ジェイクの正体
アルフォンソは私より四つ年上の幼馴染で、小さい頃からずっと一緒だった。彼のお父さんは会計士をしていて、私の父さんもお世話になっていた。だからなのか、乱暴でわがままな男の子たちと違って、彼は出会ったときから優しくて落ち着いていたように思う。一緒に絵を描いたり、楽器を演奏したり、ピクニックに行ったり。
彼は女の子たちにキャアキャア騒がれるようなことはなかったし、浮いた噂ひとつ聞かなかった。いつも一緒にいる私たちのことも、誰も何も言わなかったけど、私は気づけばアルフォンソのことを好きになっていた。
きっとそれは彼も同じはず。だって、彼の目はいつだって優しく私を見つめていたから。家柄もちょうどよく、家族同士の仲もよくて、年齢も近い――と言っても、四歳差は私にとってすごく大きく思えて、私はいつだってアルフォンソに追いつきたくて一生懸命だったけどね。
だから、何も言わなくても私たちは一緒になるんだって信じていた。いつか時が来れば、大人になれば、アルフォンソに求婚されて、夫婦になるんだろうって。そしてそれは正しかった。アルフォンソは私にプロポーズしてくれたんだから。
アルフォンソの空色の優しい青い目が好き。こぼれたような笑顔が、笑い声が好き。意外と広い肩幅、麦藁色の少し縮れた髪の毛。爪の整えられたペンだこのある手。
『ヴァレンティナ』
そう名前を読んでくれる声が、懐かしく思い出せる。暴力とは無縁の人だったのに、前線に駆り出されるなんて……! 今頃どうしているんだろう。私が拐われたことは伝わってるのかな。心配してくれているかな……。
「アルフォンソ……」
そう口に含むと、なおさら想いがあふれた。会いたい……。
「アルフォンソ!」
「わ!」
伸ばした手は、何も掴めなかった。木の天井が見えて、自分がどこかに仰向けに寝ていると気づいたのと同時に、年下の男の子が私の顔を覗き込んできた。さっき驚いたような声を上げたのはきっとこの子だ。十五歳くらいの、黒髪を短く切りそろえたおとなしそうな子。でも男であることに違いはない、私は大きな声を上げて、ついでに腕を振り回して彼を自分から遠ざけた。
「きゃああ! イヤ! 来ないで!」
「お、おちついてください! ぼくは怪しい者ではありません、ジェンキンス様に貴女のお世話をするように言われて来たのです!」
「うそ、だってあなた、男の子じゃない!」
私はベッドの上に起き上がりながら、彼から目を離さなかった。彼の手には濡れた布巾があって、私の寝ていたベッドの枕元には、水の入ったタライが載った小さなテーブルと椅子がある。そして私の衣服は少しゆるんでいた。
「きゃっ……!」
「あ。ち、違います、違います! 貴女が気絶していたので、衣服をゆるめて呼吸しやすくしていただけです!」
「信じられない……」
「そんな! 布で拭いていたのも、顔とか腕とか、表に出ていた部分だけです。けっして不埒な真似はしていません、信じてください!」
私が睨みつけている間、男の子は不安そうにしながらも視線を外すことはしなかった。ひょろっとしていて戦うことが得意そうには見えないけど、それでもきっと私よりは力が強いはず、警戒するのは当然のことだった。
それと同時に、彼が本気で何かするつもりなら、私が意識を失っている間が絶好のチャンスだったのは間違いない。それに、ログハウスを入ってすぐのエントランスに蹲っていたのが私の最後の記憶だという事を考えると、彼の言う通り気絶していた可能性が高い。すると、彼は私をここまで運んで介抱してくれた恩人ということになる。
「あなた、誰なの……?」
警戒心は崩さないながらにそう聞くと、彼はなぜか嬉しそうに微笑んだ。
「はい、ぼくはジェンキンス様の小姓で、名をエラールと言います。お見知りおきを」
「……ジェイクって誰なの」
「えっ、ご存じないのですか? アルバロ王国の第三王子であり、軍の副司令官にあたる御方ですよ。すでに説明はしてあるとのことだったのですが、ジェンキンス様は名乗られなかったのでしょうか」
エラールの言葉に私は驚いた。ジェイクはきっとジェンキンスそのひとだ、つまり彼は第三王子なのだ。荒くれ者っぽい振る舞いは、身分を隠すためにわざとやっていたのかもしれない。
「嬉しそうね、あなた」
「はい。貴い方にお仕えするのは誉れですから。ここに連れてきてもらえたぼくは、運がいいのです」
「戦場に近いのに?」
「だからこそですよ。ぼくはもうすぐ騎士見習いになります、現場の雰囲気を知ることができる貴重な機会ですから」
ニコニコしているエラール無性にイラついた。その戦場では、私の父も兄も、アルフォンソも戦っているんだけど? しかも、一方的に攻めて来られて! 私がどこの国の人間だかわかってて言ってるのよね?
「もういいわ、出ていって」
「えっ?」
「今すぐ、ここから出ていって! この部屋からじゃない、この建物からよ!」
慌てるエラールに向かって枕を投げつける。困った顔で説得しようと試みる彼を、私は握りこぶしで脅して部屋から追い出した。
「待ってください、デ・ロス嬢! どうしてぼくを追い出すのですか!」
「世話係が男だなんて聞いてない! それに、私、あなたのこと大っ嫌い!」
「そんな!」
ドアの先は思ったとおり、最初にいたエントランスだった。暖炉の火も付いてない真っ暗な空間を、寝室からの明かりを頼りにエラールを入り口まで追い詰める。
「ほら、出てって! 代わりの人間を連れてくるのね!」
「そんな、ジェンキンス様に何と言えば……」
「そのまま言えば?」
「あ、明かりを……」
「うるさい! 早く出ていって!」
私はエラールを手ぶらで出て行かせた。入り口に立っていた見張りもいない、たぶん夜遅いからなのと、エラールがいるから、ってことなんでしょうね。キャンプの中には篝火があって、エラールもそこまで困りはしないでしょう。
私は彼が遠くまで行ってしまったのを確認してから、行動を開始した。




