18 不慣れな肩書き
「後藤……」
声をかけてきた人物を一瞥して、どことなくげんなりとした顔つきになった吉沢くん。
「何だ、今日来てたのか?」
「話があるなら明日会社で」
「相変わらず素っ気ない返事だな〜。お前から仕事以外のことで、初めて店を教えてくれなんて声をかけてきたから、俺のとっておきを紹介してやったのに。それにしてもあれからよくここの予約が取れたな?」
フレンドリーに接してくる相手に対して、吉沢くんはクールな態度であしらっているが、それに気を悪くした様子もなく相手は変わらず彼に話しかけているのを見て、それが逆にどこか気の置けない関係にも感じられた。
「わかった。わかった。ただ、紹介くらいしてくれてもいいだろう?」
後藤さんという男性がそう言いうと、その視線が私に向けられて思わずドキッとしてしまった。
吉沢くんは少し逡巡した様子を見せたあと、チラっと私を見てきたのでドギマギしながらも小さくうなずくと、ゆっくり立ち上がったので、私もそれに続いてあわてて席を立つ。
「申し訳ありません。この騒がしいのは、僕の同僚の後藤です」
吉沢くんが少々投げやりな態度で、声をかけてきた男性を紹介する。
「そして、こちらは僕の恋人の伊藤朱里さんです」
「えっ!? あ……はっ、はい! ……すみません。初めまして、伊藤朱里です」
両親以外の人にはじめて恋人と紹介された緊張で思わず声がひっくり返ってしまい、結局、しどろもどろの挨拶になってしまった。
「どうも、後藤春樹です。いきなり騒がしくしてすみません。無愛想だけど可愛い奴なんで、これからも吉沢をよろしくお願いします」
それに比べて、後藤さんはそんな私にも人懐っこい笑顔でサッと右手を差し出して来たので、自然のなりゆきで私も右手を出し握手を交わすと、吉沢くんが間に割って入ってきた。
「今はプライベートな時間だから、このくらいで」
「わかったよ。お邪魔してすみませんでした。それでは、ゆっくり楽しんでね」
後藤さんが立ち去り、しばらくしてデザートが運ばれてきたけれど、私はうまく挨拶できなかったことにしょんぼりとしていた。
「さっきは、ごめんね。せっかく同僚の人に紹介してもらったのに、まだ恋人だっていう響きに慣れてなくて……緊張して、どもっちゃって……」
吉沢くんに恥ずかしい思いをさせてしまったんじゃないかと、心配する私に……。
「朱里さんは何も悪くないですよ。僕達はまだあまり恋人らしいこともしていないので、慣れないのも当然です」
励ますような声音でそう言うと、吉沢くんがおもむろに伸ばした手がテーブルの上の私の右手にそっと添えられると、そのまま手をにぎにぎと握られた。
それはもう、にぎにぎと……。
「これからゆっくりと慣れていきましょう。それにこちらこそ、騒がしい奴にせっかくの時間を邪魔されて、気を悪くしたりしていませんか?」
――にぎにぎ……。
話している途中も一向に手を離す気配がなく、お店の中なのでちょっと気恥ずかしかったけれど、振りほどくことも出来ずどぎまぎしていた。
「そんなことないよ。全然、大丈夫。むしろ後藤さんみたいに、楽しそうな人が同僚にいて良かったなって……」
「朱里さんは、後藤みたいなのがタイプですか?」
私はただ素直に第一印象を口にしただけなのに、ふいに吉沢くんが真顔になって握られた手にぎゅっと力を込められたので、思わずドキッとしてしまった。
「え? そういうんじゃなくて、さっきの二人のやりとりを見て、私と居る時には見せないような態度もとったりしてたから、ちょっと新鮮な吉沢くんが発見できて嬉しかったっていうか。これから色んな、吉沢くんを見れたらいいなとか……」
話しているうちに、何かだんだん恥ずかしいことを言っているような気がして、思わずうつむいてしまった。
「朱里さんにそう思ってもらえたのなら、とても嬉しいですよ」
吉沢くんが笑った気配が、繋がれた手から伝わってきたような気がした。
◇◆◇
「送ってくれてありがとう。今日はすごく楽しかった」
「僕もです。また一緒にご飯でも食べに行きましょうね」
「うん、また一緒にお出かけできたら、嬉しいな」
食事を終えたあと、吉沢くんが家まで送ってくれた。
吉沢くんと過ごした時間がすごく楽しくて、帰り道も吉沢くんの手は私の右手を終始にぎにぎとしていたから、何だか離れがたい気持ちが込み上げてきて、一瞬の沈黙が生まれた。
「……」
お互いの視線が交差して、繋がれたままの吉沢くんの手を無意識にぎゅっと握りしめ、胸に淡い願望が膨らみかけたのだけれど……。
「それでは、おやすみなさい。暖かくして休んでくださいね」
吉沢くんのいつもと変わらない様子に、私ときたら一瞬、ひとりで勝手に期待をしてしまっていた自分が恥ずかしくなって、あわてて表情を取りつくろった。
「あ、うん……。吉沢くんも、寒いから気をつけて帰ってね。おやすみ」
ちょっぴり寂しさを感じつつも、気を取り直して彼を見送ったのだった。
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