25 そのとき。
「あ、あの……」
心臓が口から飛び出しそうなくらいバクバクして、言葉がうまく出てこない。
吉沢くんは休日のたびに家に来てくれて、隙あらばキスしてくるのに、それ以上のコトは「今はまだ年度末の繁忙期で、無理をさせたくない」と、これまで夜は泊まらずにきちんと帰っていた。
それを心のどこかでほんの少しじれったく思っていたくせに、いざとなると緊張して指先がカタカタと小さく震え、うろたえるばかりだった。
「そんなに緊張しなくても大丈夫です。すぐにとかではなく、朱里さんの心の準備が出来るまで待つつもりですから。ただ、その気持ちを知っていて欲しかっただけです」
そう言い残し、弱火にかけているカレーの様子を見にキッチンへ戻ろうとした吉沢くんのエプロンの端を、思わず掴んだ。
「朱里さん? 本当に無理はしなくても……」
無理をしていないと言ったら、嘘になる。
だけど、ひとつ作品を書き上げたら、自分でも何かひとつでも頑張れたんだって実感が出来たら……と、密かに心に決めていたことがあった。
「悠希くん……」
声が上ずってしまったけれど、それが私からの精一杯の合図だった。
◇◆◇
ふっ、と意識が浮上してきて、何気に身を捩ると温かい感触にぶつかった。
暗がりの部屋でゆっくり目を開けると、悠希くんの寝顔がドアップで飛び込んできた瞬間、さっきまでの記憶が一気によみがえってきて、胸がキューッと締めつけられた。
すると、悠希くんの瞼がかすかにふるえて……。
起きる気配を感じた私は、何だか気恥ずかしくなって布団のはしっこで顔を隠したあと、少ししてクスリと笑った吐息が前髪をくすぐった。
「大丈夫ですか? 初めてで、うまく加減出来なかったかも……」
「……大丈夫だよ」
――私も、初めてだから……。
そのとき……。消え入りそうなくらい小さな声でそれを伝えると、悠希くんはこれでもかというくらい優しく私を扱ってくれたように思う。
「なんで顔を隠してるんですか?」
「……何か、恥ずかしくて」
「さっき、もっと恥ずかしい事したのに?」
「〜っ……!」
悠希くんのからかうような口調に、さらにギュッと布団に顔を押し付けようとしたけれど、強引に剥ぎ取られてしまい、あわてて両手で顔を覆ったけれど、悠希くんはその上からキスを落とす。
「わ、わかった。もう……わかったから」
手の甲をついばまれて、とうとう降参した私が顔を覆っていた手を下ろすと、グイッと抱き寄せられて唇をふさがれた。
そのままお互いの唇が何度かくっついたり離れたりしていると……。
――ぐぅぅ……!
突然、聞こえてきたお腹の音に、二人の動きがピタリと止まる……。
「フフッ、そういえばご飯がまだでしたね。先に朱里さんのお腹を満たしましょうか」
あまりの恥ずかしさに、思わず悠希くんの胸に顔を埋めると、一度、強い力でギューッと抱き締められたあと、優しく頭をポンポンと撫でながらそう言ってくれた。
「私も、ご飯の支度手伝うよ……」
そう言って起き上がろうと腕をついたけれど、何だか思ったより力が入らない様子の私を見て、悠希くんが手を貸してくれた。
「あ、ありがとう」
「大丈夫ですか? 無理をしないで、朱里さんはゆっくりと起きてくださいね」
悠希くんがそう言って私にチュッと軽くキスを落すと、一足先にキッチンに向かったのだった。




