22 必死な目をしていた
「織田課長……。何か、今日、伊藤さんの様子がおかしいんですけど……」
「確かに、妙な行動はとっているが、いつもより仕事が捗っているから、逆に作業量を増やしてみるか」
「課長。鬼ですか、あなた……」
「何を言う。部下の状況を、的確に見極めた判断だ」
社内でそんな噂をされているとも知らず、私はぐるぐると絶賛思い悩み中だ。
ふとした瞬間に、吉沢くんとのキスを思い出してワァーッてなりそうなのをグッとこらえたかと思えば、自分から強引にキスをしてしまった行為に頭を抱え込んだりと、定期的に謎の発作を起こしていた……。
――内心、引かれてないだろうか……。
一晩経って、冷静になった途端、私はそんな不安に襲われていた。
あの時、吉沢くんは私を絶対大事にしたいと言ってくれてたから、きっと彼なりのプロセスも考えてあったはずだ。それなのに、私ときたら吉沢くんの静止も聞かずに、何度も自分から迫ったことを振り返ると、そんな心配があとからどんどん膨れ上がっていく。
ただ、そんな悶々とした思いを振り払うように、目の前の作業に集中していると知らず知らずのうちに織田課長の思惑どおり、仕事はみるみるうちに片付いていった。
しかし、仕事の帰り道でもふと信号待ちで立ち止まったりなんかすると、途端に悶々と考え込んでしまう始末。
「そこは、押しボタン式信号だぞ」
うんうん唸りながら信号待ちをしていると、不意に声をかけられてパッと振り返ると……。
「お疲れさん」
「織田課長……。お、お疲れ様です。やけに長い赤信号だなと思ってました〜、アハハ……」
誤魔化すように笑うも、ジッと見つめられてどぎまぎしてしまう。
「な、何ですか」
「いや、こんなに元気そうな伊藤、初めて見たなって」
「……私、普段、そんな魚が死んだような目をしていましたか?」
「フッ……ククッ……。わ、悪い。ツボった」
何だか吉沢くんと似たような事を言われて、特に冗談を言うつもりはなかったけれど思わず口をついて出た言葉に、織田課長は肩を震わせていた。
「死んだ魚というよりは、伊藤は入社した時から、やけに必死そうな目をしてる奴だなとは思ってたよ」
ひとしきり笑ったあとそう言った織田課長の言葉は、何気に的を射ていてやっぱり人をよく見ている人だなと思った。
「まあ、端から見てると危なかっしくて、目が離せない感じだったけどな」
入社したての頃は、まだ大学中退のショックを引きずっていて必要以上に周りにビクビクしながら、どこかハリネズミが針を立てているように警戒心バリバリだった時期もあったような気もする……。
そんな未熟な私にも、以前所属していた部署でまだ課長になる前の織田主任は、根気よく一から仕事を教えてくれ鍛えてくれた。
「でも、それだけ一生懸命だったてことだ。だから、新設された製作3課を任されることになった時、真っ先に伊藤を自分のところに引っ張ってこようと思った」
それを聞いた瞬間、思わず胸にグッときてしまった。
自分のやりたかった事とは違う分野の仕事に複雑な思いもあって、どこか言われた事さえちゃんとこなしていれば良いみたいに思ってしまうフシもあった。
でも、そんな自分でも、気づかないうちに少しは打ち込んで頑張れていたところもあるのかもしれないと、課長の言葉でほんの少しそう思う事ができた。
「……あ、ありがとうございます」
「それで、ここ最近の謎の発作の原因は?」
密かに感動していたタイミングで、急に現実に引き戻されるような質問をド直球で聞かれ、思わず吉沢くんとの光景がブワッとよみがえり、せっかく治まっていた発作が再び起こりそうになった……。
こういう時、相談できる友人もいないし、この際、世間話感覚で織田課長に男性からの意見を聞いて見ようかなという思いが一瞬、過ぎったけれど……。
いきなり「女性の方からグイグイ迫られるたら、内心引きますか?」なんて聞けば、逆セクハラになりかねないと気づき、あわててその案を打ち消した。
織田課長とは仕事以外の話もちょこちょこしたりしているけれど、内容と言えば家電マニアの課長におススメの家電製品を聞くくらいだ。
――危ない、危ない。混乱しすぎて、うっかりラインを踏み越えるところだった……。
「ははっ! 本当に元気になったみたいだな。でも、そういう顔は不用意に見せない方がいいぞ」
「え……?」
私の不審な挙動にまたもや笑い声を上げた課長にそんな事を言われて、思わず首を傾げた時だった……。
「こんばんは」
後ろから突然、誰かに耳元で囁かれて……。
「ヒッ……!」
あまりにも驚いて、思わず声にならない悲鳴を上げてしまった。




