24 年下彼氏の献身
執筆が一段落すると、思わず詰めていた息を吐き出し強張った体をゆっくり伸ばしたりしていると、後ろからくすりと笑う気配がしたので振り返った。
「どうしたの?」
「いえ、朱里さんは表情豊かに書かれるんだなと、悲しそうな顔をしていたかと思えば、ぱぁと表情を輝かせたり、さっきは、少し唇を尖らせながら書いていましたけど、もしかして、キスシーンを書いてたんじゃ?」
自分では全然気づいていなかったけれど、図星を指されて思わずブワッと顔が熱くなるのを感じた。
「本当に、分かりやすいですね。こちらも、もう少しでカレーができますからね」
ここ最近、吉沢くんは休日になると朝から部屋に来てくれて、私が執筆している間ご飯を作ってくれるのがいつもの光景になりつつあった。
凝り性なところがあったみたいで、作ってくれるのはいつもカレーで、そのうちスパイスも集めてオリジナルの調合も始めそうな勢いだ。
その他にも、コーヒーを入れてくれたり、部屋の換気やお布団まで干してくれたりと甲斐甲斐しくお世話をしてくれているけれど、洗濯までしようとした時は、さすがに恥ずかしくて全力で遠慮すると、ちょっと残念そうな顔をしていた……。
ちなみに、平日も残業で帰りが遅くなる時は、連絡していなくても何故か必ず送り迎えに来てくれる。
すっかり吉沢くんに甘えてしまっているけれど、正直、私の時間ばかり優先せずに吉沢くんも少しは自分の時間も大事にして欲しいと、何度か言ったこともあるけれど……。
『僕は、朱里さんと過ごす時間が何よりも大事です。でも、朱里さんの邪魔になるなら大人しく帰ります……』
と、寂しそうな顔で言われると、私だって吉沢くんと一緒にいられる時間が多いのは嬉しいから、強く断れないでいる。
そりゃ、二人でおしゃべりしながら料理をしたり、食後にテレビを観ながらまったり過ごしたり、空いた時間に読書したりする時もあるが、家事をしている時の吉沢くんが一番生き生きしているように見えて、なかなか世話を焼いてくれるのをダメとも言えない……。
ここまでされると彼氏というよりオカン化してしまうんじゃと思ったりもしたけれど、吉沢くんはその点も抜かり無く、ふとしたタイミングでキスをしてきて、異性として意識させることにも余念がない。
そんな感じで、すっかり年下彼氏の献身に翻弄されている日々だけど……。
「じゃあ、カレーを煮込んでいる間、少し吉沢くんに話したいことがあるんだけど……」
居住まいを正してちょっとあらたまった感じの私に、彼はお鍋の火を小さくして向かい合ってくれた。
「はい。何でしょう」
「あのね……。まだ全然粗いところもあるけれど、久しぶりに書けて良かったって思える短編がひとつ書き上がりました」
吉沢くんに再会する前の半年間は、もう書くことすら苦しくてたまらなくなっていたけれど、久しぶりに書いてみた感覚は、だいぶ苦労もしたけれどそういうのも引っくるめて楽しかったような気がする。
そう思えたことが、嬉しかった。
お金にもならないような事に時間を費やすより、資格取得とかもっと将来役に立つような事に使うべきだとか、ただの趣味だと言われればそれまでだけど、何かひとつでも頑張ることが出来たような気がして、自分の中では小さな達成感を感じていた。
「吉沢くんと再会して、こうやってそばにいてくれたおかげで、また書けるようになったと思うの……。だから、本当にありがとう」
「頑張ったのは、朱里さんですよ」
大晦日の時、吉沢くんは言った。
走り続けていたら誰だって疲れてしまう時がある、私にとって今がちょうどその時なんじゃないかと……。
でも、そんな疲れ切っていた私を吉沢くんがこんなにも癒やしてくれたから、もう少しだけまた頑張ってみようかなって気持ちにさせてくれたんだと思う。
「それはそうかもしれないけど、でも、きっかけをくれてそれを支えてくれたのは確かに吉沢くんだよ。だから、何かお礼したいなって……。やっと1作書き上げたし、どこか行きたい所があったら一緒にお出掛けしたりとか、今度こそ私がご飯おごったりとか、あ、それとも今何か欲しいものとかある?」
ホワイトデーも結局、吉沢くんにご馳走になってしまったし、これまで私のペースに合わせてもらっていたから、せめて日頃の感謝を込めて何か少しでもお返ししたかった。
「でしたら、僕、ずっと前から欲しかったものがあるんですけど」
「そうなんだ。何? 何?」
吉沢くんからそうはっきり言うのはめずらしくて、思わず興味が湧いてしまった。
「朱里さん」
「うん」
「……」
「……」
呼びかけられたので返事をしたけれど、ふと沈黙が続いたので小さく首を傾げると、なぜかそこでふわりと微笑んだ吉沢くんが、もう一度、口を開いた。
「朱里さんが、欲しいです」
言葉の意味を飲み込むのに、ほんの少し時間がかかって……。
やがて、心臓が強く鼓動を打ち始めた。




