嵐
戻ってきたエラールと互いに謝って仲直りをした。彼は手紙を書くための文房具セットを持ってきていて、母さん宛に手紙を書くようにと言った。
「これも交渉材料にするのね」
「申し訳ありません。しかし、これによってヴァレンティナ様の身の安全もあちらに伝わることになります。中身は検めますので、どうかそれを踏まえてお書きください」
言われなくても内容を読まれるのはわかりきっていた。当たり障りのないように、自分の無事と家族へのメッセージをしたためる。どうかこれを読んだ母さんが少しでも安心してくれますように。
私が拐われてカントの街を出てからもう三日目。もうすぐ三回目の夜が来る。エラールもジェイクも親切だけど、決定的なことは教えてくれない。いつから交渉が始まるのか、本当に戦争は終わるのか。
「アルフォンソ……」
前線はどうなっているんだろう。アルフォンソはどうしてるかな。武器も魔法も使えないのに、いったいどうやって自分の身を守っているの? どうか無事でいてほしい。兄さんたちがアルフォンソと一緒にいてくれるといいんだけど……。
私はアルフォンソの顔を思い浮かべた。いつも私の心には彼がいて、穏やかな微笑みを浮かべている。陽に透かすと金色に見える麦藁色の髪の毛、青空のような瞳。アルフォンソのことを思うだけで私の胸はときめいていた。
でも、なぜか今は上手く行かないの。ジェイクの炎のような赤い髪と、夜空のようなダークブルーが割り込んできて、低い声で私の名を呼んでキスをする。
私の頭の中は彼のせいでメチャクチャよ! 嵐のようにやってきて、すべてを掻き乱して。ちょっとでも気を許すと、何もかも奪われてしまいそう。
そして、それが嫌じゃない私がいることに、自分で一番驚いている。
アルフォンソのことを好きなのに、私は、自分が好きなだけじゃ嫌なんだ。求めてくれないと、言葉にしてくれないと。約束だけじゃ信じて待てない、だって、アルフォンソは私のことを愛しているわけじゃないかもしれない。義務感だけなのかも……。
そんな考えが浮かんできて、胸がズキリと痛んだ。もし、もしも本当にアルフォンソが、家への義務感だけで私に求婚していたのだとしたら。これから先、私は幸せになれるのかしら?
優しいアルフォンソはきっと、そんなことを表に出したりしないから、私は気づきもしなかったはず。でも今は、私はその可能性に気がついて、彼の心を疑っている。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。戦争なんて起こらなければ、こんな場所に連れてこられたりしなければ。ジェイクに出会わなければ! こんな気持ちになったりしなかったのに!
逃げられもせず、ただただ利用されて、自分の無力さを思い知らされた。ジェイクは私に愛を囁くけど、それが本心かどうかもわからない。彼もまた、私を利用しようとしているだけかもしれない。
……疑心暗鬼。つまらない妄想を頭からふるい落とそうとしても、一度不安になってしまったら、自分ではもうどうしようもない。
結局、今の私にはどうすることもできない問題ばかりだということがわかっただけだった。ひとり部屋に引きこもってなんかいるから、こんな妄想に囚われてしまうんでしょう、そう結論付けた私は、部屋を出てログハウスのエントランスに向かった。居間の役割を果たすそこなら、エラールと話したり、作業を手伝ったりして気がまぎれるでしょう。
そう思って部屋のドアを開けた私の耳に、深刻そうな声が飛び込んできた。
「それで戦況は? ルシオの英雄はどうなったんですか?」
「さぁ、そこまではオレにもわかんねぇな。ただ漏れ聞いただけなんでな。うちの大将はどうすんだか」
「そうですよね……。情報ありがとうございます。ぼく、ジェンキンス様に詳しく聞いてきます」
開いた出入り口でエラールが見張りの兵士と立ち話をしていた。ルシオの英雄と言えば、ルカ兄さんのことだ。戦況が動いたの? でもさっきの言葉からは、アルバロよりもむしろルシオのほうがピンチみたいに聞こえた。
「エラール……」
「わっ! ヴァレンティナ様、もしかして今の」
「聞こえてたわ。何が起きたの? 私にも教えて」
「それは……」
エラールは言葉に詰まって兵士の方を見た。ぶっきらぼうな感じのする年上の兵士は黙って肩をすくめてみせるだけ。
「ジェイクに直接聞く。ここから出して」
「それは……、わかりました。一緒に行きましょう」
もっと反対されるかと思ったのに、拍子抜けするほどエラールは協力的だった。ログハウスから出たらキャンプには武装した兵士がたくさんいて驚いてしまう。テントを縫うようにして歩くと、じろじろと物珍しそうな目で見られた。いたたまれない。私は前を歩くエラールにコッソリ聞いた。
「エラール、ここは兵士の待機所じゃないの? みんないつも武装しているものなの?」
「ここは兵士の待機所でもあり、支援物資を集めておく所でもあり、治療施設でもあります。非番の者と非戦闘員以外は常に武装していますよ。いつでも動けるようでなければ、控えている意味がありませんから」
「そう……」
潤沢な物資、交代の利く兵員、さらには手厚い後援まで、私たちルシオ公国とアルバロ王国とでは比べ物にならないくらいの差がある。ルシオにだってもっと戦える人間がいれば……!
「ここがジェンキンス様のテントです。参謀本部ですよ。本当はいけないのですが、状況が状況なので」
こっそりとエラールが囁いてくる。私、本当にここにいていいのかしら。テントの幕は上がっていたけどまだ中は見えない。私たちはテントに近づく前に槍を持った兵士に呼び止められた。
「止まれ、何者だ」
「ジェンキンス様の小姓をしております、エラール・プワリエが参りました。ヴァレンティナ・デ・ロス嬢をお連れしております、お通しください」
エラールの名乗りはしっかり張っていてよく通った。テントの中からすぐにジェイクが出てくる。
「エラール? なんでヴァレンティナを連れてきた」
「はい、すでにぼくのほうにまで噂が飛び込んできていました、ヴァレンティナ様の耳に入るのも時間の問題だったでしょう。これ以上ヴァレンティナ様のお心に負担をかけるのはよくありません、事実をお伝えするべきだと思いました」
「ヴァレンティナの耳に入らないようにするのがお前の役割だろ。事実なんて知ったら……」
「人づてに変な情報を聞かされるより、ジェンキンス様から伝えられたほうが安心なさいますよ。ご本人に聞いてみたらいいじゃありませんか!」
テントの内側は机と椅子があるだけの簡素な場所で、そこには七人ほどの騎士が立っていた。彼らの視線は厳しい。黒騎士姿のジェイクは、狼狽えた顔で私を見下ろしている。
「ヴァレンティナ……」
「お願い、ジェイク。何があったのか教えてほしいの」
私はあえて、ジェイクを愛称で呼んだ。公式な立場ではなく、彼が求めた関係のままで。ジェイクは悩むように目を閉じて後ろ頭を掻くと、ゆっくりひとつうなずいた。




