32 独り占め
宿にチェックインして和室のお部屋に案内されたあと、二人とも思わず大きく息をついて座布団の上にグッタリと座り込んでしまった。
「激流でしたね……」
「ごめん……」
ランチを食べたあと、私達は清流下りの船に乗りに行ったのだけれど……。
最初は、ゆったりとした流れで景観を楽しんでいたものの、途中河の流れが早いところがあって、そこからはまるでジェットコースターみたいな激流下り状態になってしまい、ちょっとしたアドベンチャーだった。
「……ふふっ」
だけど、ほんの少しの無言のあと、お互い思わず笑いが込み上げてきてしまった。大変な目にあったけれど、久しぶりにワーワーと騒いだおかげで気分はどこかスッキリもしていた。
「お夕食まで少し時間がありますけど、このまま部屋で休憩していましょうか」
お庭の散策もしてみたかったけれど、心地よい疲れにまったりお部屋でくつろぐのも悪くないと思ったりした。
「そうだね。ご飯食べて、温泉にのんびり浸かって、贅沢だな〜」
「貸し切りの家族風呂の予約して、一緒に入りますか?」
「えぇっ!?」
悠希くんの不意打ちに、ドキリとさせられてしまった。
「フフッ、残念ながらさっき宿の人に聞いてみたら、今日はもう予約でいっぱいとのことでした」
「もう……」
「今度は露天風呂付きのお部屋にでも、泊まりましょうかね」
一緒に入るのは恥ずかしいけれど、露天風呂付きのお部屋はものすごく魅力的だ。もしもの機会のために、ダイエットも考えないといけないかも……と、心の中でこっそり決意した矢先に、豪華な夕食が待ち構えていた。
ひとまず、ダイエットはこの旅行が終わってから考えるとして、心置きなく堪能した。
「風が気持ち良いね〜」
「はい。良い季節にこれて、良かったですね」
温泉から上がると部屋の窓をほんの少し開けて、火照った体を夜風で冷ましていた。
「旅行に連れて来てくれて、ありがとう」
「やっと、あなたとこうして一緒にどこへでも行けるようになって、良かった」
「……うん」
この10年こんな風に過ごす心の余裕もなかったから、夢のような時間に何だかしみじみとしてしまった。
「でも、すみませんでした。せっかく友達からのお誘いを、僕のわがままで水を差してしまって……」
「ううん。私も悠希くんと過ごす時間を大切にしたいし、みんなもこころよく送り出してくれたから、全然大丈夫だよ」
しぃちゃん達の前で急に独占宣言をしたのには驚いたけれど、悠希くんと一緒に過ごす時間は私にとってもかけがえのないものだから大事にしたい気持ちは一緒だった。
それから、心地よい風に吹かれながらぽつりぽつりと今日の思い出を語り合っていると、ついウトウトしてしまい、時々頭がカクっとなっていた。
「朱里さん、眠いんですか? 今日はいろいろと見て回ったので疲れたでしょう? このまま寝てもいいですよ」
「んーん……。せっかくの、二人っきりの夜だもん……」
悠希くんの言う通り、眠気に襲われているけれど、今日がとても楽しかったからこのまま寝落ちしてしまうのがものすごく惜しくて、重たいまぶたを必死に持ち上げ、そっと悠希くんにしなだれかかった。
「……いいんですか?」
悠希くんがほんの少し期待が含まれた声でささやくと、どこか強請るように鼻先をこすり合わせてきたので、小さくうなづくと唇に柔らかい感触が乗ってきた。
「……ん……」
角度を変える度にほんの少し揺れる体の振動や覆いかぶさる彼の重みすら心地よくて、いけないと思いつつも、私の意識はゆっくりと遠のいていく。
「朱里さん。……朱里さん? はぁ、全く仕方ないひとですね……」
ぼんやりとした中で悠希くんが私の名前を呼んでいるような気がしたけれど、そこで限界が来てしまい私はそのまま意識を手放してしまった。
「時々、貴女を閉じ込めて僕だけが朱里さんを眺めていたいと思う時があると言ったら、どんな顔をするんでしょうね……。でも、いくら後悔しても、もう離してあげられませんからね」
だから、スゥーと寝入った私の髪を撫でながら、悠希くんがそう呟いた事など知る由もなかった。
◇◆◇
鼻先を何かがくすぐる感触に、私の意識は少しずつ浮上していく。
そっと目を覚ますと、悠希くんが私を抱きまくらのようにした格好で寝ていて、彼の髪の毛の先が私の鼻をくすぐっていたらしい。
そのくすぐったさに思わず身動ぎしたけれど、まるでぬくもりを離さないかのようにぎゅっと抱き抱えられた。
普段、彼があまり見せることのない、どこか甘えるようなその仕草が可愛らしくてちょっぴり胸にキュンときたけれど、じわじわと恥ずかしさも込み上げてきて、意を決して起こすことにした。
「ゆ、悠希くん? 悠希くん」
「ん〜……」
私の呼びかけに、かすかな反応が見られたのでおずおずとまた声をかける。
「お、おはよう……」
「ん〜、おはようっ……!? ……ございます」
まだ寝ぼけているような感じでぼんやりとあいさつをしようとした悠希くんだったけれど、途中で体がビクリと跳ねた。
「これは、その……」
自分がどんな格好で寝ていたのか気がついたのだろう。めずらしく悠希くんが動揺しているのがわかる。
「す、すみません」
「ううん。恥ずかしかっただけで、嫌とかじゃないし……。私こそ、その……昨夜は途中で寝ちゃってごめんね」
「朝からそんなこと言うのは、反則です……。朝食まで時間があるので、このままもう少しゴロゴロしていましょうか?」
抱き抱えられたままそう言われて、思わずどぎまぎしてしまった。
「あ、えと……朝は男湯と女湯が入れ替わるって言ってたから……露天風呂に入ろうかなって思ってたんだけど……」
心の準備が間に合わずそう言ってみたけれど、もう悠希くんは大人しく逃してくれなかった。
「朱里さん、こんなところにホクロあったんですね」
そう言ったかと思うと、鎖骨のあたりにチクンと痛みが走る。
「え? あ、ちょっ……そんなところに跡つけたら、露天風呂に行けなくなる……」
私がそう言うと、
「すみません」
一応、悠希くんが謝ってくれたけれど、全然すまなさそうな顔をしていない。
「その分の埋め合わせは、ちゃんとしますから」
そう言って悠希くんの顔が近づいてくると、私の心臓は否応なしに、ドクン、ドクンと激しく脈打ちならがもソッと目を閉じるのだった。




