけると思った。
「あ、そうだ。誕生日プレゼントのことなんだけど……」
「はい。気に入ったデザインがありましたか?」
「……私のじゃなくて、悠希くんへの贈り物のこと! 『時計』はどうかな?」
「時計ですか……」
「そう。これから一緒の時間を刻んでいくような感じがして、良いかなと思ったんだけど。何百万もするようなのはさすがに手が届かないけれど、せっかくなら一生使える品が良いと思うから今度一緒に選びに行こう」
「その言葉の意味、ちゃんと分かってて言ってるんですか?」
「それは……その、具体的な事まではまだ考えてないけれど……。でも、これからも二人でいられる道を一緒に探していきたいと思ってる」
「僕もです……。ありがとう、朱里さん」
「私こそ、いつもありがとう、悠希くん」
お互い感謝の気持ちを伝え合うと、心にまたひとつ大丈夫だと思う気持ちが積もったような気がした。




