27 動き始めた時間
無言で訴えかける私の視線に気づいてくれた悠希くんが、私たちの席の前で立ち尽くしていた彼女に話しかけてくれた。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
声をかけてきた悠希くんを見て、一瞬、ギョッとしたような表情をした彼女だったけど、逡巡した素振りを見せたあと、目に力を込めキリッとした顔つきで名乗った。
「椎名貴子と言います。伊藤朱里さんとは、大学の時の……友人です」
大学を中退してから約8年、友達がいなくても寂しくなかったといったら嘘になる。
でも、辞めた頃は人間不信気味になっていた部分もあって、心のどこかでもうあんな思いをするくらいなら無理に必要とすることもないんじゃないかと、スマホを解約したとき友人関係も全部リセットしてしまった。
けれど、そんなふうに私から一方的に断ち切ってしまったはずなのに、それでも彼女は今「友人」だと何のためらいもなくきっぱりとそう言い切ったのだ。
その事に、不覚にも胸を打たれてしまった私は、思わず視線を上げて彼女の横顔を見つめた。
ただ以前、悠希くんには友人がいないと言ってあったので、彼は少し怪訝な顔つきをしながらも自己紹介をした。
「……初めまして、朱里さんとお付き合いさせていただいている吉沢悠希です」
すると、何故かまたギョッとしたような顔をして、しばらく私と悠希くんの間を視線が行ったり来たりしたあと、彼女は驚くべき行動に出たのだった。
「あの、会ったばかりで大変失礼ですが……。吉沢さんは名刺以外で、例えば免許証とか何か身元が確実に証明できるものってありますか?」
彼に詰め寄るようにそう言った彼女にびっくりして、私は思わずストップをかけていた。
「ま、待って、しぃちゃん! どうしたの、急に……」
すると、その呼びかけに弾かれたように振り返った彼女は、一瞬、感極まったような表情をみせたけれど、すぐに真剣な眼差しで私にも迫ってきた。
「どうしたもこうしたも、だってあんたそんな涙目で……。ねぇ、朱里、デートの時いっつも奢ったりとかしていない? 記念日や誕生日とかに高価な物とかねだられたりとか、仕事で損失を出してしまったからお金貸してくれないかとか……」
「えっ……?」
何か急に変なスイッチが入ってしまったかのような彼女の問いかけに戸惑っていると、彼女がまた悠希くんの方へ振り返り懇願した。
「朱里は、真っ直ぐで一生懸命で素直な、すごくすごく良い子なんです。だから、傷つけるようなことはしないでください」
そう言って、何と最後は頭まで下げたのだった。
涙目だったのは彼女との突然の再会にオロオロしていたからなんだけど、どうやら彼女は何か勘違いしてしまっているらしい。
だけど、心から私を案じてくれているようなその言葉に、ようやく彼女への警戒心と緊張の糸が解けて、そっと彼女の肩に手を置いて優しく呼びかけた。
「しぃちゃん、落ち着いて。悠希くんは高校の時の後輩で地元も一緒だし、私の両親も前から知ってくれている人だから、大丈夫だよ」
「そ、そうだったの? 何だ、よ、良かった〜」
ようやく安堵したような声をあげた。そして、あらためてお互いに顔を合わせたら何だか色んな感情が込み上げてきて、彼女の目尻にみるみるうちに涙がたまっていくと、私もそれにつられてそのまま二人してグスグス泣き出してしまった。
そんな私達を悠希くんがフォローしてくれて、半個室の席に移動させてもらいやっと落ち着きを取り戻したところで、しぃちゃんがあらためて謝った。
「ご、ごめんね。何か彼氏さんが、ものすごく迫力のあるイケメンさんで……そのあと朱里の涙目を見て思わず、その……傷ついた心につけ込まれたとか、騙されたりしてないかとか心配になって、酷い勘違いしちゃって……ごめん」
ものすごい飛躍のしすぎだけど、彼女も私との久しぶりの再会で動揺して色々と混乱してしまったのかもしれない。
それに、私も大晦日の時にやらかしてしまった勘違いを思うと、人のことは言えないと思った……。
「吉沢さんも、早とちりして失礼な態度をとってしまい、お騒がせして本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、誤解がちゃんと解けて良かったです。それに、こういったことには慣れているので大丈夫ですよ」
きっと悠希くんは今、心のなかで「類は友を呼ぶ」と思っていそうな気がしてならない……。そんな私の視線に気づいたのか、悠希くんが小さく咳払いをして口を開いた。
「それよりも、朱里さんの知り合いに、こんなに友人想いの方がいてくれて、とても安心しました」
「色々と心配してくれて、ありがとう……。しぃちゃん」
「朱里……。もう、さっきは他人行儀に『椎名さん』って、呼ばれたから、き、嫌われたのかと……」
「何か、びっくりして、つい……。ごめんね」
「ううん。謝るのは私の方もだよ……。あの時、私たちもどうすれば良いのかわかんなくて悩んでるうちに、朱里が大学辞めたって聞いて、そのあと何度も連絡したんだけど、全然繋がらなくなって……」
そう話すしぃちゃんの目からは、また涙が滲んでいた。
「ずっと、心配してたんだよ。本当に、元気そうで、よか……よかった」
「長い間、連絡もしないでごめんね」
不義理をしてしまった申し訳ない気持ちと、ずっと気にかけてくれたことへの感謝がないまぜになって、何とも言えない感情が込み上げてくる。
「あ、あのね。も、もし良かったらでいいんだけど、新しい連絡先を交換しない? その、晶と樹もずっと朱里のこと心配してたから、あらためて会って話せたらなって……」
おそるおそるそう聞いてきた彼女に、私は少し考えたあとこう答えた。
「うん……。私も、久しぶりに会ってみたいかも」
「ほ、ほんとにいいの? 大丈夫? 無理とかはしなくていいからね」
そう聞かれると、正直まだ不安は抱えているけれど、何だか悠希くんと再会してから私の錆び付いていた時間が少しずつ進み始めたような気がして、もう一度向き合ってみようと思えた。
「もし良かったら、彼女たちと会う時は彼氏さんも一緒にいらっしゃいませんか?」
「いいの? 私も悠希くんが一緒だったら、すごく心強いけど……」
彼女の申し出に、チラリと隣に座る悠希くんを見上げると、
「もちろん。よければ、ご一緒させてください」
笑顔で了承してくれたので、すごく安心した。
「ありがとう。あ、あとね……。もし、悠希くんが大丈夫だったらなんだけど、その時に、大学の時のこと少し聞いてもらいたいなって……」
彼にはいずれ話しておきたいと思っていたけれど、こう、次から次へと悠希くんにばかり負担をかけてしまうのは申し訳ない気がした。
「僕なら大丈夫です。朱里さんのタイミングで話せる時に、聞かせてください。大丈夫、ずっとそばにいますから」
そんな私に悠希くんはしぃちゃんの前にもかかわらず、私の手を包み込むようにしてギュッと握りしめると、優しくそう言ってくれたのだった。




